バラーバルな日々:ドキリとしたこと
2022-10-03T00:51:04+09:00
saitoru1960
心動かされたことを忘れぬよう
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嫌な予感が的中。菅前首相の国葬「弔辞」で飛び出した衝撃の言葉
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2022-10-03T00:51:00+09:00
2022-10-03T00:51:04+09:00
2022-10-03T00:51:04+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
なぜそう感じるのかということを冷静に客観的に考えなければいけない。
岸田と較べただけでの良し悪しで終わってしまっていた。反省。
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尾中香尚里
9月27日に営まれた安倍元首相の国葬で、友人代表として弔辞を読み上げた菅義偉前首相。ネット上では称賛の声が多数上がっていましたが、果たしてそれは政治家を送る「国葬」の場で語られるべきものとして適切だったのでしょうか。
元毎日新聞で政治部副部長などを務めたジャーナリストの尾中 香尚里さんは今回、菅前首相の弔辞の中で違和感を抱かざるを得なかった箇所を指摘するとともにその理由を解説。さらに弔辞の後に起きた拍手について「悪ノリが過ぎる」との苦言を呈しています。
プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。
ツッコミどころだらけの菅前首相「弔辞」
安倍晋三元首相の国葬(9月27日)での菅義偉前首相の弔辞が話題を呼んでいる。第2次安倍政権の発足(2012年)以降、官房長官として長く安倍氏を支え続けた菅氏。「友人代表」として行った弔辞は、菅氏自身の首相時代の演説からは考えられないほどエモーショナルな言葉にあふれ、ネット上などでは「感動的」「染みた」の声があふれている。
申し訳ないが、筆者はそういう気分には乗れない。長く支えた「盟友」を突然失った菅氏の個人的な思いは理解するが、情緒的な言葉の中に紛れ込んだ言葉にいちいち引っかかり、時にそら恐ろしいものさえ感じたからだ。
世論の感情の高ぶりも落ち着いたところで、改めて菅氏の弔辞を振り返ってみたい。
「7月の8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい。同じ空間で同じ空気をともにしたい」
冒頭からいやな予感がした。
安倍氏が選挙演説のさなか、聴衆の前で凶弾に倒れたあの衝撃は忘れられない。「一命をとりとめてほしい」というのは、筆者も含め、あの日誰もが感じたことだろう。だがその後の「あなたにお目にかかりたい。同じ空間で同じ空気をともにしたい」、これはどうだろう。
正直、背筋がむずがゆくなるのを覚えた。ラブレターではないのだ。友人代表とはいえ、政治家が政治家(それも首相と官房長官の間柄)に対して、こういう場で口にするのがふさわしい言葉なのか。
そしてその直後、この「いやな予感」はまさに的中した。衝撃の言葉がこれである。
「天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか」
「いのちを失ってはならない人」。この言葉は裏を返せば「いのちを失っても惜しくない人」がこの世に存在することを意味してしまう。筆者はしばらく、この言葉が脳内にこびりついて離れなかった。
そんな細かいことにいちいち目くじら立てて、という向きもあるかもしれない。しかし、これは弔辞であり、事前にきちんと原稿が用意されている。「ついうっかり」の失言とは違うのだ。
政治家であればこそ、こういう言葉遣いには慎重に慎重を期し、推敲に推敲を重ねるべきだと思う。その上でこういう言葉遣いが容認された、というのなら、それは菅氏自身が、本音では「この世にはいのちを失っても惜しくない人がいる」と考えているのだろう、と断じざるを得ない。演説は進み、菅氏は環太平洋経済連携協定(TPP)交渉について安倍氏が「タイミングを失してはならない」と早期の交渉入りを主張したことに触れつつ「あなたの判断はいつも正しかった」と述べた。
「いつも正しかった」。それは菅氏の主観であろう。
TPPに限らないが、安倍政治の評価は現時点でも激しい賛否両論があり、歴史的な評価も定まっていない。それを承知の上で、葬儀という批判のしにくい場を利用して、あえてその正しさを強調する。それも「さまざまな正しい判断を行ってきた」程度ならまだしも「『いつも』正しかった」と言ってのける。
強い言葉で言えば卑怯だし、控えめに言ってもたしなみがなさ過ぎる。
この直後に続いた言葉は、さらにあ然とさせられるものだった。
「安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました」
いずれも、安倍政治の中でも最も批判の強い、まさに賛否が大きく割れた法案である。平和安全法制、すなわち安全保障基本法は、集団的自衛権の容認容認について、法的根拠もなく(この言葉、今回の国葬をめぐってもしばしば聞かれた)閣議決定のみで憲法解釈を変更し「後付け」で作られた法律だ。この法律をはじめ、国民の「知る権利」の侵害につながりかねない特定秘密保護法も、いわゆる「共謀罪」創設を含む改正組織犯罪処罰法も、いずれも国会での強行採決の末に成立している。
安倍氏の業績の多くで賛否が分かれていることは間違いないが、中でも特に先鋭的に賛否が分かれ、国会でも円満な採決ができなかったこれらの法律について「すべて成立させることができました」と、安倍氏の大きな実績であるかのように、誇らしげに語る。その神経が信じられない。
保坂展人・東京都世田谷区長は27日、自身のツイッターでこう疑問を投げかけた。
「国葬儀」で国費を投入しているからには、政党会派の立場を離れた弔辞の枠をはみ出すべきではない。
世論の賛否の割れた法案を強行した国会対応をほめそやすのは、「国葬儀」にふさわしいだろうか。
全く同感である。
そしていよいよ最後の場面。菅氏は、安倍氏の衆院議員会館の事務所の机に、岡義武著『山県有朋』(岩波書店)が読みかけの状態で置かれていたことに触れた。
菅氏は、この本は「ここまで読んだ」という最後のページの端が折られており、マーカーペンで線を引いたところに、山県が盟友・伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌であった、と紹介。「この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」と述べ「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」と読み上げた。
このくだりがある意味最大の「感動ポイント」としてネット上で賞賛されているわけだが、筆者はそれ以前に、安倍氏が最後に読み、菅氏が紹介したのが山県有朋だったのか、という点が引っかかってしまい、その後のくだりが心に入ってこなかった(菅氏の「友人」としての切ない気持ちには共感できるのだが)。どうしても山県というと、明治の自由民権運動の高まりに「強い警戒と憎悪との気持を抱いた」(同書)さまが思い浮かんでしまうのだ。もちろん、山県の時代と現在とでは、時代状況も政治状況も大きく違う。それでも、安倍氏や菅氏がどんな政治を目指していた(いる)のかに、つい思いをはせてしまうのだ。ちなみに、この本にはこんなくだりがある。
彼らの政治支配は、彼らの権力意志を満足させるだけではない。支配的地位をあくまで守りつらぬくことこそ、彼らの信念によって真に義とされるのである。そのことは、彼らの闘志を鼓舞する。そして、彼らを狂暴にさえもする。歴代の「藩閥政府」が自由民権運動に対して加えた弾圧が苛烈残忍をきわめたのもまた、怪しむに足りないであろう。
うるさい国会も司法も無視し、何事も「行政の総合的判断」で決めてしまいたい。そんな「令和の超然主義」を地で行くような安倍・菅・岸田政権の性格をよく示したとも言える一場面だった。
弔辞が終わった後に、さらに驚く場面があった。会場からまさかの拍手が起きたのだ。
一応、ここは葬儀の場だろう。一体、この振る舞いは何なのだ。いくら何でも悪ノリが過ぎないか。読売新聞は「葬儀会場では異例の拍手に包まれた」と肯定的に記述していたが、これが令和日本の「普通」なのか。
「菅氏完全復活か!」とはしゃぐ一部報道を横目で見ながら、筆者は心底気持ちが萎えている。
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作られる発達障害児
http://saitoru.exblog.jp/32616473/
2022-03-11T20:23:00+09:00
2022-03-11T20:23:32+09:00
2022-03-11T20:23:32+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
日本で子どもの人口が減少する中、「発達障害」と呼ばれる子どもは増え続けている。2006年に発達障害の児童数は7000人余りだったが、2019年には7万人を超えた。それに伴い、子どもへの向精神薬の処方も増加している。
発達障害とされる児童数はなぜここまで増えているのか。そして、発達障害の早期発見、投薬は子どもたちを救っているのだろうか。
1回目
学校から薬を勧められる「発達障害」の子どもたち
発達障害の児童はこの13年で10倍に増えている
「小さいうちのほうが少量で済むから、薬を飲んだほうがいいですよ」「薬を飲んで落ち着いた子もいます」
都内の公立小学校に通う息子が小学3年生のときのこと。母親の後藤恵美さん(仮名)は、学校の面談で特別支援教室の教師から言われた言葉に戸惑った。
後藤さんの息子は、低学年の頃から授業中に教室の外に出てしまったり、同級生にちょっかいを出したりと落ち着きがなかった。これまで学校の面談では、何度も服薬を勧められた。
「学校の面談で言われている以上は何かしなきゃ」
そう思った後藤さんは、子どもの発達障害を診る近所のクリニックに息子を連れて行くと、ADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断された。ADHDは、不注意と多動、衝動性が特徴とされる発達障害の1つだ。
学校が「薬の服用」を推奨
たしかに息子は、学校から見ると「問題行動」と言われる言動がある。同級生とトラブルがあると、学校から連絡があり、後藤さんが菓子折りを持って相手の親に謝りに行ったことは一度や二度ではない。それでも、後藤さんは今の段階で薬を飲ませたくないという。
「自分もイライラして、『薬さえあれば』と思うことがあります。でも、一度飲み始めると、いつまで続けるのかわからない。多動は成長して落ち着くこともあるので、今は薬に頼りたくありません。本人が薬を理解したら考えようと思っています」
そう話す後藤さんだが、教師や副校長に囲まれる面談が毎回憂鬱でたまらない。「医者よりも学校の先生から薬を勧められるのが、一番つらい」という。
後藤さんのように学校から促されたことをきっかけに、医療機関につながるケースは珍しくない。複数の医師によると、学校から薬の服用を推奨されて医療機関を訪れる患者がいるという。発達障害児を診療する獨協医科大学埼玉医療センター・こころの診療科の井原裕診療部長は、次のように話す。
「薬ですべてが解決すると思い、『薬を出してもらえ』と家族に命じて、患者を受診させる教師もいる。私は『魔法の薬』ではないと伝えている」
小学6年生の息子がいる別の女性は、「ちょっと問題があると発達障害を疑われる」と憤る。
「3年生のとき学級崩壊が起こり、36人中8人もの子が、担任教師から『どこか(医療機関)に相談したほうがいいんじゃないですか』『検査を受けたほうがいいのでは』と声をかけられました。でも、学年が上がり担任が変わったら、何も問題がなくなりました」。
発達障害は原因が明らかでないため、血液検査や脳波などの数値で診断されるものではない。国際的な診断基準や知能検査などの尺度はあるが、最終的にはあくまで医師の問診によって診断される。
家庭や学校での様子を家族から聞き、「落ち着きのなさ」や「衝動性」といった特性がどの程度ならば発達障害なのか、それは医師の判断にゆだねられる。
文部科学省の統計が示す急増
学校で発達障害の子どもは増えている。文部科学省は、普通の学級に在籍しながら週に何日か別の教室で授業を受けている軽度の障害のある子どもの数(通級指導を受ける児童数)を集計している。
この調査によると、2006年に約7000人だった発達障害の児童生徒は、2019年には7万人まで急激に増加している。
発達障害とされる子どもの増加に伴い、脳の中枢神経に作用する向精神薬の投与も増えている。
医療経済研究機構が2014年に発表した研究によれば、13歳~18歳の患者のうちADHD治療薬を処方された割合は、2002年~2004年と2008年~2010年を比較すると、2.5倍となった。ADHD薬だけでなく、抗うつ薬、抗精神病薬はそれぞれ1.4倍となった。
2007年に日本で初めて承認されたADHD向けの薬が、中枢神経への刺激作用がある「コンサータ」だ。厚労省が公開する医療機関の支払い明細書のデータ(外来患者のみ)で、コンサータの処方量を集計した結果が下記の図だ。2種類の錠剤(18㎎と27㎎)を用量(成分量)で換算すると、2019年の19歳以下に対するコンサータの処方量は、2015年の3.5倍にまで増加していた。
ADHDに対する薬の種類も増え、現在では4剤が使われるようになった。そのうち、塩野義製薬の「インチュニブ」の売り上げは、発売時(2017年)の19億円から、2020年には131億円まで伸びている。
発達障害に使われる薬はいずれも、障害の原因そのものを改善する根本的な治療ではなく、多動性を抑える、集中力を高めるといった対症療法だ。
こうした向精神薬の服用を疑問視する声は、一部の教員たちからも上がっている。「クラスに2~3人は発達障害で薬を飲んでいる子がいます」。こう話すのは、東京都の公立小学校の宮澤弘道教諭だ。
「効果がないと量を増やされたり、薬の種類を変えられたりする。学校側は『やっとこの子は落ち着いて良かった』と思うけど、要は過剰投与されて、ぼーとしているだけなんですよ。親に話を聞くと、薬を飲んで食欲がなくなり、夕食が食べられなくなってしまっていると。中にはみるみる痩せていってしまう子もいます」
「ちょっと難しい子はいないほうが」
宮澤教諭は、「学校のルールがどんどん細かくなったことで、今まで問題がなかった子どもまで、あぶり出されるようになっている」と話す。
「以前はいろんな子が普通学級にいたが、今は『定型発達』(発達障害のない状態)の子どもしかいられない教室になってしまっている。問題のある子どもに対しては、まずは(普通学級から週に何回か通う)特別支援教室を勧め、改善が見られなければ特別支援学級への転籍を勧める。転籍ができず、普通学級にいることになった場合、薬の量を増やそうという話になります」
実際、現在6年生になった後藤さんの息子は、副校長から「もっと楽に行ける学校があるのでは」と他校にある特別支援学級への転籍をにおわされた。
こうした「発達障害」とされる子どもを排除する一因が、教員への管理強化だ。2000年以降、教員への人事評価制度が徐々に導入され始め、2016年に義務化された。
「管理職が教室を見た時、がちゃがちゃしていたら評価が下がってしまう怖さもある。『ちょっと難しい子はいないほうがありがたい』という気持ちがあり、そこに『別の場所に行ったほうが、この子のため』という甘い言葉があると、そちらに流されてしまいます」(宮澤教諭)
多くの教師が「子どものため」という理由で発達障害を見つけ、医療機関につなげている。しかし、その裏には、教師への締め付けや業務過多から「学校のため」という本音もあることは否定できない。この10年で急増を示す発達障害の児童生徒数は、そうした背景があるといえる。
発達障害が専門のある小児科医は、「親御さんの不安が強いまま飲むと効果は今ひとつ。まず『お試しで使ってみよう』と伝えています」と話す。しかし、「お試し」と言えるほど気軽に服用を始めてよい薬なのだろうか。
後藤さんのように薬の服用を踏みとどまる母親がいる一方、子どもに薬を飲ませたことを後悔する母親がいる。
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2回目 子どもに「向精神薬」を飲ませた親の深い後悔
成長過程の脳への長期的な影響はわかってない
「娘が薬を飲み始めたのは、小学5年生のとき。きっかけは、地区の学校が参加する音楽祭に参加したことです」
現在26歳の娘について、吉田京子さん(仮名)はこう振り返る。吉田さんの娘は発達障害の1つである自閉症と軽度の知的障害がある。小学生のときから現在まで、向精神薬を飲み続けている。
薬を飲むきっかけとなった音楽祭は、地域を挙げての行事のため、教員たちの指導にも熱が入る。音が合っていなかったり、やる気のない子どもがいたりすると、全員が連帯責任で怒られた。練習は半年の間、毎日続いた。
それまで家でも学校でも大きなトラブルがなかった娘だが、ストレスから練習中に泣いたり、パニックを起こしたりするようになった。こうした状況をかかりつけの精神科医に相談すると、「不安を取り除くリスパダールを出そう」と言われた。
リスパダールは、主に大人の統合失調症の治療に用いられる抗精神病薬だ。2016年からは小児の自閉症患者にも用いられるようになったが、当時はまだ認められていなかった。
「ずっと後悔している」
薬を飲むようになっても、娘に大きな変化はなかった。結局、教師の提案で音楽祭の練習時間を短くしてもらい、本番も出場することができた。音楽祭で歌う娘の姿に涙が出たという吉田さんだが、「いま思えば、音楽祭なんて出なくてもよかった」と当時を振り返る。
「みんなと一緒に出場する娘の姿を見たいという気持ちもありました。音楽祭が終わったとき、薬をやめるべきだったのに、ずるずると飲ませてしまった。ずっと後悔しています」
娘が中学に進学したとき、薬の量と種類が増えた。娘の症状に何か変化があったというわけでない。医師が言うには、「体が大きくなった」「中学で環境が変わるから」というのが理由だ。これまで飲んでいたリスパダールが増量され、新たにADHD(注意欠陥・多動性障害)の患者に用いられるコンサータが処方された。
当時、吉田さんから見れば、薬を飲んでいても飲んでいなくても、娘の様子に変化はなかった。しかし、学校からは服薬について指摘されるようになった。
「今日はお薬を飲ませていますか。最近イライラしている様子ですよ」
「お薬を飲んでいないときは口調が荒い。お薬を飲んでいると穏やかです」
そうした言葉が中学校の連絡帳に書かれていた。「やんわりと『薬を飲んで来てください』ということです」と吉田さんは振り返る。
「学校に迷惑をかけてはいけない」と感じた吉田さんは、通学する平日だけは、薬の飲み忘れがないように気をつけるようになった。毎朝、「薬飲んだ?」と娘に確認するのが、いつしか親子の習慣になっていた。
「飲んでないと、自分が許せない」
娘に変化が起きたのは、高校生になった頃からだ。「コンサータを飲まない日は眠くてしかたがない」。そう娘が言い出した。
「娘は『コンサータを飲むとシャキッとする。飲んでいないと授業中に居眠りをしてしまって怒られる』と、自分から進んで飲むようになりました」
高校卒業後は、障害者向けの生活訓練、続いて職業訓練に通った。その頃からコンサータが手放せなくなった。娘は、「飲んでないと、自分が許せない」と言うまでになった。
「倒れるくらい眠くなり、気だるくなるみたいで。飲み忘れたと思ったときは、『お母さん、薬飲んだかな?』と、泣きながら家に電話してくれるようになりました」
こうしたことが何度も続いたことから、予備の薬を常に携帯し、飲み忘れたときは外出先で飲むようにした。現在、企業の障害者雇用枠で働いている娘は、毎日欠かさずコンサータを飲んでから職場に行く。薬を飲んでいないときは、「お昼くらいまで集中できず、眠くてしかたがなくなる」という。
コンサータに加え、リスパダールも毎晩飲んでいる。吉田さんは、娘が訴える激しい眠気は長年薬を飲ませ続けている影響ではないかと不安になった。薬を減らせないかと医師に相談すると、医師はむっとして、「お母さんがそうしたいなら、そうすればいい」と言われた。
結局、娘と話し合い、仕事が休みの日は薬を飲まないことにした。吉田さんは今も、「最初に薬を飲むきっかけをつくったのは私だ」と自分を責め続けている。
こうした脳の中枢神経に作用する向精神薬の子どもへの処方は増加している(詳細は「学校から薬を勧められる『発達障害』の子どもたち」)。
以前は、ADHDに対しては覚醒剤と同じ作用がある「リタリン」(成分はメチルフェニデート)が使用されていた。メチルフェニデートは依存性があることから、「麻薬及び向精神薬取締法」で指定されている。リタリンは不正処方と乱用・依存による死亡事件が問題になったため、2007年からADHDに対しては使用できなくなった。それと同時に登場したのが、リタリンと同じ成分のコンサータだ。
コンサータはリタリンと同じく、脳の神経伝達機能に作用し、集中力を高める効果がある。大量処方や乱用を防ぐため、製造販売者のヤンセンファーマは、第三者機関「コンサータ錠適正流通管理委員会(流通管理委員会)」を設置。販売できる医師と薬局が限定され、患者も登録制になっている。流通管理委員会の委員で、薬物依存症が専門の埼玉県立精神医療センターの成瀬暢也副病院長はこう話す。
「集中力を高める効果があるが、一方でイライラが出たり、過敏になって落ち着いていられなくなったりする副作用がある。こうした症状は、副作用なのか、本来の症状なのか見分けがつきにくい」
心理的な「依存」は起こる
小学4年生からコンサータを服用している男性の母親は、「必要がなくなったら、いつでも止められる」と医師に言われ、風邪薬を飲むような感覚で服用を始めたという。「コンサータを飲み始めてから食欲がなくなり、給食を食べられなくなりました。健康診断では毎年、やせ過ぎと言われていました」。
24歳の現在もコンサータだけでなく、リスパダールや睡眠薬、抗不安薬も処方され、量と種類は増えるばかりだ。吉田さんの娘やこの男性のように、子どもの頃からの長期服用で薬を止められないケースは珍しくない。
コンサータはリタリンと異なり、薬の成分がゆっくりと溶け出す。そのためリタリンのような身体的な依存性は低く、乱用は起こりにくいといわれている。
しかし、「長く使うと、心理的な依存は起こる」と児童精神科医の石川憲彦医師は指摘する。家族や周囲が「薬を飲んでいたほうがいいよね」と服用を求めるようになる。そして、本人も飲んでいる状態が普通になると、薬がないと不安になりやめることができない。
石川医師は、「子どもの多動は、成長とともに落ち着くことがほとんどだ。しかし、最近では脳が発達途中の7~8歳以前に、薬を服用するケースが増えている」と話す。
こうした向精神薬を低年齢の時期から長期服用することによる身体への影響は、データの収集や調査すら行われていない。
「すべての薬には副作用のリスクがある。症状が重く、薬を使うベネフィットがリスクより大きければ使う。だが、成長過程の脳に作用する薬を長期間飲むことの影響はわかっていない。どうしても必要なときに限って、明確な目的と期限を決めて使えば問題ないが、そうした使い方をする医師は少ない」(石川医師)
薬がやめられなくなり、吉田さんのように服用させたことに罪悪感を覚える親がいる。だが、服薬の可否を親に迫ること自体が残酷だ。それは親だけの責任ではない。親子が薬に頼らざるをえなくなった環境、そして薬を漫然と処方する医師にこそ責任がある。
国連は深刻な懸念を示す
当時、吉田さん自身も追い詰められていた。「迷惑をかけて、すみません」。娘が子どものころ、吉田さんは毎日のように周囲に頭を下げた。
「人に迷惑かけてはならない。薬で抑えられるなら、飲めばいいという思いはあった。うちの子が薬を飲めば大人しくて、先生たちの手を煩わせないのかなと。今思うと、そこまで頭を下げなくてもよかったのに、そのときはそうしないと、自分が保てなかった」
国連の子どもの権利委員会は2019年、子どものADHDの診断と向精神薬の処方が増加していることに深刻な懸念を示し、その根本的原因について研究を実施することを日本に要請している。
しかし、国連の勧告に反して、向精神薬の服用はより低年齢の幼児にまで広がっている。
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3回目
低年齢の「発達障害」、薬で隠される子どもの危機
独自調査でわかった「4歳以下」への投与実態
「発達障害の『グレーゾーン』と言われる子どもがあまりに増えています」
こう話すのは、岡山県倉敷市にあるNPO法人「ペアレント・サポートすてっぷ」代表の安藤希代子さんだ。自閉症の障害がある娘を育ててきた安藤さんは10年前から、障害児の保護者の相談支援や居場所づくりを行ってきた。
「今は学校、保育園、行政の子育て相談窓口などあらゆる場所で、『お子さんは発達障害の可能性があるから、病院に行ってみたら』と言われている。ここに相談に来る子どもを見ていると、どう見ても『障害』があるとは言えない子までもが、発達障害やそのグレーゾーンと指摘されています」
発達障害を疑われるきっかけは、些細なことだ。「1人遊びが多い」「叱られても、ほかの子と違う反応をする」。2~3歳でこうしたことを保育園や幼稚園で指摘され、受診を促される。
「程度の問題だが、発達障害の特性は小さい子どもの行動とかぶります。子どもの発達への無理解で、子どもらしい行動が発達障害の特性に見えてしまうのではないでしょうか」(安藤さん)
「入学前に薬を飲みましょう」
発達障害は原因が明らかでないため、血液検査や脳波などの数値で診断されるものではない。国際的な診断基準や知能検査などの尺度はあるが、最終的にはあくまで医師の問診で診断される。
家庭や学校での様子を家族から聞き、「衝動性」や「こだわりの強さ」といった特性がどの程度ならば発達障害なのか、それは医師の判断にゆだねられる。発達障害児を診療する獨協医科大学埼玉医療センター・こころの診療科の井原裕診療部長は、次のように説明する。
「発達障害が顕在化するか否かは状況に左右される。ADHD(注意欠陥・多動性障害)の場合、長時間座位を強いられると多動や不注意が目立ってくるが、活動を求められる状況だと持ち味だと思われる。授業中は『多動だ』とみなされる生徒も、放課後の部活では俊敏な名選手かもしれない。その程度の活動性を、あえてADHDと診断する必要はない」
だが、現実には親が子どもの困りごとを医師に伝えると、安易に薬を処方される。そんな例を前出の安藤さんはたくさん見てきた。
例えば、ある母親は、落ち着きがない子どもが小学校に入って椅子に座っていられないかもしれないと医師に相談すると、こう言われた。
「入学前に座れるように、年長の秋から薬を始めましょう」
発達障害児の診療を行っているある小児科医は、「癇癪を起こしたことをきっかけに、2歳のときから薬を飲まされている子どももいる」と話す。
実際、発達障害の薬はより年齢の低い幼児へ広がっている。
2016年には、大人の統合失調症に使われる「エビリファイ」と「リスパダール」が、発達障害の一つである小児の自閉スペクトラム症の易刺激性(癇癪、攻撃性など)に対して使えるようになった。これらは脳の中枢神経に作用する抗精神病薬で、気持ちの高ぶりを抑えるといった効果がある。いずれも自閉症の根本的な治療ではない。
エビリファイの添付文書によると、服用は「原則6歳以上」と記されている。6歳未満については、薬の安全性と有効性を確かめる臨床試験(治験)が行われていない。にもかかわらず、厚生労働省が公開する医療機関の支払い明細データを集計すると、4歳以下への処方量が増加していることが分かった。
エビリファイはさまざまな用量(1㎎と3㎎)の錠剤があるため、用量で換算して合計した結果が上の図だ。2015年の9500mgに比べ、2019年にはその7.5倍の70000mg以上に膨れ上がっている。
エビリファイは錠剤だけでなく、子どもが飲みやすい液剤もある。特に増えているのが、この液剤の処方だ。リスパダールの4歳以下の処方量も、2014年の7400mgから2019年には25000mgに増加している。
眠気で子どもの行動を鎮静
東洋経済が調べた結果について医師や薬剤師に意見を聞くと、一部からは「あまりのショックに呆然とした」と、驚きの声も出た。発達障害の子どもを診療している福島県立矢吹病院の井上祐紀副院長はこう話す。
「エビリファイは副作用として眠気が出ることもある。そうした薬剤の効果を利用して子どもたちの行動自体を鎮静している可能性がある。4歳以下の治験のデータはないため、その年齢層の子どもに投与された場合の安全性が確立しているかはわからない。仮に処方するのなら、その事実を医師が親に伝えなければならないだろう」
抗精神病薬に詳しい、たかぎクリニックの高木俊介医師も次のように指摘する。
「抗精神病薬には中枢神経毒性があることはわかっている。成人で長期に使用した場合は遅発性ジスキネジアという不随意運動(本人の意思とは無関係に身体に異常な運動が起きること)が3割以上の確率で起こる。エビリファイは遅発性ジスキネジアが起こりにくいといわれているが、経験的には長期に使用すればやはり起こる。それを4歳以下の心身の発達が本格化する前の子どもに投与するのは、理解できない」
子どもの行動の問題に対する安易な投薬は、安全性だけが問題ではない。(副作用や依存性についての詳細は、連載第2回「子どもに向精神薬を飲ませた親の深い後悔」を参照)。複数の医師や支援者が共通して問題視するのは、子どもの行動の裏側に隠されている家庭や学校でのトラブルが見えなくなることだ。
「癇癪(かんしゃく)を起こした子どもは、なぜ起こしているのかを考える必要がある。イライラを子どもの脳が勝手に出している症状だと考えれば、薬しか手段がないように見えてしまう。だが、養育環境がその子に最適化されていないならば、その環境を調整するのが先だ」(井上医師)
井上医師は、「最後のやむなき手段であるはずの薬が、いつの間にか最初の手段になっているのが問題だ。苦しんでいる子どもたちが、かろうじて出したSOSサインとしての行動の問題に、薬物療法が選択されている」と指摘する。
前出の安藤さんは、子どもが発達障害といわれて相談に来たある母親について、次のように話す。
「実は父親から母親へのDV(家庭内暴力)があり、その問題が解決したらお子さんが安定しました。自分の子が発達障害と疑われ、泣きながら相談していたお母さんの悲しみは、いったい何だったのでしょうか」
安藤さんは、「薬物治療をすべて否定しているわけではない」と前置きしつつもこう話す。
「その子は何が好きなのか。嫌がっているときにどうしたら落ち着くのか。周囲は、子どもについて知る時間が必要です。子どもの出す行動のサインを薬で抑えると、本来の子どもの姿がわからなくなります」
子どもが抱える裏事情を考える
前出の井上医師も、複雑な要因が絡み合って生じた子どもの問題行動を医療だけで解決しようとする「医療化」を問題視する。
「いじめや虐待などさまざまな絡み合った問題が、子ども自身の問題に矮小化されてしまうこともある。本人が弱い立場であればあるほど、家庭や学校、地域の大人たちは子どもの行動の“裏事情”を考える習慣が必要だ」。
前出の小児科医は、「子どもの逃げ場はどこにもなくなっている」と危機感を募らせている。「学校の先生や医師、専門家が寄ってたかって、子どものSOSを脳の問題にすり替えている。本人たちは『善意』でやっているため、お母さんもそこに頼りたくなる」
服薬の可否を自分で選べない子どもへの処方は、最も慎重であるべきだ。安全性が確保されていないにもかかわらず、子どもの声に耳を傾けず、薬が優先されることは断じて許されない。
しかし、「薬を飲みたくない」と声を上げても、なおその声を押し殺される子どもがいる。
―――――――――――――――――――――――――――
4回目
いじめを受けた「発達障害」の彼女が語る薬の闇
「薬を飲むだけでは生きやすくならない」
「私が『薬を飲みたくない』と愚痴ると、養護教諭から『発達障害の子は薬を飲んだほうが生きやすくなる』と言われました」
通信制の大学に通う加藤詩織さん(21歳、仮名)は、中学生のときのことをそう振り返る。現在、薬を減らせないことに悩む加藤さんは言う。
「薬だけ飲んでも生きやすくならない。応急処置のようなもの。根本的な問題が解決しなければ意味がありません」
加藤さんがそう話すのは、学校での忘れられない経験があるからだ。
担任から毎日のように怒られた
加藤さんは7歳のとき、発達障害の1つとされるアスペルガー症候群と診断された。集団に入れない、人と目が合わせられないと周囲から指摘された。小学3年生のとき、担任になった教師から毎日のように怒られるようになった。
加藤さんは教科の得意、不得意の差が激しかった。苦手な算数の授業の時は毎回指名され、教室の前に立たされてはできないことを責められた。加藤さんが発達障害と診断されていることを、教師は知っていてのことだ。
「担任がやるなら、自分たちもやっていいんだという感じ」で、同級生からのいじめも始まった。「言葉がつまったりどもったりすると、それを先生にも同級生にもバカにされました。『人間じゃない』『気持ち悪い』と言われ、突き飛ばされたり机を離されたりもしました」
4年生のとき、特別支援学級に移ったが、同級生からのいじめはひどくなるばかりだった。部活に入ると、「○○学級(特別支援学級の名前)のくせに」と言われるようになった。上靴に画鋲をびっしり詰められる、画鋲で体を刺される、階段から落とされるといった暴力も頻繁に受けた。
「もともとコミュニケーションを取るのが苦手で、対面だと上手く話せません。それでも必死に何度も何度も(いじめの被害を)訴え続けましたが、先生には信じてもらえませんでした」
結局、加藤さんが学校に行かなくなり、いじめは解決しないまま小学校を卒業した。
「何で薬が必要なんだろう」
加藤さんが向精神薬を飲み始めたのは、12~13歳のころだ。眠れないことやイライラすることから、睡眠導入剤を飲み始めた。いじめに遭ったことで対人恐怖に陥り、ほかにも不眠やうつ症状が出ていた。
加藤さんのお薬手帳の履歴を見ると、うつ病の薬である「レクサプロ錠」やADHD(注意欠陥・多動障害)向けの「インチュニブ」、統合失調症薬の「エビリファイ」「リスペリドン」と、さまざまな種類の向精神薬が並ぶ。
加藤さんは中学3年生の頃、「何で薬が必要なんだろう」と思うようになったという。薬を飲んでも眠れないようになり、朝まで薬が残っているために翌日の昼頃まで強いだるさを感じるようになったからだ。
「診察時間が2分くらいなのに、私の何をわかって薬を出しているんだと疑問を持つようになりました」
睡眠薬による眠気で、学校に行っても保健室で寝ることが増えた。「薬を飲みたくない」と愚痴ったときに養護教諭から言われたのが、冒頭の「発達障害の子は薬を飲んだほうが生きやすくなる」という言葉だった。
20歳を超えた今でも、薬の種類や量は増えている。これまで摂食障害と自傷行為で、精神科病院に3度入院した。その後も、薬の量を減らしたくても減らせない。
「飲むのを勝手にやめたときもありましたが、主治医に『自分で服薬の管理ができないなら、入院して薬を飲む習慣をつけることになる』と言われました。入院はもう嫌だから、また飲むしかありません」
発達障害は一般的に、発達障害(一次障害)に対する周囲の無理解が本人の自己肯定感を低め、加藤さんのような対人恐怖やうつといった「二次障害」を引き起こすといわれている。しかし、「二次障害は薬では解決しない」と加藤さんは言い切る。
「いじめを見て見ぬふりをする。無理やり教室に連れて行き集団に入れる。こうした薬を使わなければいけなくなるほどの状態にさせた環境を変えなければ、二次障害は防げないと思います」
2004年に成立した「発達障害者支援法」によって、発達障害の早期発見と支援が促されてきた。これまで理解されなかった障害が社会に認められたことで救われた当事者がいる。
一方で、周囲の無理解に苦しんできた加藤さんのような人は後を絶たない。学校では発達障害の児童が普通学級で過ごせるように周囲の環境を調整する「合理的配慮」が推奨されている。しかし、障害が問題視されるがゆえに、学校の環境改善よりも本人の治療が優先されることがある。
この連載で指摘してきたように、子どもの向精神薬の服用は増加しているが、その副作用や依存性は軽視され、成長過程の子どもが長期服用することによる影響は調査されていない。
適応できないことは、病気ではない
学校現場の変化について、発達障害児を診療する小児科医は次のように嘆く。
「以前なら児童同士のトラブルがあれば、職員会議で、児童の関係性や学校や家で何があったのかが話し合われていた。しかし、今では児童がほかの児童に暴力をふるったときも、殴った子が『発達障害だから』と安易に発達障害の問題にされてしまうことがある」
東京都の公立小学校教員の宮澤弘道教諭も、「『あの子はADHDだから』と、学校が子どもを“診断”してしまっている」と指摘する。
こうした現状に、精神科医の野田正彰医師は、「学校の劣悪な環境の問題を、子どもの脳の問題にすり替えている」と憤る。野田医師がそう指摘するのは、子どもの思いを診療でよく聞いているからだ。
「親は外してもらって話を聞くと、子どもはやっと伝えてくれる。『(薬を飲むと)動きがぎこちなくなる。うまく反応できない。自分ではなくなるような感じがする。夕方に薬が切れてやっと本当の自分になれる。でもお母さんは薬を飲めとばかり言う』。親も教師や児童相談所から薬を飲ませるように言われているからだ」
野田医師は、こう続ける。
「たしかに、対人関係がうまくいかない子どももいる。それは周りが望んでいる状態に適応していないということで、上手く適応できないことは病気ではない」
意思決定しにくい状況にある子どもに対し、最後の手段であるはずの薬の服用が優先されているとしたら、それは「本人のため」とはいえない。環境の問題を子どもたちの脳の問題にすり替えると、発達障害の児童生徒数は増える一方だろう。
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見ぬふりを続ける(毎日新聞:沖縄論壇時評4月26日)
http://saitoru.exblog.jp/31161278/
2020-04-26T23:49:00+09:00
2020-04-29T21:44:49+09:00
2020-04-28T13:53:01+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
新型コロナウイルスをめぐる危機管理は安全保障の有事に通じる、民主主義の底力が試される局面でもある。不安にかられて買いだめにはしる個と、他者への疑心も相まって統制強化を請う集団の防衛本能は矛盾なく混在する。個々の身辺にリスクが迫る中、社会で行き場を失いつつある「弱者」をどう守るのか。政治と世論の動向は社会の民度を映す鏡ともいえる。
安全保障に絡む沖縄の基地政策に対してはどうだろう。辺野古新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う沖縄の県民投票から1年余を経て、国は設計変更を県に提出した。
反対が7割を超えた投票結果について当時の防衛相は「沖縄には沖縄の民主主義があり、国には国の民主主義がある」と述べた。この解釈だと、絶対的少数者である「沖縄の民意」は常に劣位に置かれることになる。
「県民投票の会」代表を務めた元山仁士郎は県民投票後、「本土」で計64回講演した。「辺野古」の工事が続く現状を踏まえ、参加者から一度ならず「沖縄は日本から独立すべきだ」との意見を浴びた。元山はその都度、「学校でいじめられている子に対し、『あなたは転校したほうがいいですよ』と言っているようなもの。それはいじめられている側(沖縄)が決めることであり、他の子(本土側)が言うことではない」と反論したという(2月24日付『沖縄タイムス』)。
「本土」の「上から目線」は政治的立場を超えて根深い。元山は「この国の民主主義という価値観は何を大事にしたいのか」(同日付『琉球新報』)と嘆く。
実際、民主主義は多面的だ。「辺野古」を容認する嘉陽宗一郎は元山との対談で「『どうしてそう考えるのか』ではなく、『どうしてそういう風に考えるようになったのか』を聞くことで理解が深まる。違いだけをクローズアップするのではなく、共通点を見つけどう生かすか」(『モモトVOL39』)と分断克服を模索する。沖縄の若者層の思いを代弁する嘉陽や元山は「対立」を望んでいない。
「県民投票の会」副会長を務めた司法書士の安里長従は『沖縄発 新しい提案』で「沖縄に民主主義が適用されなければ、日本に民主主義がないことと同じ」だとただす。「辺野古」の決定プロセスを改め、国民的議論を経て代替策を決めよう、というのが「新しい提案」だ。この提案に全国37議会が陳情採択などの形で応答した。
提案の土台には、作家の大城立裕の著書『内なる沖縄 その心と文化』(1972年、読売新聞社)での指摘がある。
「沖縄人は戦争体験があるから、反戦平和の思想が根づよい」といわれるが、「これがどの程度に正確な認識であるか、私は疑っている」と大城は明かす。
「『戦争体験』即『反戦』『反基地』ということが正確であるならば、戦争体験者に自民党支持者はいないはずである。しかし、戦争を体験しながら自民党を支持しているひとたちは、『あんな戦争はごめんだから、安全保障体制を強化して戦争を抑止すべきだ』という。これが自己矛盾だということは短絡であろう。ゆずってこれが論破可能な破綻だらけの考え方であるにしても、そのような意識が民衆のなかにいくらもある、ということは重要なことであろう」
大城のこの論を、安里はこう捉える。戦争体験者ですら「戦争につながる軍事力一切を否定すべきだ」という考えと、「安全保障体制を強化して戦争を抑止すべきだ」という意見に分かれる。この対立を乗り越えるには、戦争の悲惨さを訴えるだけではなく、平和についての論理的な公共的討議が必要だ、と。
沖縄県の有識者会議は3月、辺野古新基地は技術的に完成が困難とし、県外・国外への分散移転を提言した。だが、「本土」の反応は鈍い。
元官僚の櫻井溥は『沖縄祖国復帰物語』で「安全保障問題に近寄ることを避け、そこ(沖縄)が静かにしてさえくれれば、後は米軍が安保条約の下で何とか日本を安全に守ってくれるだろう、と思ったことはなかった、と言い切れる人は一体どれだけいるだろうか」と「本土」の深層心理を暴いた上で、沖縄県民の心中をこう読み解く。「沖縄の米軍基地が本土防衛のために担保に供されているということを結果的に見て見ぬ振りされつづけてきたことを鋭く感じとっているのだ」
「自分さえよければ」という利己主義と、「全体」のため一部の犠牲を黙認するドライな世論は顔つきが似ている。コロナ危機が去った後、世界はより内向きにシフトするのだろうか。
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岩谷くん
http://saitoru.exblog.jp/31103922/
2020-03-10T23:34:00+09:00
2020-03-20T11:43:41+09:00
2020-03-20T11:35:19+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
兵庫県立三木東高校教諭の岩谷和也(33)
・体育教師(保健体育)、野球部顧問、2016年4月着任
・前任校は兵庫県立夢野台高校、大阪教育大学卒業(体育会硬式野球部)
兵庫県三木市の高校の男性教師が、約770万円を横領したとして、懲戒免職処分となりました。兵庫県教育委員会によると、懲戒免職の処分を受けたのは、三木東高校で保健体育を教える33歳の男性教師です。生徒会の会計担当だった男性教師は、2019年8月から1年以上に渡り、請求書を偽造したり預金通帳を持ち出したりして、約770万円を横領していたということです。そのうち約666万円をパチンコや競馬などのギャンブルに使っていました。横領された金は全額返済されていて、男性教師は「自分を信じてくれた生徒や卒業生に本当に申し訳なく思う」と話しているということです。[2020.3.10 関西テレビ]
兵庫県は10日、県立三木東高等学校の岩谷和也教諭(33)が、保護者から預かっている生徒会会費768万円を横領したとして懲戒免職処分とした。
岩谷教諭は、18年4月頃から生徒会の会計を担当し、部活動の顧問から部員が大会へ参加する際などに請求を受けて、教頭の決裁を経たうえで経費を支払っていたが8月頃から、出金した生徒会費を顧問には支払わずにパチンコに使うようになり、その損失を取り戻そうと競馬にも手を出し、その後、請求書を偽造して生徒会費を引き出すようになり、預金通帳を持ち出して出金を繰り返すなどして768万円を着服して、パチンコや競馬に使っていたもので、昨年11月、ほかの教諭から「生徒会費の支払いが滞っている」と学校に報告があり、着服していたことが発覚したもので、すでに全額を返済している。
県立高校などでは、通帳と公印を2人で別々に取り扱っているが、同校では男性教諭が1人で管理しており、兵庫県教育委員会は、指導監督不足だとして同校の前校長と現校長も減給10分の1(1カ月)に、教諭を公務員として相応しくない行為として、10日付けで懲戒免職処分とした。
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日系パキスタン人とパキスタン系日本人
http://saitoru.exblog.jp/30888523/
2019-11-04T13:31:00+09:00
2019-11-04T13:31:23+09:00
2019-11-04T13:31:23+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
「在留カードなければ逮捕」と言われ… 星恵土 ゼイン
帰化した「パキスタン系日本人」
私はパキスタン系日本人の星恵土(セイエド)ゼインと言います。現在22歳で、日本の自動車系の専門学校に通っています。
私はパキスタンで生まれました。7歳の頃から日本に住んでおり、今年で日本に暮らし始めてから15年になります(途中、数年ドイツで暮らしました)。両親はどちらもパキスタンの生まれですが、父は30年ほど前から仕事の関係で日本とパキスタンを行き来する生活をしていました。父は心から日本を愛しており、長年の苦労の末、2011年に日本国籍を取得しました。
私自身も長らくパキスタン国籍で過ごしていましたが、14歳になった2011年、日本国籍を選択することを決め、パキスタン国籍を放棄しました。ですので、顔はいわゆる「外国人顔」だけれど日本国籍を持っている、そういう存在です。
留学生や在日外国人と間違えられることがありますが、この「外国人顔」で生活している以上、仕方がないことかなと思っています。また、日本で在日外国人による犯罪があったり、中東や南アジアでの悪いニュースが多くなったりすると、この顔がよくないイメージを持たれることも理解しています。
警察の方による職務質問もよく受けますが、ある程度は諦めています。職務質問は、犯罪防止や治安維持に役立つ業務の一つであり、日本に住んでいる以上、私は警察の方に協力をする義務があると考えています。
とはいえ、何度も職務質問を受けるなかで、不満に感じること、傷つくこと、悔しい思いをすることも少なくありません。また、同じような対応が何度も繰り返されると、小さな不満や心の傷も、大きなものに変わっていきます。
日本には、私のような経験をしている人が、ほかにも確実にいます。しかもその数は今後どんどん増えていくと思います。多くの日本人が知らないところで、ひっそりと悲しい思いをしている人が一定数いる。そのことを知ってもらいたくて、この文章を書いています。
「なんでパスポートがないの?」
私が普段受けている職務質問はどのようなものなのでしょうか。
今年の9月のことです。いつもどおり自転車に乗って学校から自宅へ帰っていると、パトカーとすれ違いました。とくに気にすることもなく通り過ぎたのですが、交差点付近で「お兄さんちょっと止まって!」と声をかけられました。パトカーは回り込んで待ち伏せをしていたようでした。
自転車から降りると、「どこ行くの?」と聞かれました。「学校が終わったので家に帰っています」と答えると、「在留カードは?」と重ねて尋ねられました。
ああまたか。
半ば諦めつつ、しかし半ば釈然としない思いを抱え「在留カードはないですよ」と答えました。
「じゃ、パスポートは? パスポート出して」
「パスポートは持ち歩いていないですよ」と私が答えると、先方は少しびっくりした様子で、
「なんでないの?」
と聞いてきます。
私は運転免許証と保険証を提示し自分の経歴を説明しました。
それでも納得いかなかった様子の警察官の方は、驚くべきことにこんな質問をしてきたのです。いえ、質問というよりも、「なじる」と言ったほうが近いでしょうか。
「日本国籍を取ると在留カードなくなるの? 持ち歩かなくてもいいの?」
名字が漢字になっており、帰化の経緯をしっかり説明したにもかかわらず、理解してもらえない――。残念ながら、私にはそれ以上「自分が日本人である」こと証明する方法がありません。どうすれば彼らに納得してもらえるのか、いつものことながら戸惑い、困り果てました。
「逮捕しなければいけない」
あまり思い出したくないので、詳しくは述べませんが、以前、予定に遅れていて早歩きをしているだけで警察の方に止められ、壁に押さえつけられて質問(「取り調べ」に近いかもしれません)されたこともあります。そのときは、「在留カードがないとどうなりますか?」と聞いた私に、警察官の方は「なかったら君を逮捕しなければいけないよ」と迫りました。
免許証も保険証も持っているのに「自分が日本人である」ことを証明するすべがないのか。見た目が「外国人」のようだとそんなに簡単に逮捕されてしまうのか。せっかく愛する日本の国籍を取っても、ずっと在留カードを持ち歩かなければいけないのか(制度上、私が日本で在留カードを持ち歩くことはできませんが)――職務質問を受けるたび、悲しいような悔しいような、どうしようもない思いが体を駆け巡ります。
はじめから非常に高圧的な言葉をかけられると、自分が犯罪者であるかのような気分にもなります。
私はそうした扱いを何回も受けています。
先に述べた今年9月のケースでは、私が乗っていた自転車が盗難でないかなど確認され解放されましたが、自宅に帰ると悲しく悔しい思いが溢れてきました。こうした経験が増えるたびに、悲しみと悔しさは増すばかりです。
アルバイトで受ける屈辱
日本は、少子化問題の対策として外国人を多く入れようとしており、今後は、外見が「外国人」のようでも「国籍や心は日本人」という人が確実に増えていきます。ラグビーワールドカップや東京オリンピックなど世界的なイベントも開催されている日本が、もっともっと国際的になるべき時期に立たされていることは間違いありません。
「ハーフ」の人や、私のように帰化した人もどんどん増えていきます。いろんな外見の日本人が増えるなかで、差別的な発言や、国際的に見れば「マナー違反」にあたる対応も、変えていかなくてはなりません。
私は携帯ショップでアルバイトをしていますが、お客さんの中には、私が案内しようとすると、目を合わせもせず「ほかのスタッフと変われ」「日本語が通じる人がいい」と言う人がいます。ときには、完全に無視されることもあります。
とても苦痛で、つらいことです。しかし私はそれでもめげずに、そういう方々の考えを変えられるよう、そうした場合にこそいつも以上に丁寧に親切に対応しています。日本で働くほかの外国人、または「日本人に見えない日本人」が、私のような差別や苦痛を受けないように、と思っています。
これは外国人への差別だけの話ではありません。外見(その人の特徴、服装、肌の色など)だけで判断してその人のすべてを決めつけてしまうこと自体がいけないと、私は考えます。
陳腐なことと思われるかもしれませんが、外見に基づいた相手のイメージを持ったからといって、それだけでは相手を知ったことにはなりません。知りもしない相手について「◯◯はこうだから」と決めつけず、自分のイメージと違うかもしれないと思って接してもらいたいのです。
「心のグローバル化」が必要
日本に来る外国人や、すでに日本にいる外国人を、気持ちの面でしっかりと受け入れ、そうした人たちに、日本の素敵な文化、おもてなしの心を、私を含めた日本人が伝えることで、彼らにも日本を愛してもらうことができます。そうすれば、欧州が抱える移民によるトラブルの不安も起こらないと、私は考えています。
いまやノーベル賞の世界やスポーツ界でも、様々なところで両親が外国にルーツを持つ「日本人」が活躍しています。繰り返しになりますが、「ハーフ」や◯◯系日本人は今後もさらに増えていくことは間違いありません。
そうした社会で、多くの人がより快適に共生できるようにするため、まずは「言葉遣い」を変えることから始められるかもしれません。どういうことでしょうか。
私のように、父、母ともにパキスタン系で、日本の血が入っていない「日本人」は、「あなたは何人なの?」との質問に対して適切な答えを見つけられず、自分のルーツをすべて毎回説明しなくてはいけません。
なぜそうなってしまうのか。ある日私は自分自身に問いかけました。
調べていくと、その原因の一つは、海外と日本の、以下の違いにあるように思えてきました。
日本では、たとえば日本国籍を取っているパキスタン系の人であっても、「在日パキスタン人」といった呼び方をすることが少なくないように思います。一方、アメリカでは、アメリカ国籍を取得したパキスタン系の人を「パキスタン系アメリカ人」と呼びます。
日本では、「日本に住んでいても外国人は外国人」という印象を強調するような言葉遣いをするのです。日本国籍を取っているブラジル人のことを「日系ブラジル人」と呼ぶケースはよく耳にしますが、「ブラジル系日本人」という表現はまず聞きません。私がこの事実を知ったのはここ最近のことです。
そこで私は、もっともっと「◯◯系日本人」という言い方を日本で広めたいと思っています。だからこそ、ここまで「パキスタン系日本人」や「〇〇系日本人」といった表現を使ってきましたし、職務質問のエピソードをSNSに書き込んだ際にも「パキスタン系日本人」として発信しました。
この言い方がもっと広まれば、みんなもっと自分の「アイデンティティ」を出すことができ、それがお互いの存在を認め合うことにつながると考えます。「グローバル化」は、社会制度だけでなく「心のグローバル化」も必要とします。
今回取り上げた警察官の方の対応も、心のグローバル化を進めるなかで、考え直し、変えていく必要があることだと、私は強く思っています。私が好きな日本が、いっそうたくさんの人に開かれ、楽しい社会になるように、それは絶対に必要なことなのです。
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人と同じことをしていてはいけない
http://saitoru.exblog.jp/30780474/
2019-09-11T04:32:00+09:00
2019-09-11T10:38:43+09:00
2019-09-11T10:38:43+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
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沈丁花の香りは柳の芽吹きより1日遅い
http://saitoru.exblog.jp/30448138/
2019-03-05T21:14:00+09:00
2019-03-07T04:46:04+09:00
2019-03-06T05:17:14+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
そして、少しずつ桜は枝からつぼみを膨らませてきている。
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柳の芽吹きに気づく
http://saitoru.exblog.jp/30446879/
2019-03-04T22:58:00+09:00
2019-03-05T12:01:55+09:00
2019-03-05T12:01:04+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
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鶯初鳴き
http://saitoru.exblog.jp/30448317/
2019-03-02T21:27:00+09:00
2019-03-06T08:29:16+09:00
2019-03-06T08:29:16+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
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北海道胆振東部地震の規模
http://saitoru.exblog.jp/30040699/
2018-09-10T16:54:00+09:00
2018-09-10T16:54:14+09:00
2018-09-10T16:54:14+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
北海道全土が停電しているということはこういうことである。火力発電所で本当によかった。
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モーラステープのこと
http://saitoru.exblog.jp/29765561/
2018-05-04T15:49:00+09:00
2018-05-04T15:49:51+09:00
2018-05-04T15:49:51+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
以下、拡散を求めて登校している人のHPより抜粋。
数年前、夜にヨガをしてたら足首が痛くなって過去に貼ったことがある湿布を安易に足首に貼ったのです。
翌日はディズニーに行くので朝その湿布を剥がしてディズニーで大はしゃぎ。
3日ほどすると足が毛虫に刺されたようにぶつぶつに腫れ上がりました。
初めは「あー毛虫にさされちゃったな;;」と思っていたら、その後尋常じゃない痒さ。
足も象のように腫れました。
「おかしいな。」と思いお医者様へ。
●1軒目「内科・アレルギー・皮膚科と書かれた病院へ」
「うちは皮膚科じゃないからさ、湿布貼ったでしょ?」
「はい」
「痒み止めと、抗生物質だしとくから〜」
「あ…はい。(なんだこの人?@@違うとこ行こっと。)」
●2軒目「界隈で有名な皮膚科へ(小児アトピーが有名)」治療のため数回通っていました。
「これはね…本当にしつこいよ、一生付き合わないといけない」
「え?^^:」
「まず、この跡(湿布の跡の色素沈着)は数年治らないし、治っても何十年も色んなところまた痒くなるよ。
日焼け日光は絶対にダメ。今の初期段階でこの湿布の跡は消しましょう。ステロイドと保湿剤だすね。ケアをしっかりね。」
…
自宅に帰り、湿布の裏側の注意喚起を読んで私は理解しました。
【以下抜粋】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
貼付部を紫外線にあてると光線過敏症をおこすことがあります。
⑴戸外に出るときは天候にかかわらず、濃い色の衣服、サポーター等を着用し貼付部を紫外線にあてないでください。
⑵はがした後、少なくとも4週間は同様に注意してください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まとめると
【はがした後少なくとも4週間は体内に薬効が残るから、天候にかかわらず紫外線に当たるな。】Σ('◉⌓◉’)
「(湿布を剥がしたのにこんな状態になったのは、薬効が体内にしっかり残ったからなのか。つまり、4週間はこの安易に貼った湿布の薬効が体内に残っているということ。そして足首だけでなく、色んなところが痒くなるのは薬効が全身に巡りアレルギー反応を起こし体内に残っているからなのか…)」
…(°_°)
●2年後
旅行に行った際に首らへんが焼けてしまい、ものすごく腫れて痒くなった。
なぜ足首に貼った湿布の副作用が今度は首に出たと思いますか?
それは上記の通り、湿布の「薬効」が全身を巡ったからです。
2軒目の皮膚科は非常に混んでいるので別の有名な皮膚科(美容系)へ行きました。
●3軒目 「別の有名な皮膚科(美容系)」
「なんで光線過敏症なのに日光に当たったの!」
「日傘も日焼け止めも忘れちゃって急に晴れたんですよ^^;」
「あの、これ…治らないんですか?」
「これは一生治らないよ!」
「…そうですか。。。」
(…え?ってかなんで良くなると思って貼った湿布で一生治らないって言われるの?おかしくない?!)
…
これ以降私はお勉強し、薬はどんな時も一切服用していません。
そりゃ例外はあると思いますよ。
でも今の私は元気なので例外の状況になっていません。
『副作用は作用である』
“副”なんて言ってるけど“副”としてしっかり“作用”してるんです。
この経験から実感していることは私があまりにも『無知』だったという事。
「なんで誰も教えてくれないの?!」と思った。
「知らなかった」では済まされないことが実際自分の身に降りかかったという事。
本来ならば学校や義務教育の段階でこの事を「知らねばならない」と私は確信しています。
例えば学生さんなら、
生理痛→頭痛薬
下痢→下痢止め
その行為がどんな結末になるのか「知らなかった」では済まされないことが世の中には沢山あります。
なぜ教えないの?
なぜニュースにならないの?
世の中の大人の事情かもしれませんし、関心がいかないようにされているのかもしれません。
でも、実際自分の身に降りかかったので私は無視できません!
色んなことが悲しいのです。
大好きだった海も長袖長ズボン。
ワイキキビーチでも怪しい日本人。
「無知」がこんなにも悲しく悔しいのです。
「なんで誰も教えてくれなかったの?」と人のせいにして悔やんでいました。
そんな私はこれを「人に伝えるべきこと」と捉えています。
少しでも多くの人が、「そうかもしれない」と疑問に思って自ら調べるきっかけにしてほしい。
私は今から「知ってたら服用してなかったのに;;副作用で苦しんでいる」という人を減らします!
昔は薬なんてなかったのにな。
早く薬は「良くする」と思い込んでいるのに気づいてほしいな。
どうしてその症状になったのか気づいて欲しいな。
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宇野昌磨の「笑えた」
http://saitoru.exblog.jp/29580383/
2018-02-18T08:16:00+09:00
2018-02-18T08:16:01+09:00
2018-02-18T08:16:01+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
平昌五輪フィギュアスケート男子で、銀メダルに輝いた宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=が試合後、インタビューに応じ、「失敗した時点で笑えてきた」などと振り返った。一問一答は次の通り。
--振り返って
「(せき込みながら)1個目のジャンプを失敗しても焦らず次のジャンプを跳ぶことができたし、練習してきたことを十分に出せた」
--五輪の舞台。昨日は気持ちが高ぶったと話していたが、今日は?
「今日の出だしは全然滑っていないという感触で、ちょっとできない可能性のほうが高いと思っていたが、どんな状態でも跳ぶという練習してきたことがこの試合につながった」
--状況は分かっていたか
「僕は全部見ていた。自分がどのような演技をしたらどのような位置にいくかわかっていて、僕がもし本当に完璧に演技したら1位になれる点数だったが、1個目のループを失敗した時点で笑えてきた」
--そこまで冷静だった?
「そうですね、もう1個目で、『もうがんばろう』と思って、焦ることもなく。笑いがこみ上げてきた」
--初の五輪の舞台。このあと、表彰式が夜にある。どんな気持ちか
「このあと? そんなに特別な思いはなかったですね、最後まで」
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老い
http://saitoru.exblog.jp/29461630/
2018-02-03T18:07:00+09:00
2018-02-04T06:29:22+09:00
2018-02-03T18:07:41+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
椎名誠も73歳になる。
歩幅の狭い、どこかに障害がある人のような歩き方に「老人」という言葉が思わず浮かんでしまった。
東京の降雪の話から、40年近く前のオイミヤコンでの厳寒話を1時間かけてポツポツ話す。
懐メロを聞きに行く聴衆はもたないだろう、複雑な悲しみを感じた。
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ケガはほっておけば治る
http://saitoru.exblog.jp/27674513/
2017-03-27T17:34:00+09:00
2017-03-27T17:34:35+09:00
2017-03-27T17:34:35+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
そして、インタビューで稀勢の里の口から出てきたセリフが、
「ケガはほっておけば治ります」。
昔、「痛かったら唾でもつけとけ」、というのと同じように、「ほっといたら治る」と言うことはよくあったような気がするが、最近はとんとそんなセリフを聞くこともなくなった。
痛かったら、原因を解明し、正しい処置を施す、というのは尤もなこと。
ほっといたら治るという、なんの手だてにもならない言葉は、なぜ昔はよく使われたのだろう。
ちょっと心に引っかかっている。
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ブルースリーの名文句
http://saitoru.exblog.jp/25291466/
2016-06-02T20:45:00+09:00
2016-07-16T21:03:16+09:00
2016-06-02T20:44:55+09:00
saitoru1960
ドキリとしたこと
“I fear not the man who has practiced 10,000 kicks once, but I fear the man who had practiced one kick 10,000 times.”
"A good teacher protects his pupils from his own influence."
“A wise man can learn more from a foolish question than a fool can learn from a wise answer.”
"Mistake are always forgivable,if one has the courage to admit them."
― Bruce Lee]]>
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