発表会
# by saitoru1960 | 2009-11-15 17:01 | 家族
少年になっていく息子
2週にわたって行われたソフトボール卒業記念大会。
先週、高東Aに負けたひまわりは、今日、「青い鳥」、「上野」を破り4勝1敗。
高東は、ピッチャーが怪我をしたということで今日の2試合に負け、なんと、ひまわりは棚ぼたでの優勝となった。
最後の学年になって、3個目の金メダル。
青い鳥、若アユ、上野、高東、ひまわり。
戦い続けた草ソフトボールチームの面々は、次週、6年生だけの混成チーム試合、オールスター戦に臨む!
# by saitoru1960 | 2009-11-08 15:29 | ドキリとしたこと
最後のステージ
合唱:満月の不思議ポロロッカ
合奏:ラプソディー・イン・ブルー
フィナーレ:みえない翼
# by saitoru1960 | 2009-11-07 13:00 | 家族
マスコミのコントロール
記事を読むときには、多面的に見ることが必要、ということを感じることがある。

最近の記事から、

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▼日本の怒りを扇動したゲーツ米国防長官

日本人が選挙で民主党に投票しただけでは、大した政治覚醒でない。鳩山政権就任直後の9月23日に、米国務省の東アジア担当者であるキャンベル次官補が沖縄の普天間米軍基地の移転問題で「新政権は、前政権が決めたとおりにやってほしい」と言ったので、この問題がいずれ米国が日本と敵対するテーマとして使われ、反米感情を扇動して日本側の政治覚醒を煽るのではないかと思っていたところ、10月20日に来日したゲーツ国防長官が見事に爆弾を落としていってくれた。

来日したゲーツは、東京に着く直前の専用機内での記者会見で「普天間基地の移転先は辺野古しかない。
日本は2006年に米側と合意したとおりにやってほしい。11月12日にオバマ大統領来日までの間にきめてほしい。普天間の代替先が決まらない限り、海兵隊のグアム移転もやらない」と述べ、日本政府を威嚇した。

それまでも米政府はキャンベルやルース駐日大使ら高官が鳩山政権に、普天間基地の移転先は辺野古で変えないでほしいと要請していたが、高圧的な発言は初めてだった。
普段は気さくなゲーツが突然語気荒く言い放った。日本のマスコミはいっせいに「米国は怒っている。鳩山政権が従わないと日米関係は悪化する。
普天間の県外移転にこだわる鳩山と民主党は悪だ」といった論調を流し始めた。

日本のマスコミは鳩山政権の就任以来、米国が怒るのを待っていた。ここ数年、対米従属プロパガンダ機関と化している日本マスコミの主軸は、鳩山政権が米国から叱責され、日米関係が悪化したところでマスコミが「鳩山のせいで大事な日米同盟が壊れた」と大々的に非難し、鳩山の献金スキャンダルも盛り上げて政権への支持率を下げ、鳩山が対米従属の方に戻らざるを得ないか、もしくは早々に政権の再交代を引き起こして対米従属の自民党政権を返り咲かせたいと考えていたようだ。
そんなところにゲーツが来日して「決めたとおりに普天間移転をやれ」と威嚇したものだから、マスコミは喜んで飛びつき、ゲーツの威を借りて鳩山攻撃を展開した。

しかし、そんな日本マスコミは、ゲーツの隠れ多極主義に乗せられた観がある。民主党は「沖縄ビジョン」で、以前から普天間基地は県外もしくは国外に移転することが望ましいと表明し、自民党政権が米国と合意した普天間の辺野古移転は、沖合案、沿岸案ともに地域住民や市民運動の反対が強く、すでに頓挫しているとみなしている。8月末の総選挙で、沖縄では4選挙区すべてで自民党が負け、基地の県外国外移転を求める民主党候補者が当選した。
仲井真県知事は自民党系だが「基地問題は民意を尊重して決めたい」と前から言っている。沖縄の民意は「辺野古移転はダメです」ということだ。

米国防総省は、軍事戦略の根幹に関わるので基地の地元民意にとても敏感だ。
ゲーツや米政府は「辺野古はダメです」という沖縄の民意をよく知っている。

それなのにあえて「移転先は辺野古じゃなきゃダメだ。先延ばしもダメだ」と、鳩山に言う前にマスコミに宣言した。もし、ゲーツが普天間移転問題をうまく進めたいのなら、こんなことをするはずがない。マスコミには日米協調を宣伝しつつ、鳩山ら日本の高官に物腰柔らかく接し、移転先について時間をかけて協議する態勢を組むはずだ。ゲーツはマスコミを利用して日本側の怒りを扇動した。

▼辺野古移転ごり押しで沖縄を団結に誘導

ゲーツの高圧的な要求を受けて、沖縄の世論は反米的な傾向を強めた。琉球新報の世論調査によると、沖縄県民の70%が、普天間基地は県外か国外に移転するよう政府が米国と交渉してほしいと思っている。
同時に県民の67%が、普天間基地の移転先を辺野古沖にすることに反対し、賛成は20%しかいなかった。99年の調査では賛成と反対が約45%で拮抗していた。

沖縄は経済面で米軍基地に負うところが大きく、基地は従来、経済的な「必要悪」だった。だが今後は、東京から地方への公共事業のばらまき自体が減ることが確実だ。
安全保障の面では、沖縄の基地の必要はもっと減っている。以前は関係が悪かった米国と中国は今や「G2」などと銘打って日本の頭越しに戦略関係を結んでいる。米政府は最近、中国への武器輸出規制を大幅に緩和した。

北朝鮮問題は「軍事解決」ではなく6カ国協議での政治解決に向かっている。
韓国では2012年に国連軍の指揮権が米軍から韓国軍に委譲される予定で、在韓米軍は出ていくことが米韓で合意されている。ゲーツは日本の後に韓国を訪問し、韓国政府に合意を念押しした。
ゲーツは日本では怒った表情だったのに、韓国では満面の笑みを浮かべていたと報じられている。米中がG2で良い関係になり、日中も東アジア共同体で融合していき、在韓米軍もいなくなる方向なら、沖縄にも米軍は必要ない。全部グアムに移ってもらえばよい。沖縄の人々が「基地は県外か国外に移してほしい」と思うのは当然だ。

日本海側の人々が北朝鮮のミサイルが怖いと思うなら、日本海側に米軍基地を作ればよい。竹下登の政治力で無理矢理作ったものの大して使われない島根県の石見空港の軍事転用などいかがだろうか
。本土の人々が米軍に守られたいなら、民間空港として「失敗」の烙印を押された成田空港、関西新空港、もしくは静岡空港あたりに米軍基地を移転するのも良い。
「本土防衛」には、戦時中の「松代大本営」にほど近い松本空港も便利だ。日本には、日本航空にすら見捨てられた地方空港がたくさんある。利用率の悪い10カ所ぐらいの地方空港が持ち回りで米軍を迎え入れるのはどうだろう。

いずれにしても、財政難の中で今から巨額の税金を使って沖縄の辺野古沖を埋め立てる必要はない。土建屋政治の時代は終わっている。ゲーツが辺野古移転にこだわったので、辺野古は反対派の座り込み2000日超にして、覚醒する沖縄の象徴的な存在になった感じがする。ゲーツの国防総省は、中東でイスラム教をことさら敵視することで、イスラム世界を反米で団結させてイラクでもアフガンでも自滅しているのと同様、沖縄の人々を怒らせる辺野古移転のごり押しをあえてやって、沖縄の人々を米軍基地追い出しで団結させている。冒頭で紹介した世界の人々の政治覚醒を煽るブレジンスキーがオバマ政権の世界戦略を描いていることと合わせて考えると、沖縄の人々を怒らせるのはブレジンスキーの多極化戦略の一環に見える。

# by saitoru1960 | 2009-11-07 12:58 | いろいろ
初めてのサンショー
山本と伊藤先生が、生まれて初めての3000mSCに挑戦するため松江のレディース大会に行く。
神戸から3時間半で、島根の松江に到着した。
近いようで遠い距離を走ると、競技場では清水さんが生徒と練習をしていた。

松江城は思ったよりもきちんとした保存状態で、姫路城の20%のミニチュアといった風だったが、姫路城を知らない人にとっては、見ごたえのある城内だと感じた。
町並みも姫路や篠山に似て、道路は城下町のそのものだった。

昼ごはんを悩んでいると、自分たちの会話を聞いていた女性が、「あそこはいいよ、でもあそこはだめ」と教えてくれ、教えられたそば屋に入ると、美味しい出雲そばを食べることができた。
親切な人に何人も出会った町だった。

初めてで最後になるかもしれないレース。
でも、これがきっかけで大学進学を真剣に考えるようになるかもしれない。
高速道路1000円もあって、安い買い物をすることができた。
# by saitoru1960 | 2009-11-01 05:42 | いろいろ
内田樹に説明される
心の中にいつの頃からかある、自分が教師になろうと決めた頃の原点をすっきり説明してくれている文章に出会った。
なんだか、自分が思い続けていたことがこんな風に書かれてあると、勇気づけられた気がして、すっきりした気分になれた。
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~略~
同窓生たちの中には億単位の寄付を遺贈する方が少なくない。
それは別にスーパーリッチな卒業生が多いという意味ではなく、彼女たちが「教育というのは本質的に『教える側の持ち出し』である」ということをご存じだからである。

少女時代の数年間を女学院で過ごした人々が、そこで経験した「教える側の持ち出し」という原事実の重さを、齢を重ねるについて思い知るということがあるからこそ、晩年に至って、「お返し」をしなければならないというふうに考えるのである。

昨日お話しした同窓生の方は大正15年生まれ、私の母と同年であったが、その方が「年を取るにつけて、母校がほんとうにいい学校だったんだなという感がだんだん強くなるんです。ふしぎですね」と言われた。
「贈与を受けた」という原体験をもつ人しか「反対給付の義務」を感じない。

ただ、この「贈与」ということを「価値あるものを受け取った」というふうに解してはならない。
そうではなくて、「どういう価値があるのかよくわからないものを受け取った」というのが「贈与」の本義なのである。

贈与されたものが何を意味するのか、何の役に立つのか、それを知るために、長い時間とさまざまな経験を要するようなもの、そのような贈り物だけが「贈与」の名に値する。

学校教育の目的は、学ぶ側に「十分に努力したので、努力にふさわしいだけの報酬を得た」という合理的な達成感を得させることにあるのではない。

そうではなくて、そこで自分が「求めていた以上のもの」「求めていた以外のもの」を受け取ってしまったのだが、それが何であるかがよくわからないので、それを知るために、そのあと長い時間を生き、さまざまな経験を経巡らなければならなかった・・・という行程の全体をふくむものが教育なのである。

私はよく「卒後教育」という言葉を使う。

もちろん、そんな言葉は教育学の用語には存在しない。

しかし、教育のアウトカムというのがいつどういうかたちで教育を受けた人において物質化するのかは誰にも言うことができない。

卒業後数十年して、臨終の床において、「ああ、なんて幸福な人生だったのであろう。今にして思えば、私が幸福であったのは、はあの学校で学んだことのおかげだった」と述懐した場合、その人において「卒後教育」は臨終の際まで継続していたことになる。

というのも、彼女が受けた教育の「適切さ」は、学校そのものに内在していたのではなく、教育を受けた彼女自身がみずから幸福になることによって、事後的に、実存的なしかたで証明したものだからである。
自分が受けた教育の適切さを、自分自身が愉快に、気分よく人生を送ったという事実によって遡及的に証明すること、それが「卒後教育」というダイナミックなプロセスである。

「卒後教育」の主体は学校ではない。本人である。

これは「自己教育」なのである。

けれども、この自己教育が発動するためには、「自分はいったいこの学校で何を習ったのかがよくわからない」という「謎」が必須なのである。

学んでいるとき、学び終えたときに、自分が何を学んでいるのかを学んでいる側が熟知しているような教育課程では「謎」が生じない。

謎が生じるためには、そこに必ず「求めている以上のもの」「求めている以外のもの」がなければならない。
それが何かを理解するためには、人を愛し、憎み、人を信じ、裏切られ、ものを創り出し、破壊し・・・という長い歳月と経験が必要な、そのような「謎」が学校教育の本質をなしている。

教育の目的はただひとつである。

それは人を成熟に導くことである。

誰も人間を他動的に成熟させることはできない。
人間を成熟させるのは自分自身である。
そのためには主体の側に「成熟しなければならない」という強い決意が必要である。
ひとが「私は成熟しなければならない」と思う理由はひとつしかない、それは「成熟しなければ、理解できないことがある」からである。それが理解したいからである。

教育の「謎」は「どうしてこの人は私にこのようなものを贈与するのか?」という問いのかたちで構造化されている。
もし、その贈与が対価とつりあうものであれば、それはすこしも「謎」ではない。
なるほど、私がこれだけのものを支払ったのだから、これが手渡されたのだなということに納得がいけば、それは「謎」ではない。
それはただの等価交換である。

等価交換をどれほど積み重ねても人は成熟しない。
「私が今使っている価値の度量衡では計測できない価値」について知りたいと思うことはない。
私たちは、「それが何を意味するのかが、今の私には理解できない贈り物」が手渡されたときにのみ、その意味を解明するためには「成熟しなければならない」と思い始める。

教育はだから「教える側がまず贈り物をする」ところからしか始まらない。
教育を市場の言葉で語ることが虚しいのは、凡庸なビジネスマンたちはまず「ニーズ」が存在し、それに対して「サプライ」があるという継時的なかたちでしか需給関係を構想できないからである。

真に優れたビジネスマンは、経済活動においてさえ、その本質は「贈与」にあることを知っている。
「最初の一撃」はつねに「なんだかよくわからないものの贈与」としてしか始まらない。

あるいは、「なんだかよくわからないものを贈与された」という自覚(または勘違い)からしか始まらない。
そこから交換が始まる。

反対給付を動機づけるのは、「贈与された」という事実ではない。「なんだかわからないものを贈与された」という事実なのである。
# by saitoru1960 | 2009-10-27 21:15 | ドキリとしたこと
ブータンの染物教室
JICA兵庫であった染物教室。講師はこの3月までブータンでシニアとして働いていた方。材料は、綿布、うこん、とみょうばん。
# by saitoru1960 | 2009-10-21 21:24 | アジア
きんもくせい
3、4日くらい前から、朝ジェームス山自動車学校あたりを走るとき、きんもくせいの匂いが漂ってくるようになった。
毎年10月の初めは残暑の中体育大会をおこない、終わって駅伝の神戸市大会に向けつめていくと、いつの間にか季節は秋になってしまう。
駅伝が終わると、職員会議で人事異動の話が校長から告げられ、来年に向けた冬のシーズンがまたスタートすることになる。

わかばが受験のため、今年は入試業務はパス。
400名近い教師が「説諭」という処分を受けての入試業務なので、いつもと違ってどんな雰囲気になるのか気になるところだけれど、まあ仕方ない。早めに家に帰らせてもらおう。

総務部の仕事は組織の中で必要で大切な部署ではあるけれど、この先ずっとこればかりしなければんらない、となると、まだずっと後でやってもいい仕事だと思う。
自分にはまだ、現場で、変化していく生徒たちと一緒に、あーだこーだいいながら過ごす時間のほうが魅力的に感じる。
来年で残り10年と考えると、あと何回担任ができるのだろうか。
# by saitoru1960 | 2009-10-17 16:16 | いろいろ


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