カテゴリ:任地再訪の旅( 16 )

友人

モルディブの協力隊つながりは今もきちんと結ばれていて、同期や近い隊次の友人もいれば、一度も会ったことがないのに、連絡を取り合っている人もたくさんいる。
旅のアルバムをようやく全てまとめることができたので、改めて連絡を送り懐かしい風景を共有できればと思っている。
ひとつ、写真を撮ってくればよかった、と思い出すのが、選挙用のポスター。
昔、TVモルディブでコメディアンのように活躍していた人が、選挙に出た(出る)ためのポスターでどこかの壁に貼られていただ。
最初は、気にならず、どこかで見たことあるな、と流していたのだけれど、確かに昔TVで面白おかしくしゃべっていた男の人。
名前がどうしても思い出せない。
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by saitoru1960 | 2006-09-23 04:00 | 任地再訪の旅

旅のアルバム

キャノンのデジカメは古いものでバッテリーの持ちがよくないため、今回は15本のフィルムを持って一眼レフのカメラをメインにして写真を撮りました。
最後の2日でデジカメを使いましたがやはりぎりぎりのバッテリーでした。
旅の写真は別の所でまとめました。
4travelは容量が大きいので助かります。
by saitoru1960 | 2006-09-22 06:02 | 任地再訪の旅

アハメド

協力隊(JOCV)事務所で長らく働いていたアハメドは5年前にJOCVを離れ、今はスリランカに住んで義理の兄の仕事を手伝い、暮らしていた。
アハメドがスリランカに住んでいるのを知ったのは、わたしがマーレに行くからゲストハウスとワードウーの予約をしておいてくれないか、と、4月頃送ったメールに対する返事を読んでであった。
昔から、モルディブ政府に対して批判的だったところがあったアハメドは、子ども達をむこうの学校へ通わせることで、モルディブの小さい社会の中だけでなく、もっと大きな世界を実体験させようと考えているのではないかと想像している。
わたしたちのような、遠い国からわざわざ自分たちの小さな国にボランティアとしてやってくる若者に接することで、大きな世界観を自然に身につけていくのは当然の結果で、卓球のプレイヤーでもあったアハメドは、わたしが帰国後、卓球のコーチングを研修するという名目で日本に来たこともあった。
「6月下旬から1ヶ月半くらい、学校が休みになるのでマーレに帰るけど、ちょうどサイトウがマーレにくる前の日にスリランカには帰らないと行けないんだ。とても残念だけど」
と、5月にメールが返ってきた。その中には
「でも、ゲストハウスではなく弟夫婦の家に泊まれると思うからそうしたらいい」
という文章もあり、私達はそれならアハメドの好意に甘えようと考えたいた。

その後、細かい連絡もないままで次第に出発の日は迫ってきていた。
わたしは少し不安になり、7月下旬に確認のメールを今はマーレにいるはずのアハメドに送った。
「サイトウ、連絡が遅くなってゴメン。しばらくメールを開いていなかった。残念だけど、弟夫婦の所には泊まることができないから、マーレの中で安全なホテルを紹介するよ」
と、返事が来たのは、いよいよあと5日で出発という頃。
そこから、マーレのアハメドに教えてもらったセントラルホテルにメールを送り、思い出のワードウーリゾートにもメールを送った。
マーレのホテルは何とかなるにせよ、ワードウーが一杯ならば他のリゾートを探さないといけなくなる。ワードウーは隊員時代によく行った思い出の島で、ハウスリーフで子ども達にたくさんの魚たちを見せるにはもってこいなのである。
運良く、翌日ワードウーからは「3種類の部屋どれでもOKです」という回答が日本語で届いた。
以前は協力隊出の坂本オーナーがいて、ダイビングスタッフにも日本人が増え、日本人好みの対応をしてくれる島であったけれど、坂本さんが2年前に離れ、メールには「江戸」という名前が書かれてあった。
サンライズウイングという部屋を予約し、とりあえずはワードウーは確保。
マーレのセントラルホテルからは、出発当日の朝になっても返事が届かず、結局その日、シンガポールのチャンギ空港内のフリーインターネットでメールを確認して、安心した次第であった。

夏休みに入り、新聞紙上でスリランカでまたタミールタイガーがらみのドンパチが発生、という記事が出てきた。コロンボ市内でもパキスタン外交官が危なく難を逃れる、というようなこともあり、アハメドはどうするのだろうかと少しだけ考えていたのだけれど、マーレに行っても会うことはできない、という頭だった。
マーレに着いた翌日、マリアンにヌードルスをごちそうになり、ホテルに帰るとレセプションの男が、これ、と伝言の書いた紙を渡した。
帰ったら電話を下さい、というアハメドからの伝言だった。
携帯に電話すると、やはりコロンボのドンパチもあって帰るのを伸ばしたため、連絡をくれたのであった。
ホテルにやってきたアハメドは少し太ったようだけれど、口を閉じているときの少々こわもてな目と笑ったときの目のギャップがとても大きい昔のままのアハメドだった。
「今からビリンギリに行って、明日はワードウーに行く予定なんだ」というと、じゃあ、今晩帰って来たら我が家でガルディアを食べよう、と誘ってくれた。
マリアンにも今晩こい、って言われてるから連絡しておいて、と頼んで、私達はドーニで3RFのビリンギリへ渡り、マーレとは全く違う、昔のマーレのようなのんびりした時間の中で海で戯れた。

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by saitoru1960 | 2006-09-09 11:48 | 任地再訪の旅

3日経ちました

マレーシア・モルディブ(おまけのシンガポール)の旅から帰ってきて3日経ちました。
昨日の朝、久し振りに学校へ行き、陸上部だけのグラウンドを眺めながら、夢から覚めたような少々複雑な思いでマーレの友人達を思い出していました。
今朝、メールを開くと、「ごめんね。仕事が忙しくて、空港に行けなかった。みんな元気ですか」というFUADからのメールが届いていて、夢と現実が引っ付いたような気分になりました。
16年。
1周5kmの島。
それぞれの普通の生活。
陸上競技に費やした時間。
やはり旅人だった自分。
滞在中、複雑に心は揺れました。
着いた夜、空港にはセントラルホテルからむかえにきたモルディブ人が「TORU SAITO」と書いたボードを手に待って立っているだけでした。
栗原隊員を通じて、昔の仲間達には連絡が届いているものと思って上陸していただけに、誰も迎えに来てくれていない現実は、これが2年間マーレにいて自分がしたことへの答えだったんだ、と考えることで納得するしかありませんでした。
飛行機がマーレに近づいて来るに従い、空港に迎えに来ているはずだ、いやそう思っていていなかったときのショックは大きいからそうは思わないでいよう、と心は揺れ動いていました。
結局、誰も来てはいませんでした。

ドーニでマーレへ。
ナサンドラジェッティーは、自分の思っていた場所より西に動いていました。
でも、着いた先を見ると、懐かしいナサンドラと書かれたのエントランスが見えます。
でも、懐かしがるよりも先に、目の前で繰り広げられるバイクと車のせめぎあいの方に目が行き、落ちつきません。
かつてのマリンドライブ北側の道を、かつてハノイで見たような、バイクと車が無秩序に交錯しあっている光景で、私達が乗り込んだセントラルホテル行きのタクシーが東に向って走り出そうとすると、西行きの車とバイクが道を塞いで動けないのです。

その夜はなかなか眠れませんでした。
3時30分、バンギが聞こえてきました。
早すぎるな、と思いながらも、その声が1つだけなことに違和感を覚え、トイレに入って8階の窓から外の様子をみると、マジリマグより南側の島の真ん中あたりに位置するセントラルホテルからイスラミックセンターの玉ねぎがちょうど正面に見えました。
声はどうもそこから流れているようで、「人が増え過ぎてうるさいというようなことも考え、イスラミックセンターからだけ流すようにしたのかな」とも思いました。
4時38分。二度目のバンギ。
床に敷いたベッドカバーの上で寝たまま、今度は少しずつずれて聞こえるいくつかのコーランの声を聞きながら、昔と変わらぬ、そして自分が帰国したあと16年間ずっと続いているコーランに、継続した時間のつながりを感じていました。
効率だけで1つのモスクからコーランを流さず、狭いながらも自分の家の近くから流れてくるコーランに1日5回ずつきちんと戒律を示され生活する人達。
ずっと、ずっと今まで続いているんだな、そしてこれからも続いていくんだな、と思いながら聞いていました。
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by saitoru1960 | 2006-08-29 08:01 | 任地再訪の旅

9日目:マーレ

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*この写真は、浅川ジーの家です。
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日本を出る前に、浅川ジーから「ファリヤールさんにお土産渡してほしいんだけど」と事づてられていたので、到着して懐かしい街並みを探し出しながらウロウロしていたのですが、家を建て直して上の伸ばしているのが多いのです。
私の住んでいたヒーラーゲも上の伸びて面影はなし、小川くんのエコーゲも探せませんでした。
ファリヤールさんの家は新しくなり、入口が道路側からは鍵がなければ開けられない仕組みになっていて、かといって大きな声で叫んでも誰にも声は届かない、という建物なのです。

そうわかってから、浅川ジーごめん渡せなかった、と言わなければ仕方ないか、とまで思っていました。
最後のこの日の早朝、もう一度最後に挑戦、と家まで行き、やはり開けられないのを確認した後、3軒隣のおばちゃんにこれを渡しといて、とお願いしよか、と話しかけたときです。

そこの入口が開き、子供が自転車を押して出てきたのです。
ここぞとばかり、「ファリヤール、エバウレータ」と声をかけ、上まで案内してもらいました。
建物の3階部分がファリヤールさんの家になっていて、中から娘さんが顔を出しました。
おかあさんいる?、と声をかけ娘さんは奥まで行ってくれたのだけれど、「まだ寝てるから」とごめんね顔で戻ってきました。
中に手紙も入っているからと娘さんにことづけ、浅川ジーへの行って来た証拠写真に撮ったのがこの写真です。
ファリヤールさんワッタルですね。

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この場所わかりますか?
マジリマグとチャンダニーマグの交差点を少し西に行き、北東に少し狭い道路が三叉路として交わっているあたり、といえば、そう「ナイトスター」のあった辺りです。
左がナイトスターのあった側(南側)。
でも、噂に聞いていた「いまはもうない」というとおりでした。
行ってみて感じたのは、昔のような風情のホタアは基本的に大通りに面しては見つけにくいです。
銀座通りに安食堂は見当たらず、という感じでした。
ナイトスターのテルリククル、うまかったですねえ。
ラッサンはわたしはあまり飲んでいませんが、これもわたし達の頃の名物でした。

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その後、オーキッドマグを南側から北上。
ここは小川君の家と思って撮った写真。
小川くんの家の名前(エコー)を忘れていて、とりあえず見覚えのある家を撮ったのがこれです。
名前は「JEEZAGE」でした。
ほとんどこの辺りはきれいに建て替えなどをしていました。
北上しながら左側にあった、最後の頃よく昼飯を食べに行った店(ちょっとサリな2種類のリハを日替わりで出す)は見つけられませんでした。
名前なんだっけ?

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大統領ジェッティーの辺まで来ました。
かつてのデューティーフリーの北側あたりから東を向いて撮ったものです。
この辺はあまり変っていないかな。

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前の写真で振返ったのがこのMTCCビル。
そう、原田君のビルです。
外観は変っていないのかな?

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マスマーケット。
この日はフクルドウアスだったので、ほとんど魚はなかったです。
でも、場所は綺麗になっていました。
2階にはホタアもあり、ちょっと入りたかったですがやめました。
昔はかつおのしっぽを持って、自転車とともに帰っていく風景が夕方のよくあるものでしたが、マーレにいる間一度も見かけませんでした。
あとで聞いてみると、「核家族が増えて、一匹もって帰っても食べきれないから」という今の日本のような答えでした。
今は昔です。

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魚の臓物だけを商売していました。

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マスマーケット前のジェッティーは昔と変らずでした。
地方からの大きな船が島に持って帰る日常雑貨、ガス、ケロシンふくめ、ざわざわする光景が見られました。

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フルーツマーケット。
こっちのほうが変化が少なかったです。
薪を売っているのは見ませんでした。
スイカも出ていました。
9月にはローダが始まります。

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翌25日、いよいよ日本へ帰る最終日は、締めくくりにふさわしかった。
朝8時半にクダフセインがホテルに迎えに来てくれた。この車に乗っていくから、と乗り込むとシファーンゲ(軍隊)の運転手つきだった。

昔のノンビリしたNSS(その頃のナショナルセキュリティーサービス。昔は警察と軍隊が一緒になったような働きをしていたけれど、いまはポリスとシファーンゲと二つに分かれている)でも、こっちがカメラを向けて写真を撮ろうとすると、「サカライ(あきまへん)」と制していたものだ。
この写真は隠し撮り。
ばれると、まずいかも・・。

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昔は海だった場所も大きく埋めたてられ、色々なものができている。陸上のトラックもそうだし、ビリギリ行きのドーニが出る大きなジェッティーもそう。
この朝かつての教え子達が用意してくれた朝ごはん会場は、そのビリンギリ行ジェッティー近くにある、昔はなかったようなオープンホタア。
これはリバリンです。帽子をかぶっているけれど、髪の毛はありません。クダフセイン同様はげています。
でも、体はさすがに軍隊でインストラクターをしているだけあって、昔よりもごついです。
「ミハールベス、ワラガダドー」とほめてあげました。

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マスロシのようですが、リバリンたちはディスクとよんでいました。
大きめのちょっと分厚いロシです。
これをちぎってマスフニと一緒に食べました。
焼きたてのディスクは美味しかったです。
ちょっとサリダッカンっぽかったですね。ただのマスロシなのにね。

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集まってくれた仲間達。
 右前はクダフセインです。はげています。
 
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右一番奥はビッサ(マニック)。その手前はアムジェッド。ビッサはソウルにも出て、その後も各地を一緒に転々としました。
アムジェッドは最後の頃に参加したメンバーです。

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左奥から二人目はイスラト。唯一の女子選手だった子です。 
一番奥はフアード。長距離を走っていました。当時はやせていましたが、いまはバンドウワラボドウです。

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集合写真。奥の列右端はスジャサリーム。
太っているけれど、顔を見たらきっと覚えているしょっちゅう一緒にソフトボールなんかをしていた奴です。いまはアハマディアスクールでPEティーチャルをしているのです。
週に一回は体育をやっているといっていました。
あの頃同様に心細やかな男でした。

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朝ごはんのあと、フアードが市場へ案内してくれました。あいにくフクルドウアスだったので魚市場に群れるような魚はいませんでした。
フィッシュマーケットはきれいになっていますが、野菜市場あたりの雰囲気はあまり変っていません。

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野菜市場でわかば。

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バナナの茎をもつ光。

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クルンバフェンも飲みました。
全部、フアードがおごってくれました。

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1本600RFで値段がついたマグロを軽トラが運ぶ。

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おばの家の敷地内に自分の家を建ててもらったフセインは家の名前を「マラソン」と名づける。

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去年の11月に離婚した、といいながらも3歳になる子供をつれてきてくれたフセイン。
最初はフセインから離れようとしなかった子供も、いつしか光と鉄砲やナイフで戦いごっこやラジコンカーで遊んでいた。

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昼は何が食べたい、と聞かれて、「ガルディア」と答えると、よっしゃ、ほんじゃ、おまえアレンジせー、とフセインがアムジェッドに指示を出し、きちんとフクルガルディアをやっている店を準備してくれていた。
ダンブーマではないけれど、バイッペンまで最後に飲んで、4杯くらいいろいろ入れてガルディアを食べた。幸せだった。

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わかばは、うんおいしい、と食べていたが、光はもう一つのようであまり量は食べなかった。
妻はおいしいね、と2杯くらい食べていた。
ルンボ、玉ねぎ、ミルス、マス、バンブケオ、ヒキマスのチップス、芋みたいなの、ごっちゃごっちゃにして食べた。

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写真を撮ってくれたのはフアード。

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左を覚えていますか?
笛吹き親父(オリンピックコミティーチアマン=ザーヒルナシール)のもとでカメラマンをしていた人です。
今はそこを離れて働いているとのことでしたが、笛吹き親父はいまだチアマンだそうです。
プロのカメラマンを撮ったのは光。

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説明はいりませんね。
ちょっと上品な赤いグルグルです。ガルディアの最後に、選手がコーチこれこれと持ってきてくれました。
実は最初の頃のホタアでいまだ健在なのは確認済みだったのですが、食するところまではいっていませんでした。
出されたので、この際にと食べてみるとやはりワラホニエッチェヒでした。
子供たちは色に驚いて鼻くそほどしか食べませんでした

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昼飯のあと、買い物に行く時はラシードがついてきてくれました。ラシードは後半やってきた長距離選手です。
ヒキマスほしいんだけど、と言って例の干し魚コーナーへと突入しました。

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マジリマグとチャンダニーマグの交差点を東から西に見た図。
 赤信号で東行きの車とバイクが大人しく停まっています。

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ヘンベールパークの今。
南東角からフルレをのぞむ方向です。

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練習していたヘンベールの東側の海ではサーフィンをしている連中がうようよ。
 以前からマーレでサーフィンをしているところがある、という噂は聞いていたのですが、まさか自分のいつも見ていた海だったとは・・。

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ヘンベールを北から南に見た図。
舗装になったことを除いてここの風景は変っていません。ちょとだけ嬉しかったです。

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ヘンベールの東側も埋め立て部分が広くなり、昔、蛸を取っていた海も東へ大きく移動しています。
そこに人工のビーチができ、マーレの子供たちが泳いだりして遊んでいるのです。
確かに、子供たちの意識も変ってきています。

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別れの夜、フルレにて。
空港までもたくさんの友人達が見送りにきてくれました。仕事でこれないメンバーも電話で3人ほど連絡をくれ、「ソーリーエンゲ」とこれないことをわびていました。
浅川じーからファリヤールさんへのお土産をことづかってきていて、この日の朝ようやく家にたどり着くことができていました。

しかし休日の朝6時過ぎで、まだ娘さんしか起床していなく、「友人からことづかってきたものだ。手紙も入っているからファリヤールさんに渡してください」と、娘さんの写真を渡した証拠に撮ってきていたのです。
 いよいよ空港内に入るというタイミングでファリヤールさんからアハメドに電話が入り、
「やっと、連絡がつきました。朝からずっとどうしたものかと思案していたのです。浅川さんにも何かお土産をと考えていたのですけれど、くれぐれもよろしくお伝え下さい。では、ごきげんよう」
と今なお流暢な日本語で話してくれました。
ギリギリのセーフでした。

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さようなら。マーレ。
またいつかみんなに会えるだろうか・・。
by saitoru1960 | 2006-08-25 23:30 | 任地再訪の旅
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翌日はいい具合に太陽が出てくれました。
アッラーの神に感謝です。
ジェッティーの辺は変わりありません。
レストランは2階建てになり、その2階ではビリヤードや卓球サッカーゲームがあったり。
朝と夕方には毎日インド人によるヨガ教室もただであります。
前日の夕方我々4人はヨガに参加しました。
なかなか面白かったです。
ハットバーもありました。

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思い出のワードウー。
88年から水上コテージを作り始め、モルディブ水上コテージの草分け的なリゾートです。
隊員会議をして、みんなで水中集合記念写真を撮ったのはこの写真の左端くらいにある落ち込み。
魚影は健在でした。写真左手前と真ん中辺の灰色はギンガメアジの群れですよ。

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ハットバーでのんびりしていると、波打ち際で蛇のようなものが・・。
よく見ると白いうつぼでした。

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朝ごはん。
日本人好みのいい対応をスタッフはしてくれます。
ディべヒ語を話すと、返ってくる反応は以前ほどラッテヒっぽくはならないな、というところです。
ワードウーでは、インド人や、スリランカ人も多くて、ディベヒバスでしゃべっても、「わかりません」というような反応がよく返ってきました。
朝ごはんもおいしかったです。

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ギンガメアジの群れの中に突っ込んでいくわかばです。

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ハットバーでアイスクリームを食べ、水上コテージ側の砂浜で遊ぶの図。
いい天気でした。
ダイビングショップのマーレ側から落ち込み沿いにシュノーケリングしながらジェッティー入り口の方まで泳ぐことを何回も繰り返しました。
子供たちも今回の旅行で一番楽しかったことは?、という問いに「海で魚を見たこと」といいます。
連れて行った甲斐がありました。

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記念写真。モルディブらしいですね。

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面白い形のカニを発見。

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ワードウーはネットで連絡をとり予約しました。
 サンライズウイングはバスタブもあり文句なしです。
 ウエルカムフルーツ、そして夜には白ワインが一本ついて、昼ごはん2回、夜朝ともに1回食べて、4人で66000円くらいでした。
 写真は最後の昼ごはん。魚のフライです。ワラミール(めちゃうま)でした。
 ちなみに、最初の食事で「ドリンクはどうしますか?」と聞かれたとき、ベーベ(あんちゃんに)に「ドラフトある?」とたずねました。
 「イエス」と、ハイネケン生がやってきました。
 うーん!リゾート!

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これは私も初めての体験。
ダイビングショップ裏の落ち込みで海がめ発見!!
わかばと一緒に泳ぎながら見つけて、妻と光を大きな声で呼びました。
すると二人とも大急ぎで泳いできて、急ぎすぎた妻が過呼吸っぽい症状になっておぼれかけたため、ここから先の写真は撮れませんでした。
1人残ったわかばはこの後海がめを追いかけ、一緒に泳いだそうです。

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さんごは海水温度が高くてどこももうひとつきれいではありませんでしたが、魚影は濃いです。

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こんな群れの中に、すみませんね、と言いながら入っていきました。

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サンゴに隠れる小さな魚たち。

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これも珍しい貝、なおかつでかい!
足はそれぞれわかばと光の右足。

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コダックの水中カメラ(使い捨て)は三宮のカメラやさんで950円。
申し分なしです。

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自分達でウエディングドレスを持参し、タイマーでうしろ姿の記念写真を撮る日本人カップル。
うーん、酔いしれているねえ。

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光の水中Vサイン。
わざわざ子供用のシュノーケルセットを持っていったのに、結局最後は「こっちの方がラク」といってスイミングのゴーグルで息継ぎをしながら漂っていました。

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楽しかったワードウーからの帰り。
光はずっと後ろ向きでドーニの後ろから出てくる波を見ていました。
いるかを見たといっていました。

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わかばもずっと遠くを眺めていました。

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マーレに近づいてきました。
軍艦島よりも不気味といえば不気味です。

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マーレの北西付近からたまねぎを見た図。
高いビルが目立ちます。

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さっきよりもう少し空港よりの風景。
サリな建物が目につくでしょ。

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ワードウーから帰った夜ご飯はアハメドの家でガルディアをご馳走になる予定でした。
 7時に迎えに来るまでに時間があり、ふと日本から持ってきていた栗原仁隊員からのメールを確認すると、半ば見れるのをあきらめていた今の陸上クラブの練習時間が6時45分からスタートすることが判明。
 自分で勝手に6時5分と見間違え、やっぱり継続的な形にはなっていないんだな、と半ばあきらめていた陸上クラブのコーチたちに会う、最初の目的をもう一度だけ確認しようとトラックに向かいました。
 トラック前には場所を移動した体育館、各スポーツ団体の協会が入っている建物があり、そこの受付のおねえちゃんに、
「アスレティク協会のアリベはもういないか?」
とたずねると、もういない、とそっけなくいわれる。
 そこの建物の掲示板にあったのがこのポスター。
 なんと、マーレハーフマラソンが賞金レースになっていた。
優勝10000RF、2位5000RF,3位3000RFと読めるんだけど、1位90000円ってなに!?

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 浅川じー、これが新しい体育館です。
 2階建てです。

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体育館1階にはバスケコート1つとバドミントンコートが3面ありました。
 もちろん床はコンクリート打ちです。

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体育館での写真撮影を終えて、前のトラックへ。
 400m、8レーンのトラックがロープで作られています。
 砂場のピットもあるのですが、使いっぱなしでスパイクの穴ぼこだらけ。
 砂場も整地なしの状態でほったらかし。
 これは、電子メールにて向こうにいる連中に指摘する予定です。

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6時40分すぎ、むこうサイドで10人くらいの集団が固まってジョッグを始める。
 ひょっとすると、あれか、と胸が少しドキドキしだす。でも、こっちにきてカメラを向けると陸上クラブのようで、そうでないようで・・・。
 でも、ご覧のとおりトラックには照明がついているのです。

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400mのトラックを2周ジョッグした。
150mの流しを3本走った。
でも声をかけてくるものは一人もいなかった。

そうこうしていると、手にバインダーを持ったコーチらしい人が登場。
でも、サッカーのコーチワッタル(似ている)で、
「陸上チームはこれから練習するだろうか」
と、勇気を出してたずねてみた。
すると、私が陸上のコーチだ、と返事がくるではありませんか。
まったく知らない顔。どこで陸上をしていたのだ、と聞くこともできず、
「俺は88年から陸上を教えていた日本人だ。だれかシニアの奴で来る奴はいないか。アーミルとか、ハーニムとか」
とたずねた。
すると、
「22日からスリランカでのSAF(南アジア)ゲームに出かけている。会長のアリベもだ」と、返ってくる。
じゃあ仕方ない、とここで再会できないことに対しての自分の中での理由付けができた。

だから会えなくてもしかたなかったんだ、と自分自身に言い聞かせながら、お土産に持ってきていたラダーをコーチに渡し、トラックに来た証拠にと、その時間にやってきていたジュニアの女子選手たちと写真を撮って、納得させようと懸命になっていった。

「リバりンが来てるはずだけど見えないなあ」
と、コーチが言ってくれたのだけれど、すでに私の心は会えないことに対する心決めをしている状態だったので、
「時間がないから、もう行かないと。みんなによろしく言っといて。俺の名前はサイトーだから」
と、伝えた。
久しぶりに走って、少し右のアキレス腱が痛んでいたけれど、セントラルホテルに7時に迎えに来るアハメドを待たせないようにとジョッグで帰路に着いた。
アキレス腱の痛みが、自分の心の痛みのような気もしたが、仕方がない。
SAFゲームに彼らは行ってしまったのだから、と幾度となく言い続けた。

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モルディブの陸上競技場に来た証拠写真。
 ジュニアの女子2人と写真に納まる。
 この子たちには持っていった三田ハーフマラソンの記念Tシャツをあげた。

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アハメドの家でガルディアをご馳走になりました。
アハメドは現在スリランカに住んでいて、このときはたまたま学校の休みに合わせてマーレに帰ってきていました。
妹夫婦の家で、子供たちもまだ小学校に入ったばかりの年齢。
久しぶりのガルディアは若い奥さんが作ってくれたため、ちょっとおしゃれな感じでしたがおいしかったです。

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なんと、いまはやりはベーブレード。
「日本でも人気があるのか?」と聞かれて、2,3年前かなあ、と答えました。
子供たちは学校にまで持ってきて勝負をし、これで怪我をした生徒が出たため。学校には持ち込み禁止になったとアハメドは言ってました。
日本代表で勝負する光。
でも、中国産のベーブレードワッタルです。
ちなみに光はマーレで中国産のベーブレードを2個買いました。

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この写真を撮る前にかかってきたのがフセインからの電話。
アハメドの弟にかかってきました。
弟が、「ほれコーチフセインからだ」と私に渡してくれました。
びっくりでした。

「陸上のコーチから、さっきサイトーというのが来てた。急い帰っていった」ということだけが、私が帰った少し後にやってきたリバリンに伝わり、そこから大騒ぎになったみたいです。
フセイン、リバリン、フアードはすぐさまフルレに行き、乗客名簿で調べ、そこに私の名前がないとわかると、この日リゾートからフルレにやってきた名簿を調べ、ワードウーから私たちが空港へとドーニでやってきたことまで調べ上げていたのです。

でも、搭乗者名簿には名前がない、ということで、ひょっとするとJOCVで働いていたアハメドなら知っているのではないか、というところに行き着いたということでした。
幸せの携帯電話でした。
「9時にセントラルホテルに戻るから、そこで会おう」と話はまとまりました。

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アハメドに会えるかどうかってことも不確定でした。
でも、会えたときのためにとポケモンのジグソーパズルを持ってきていたのですが、渡すことができてよかったです。
でも、光は自分で作りたくて、ちょっと残念がっていました。
この写真の後、アハメドの家を出てセントラルホテル前で運命の再会を果たしました。
by saitoru1960 | 2006-08-24 23:04 | 任地再訪の旅
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この写真はヘンベールのソフトボールをよくやっていた場所。
 今はフェンスで仕切り、なんと芝生まで敷いていて勝手に入る ことはできません。
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朝のヘンベールパーク北から南を見る。
この場所に至るまでのマリンドライブ北側はかなり東側に拡張していましたが、このあたりからは元のままのスペースです。

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いつも自転車をとめていた場所。
このあたりだけは元の姿でしみじみと帰ってきた、という実感が湧いてきました。
しばらく、ここで周りを眺めていました。

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ウオーミングアップをし、ストレッチ、流し、周回のゴール、練習しめくくりの「1・2・3、パパパンパン」すべてここでの思い出です。

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ヘンベールの南東角、あたりには昔日本の援助で大成建設さんが護岸工事をしていました。
2004年の津波でこの防波堤は役に立った、というような記事が新聞にも載りました。
毎日新聞の記者がその時たまたま休暇でマーレに訪問していて、避難所でボランティアをしていた人へのインタビューを試み、
「日本の援助で作られた護岸の防波堤のおかげでこれだけの被害ですんだ。日本には感謝している」というモルディブ人の声、として載せました。
インタビューされたのは、フセインハリーム氏。
そう、マラソンのクダフセインです。
そのメモリアルとして、こんなものが置いてありました。

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周囲は埋めててと共に拡張していますが、今も護岸のテトラは健在でした。

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朝の散歩を終えてホテルに戻りました。
1泊1部屋92$の部屋はこんな感じです。
1シングルベッド、1ダブルベッド。
私はベッドカバーを床に敷き、寝ていました。
スリランカの夜を思い出しますねえ。

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ワードウーへの道は山あり谷ありでした。
アハメドに連絡していたので、取ってくれてるかな、と思いながらも確認の連絡はなし。
取れていないことがわかったのは出発の5日ほど前で、そこからメールでワードウーに部屋が取れるかどうかの連絡を入れました。

うまい具合に水上コテージ含め3種類の部屋が全て空いているからどれでもどうぞ、と返事がきてとりあえず宿泊は可能になりました。

ちなみに、トリプル・1部屋フルボードで
サンライズウイング:292ドル
ビーチコテージ:399ドル
水上コテージ:580ドル
という料金(元JOCVということを書いていたら特別料金ですということでした)で、私たちはサンライズウイングに大人二人、子供二人の泊まることで、335ドルとなりました。
335ドル*120円として40200円。
4人で割ったら一人10000円です。
ご飯もついて安いものです。

はたまたこのワードウーからの連絡で島までの交通手段は往復一人50ドルです、どうしますか?と聞かれました。
1人6000円と考えると馬鹿らしいので、昔のようにジェッティーでその辺に止まっているドーニのおっちゃんに交渉しようと断っていました。

で、この日の朝。
散歩をしてナサンドラジェッティーあたりを歩いてみると昔のようにドーニが暇そうにしている光景が見られないのです。
上手に整理され、どうでもいいようなドーニがいないのです。
正直、困りました。
散歩からホテルに帰る途中で雨がひどくなり、フライデーモスクあたりの民家の軒下で雨宿りをしました。
同じように雨がやむのを待っていたディベヒンといろいろ話す中で、今はそんなドーニはないからアイランドトランスファーに訪ねるのが早い、そこで、いろんなリゾートに行く船をまとめているから、ということが判明しました。
ホテルに戻りレスプションの兄ちゃんにその旨話調べてもらうと、「ホテルからは自分で手配するということだったので、もし必要ならば本人から直接連絡してもらうように、ということだった。午後2時に空港までワードウーからのドーニが来るのでそれに乗ることになる」とのこと。
少しでも早く行きたかったので、アハメドに連絡すると、「ちょっと待っといていろいろ探ってみるから」と、心強い返事。
結局は、アハメドの人脈から昨日ビリンギリに行く時に行った南西のジェッティーから片道600RF(5400円:1隻)でいけることになりました。
自分がいけないからと、友達をホテルまでよこしてくれ、ジェッティーまでの誘導と、ドーニのベーベへの最終確認などまでしてくれました。
時々飛び魚が飛んでいく様を声を出しながら眺めながら、午前11時、小雨の中ドーニはワードウーに到着しました。

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ワードウーからマーレ島を眺めるの図。
以前にもましてマーレだけが異様な風景です。
by saitoru1960 | 2006-08-23 23:53 | 任地再訪の旅
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バンギを聞きながらうつらうつらするだけで、よく眠れない夜が明けました。
時差があるのでよく寝ていない子供たちも6時過ぎには起きてきましたが、「ちょっと散歩してくるから」と1人カメラを持って外に出ました。
昨夜、タクシーでホテルに着いた時、ここは自分が住んでいた家の近くじゃないか、と感じていたのです。
いくら16年前といえ2年近く住んでいた家なので覚えているかと思いきや、いかんせん島全体の高さが増しているので、なかなか昔の風景に結びつかないのです。
ここはマジリマグとチャンダニーマグの交差点を南から北に見た図です。
6時半すぎのマーレは以前のような登校する生徒達がメインです。

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今は、ウォーターサプライが蛇口から出るきれいな水を供給しているので、雨水とかを集めなくていいんだよ、でも金を払わないといけないけど、とマリアンが言っていました。
でも、昔のようにモスクにもらいに来る人もいるのでした。

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マジリマグ中心あたりで東を眺めた図。
ガロルの照明灯が目印。
ガロル北側にあったスリランカ人経営の散髪屋やホタアはもうありませんでした。
オリンピアの映画館は健在。

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ガロルはしまっていて、すき間からカメラだけ突っ込んで撮りました。
でも、「最近はあまりサッカーも使っていない」とアハメドがゆうていました。

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ガロルの東側浅川じーの家に入っていくところの角にあったサリなスーパー。
面影なし。

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浅川じーが毎日見ていた家の前の風景。
(ガロルスタジアム東側の道を北向いて)

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元君!うれしい写真ですよ!
バレボール協会杯優勝チームの看板がドドンと飾ってあったよ。

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イスドウーです。
3階建てになっていました。
ジャンブロールもできかけていました。
アリマニクさんが今も住んでいるということです。
ここでの焚き火は懐かしいですね。

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ナサンドラからみたナサンドラジェッティー。朝は静かです。

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ナサンドラホテル。懐かしいでしょ。
壁のデコレーションは変っていません。
でもビールは飲めないそうです。

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ナサンドラホテル前で東を向いた図。
この写真の左奥に、なんと、プレイランドができているのです。フォーキッズ。
時間がなくてやっている時に覗けませんでしたが、覗いてみたいですねえ。

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ナサンドラホテル前で西を向いた図。
この辺の道路は常に凸凹だったのにねえ。

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ナサンドラの横にあったマーレの看板。
南北はさかさまになっています。
上の方の緑色の部分にトラックが書かれてあるのが見えるでしょ。
運動施設はほとんどそのあたりに移っているのです。
この写真でトラックの左に体育館があり、サッカー場、バレーコート、バスケットコートなんかが集中してあります。
元のインドアにあったテニスコートだけがそのままの場所に残っていました。
うなずける所です。

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名前がうまく写っていないのが悔しいのですが、「クイーンオブザナイト」です。
場所はあのまま。
中には入りませんでした。
もちろん、ナンバルディハエには会えませんでした。
ビリヤーニもうまかったよね。

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これも懐かしい場所。インド銀行。
アハメドの兄ちゃんが今も働いているかどうか聞くのを忘れました。
手書きの貯金通帳だったもんねえ。
よっぽど信用されていないと任されない仕事ですよねえ。

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写真の順番どうりに歩いているのですが、どんな順序で歩いているかわかりますね。
さて、ここはどこでしょう?
マラソンのゴール地点といえば、そう、オリンピックコミティー前です。
建物も変らず、ザーヒルもチアマンのままということです。
2階の部屋で今も何かしているのでしょうね。

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オリンピックコミティー前を西に歩いていくと、ここは・・・。
そう、われわれにとっての2軒目のホステル「ヒティガシュドシュゲアーゲ」です。
どこかのエージェントのオフィスになっていました。
ここでの一番の思い出は「畑本拓・夜半マーレ連れまわし事件」ですね。
三ノ宮で3軒もの居酒屋のオーナーになっている畑本拓実(芸名)の店を訪ねると、いついってもやはりあの話題をさりげなく入れてしまいますね。
ね、原田くん、小川くん。

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ムンドウのベーベは数が少なくなりましたが、早朝はノンビリ歩いていました。

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セントラルホテル近くのホタア。
ヘディカは聞いていたとおり、ガラスケースの中にあるのを指差して注文し、まとめて受け取るというシステムになっていました。
右上に見えますね、赤いグルグル。健在です。
グラは変らずですが、バジヤは行った店どこも大きさが小さくなっている気がしました。

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見て下さい。
ガラスのカップではないのです。
ちょっと寂しかったですね。
グラもバジヤも子供たちは辛いといってあまり食べませんでした。
私の飲んだのははりこんでキルサです。

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変りません。
食べたらホーッコリです。
石灰、葉っぱ、ホー、カランフの4点セット。
石灰と葉っぱはやりませんでしたが、久しぶりに生のを食べたので外に出るとクラっときました。
子供たちもこわごわ手を伸ばしていましたが、ちょっとかじって「木みたい」という反応でした。
道端の赤いはかれたつばの後はコンクリート舗装路になっても見かけます。
見かける頻度はマスマーケット方面に行くほど高くなりました。

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JOCVオフィスです。セントラルホテルから5分くらいのところでわかりやすかったです。
でも、入口にセキュリティーがいて、入るには許可証が必要、隊員の知人であろうと許可書をもらった上でないと入れない、という厳重なものになっていました。

セキュリティーの子に、「ウムルキハワラカ?」
とたずね、18歳というのがわかると、俺は16年前にJOCVだったんだ、そんとき君は2歳だなあ、とたわいもない話をしていました。
「マりアンいる?」と聞くと、その子がうしろを指差すので、エッとみると、小さなモスクからマリヤンが出てくるのです。
「マリヤンンン!」というと、
「アーーー」というよな反応で、驚いていました。
ボドウミハに会いたいんだけど、とお土産にと持ってきた水羊羹を手に話すと、ちょっと待っといて聞いてくるから、と上がっていきました。
しばらくすると、ミーティングがあって忙しいから無理みたい、とマりアン。
しゃあないか、じゃあこれマりアンから渡しといて、で、ドンナンマシーン使いたいんだけど・・、と話すと、「クダコマルクレ」と再びオフィスへ。
またまた降りてくると、ほんじゃ私の家に行って洗濯したらいい、と12時まで休みをとり私たちを連れて行ってくれたのです。
道々、今の調整員の悪口を聞かされ、今はあまりホステルに隊員も寄り付かない昔はヨカッタと嘆いていました。

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マリヤンの家は新しい場所になっていて旧中央病院の南側になっていました。
親戚で一つの区画を割ったようで、「コタリワラクダド」と言っていました。
でも、昼飯にとヌードルスの用意を近所の店から仕入れてくれました。
ミハール、アディベスバンドウワラボドウでした。
でもマりアン曰く、「ウマーメ、ミハールワラファラ」

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奥にこそっと見えるのがマりアン。
でも、昔ほど写真に撮られることを拒んではいませんでした。
「ミールヌーン」といいながらヌードルスを完成させ、出してくれましたが、モルディブ人のくせ、最初に卑下しておく、というやつで、美味しかったです。
最初に袋に麺がはいったまま、手の平でバンバン叩いて砕くのは変らずです。
ビデオを持って行っていたのですが、マりアンがヌードルスを作る手順をずっと撮っていたのが一番時間が長くなってしまいました。

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セントラルホテル9階からみたマーレ。
高層化はとどまるところを知らず。

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ホテルからビリンギリ行きのドーニが出る南西のジェッティーまで歩いて移動。
途中、3Rとうたったゴミ処理場に出くわす。
おっ、と思って子供たちにすごいなあ、と話すと、
「でも、おとうさん、ここの人ってなんでこんなにポイポイ道にゴミ捨てるん?」
と怒っていました。
ゴミ処理場を作るのもええけど、ゴミを捨てないように教えなあかんわ。
まったく。

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ここのゴミの中から何かを持っていく人もいるのです。
スモーキーマウンテンのようですが、これもリユースなのかもしれません。

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ジェッティーに着くまでに、ナサンドラの看板にあった陸上トラックの場所を通ります。
400m8レーン、細いロープでコースを作っていました。
施設だけは進歩です。

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さっきの写真の近景。
右に見えるのが体育館。
これも立派です。
この写真は南から北を見ています。

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少し行くとバレーボールコートもあり、女子学生ワッタルがアップをしているのです。
コートの周りをランニングですよ。
のそのそではありましたが、何か特別なことをやっている、という風でもなく、ごく自然にアップをしているという光景。
スポーツ人口の増したことが実感できた瞬間でした。

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南西にあるジェッティーでビリンギリ行きドーニのチケットを買う。
片道3RF。
結構本数はあります。(15分おき)

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ビリンギリ到着。
船着場周辺はよその島に行った時のような雰囲気。
マーレの雑踏はなく、住むならこっちのほうがいいですね。

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向こうがマーレです。
近所の若者達が遊びに来ていて、ボディーボードやバレーをしたりしていました。
女の子もやってきて男の子と一緒にボディーボードの練習をしたりして楽しそうでした。
光もしばらくしてそのうちの1人の少年と石投げなどして遊び始めました。
白い小さなカニがワサワサ走り回っていました。
この後ろ側には、リゾート島時代に使っていたコテージがそのまま残っていました。
実は協力隊にいく前、一度モルディブに遊びに来ていたとき宿泊したのがこのビリンギリだったのです。
朽ちたコテージは遠く20年前までタイムスリップしました。

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ビリンギリから帰り、再びトラックへ。
6時前だったので、陸上の練習時間のはずでした。
ジュニアの子達がちょうど練習を終えて帰るようなタイミングでした。
終わりかけで何をしていたのかはわかりませんでしたが、陸上競技の子達だなという雰囲気は少しあったのです。
でも、6時5分からやっていると聞いていたシニアの連中の練習には誰も来ませんでした。
ここでもう誰にも会えないかもしれないな、という気持ちになりました。
到着後、陸上クラブの昔の選手にはまだ1人も会えていませんでした。

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近づくとミニハードルを持っていました。
左にいるのがコーチなのでしょう。
声をかけることができませんでした。

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トラックからホテルに帰る時、近くにいた少年達が声をかけてきました。
1人は好意的な態度で光に近づき握手を求めてきました。
光も光で物怖じすることなく、少し戸惑ってはいましたがしっかり握手をしていました。

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ジョギングしている写真を撮ろうとした私を見て、そのうちの1人が白人に対して少しからかうように「ドンベ」と言う言葉を投げかけたのはわかる気がしますね。
どうみてもディベヒンはクリ(黒い)です。
by saitoru1960 | 2006-08-22 13:53 | 任地再訪の旅
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カーキー朝の風景。
朝は朝でいいものです。

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罰金の国シンガポールでは乗ってはいけないところで自転車に乗っても、72000円の罰金です。

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面白椅子とテーブル。

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1日だけのシンガポールは動物園で遊びました。
ホテルからタクシーで930円。安いものです。
子供たちは日本の檻に入っている動物園と違うので楽しんで写真をバチバチ撮っていました。

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珍しいコビトカバ。

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象が描いた絵画が売店で売られています。

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象のショーは昔労働力として働いていた部分を存分に見せてくれました。

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象に乗ることもできます。
さっきショーをしていた象がそこからのっしのっしとやってきました。

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象の背中は結構温かい、というのがわかばの感想。

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ブキスストリートで買い物。
堀出し物探し中。
光は結局チェスセットを購入。

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ここでいろいろ面白いものを購入する計画だったのに目移りばかりして、なかなか買うことのできない妻。

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学生達の様子はこんな感じです。

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わかばが買ったのはキーホルダーなど友達へのおみやげがメインでした。
1日だけのシンガポールでしたが子供たちには楽しい1日でした。
ノボテルからチャンギ空港までタクシーで1200円。
空港で久しぶりにラーメンを食べました。
さすがに回りは日本人ばかりでした。
いざ、マーレへ。

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アデラと違ってマーレは空港に到着したところから懐かしい場所です。
飛行機が近づくにつれて心臓がドキドキしていました。
誰か来てくれているか、それとも誰も来ていないか・・。
出迎えはセントラルホテルの男一人だけでした。
寂しかったのは確かです。

持ち物も検査はあけられることもなくX線のみです。
空港はとても大きく綺麗になっていました。

マーレからドーニでマーレへ。
ナサンドラジェッティーに着くといいながらも自分の思っている場所よりもだいぶ中心に寄った場所に到着。
ナサンドラの東側が広がっているのでした。
目の前には懐かしのナサンドラのエントランス。
でも、ついた途端マリンドライブを走る車とバイクの多さに圧倒されていました。
まるで、チビくろサンボの虎のようだと感じました。
なんでこんなにざわついているのかと。
群集の力はいいほうにも悪いほうにもまとまることができそうなエネルギーを発していました。
by saitoru1960 | 2006-08-21 23:16 | 任地再訪の旅
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8月20日(4日目)
いよいよコタティンギともお別れです。
ルビーさんは朝からミーフンゴーレンを作ってくれました。

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台所の横にあったこの中には鯉が泳いでいました。
水道がなかった頃はここに水をためていたのかもしれません。

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これも珍しい花でした。
ルビーさんは小学校を退職し、悠々自適の生活に入ったそうです。
家は大きな幹線道路沿いにあり、そこに新しくレストランを作っていました。
もうすぐ完成して、どんな風に成り立っていくのか楽しみです。
果物もたくさん採れるし、おしゃべりなルビーさんなのできっといいレストランになると思います。

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コタティンギからジョホールバルまでは高速バスに乗りました。
家からバスステーションまで、義理の息子さんとルビーさんが送ってくれ、バスを探すところまでしてもらいました。
大人3.2リンギ(96円)、子供1.6リンギ(48円)、1時間バスに乗っての距離なのにこの値段です。
ジョホールバルでバスを乗り換え、クイーンストリート行きのバスに。これまた1.8リンギ(54円)
とにかく、ここまで使ったお金は初日のセレサホテルの支払いこみでも日本円で1万円ちょっと。
やはり将来はマレーシアで生活しようかな。
さようなら、コタティンギ。

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マレーシアのコタティンギからジョホールバルまで行き、そこからシンガポールまでは、これまた路線バスです。
クイーンストリート行きのバスに乗り、今度は簡単にバスの乗換えがすみました。
ウッドランズから乗り換えたバスの運転手さんはチャイニーズ。
乗ってくる人達に、「ゴッドモーニング!」などと丁寧に声をかけ、感じのいい運転手さんでした。
人が少しまばらになったバスの車内で、乗降用のバックミラーを見ながら、「どこのホテルに行くんですか?」とたずねられたので、「ノボテル・クラークキーです」というと、「オーケー」といい少し考えたいました。
しばらくして、バス停で停まった時、
クイーンストリートまで行かなくて、リトルインディアで降りて地下鉄に乗ったほうが近いよ」と感じの良い運転手さんは教えてくれるのです。
「到着したら教えてあげるから」
と言われ、わたしは「サンキュー」と返し、地球の歩き方を開きました。
確かにその方が距離的にも、金銭的にも助かりそうでした。
バス停はちょうど地下鉄リトルインディアのまん前。
エスカレーターもあって、便利なことのこの上なしでした。
今回の旅で一番親切な運転手さんでした。

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地下鉄の中はこんな感じです。あまり日本と変わりません。

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これより背の低い子供はタダの看板。

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ノボテルクラークキーにはちょうど12時に到着し、そのままチェックインできました。
荷物を置き、妻が調べていたチャイナタウンにある中国茶楼(Teahouse)へタクシーで向かいました。
ワゴンを押して店内を回ってくるという、テレビなんかでよく見るスタイルの店で、料金が4種類位に分けられ、伝票にはそれぞれの料金の場所にスタンプが押されてレジでわかりやすくなっていました。
入り口にはバイキングでの料金だけが出ているので、どうなのかな、と思っていましたが、食べた分だけでOK。15:00~17:00が点心ビュッフェになっているそうです。
お決まりの小籠包もおいしかったけれど、エビシューマイやえび餃子もおいしかったです。

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アラブストリートで買い物

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地下鉄の中に書いてあるのは、英語、マレー語、広東語、ヒンディー語。

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クラークキーのことを向こうの人達は「カーキー」と呼んでいました。
カーキーは神戸のハーバーランド風で、上手に作っていました。
何年か前に訪れたときもあったのですが、その時より品がよくなった気がしました。

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ノボテルは旧ニューオータニをの名前が変わったものなので、日本人のコンソルジュの方がいました。
ホテルの中もきれいで(当たり前)、安心できました。
プールは1つ。それも深さが段階的に深くなり、最も深いところは3.3m。子供たちは結局最深部に足は届きませんでした。
でも、二人とも足が届かないところでも泳いでいけるようになっていました。

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ノボテルクラークキーに宿泊している人にはリバーナイトクルーズのフリーチケットがもらえる、という情報を妻が入手していて、コンソルジュの方に聞いてみると「ございます」と4人分くれました。
日本円で1000円弱の値段でした。
これは口コミ情報ですね。
夕方クラークキーのインドネシア料理店でご飯を食べた後、いざ出発。
ボートの船頭さんもなれたもので、観光客喜ばせ技を駆使してサービスしてくれました。

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マーライオン夜景。
初めて見たマーライオンはもういません。
2代目はセントサ島で巨大になっています。
これは3代目となるものでしょう。
初代は、運がよければ水を口から出しているところに出くわす、というふれこみでしたが、3代目は出し続けていました。
初代の後ろにはミニチュア版のようなのがちょこんと立っていたのですがあれはいずこに・・。
by saitoru1960 | 2006-08-20 23:02 | 任地再訪の旅

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960