ふたたび

7月1日、Sくんが自らその生涯を終えました。
17歳になって1週間後のことでした。
あれから、わたしの頭の中で同じフレーズが何回も何回も巡っています。
「何がそうさせたのか」と「何か気づいていれば」というフレーズです。
いろんな人から話しを聞きました。
こんな時代なので、彼の心の中がうかがい知れる、何か痕跡のようなものがどこかにあるのではないかと探り続けました。
でも、彼の心のはしを見つけることができません。

わたしは1年生のとき、体育委員をしていたSくんの姿を思い出してしまいます。
大きな声で号令をかけていた時の姿、
授業で必要なものを準備したり片付けたりするときの動き、
体育祭の練習でみんなに演技指導をしていた時のちょっとはにかんでいた表情。
どれも彼の心のはしが、少し垣間見える瞬間でした。

引退した3年生から後輩の自分へ託されたユニフォーム、
力を合わせて壁を乗り越え手にした、県大会への出場権
それを手にしただけで、明日を夢見ることができる人は沢山います。

あなたは本当の自分をどれだけ知っていますか?
あなたは自分の心の中を言葉にすることができますか?
心を惑わせている、その悩みの正体はなんですか?
自分のことなのにわからないこと、説明できないことって、たくさんたくさんあります。

誰にもいえないことというのは、自分に対してもうまくいえない、うまく説明できないことなのかもしれません。
うまく説明できない、自分の心の中に入り込んできたそいつに、Sくんはやられてしまったのかもしれません。
どうしても、そいつには打ち勝つことができなかったのでしょう。

わたしに、私たちに出来ることはなにか。
Sくんの死を心に刻んで、なすべきことは何なのか。
私は考えました。

たとえば、
体育の授業で、「今日は球技大会のための練習です。10分後にゲームを開始するので、それまでみんなで準備をすること」といわれた時、あなたはどう行動するか思い返してみて下さい。
とりあえず合図があるまで誰かとボールをけり合って時間を過ごすAという集団があったとしましょう。

もうひとつ。すぐにみんなが集まってきて、役割分担を考え指示を出す人、ビブスを配る人、ラインを引く人、指示を受けて動いていく人、そして、それがすんだらボールをけり始めるBという集団があるとしましょう。
このAとBの集団の違いは何なのでしょう?

Aの人達は個人主義なのか、わがままなのか。周りが見られないのか、協力する気がないのか。どれなのでしょう。
どの答えも私は違うと思っています。
なぜ、Aの集団はそんな時間を過ごしてしまうのか。
それはBの集団の中にいる時の心地よさをAの人達は経験したことがない、もしくは感じたことがないからだと思うのです。

想像してみて下さい。Bの集団の中にいる自分を。
自由を自分の自由として楽しんでいる仲間がいて、その仲間と一緒に過ごす時間に心地よさを感じることは自然の流れではないでしょうか。

小さい頃、小学校から帰ってランドセルを置き、近くの広場に集まってきた仲間たちと一緒に野球をしようとした時の動きと心もちは、まさにこの心地よさでした。
足で線を引き、ベースやバッターボックスをみんなで描いているそのなかで、二人だけでキャッチボールをしている子はいませんでした。
知っていたんです。みんなで遊ぶことの楽しさを。

たくさんの友達が誰かのためになることを、それぞれ少しずつ考え、行動することで発生する前向きな雰囲気の中にいる心地よさ。
自分は何もできなくても、同じ方向を向いて、指示してくれる仲間に対して、同意のうなずきを返すだけでもいいのです。たったそれだけのことでもBの集団のメンバーにはなれるとわたしは思います。

窓を開けるだけでも。石ころを拾うだけでも、ボールを拾ったり、タオルを持ってあげるだけでも、友だちを待ってあげるだけでもいい。
誰かのために自分ができることを、勇気をもって行動にしてみる。たったそれだけの変化で、私たちは私たちの雰囲気を変えられると思うのです。
Sくんは、私にそんなことを考えさせてくれました。

みんなでBの集団になれるよう頑張ってみましょう。

Sくんのお母さんが私にこういいました。
同じ悲しみを二度と誰にもさせたくないので、皆さんは命を大切にして下さい、と。

彼の死を無駄にしないためにも、○○回生の1人として、○○回生としての心地よさを作りだせるよう、君たちに少しの勇気と行動を求めます。
by saitoru1960 | 2015-07-15 21:38 | いろいろ

心動かされたことを忘れぬように


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