途上国における障害者スポーツ

モルディブ時代の陸上競技クラブの教え子マスードが今、44歳になり、モルディブ障害者スポーツ協会でボランティアをしている。マスードの活動を知ったのは、フェイスブックに彼が載せていた視力障害者がロードレースに参加している写真だった。
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<右端がマスード、左から2番目がランナー。サポートしたランナーは右から2番目の女の子>

途上国での「スポーツ」への取り組みではなく、途上国での「障害者スポーツ」への取り組みは、1964年が「東京オリンピック」で2020年は「東京オリンピック・パラリンピック」と銘打つように、「世界とスポーツ」を考える上ではまさにこれからの多(異)文化共生時代の課題の一つになるのかもしれない。
私が青年海外協力隊員としてモルディブで活動していた1989年、神戸で開催されたフェスピック大会(アジアパラ競技大会の前身)にモルディブから障害をもつ卓球選手1名が参加したことがあった。代表団の1人として、協力隊の事務所で働いていた、日本語を少しだけ理解できる現役のモルディブ卓球選手が選考され、神戸に引率していく役目を果たしたのだった。しかしながら、当時(1988~1990)モルディブにおいて障害者が人の目に触れ堂々とスポーツする姿を私は見た記憶がない。
帰国して27年の月日が流れた。
途上国における障害者スポーツがどのように進展していったのかマスードにまだ詳しく聞けてはいないが、遠い異国から教えにやって来た日本人と一緒に陸上競技を経験したことで、スポーツの持つ力を体感し、それが他者に働きかけることへの意欲に繋がってくれたのであれば嬉しい限りである。
モルディブは1200もの島で一国を形成している島嶼国である。国土の総面積は淡路島の半分程度しかない。1200の中には、ヤシの木一本だけが生えているような島も含まれていて、そのうち200の島に人が住んでいると言われている。
発展途上国でのスポーツを考える際には保健衛生状態を考慮しない訳にはいかない。また、保健衛生状態と密接に関係する戸籍の存在さえも明確ではないことが途上国では起こり得ることも忘れてはならない。
1989年、クウェートで開催されるイスラミックオリンピック大会(イスラム教国のオリンピック)に初めてモルディブ代表選手として選考されたサイードは、初めて国外に出るためパスポートを作ることになった。自分の生年月日をわざわざ生れ故郷の島に確認しに行き帰ってくると、彼の本当の年齢が18歳から16歳に下がり、髭の生えている風貌とパスポート上の年齢の大きな違いに驚愕したことがあった。よくよく聞いてみると、地方の島では生まれてもすぐに死んでしまう子供が多いので、戸籍なるものは存在せず、このまま生きながらえることができるな、となった頃に、何年前に生まれたあの子だな、となり、島の係の人が何かに記すのだという説明だった。
小さな島の集合体として成り立っている国モルディブにおいて、もう一つ気になったのは「血」の問題であった。
「モヤミーフン」というモルディブ語を覚えたのは活動し始めてすぐの頃だった。
「モヤ」は異常な、狂った、というような意味で、「ミーフン」は人である。
夕方4時からの陸上クラブの練習時間になると、選手たちがちょっと声を低めにして「モヤ」と呼ぶ、近所に住むアハメドがしばしばやって来た。年齢は10歳から13歳くらいであった。
アハメドがくる時はいつも水浴びをした後で、きちんとアイロンのあてられたシャツを着て、髪の毛にもきちんと櫛の目が入っていた。そして、いつもニカッと白い歯を見せ、なにかブツブツ言いながら陸上クラブの選手たちが練習する横にぶらぶらとやって来るのだった。ストップウオッチでタイムを計る私の近くに来ては、ストップウオッチを珍しそうに触るので、使っていないストップウオッチを手渡すと、嬉しそうにボタンを押し大きく口を開けまたニカッと白い歯を見せていた。
当時は総人口20万人のうち4分の1の5万人が周囲5㎞しかない首都島マーレに住んでいた。一方で地方の小さな島では一生その島から出ずに過ごす人々もいる。
単純に残りの15万人が首都以外の199の島に別れ住んでいるとすると、1島に750人という数字となる。何代かさかのぼると近親者ということが十分考えられ、近親婚から生まれる子供が障害者である高確率も簡単に想像がつくところである。
また、乳児死亡率はその国の平均寿命に直結している。
1988年と2014年でモルディブのそれを比較してみるとこの四半世紀におけるこの国の充実ぶりは一目瞭然である。
乳児死亡率 1988年 74.4人   2014年 7.8人 (出生1000人あたりの死亡数)
平均寿命  1988年 59.77歳  2014年 76.77歳
障害をもたなくても生きながらえるかどうか不透明な途上国において、障害を持って生まれた子供の行く末は想像に難くない。
乳児死亡率が下がることで上昇する平均寿命。平均寿命の伸びることが障害者のスポーツ参画に結びつくのであれば、やはりスポーツは恵まれた国の人々だけが享受できるものなのだろう。

今年2月、マスードが私に依頼してきたことは、ブラインドサッカー用のボールの入手であった。連絡を受けて探し始めると、日本でもブラインドサッカー協会のサイトでしか購入できない貴重なボールであった。しかしながら、ずっと売り切れ状態が続いていたため、ボールが手に入るまでにマスードの最初の連絡から4カ月の時間が過ぎてしまっていた。
「まだブラインドサッカーをする選手はいないけれど、2020年の東京パラリンピックに出られたらいいな」と話すマスード.。
ようやく届いたデンマーク製のブラインドサッカーボールを初めて手にしてみると、皮の感触、音の鳴り方など初めての感覚であった。せっかくなので、高校2年生の保健の授業でボールを触らせ、レタリングの上手な生徒に「Don’t think ! Feel !!」とモルディブのブラインドアスリートにメッセージを書かせた。
私がモルディブを離れた1990年、17歳だったマスード。
日本の17歳が送ったメッセージを目の不自由なアスリート達に彼はどう伝えるのか聞いてみたい。

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「Don’t think ! Feel ! !」

by saitoru1960 | 2017-06-25 07:23 | 協力隊

心動かされたことを忘れぬように


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