夕陽を追いかけて

財津が30歳の時に作った歌。
30の自分は父や母にこのようなことばで感じることはなかった。
そう考えると改めて財津のすごさを感じる。
57の自分は通勤ランの間、何度も繰り返し聴き続けた。
父が小言の一つも言わなくなるのは、何才ぐらいになるのだろう。
思い出すことができないまま、自分の今を考えてしまう。
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「夕陽を追いかけて」

作曲:財津和夫  作詞:財津和夫

しばらくぶりのふるさとは
大きな街に 姿をかえていた
だらだをゆすって 走ってた
路面電車は 今はもういない

悲しみこらえ たたずんで
好きだった人 ながく見送った
後姿に 似合ってた
あの海辺のみち いまは車の道

でも海は まだ生きていた
いつも勇気を くれた海だった
空の星は 昔のまま
指先に ふれるほど近くに

いつからだろう 父は小言の
たったひとつも やめてしまっていた
いつからだろう 母が唇に
さす紅を やめてしまったのは

長生きしてねの 一言さえも
てれくさく言えず 明日は出てゆく日
もどっちゃだめと 自分に言った
切り捨てたはずの ふるさとだから

都会に海が 見えないから
人は僕を 笑いものにする
都会の星は とても遠いから
人は僕を 夢みるバカという

いつだって 真剣に
僕は生きて きたはずだけど
でもいつも そこには
孤独だけが 残されていた

沈み夕陽は 止められないけど
それでも僕は 追いかけてゆく
沈む夕陽を 追いかけて
死ぬまで 僕は追いかけてゆく

追いかけて 追いかけて
死ぬまで 僕は追いかけてゆく
追いかけて 追いかけて
死ぬまで 僕は追いかけてゆく



# by saitoru1960 | 2017-07-20 18:24 |

「こんな人たち」発言にみる安倍自民の本当の敗因

7/3(月) 23:18<江川紹子 ジャーナリスト>
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「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」
今回の都議選の最中に、閣僚や自民党幹部から出た様々な発言の中で、安倍首相が発したこの言葉が、私にとっては最もインパクトがあった。最終日、秋葉原で初めて街頭に立った安倍首相に対して、今回の政権を批判する人たちから発せられた「安倍やめろ」コールに怒り、「憎悪や誹謗中傷からは、何も生まれない!」と語気を強め、声のするとおぼしき方向を指さして、冒頭の言葉を言い放ったのだった。

それで思い出すのは、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー氏が、カリフォルニア州知事に立候補し、選挙運動中に、演説会場で反対派から生卵をぶつけられた一件。彼は、そうした行為も「表現の自由」の一環だと述べ、「ついでにベーコンもくれよ」と笑い飛ばした。
そんな風にユーモアで切り返すのは無理でも、「批判を謙虚に受け止め」と大人の対応をするか、あえて知らん顔で主張を述べ続ける冷静さを見せて欲しかった、日本国の総理大臣なら。

安倍シンパたちは、「やめろ」コールをしていたのは一部の過激な集団と決めつけているが、現場の状況を、客観的にレポートしていると思われる記事を読むと、こんな記述があった。
〈中心となっていたのは一部の集団だったようだが、街宣が始まるとともにコールは広がりを見せ、通行用のスペースを隔てた場所で演説を見ていた人まで「安倍やめろ」と口ずさむ有様だった〉

言い始めたのは一部の集団でも、それに多くの人がそれに呼応した、という現象に、本当は深刻さを感じなければならないところだったろう。ところが、安倍さんの対応は違った。

総理大臣という立場
内閣総理大臣は、安倍さんの考えに共鳴する人たちだけでなく、反対する人々を含めた、すべての国民に責任を負う立場だろう。仲間や支持者だけではなく、批判勢力を含めた、あらゆる国民の命や生活を預かっている。なのに安倍さんは、自分を非難する人々を「こんな人たち」という言葉でくくってしまい、それに「私たち」という言葉を対抗させたのである。「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない」と。

都議選の応援は、自民党総裁という立場で行ったものだろうが、安倍さんを紹介する垂れ幕には、しっかり「内閣総理大臣」と書かれ、司会の石原伸晃議員も「ただいま、安倍総理が到着しました」と紹介していた。
小泉内閣の総理秘書官だった小野次郎・元参議院議員は、ツイッターで次のように書いている。
〈この方は、自分に反対の考えを持つ人々は国民ではないと思ってる。総理になって何年も経つのに、この方は全国民のために選ばれた職にある自覚は持ち合わせない、遺憾ながら。〉
同感である。

「みんなの大統領になる」
2008年の米大統領選で、共和党のマケイン候補と激しい選挙戦を戦った民主党オバマ候補は、勝利が決まった後の演説で、マケイン氏を称え、こう語った。
〈私がまだ支持を得られていない皆さんにも申し上げたい。今夜は皆さんの票を得られなかったかもしれませんが、私には、皆さんの声も聞こえています。私は、皆さんの助けが必要なのです。私はみなさんの大統領にも、なるつもりです〉(加藤祐子訳)

韓国の文大統領も、5月の就任宣誓で「私を支持しなかった国民一人ひとりも国民」とし、その国民に奉仕することを約し、「皆の大統領になる」と強調した。
国会で多数派の中から選ばれる議院内閣制の首相は、国民から直接選ばれる大統領とは選ばれ方や権限などに違いはあっても、政権を率いるリーダーであり、人々を代表する国の顔でもある。

「私たち」と「こんな人たち」を対決させる政治
常日頃から安倍さんは、「敵」、すなわち「こんな人たち」認定した者に対しては、やたらと攻撃的だ。それは、首相でありながら、国会で民進党の議員の質問にヤジを飛ばして、委員長から注意をされる場面からも見て取れる。野党の議員の後ろにも、たくさんの国民がいるということを理解していたら、こういう態度はとれないだろう。安倍さんにとっては、野党議員に投票するような人たちは、自分が奉仕すべき国民というより、「こんな人たち」程度の存在なのではないか。

その一方で、彼は「私たち」の中に入る身内や仲間をとても大切にする。第一次政権では、仲間を大事にしすぎて「お友だち内閣」との批判を浴びた。稲田防衛相への対応などを見ていると、その教訓は未だ生かされていないようだ。仲間を大事にするのは、1人の人として見れば美徳だが、特区制度を利用した獣医学部新設をめぐっては「腹心の友」とまで呼ぶ親友を特別扱いしたのではないかとの疑念を生む一因にもなっているように思う。

敵を作り、それと「私たち」を対峙させることで、存在価値をアピールする。敵を批判し、嘲笑し、数の力で圧倒して、自らの強さと実行力を見せつける。そんな対決型の姿勢を、「決める政治」や「歯切れのよさ」「スピード感」として評価する人たちがいる一方、無視され、軽んじられてきたられた人々の不満はたまりにたまっていた。

そして、対決型を推し進めることで、政治はますます粗雑になり、できるだけ広範な人たちの合意を得ていくという地道な努力をしなくなっていった。これには、長年自民党を支えてきた保守層の中にも違和感を覚えた人が少なくなかったろう。
そこに森友・加計問題が持ち上がり、財務省の木で鼻をくくったような対応があり、文科省の前事務次官の証言があり、共謀罪審議での強引な採決があり、豊田議員の暴言があり、稲田防衛相の失言があり、二階幹事長の「落とすなら落としてみろ」発言が重なった。安倍首相の「こんな人たち」発言は、最後のだめ押しであると同時に、首相自身の個性に由来する、安倍政権の体質を、ものの見事に可視化してしまった。

安倍首相は、今回の敗因を、「政権の緩みに対する有権者の厳しい批判」と述べた。長期政権ゆえの「緩み」は、確かにあるのだろう。だが、本当の敗因はもっと根が深く、安倍さん自身のことさらな対決姿勢や粗雑な政治もその1つではないだろうか。
また、菅官房長官は、記者会見でこの発言について問われ、「きわめて常識的な発言」と述べたという。官房長官の立場で、これが「問題がある」とは言えないだろうが、政権トップの発言として「常識的」だと言ってのけてしまうところに、「分かってないなあ」と思ってしまったのである。

# by saitoru1960 | 2017-07-04 20:42 | いろいろ

ヒトラーへの285枚の葉書

ちょっと、現実味がなかったか。
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# by saitoru1960 | 2017-07-01 16:17 | 映画

光をくれた人

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自分の子供として流れ着いた子供を育てることは出来るとは思うけれど・・・。
いつかは離れなければいけない運命だと冷静にいることは出来るのだろうか。

# by saitoru1960 | 2017-07-01 14:27 | 映画

フルレとマーレを結ぶ橋

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# by saitoru1960 | 2017-06-25 15:32 | モルディブ

途上国における障害者スポーツ

モルディブ時代の陸上競技クラブの教え子マスードが今、44歳になり、モルディブ障害者スポーツ協会でボランティアをしている。マスードの活動を知ったのは、フェイスブックに彼が載せていた視力障害者がロードレースに参加している写真だった。
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<右端がマスード、左から2番目がランナー。サポートしたランナーは右から2番目の女の子>

途上国での「スポーツ」への取り組みではなく、途上国での「障害者スポーツ」への取り組みは、1964年が「東京オリンピック」で2020年は「東京オリンピック・パラリンピック」と銘打つように、「世界とスポーツ」を考える上ではまさにこれからの多(異)文化共生時代の課題の一つになるのかもしれない。
私が青年海外協力隊員としてモルディブで活動していた1989年、神戸で開催されたフェスピック大会(アジアパラ競技大会の前身)にモルディブから障害をもつ卓球選手1名が参加したことがあった。代表団の1人として、協力隊の事務所で働いていた、日本語を少しだけ理解できる現役のモルディブ卓球選手が選考され、神戸に引率していく役目を果たしたのだった。しかしながら、当時(1988~1990)モルディブにおいて障害者が人の目に触れ堂々とスポーツする姿を私は見た記憶がない。
帰国して27年の月日が流れた。
途上国における障害者スポーツがどのように進展していったのかマスードにまだ詳しく聞けてはいないが、遠い異国から教えにやって来た日本人と一緒に陸上競技を経験したことで、スポーツの持つ力を体感し、それが他者に働きかけることへの意欲に繋がってくれたのであれば嬉しい限りである。
モルディブは1200もの島で一国を形成している島嶼国である。国土の総面積は淡路島の半分程度しかない。1200の中には、ヤシの木一本だけが生えているような島も含まれていて、そのうち200の島に人が住んでいると言われている。
発展途上国でのスポーツを考える際には保健衛生状態を考慮しない訳にはいかない。また、保健衛生状態と密接に関係する戸籍の存在さえも明確ではないことが途上国では起こり得ることも忘れてはならない。
1989年、クウェートで開催されるイスラミックオリンピック大会(イスラム教国のオリンピック)に初めてモルディブ代表選手として選考されたサイードは、初めて国外に出るためパスポートを作ることになった。自分の生年月日をわざわざ生れ故郷の島に確認しに行き帰ってくると、彼の本当の年齢が18歳から16歳に下がり、髭の生えている風貌とパスポート上の年齢の大きな違いに驚愕したことがあった。よくよく聞いてみると、地方の島では生まれてもすぐに死んでしまう子供が多いので、戸籍なるものは存在せず、このまま生きながらえることができるな、となった頃に、何年前に生まれたあの子だな、となり、島の係の人が何かに記すのだという説明だった。
小さな島の集合体として成り立っている国モルディブにおいて、もう一つ気になったのは「血」の問題であった。
「モヤミーフン」というモルディブ語を覚えたのは活動し始めてすぐの頃だった。
「モヤ」は異常な、狂った、というような意味で、「ミーフン」は人である。
夕方4時からの陸上クラブの練習時間になると、選手たちがちょっと声を低めにして「モヤ」と呼ぶ、近所に住むアハメドがしばしばやって来た。年齢は10歳から13歳くらいであった。
アハメドがくる時はいつも水浴びをした後で、きちんとアイロンのあてられたシャツを着て、髪の毛にもきちんと櫛の目が入っていた。そして、いつもニカッと白い歯を見せ、なにかブツブツ言いながら陸上クラブの選手たちが練習する横にぶらぶらとやって来るのだった。ストップウオッチでタイムを計る私の近くに来ては、ストップウオッチを珍しそうに触るので、使っていないストップウオッチを手渡すと、嬉しそうにボタンを押し大きく口を開けまたニカッと白い歯を見せていた。
当時は総人口20万人のうち4分の1の5万人が周囲5㎞しかない首都島マーレに住んでいた。一方で地方の小さな島では一生その島から出ずに過ごす人々もいる。
単純に残りの15万人が首都以外の199の島に別れ住んでいるとすると、1島に750人という数字となる。何代かさかのぼると近親者ということが十分考えられ、近親婚から生まれる子供が障害者である高確率も簡単に想像がつくところである。
また、乳児死亡率はその国の平均寿命に直結している。
1988年と2014年でモルディブのそれを比較してみるとこの四半世紀におけるこの国の充実ぶりは一目瞭然である。
乳児死亡率 1988年 74.4人   2014年 7.8人 (出生1000人あたりの死亡数)
平均寿命  1988年 59.77歳  2014年 76.77歳
障害をもたなくても生きながらえるかどうか不透明な途上国において、障害を持って生まれた子供の行く末は想像に難くない。
乳児死亡率が下がることで上昇する平均寿命。平均寿命の伸びることが障害者のスポーツ参画に結びつくのであれば、やはりスポーツは恵まれた国の人々だけが享受できるものなのだろう。

今年2月、マスードが私に依頼してきたことは、ブラインドサッカー用のボールの入手であった。連絡を受けて探し始めると、日本でもブラインドサッカー協会のサイトでしか購入できない貴重なボールであった。しかしながら、ずっと売り切れ状態が続いていたため、ボールが手に入るまでにマスードの最初の連絡から4カ月の時間が過ぎてしまっていた。
「まだブラインドサッカーをする選手はいないけれど、2020年の東京パラリンピックに出られたらいいな」と話すマスード.。
ようやく届いたデンマーク製のブラインドサッカーボールを初めて手にしてみると、皮の感触、音の鳴り方など初めての感覚であった。せっかくなので、高校2年生の保健の授業でボールを触らせ、レタリングの上手な生徒に「Don’t think ! Feel !!」とモルディブのブラインドアスリートにメッセージを書かせた。
私がモルディブを離れた1990年、17歳だったマスード。
日本の17歳が送ったメッセージを目の不自由なアスリート達に彼はどう伝えるのか聞いてみたい。

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「Don’t think ! Feel ! !」

# by saitoru1960 | 2017-06-25 07:23 | 協力隊

Start line of Maldives Blindsoccer !

2017年2月19日 15:13 <Abdulla Masood>
hello coach
haalu kihineh
im going to introduce blind soccer in the maldives
i need your help to find ball

2017年2月19日 15:57 <Toru Saito>
Masood,kihine!?
Blind soccer balls selling in Japan seem to be sold only at the Japan Football Association.
I have tried various searching on the web now, but it seems to be made in Spain.
The price is 5616 yen per piece.
However, it can not be sold out and available.
If you tell me your position of the Maldives Disabled Association, I will consult with the Japanese Football Association once.
And please tell me the history of blind football in the Maldives and the future plan of enlightenment.

2017年2月19日 15:59 <Abdulla Masood>
baraabaru.
My position in Blind and visually impaired society is consultant in sports (Volunteer). Till now we not play blind soccer here in the Maldives. We are planning to introduce blind soccer here.
Our future plan is to participate Paralympic 2020 Tokyo. Now I’m training only athletics for blind.

2017年4月7日 18:47 <Toru Saito>
Masood, I am sorry I did not contact you for a long time.
I tried asking various departments, but I did not get a reply.
Looking at the web of the Japan Blind Football Association after a long absence, the sold out balls began to be sold again. This is good news.
So I ordered one because it was reservation sale. In May it will arrive at hand.
I will send it to you as soon as possible, so please tell me the address of Masood at Male

2017年4月8日 13:09 <Abdulla Masood>
Thank you Coach. I also trying very hard to get reply various departments. Now i got reply from denmark they are ready to supply balls and other materials.
My Postal Address is:- Lot no. 10395. Ground Floor. Hulhumale. Zip Code: 20057 Phone: +960 7943177

2017年6月22日 <Toru Saito>
My high school student wrote a message on the ball.
These students are 17 years old, it means 2nd grader in Japanese high school.
In 1990 when I had returned to Japan from Maldives, Masood was 17 years old, isn’t it.
Please wait a little more. I will send this ball to Maldives.
Please be looking forward to it.
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# by saitoru1960 | 2017-06-22 05:30 | モルディブ

風の人 土の人

「地域ではたらく「風の人」という新しい選択」 
作者: 田中輝美,藤代裕之,法政大学藤代裕之研究室
出版社/ ハーベスト出版 発売日: 2015/08/11

「風の人」
その地域に「定住」しない人
その地域の外からやってくる人
その地域に新しい視点をもたらす人

「土の人」
その地域に「定住」する人
その地域の地元の人
その地域を支え、受け継いでゆく人
3つの原則

①主役はあくまでも「現地の人」。決定権は協力隊にはない
地域活性化における主役は「土の人」、「現地の人」。決定権は「現地の人」にある。
「風の人」と「土の人」には、明確な境界線があり絶対に越えられない。
一線を越えると現地の人と衝突が起き、本当は必要のない支援をしてしまう可能性も高くなる。「支援」ではなく「介入」になることがある。

②協力隊は、風のようにフットワーク軽く行動を起こすこと
「土の人」に代わって、どんどん動くこと。
2年で目に見える成果を出すことは誰でもできることではない。ただ、成果を出そうとチャレンジする「姿勢」は、どんな人であっても見せることができる。
やるか・やらないか迷ったら気軽に身軽に行動を起こすことが大切。

③自分の考えを信じて、「風」という名の変化の「きっかけ」になる
「風の人」である協力隊の価値は、新しい風を吹かすことができること。
その「風」は、協力隊の1人ひとりが持つ、「土の人」にはない独自の視点やアイデア。


# by saitoru1960 | 2017-06-14 05:12 | 協力隊

マンチェスター・バイ・ザ・シー

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自分はこんな映画が好きなのかもしれない。心の中に抱えているものを観ている人間がそれぞれイメージして引き込まれていく。毎日新聞の映画評で書かれたあったことだけれど、見終わった後も頭の中では様々な映像が浮かんでは消えた。
自分の過失のため二人の小さな子供を焼き殺してしまった事実は、どう慰められ、時間が過ぎて行っても消え去ることはない。まして、別れた妻に数年ぶりに会い、慰められたら余計に記憶が新たに蘇ってくることが想像つく。
つらい。
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ケイシー・アフレック、いい俳優だ。



# by saitoru1960 | 2017-05-21 16:25 | 映画

「どくいり きけん たべたら しぬで」

f0013998_21061771.jpg 2020年の東京オリンピックが3年後に迫ってきている。
 1964年の前回から56年ぶりの開催。それが昭和の39年と知ると、平成生まれの高校生には遥か昔の出来事に感じられることだろう。高度経済成長、右肩上がり、新・三種の神器(カラーテレビ、クーラー、自動車)。次第に高さを増していく東京タワーを映画などで観ていると、汗と埃にまみれながらも、希望あふれる明日を楽しみに生きている人々の高揚感までもが伝わってくる。

 「キツネ目の男」が世の中に突如現れるのは、東京五輪からちょうど20年後の昭和59年。
 2020年のオリンピックが近づくにつれ、マスコミはこぞって昭和と平成の時代を比較しながら、前回と今回のオリンピックを取り上げるに違いない。その時、数ある昭和の大事件の中ではずすことのできないのが、未解決のまま時効になった「グリコ・森永事件」である。
 入浴中のグリコ社長を誘拐し、身代金10億円と金塊100kgを要求するところから始まったこの事件は、グリコ、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家などの脅迫、はたまた、グリコや森永などのお菓子に青酸ソーダを入れ「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書いた紙を貼って店頭にならべるなど、まるで推理小説の様相を呈していった。店の陳列棚からはグリコ製品や森永のお菓子が撤去され、ワイドショーは連日話題に事欠くことはなかった。また、企業への脅迫状とは別に、新聞社や週刊誌に挑戦状を送りつけ、「けいさつの あほども え」など、警察やマスコミを挑発し、あざ笑うかのような内容が多かったため、世間は恐怖を感じながらも権力への反発心から、犯人の一人と目されたキツネ目の男を興味深く見ている所もあった。
 この事件が特異なのは、事件が続いた約1年半の間、被害者(殺される)が一人も出ず、身代金など金銭の受け渡しが一度も成功しなかった(表立っては)ことである。2000年2月、事件は時効をむかえている。

 さて、この「罪の声」。
 ある日、亡き父の遺品を整理しているとノートとカセットテープが見つかる。ノートには英文に混じって「グリコ」と「森永」の文字。テープを再生すると幼い頃の自分の声が流れてくる。そして、少し途切れた後、その同じ声はグリコ森永事件の誘拐脅迫文を読み上げるのだった。
 もし、あなたがこのテープを聞いた本人であれば、その後の自分の人生がどう展開していくか想像できるだろうか。


# by saitoru1960 | 2017-05-16 21:02 |

ピクニックラン

今月は260kmに達しないことになるけれど、最後の日曜日で休み、かついい天気ということでロングに出る。
舞子ー須磨で、須磨で海岸沿いの道を前回のに付け加えることにする。
達郎の曲を聴きながらいろんなことが頭に浮かんでは消えしていくので、走り終えた時ぼんやりしている景色もあったりする。
約25kmを2時間21分。心の洗濯をちょっとした感じ。久しぶりのスナップはジオラマ風。
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# by saitoru1960 | 2017-04-30 11:31 | ランニング

57

今年も家族の誰からも言葉はなく、いつものように夜1人で冷えたおかずを食べ、床につく。
# by saitoru1960 | 2017-04-27 05:13 | ひとりごと

汚れたミルク

神戸アートビレッジセンターに「汚れたミルク」を観に行く。
ネスレが粉ミルクを世界中に広めようと販売に躍起になる。
粉ミルクを溶かす水が不衛生のため、下痢による脱水症状で死んでいく乳幼児が続出する。
告発する元販売員と金のためないことにしようとする国の幹部。
多国籍企業を戦うことはよっぽどの力がないと相手にされない。
よっぽどの力を生み出すのは何か・・・。
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# by saitoru1960 | 2017-04-16 17:50 | 映画

神戸の風景

YouTubeで出会った昭和36年の神戸の風景。
兵庫区東出町というのは、七宮神社東側の川重あたり。
神戸駅までの引き込み線があったのかもしれない。


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# by saitoru1960 | 2017-03-28 21:11 | いろいろ

ケガはほっておけば治る

稀勢の里が優勝した。
相撲の勝敗にあんなに手を叩いて叫んだのも久しぶりのことだった。
そして、インタビューで稀勢の里の口から出てきたセリフが、
「ケガはほっておけば治ります」。
昔、「痛かったら唾でもつけとけ」、というのと同じように、「ほっといたら治る」と言うことはよくあったような気がするが、最近はとんとそんなセリフを聞くこともなくなった。
痛かったら、原因を解明し、正しい処置を施す、というのは尤もなこと。
ほっといたら治るという、なんの手だてにもならない言葉は、なぜ昔はよく使われたのだろう。
ちょっと心に引っかかっている。
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# by saitoru1960 | 2017-03-27 17:34 | ドキリとしたこと

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
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