本当の学問

 人間がもっと元気になる秘密が知りたいと思い、大学院に入った。その時に初めて「これが学問というものか」と痛感した。勉強と学問は違うことを知り、学問に王道なしということわざの意味が分かったのだ。

 勉強とは、誰かが作った野菜を、あれこれ集めてきて、サラダを作って、お皿に盛り付けること。トマトをメーンにしようと思った時には、さまざまなトマトを調べ、どれにしようかと選んで盛り付ければいい。

 ところが、学問は、畑選びから始めなければならない。どこの畑に、どんな種をまいて、どうやってそれを育てるか。うまく育てるにはどうしたらいいか。そして、やっと出来上がった野菜を収穫し、それでサラダを作って盛り付ける。

 畑選びから収穫まで、すべてのプロセスを経ないとサラダはできない。とてもしんどかったし、自分の限界に何度も遭遇した。

 何せ、おいしいサラダを作るには、畑のことも、種のことも、野菜のことも、育て方も、分かっていないとダメ。知っているだけじゃダメなのだ。知ることと分かることは、全く違う。

 分かるためには脳みそをフル回転させ、考えをあーだこーだと巡らせる必要がある。一方、知るためだけなら脳みそはいらない。考える必要がない。知識を増やすだけでいい。

 勉強にマニュアルは存在しても、学問にマニュアルは存在しない。それこそ「自分」で考え、動かない限りダメなのだ。

 加えて、自分だけでこもって育てていると、野菜が腐ることがある。教授や先輩たちに意見をもらい、批判を受け、外部から刺激を与えられないと野菜は育たない。世間の人に、「おいしい」と評価される野菜にならないのだ。

 大学院を受験する時に担当教官から、「学問に王道はない。仕事をやりながら大学院生活を送るなんて、相当の覚悟がない限り無理」と諭された。その通りだった。でも、何とかゴールまでたどり着けたのは、それをサポートしてくれる人たちがいたからである。だがそれ以上に、自分が「知りたい」「分かりたい」と本気で思ったからである。その強い気持ちがなければ、誰も本気でサポートなどしてくれなかったと思っている。

 畑から探すのは、時間がかかる。根気もいる。でも、踏ん張って学問をすると、企業が求める、問題解決力も、論理的思考も、そして、コミュニケーション能力も身につけることが可能なのだ。

河合薫の新リーダー学(私が大学院で知った本当の学問より)
by saitoru1960 | 2011-02-12 22:41 | いろいろ

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960