海の見える駅

「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」ということばを知ったのは、ジョージ秋山の描く漫画、浮雲(はぐれ)雲(ぐも)の中のセリフであった。大学生だったわたしは、自分は水と山とどっちが好きなんだろうと考えながら、なかなか面白いいい方だな、と心にとめたのだった。調べてみると孔子の論語の中の一節からの引用だった。
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽。
現代語訳:知者は(流動的な)水を楽しみ、仁者は(不動の)山を楽しむ。知者は行動的で、仁者はゆったりと落ち着いている。知者は変化を楽しみ、仁者は人生を楽しむ。
海を眺め楽しむことと、山の中にいて楽しむこと。当時の私は山よりも海の方が好きだった。

 高校時代、わたしは山陽電鉄を使って毎日通学していた。東垂水から須磨にかけては、平行して走るJRより高台を走るため、電車の窓からは南側にずっと遠くまで海が眺められた。
 早春の朝の海はキラキラと輝き、目を細め眺めていると新しい光と希望の眩しさが感じさせられた。
 夕暮れの冬の海には灯りの灯ったフェリーや釣り船が浮かび、対岸、淡路島の少し間引かれた灯りとともに、心の暗闇の部分が窓ガラスに映る自分の姿に重なるような気がして、正面からじっと自分の姿を眺めていることもあった。
 須磨駅の一つ西側にある須磨浦公園駅は、他の駅にはない風景がある。近所に住んでいる人も少なからずいるけれど、この駅は基本的には日常から抜け出した人達がやってくる場所である。
 鉢伏山、旗振山、須磨浦公園、海釣り公園、ロープーウェイ、カーレータ―、六甲全山縦走。いろいろな人たちが自分の日常を抜け出し、特別な日にやってくる場所。
駅の北側はすぐ山で、目の前には瀬戸内の静かな海が広がっている。
そんな駅を通学途中に毎日眺めて過ごしていると、自分の日常のすぐ隣に非日常の場所があり、その気になればいつでも寄り道をすることができる幸運をわたしは自然に感じとっていた。
そして、当然のようにわたしは折にふれ、須磨浦公園でひとり途中下車をした。

大学時代、関東から帰ってくる時は新幹線が多かった。新神戸駅に着き、地下鉄で三宮まで出て、JRに乗り換える。垂水へ向かう電車の中、南側のドアに立ち、懐かしい風景を眺めてゆく。
須磨駅を過ぎると、南側には急に海が広がってくる。海の浮かぶ漁船やフェリー、淡路島を遠くに見ながら、電車の中にまで潮の香りが届いているような気がして、わたしはここに来てようやく、自分の故郷に帰ってきたのだな、という実感をもったものだった。
by saitoru1960 | 2016-02-10 05:26 | いろいろ

心動かされたことを忘れぬように


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