四十にしてまどわず

論語
我十五にして学に志し
三十にして立つ
四十にして惑わず

惑わずは「或わず」のはず。
論語の時代にまだ心という語はなかった。
「不或」であると。
「或」の原義は、戈(ほこ)をもって口、すなわち城郭を守る。國はさらに口を加えた形。
「或」を「國」の意に用いる。
「或」は、周りをきびしく城郭で囲って閉じこもった状態をいう。
ということは、四十にして「不或」ということになると、この句の意味は全く逆になってしまう。
四十になったら、自分の檻を破って、「人間とはこういうものだ、世の中はこういうものだ」という思い込みを離れよ、と、孔子は言っていることになる。
惑わずどころではなく、自分がそこに囚われている固定概念を捨てよ、それが人間四十の課題である、自分が作った限界を超えて、ブレークスルーすること。それが「不或」の本来の意味ではないか。

以上、能楽師、安田登氏の解釈。

心という概念自体が紀元前5世紀くらいのこと、ということ。
そして、五十にして天命を知る

50才の自分の天命とは何なのだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
七つの大罪
傲慢(pride)、貪欲(avarice)、嫉妬(envy)、憤怒(wrath)、貪食(gluttony)、色欲(lust)、怠惰(sloth)、―自己肥大の欲望

この7つ+憂鬱は感染するマイナス面がある
全てに共通 ⇒ 広がるという傾向

by saitoru1960 | 2014-10-06 05:05 | いろいろ

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
プロフィールを見る