バラーバルな日々:映画
2024-02-28T10:57:08+09:00
saitoru1960
心動かされたことを忘れぬよう
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セブン・イヤーズ・イン・チベット
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2024-02-28T10:50:00+09:00
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saitoru1960
映画
チベット人秘書官の名前は、ンガワン・ジグメ。
ブータン人の名前と全く同じということは、由来としてはチベット仏教からきていることになるのか。
1939年秋、ナチス統制下のオーストリア。
有名な登山家ハインリヒ・ハラー(ブラッド・ピット)は世界最高峰の制覇を目指し、ヒマラヤ山脈の最高峰、ナンガ・パルバットを目指して旅立った。
だが、第二次世界大戦の勃発により、イギリス植民地のインドで捕らえられ、戦犯の捕虜収容所に送られイギリス軍の捕虜となってしまう―。
収容所での生活も2年を超えた1942年9月。
同じく捕虜となった登山仲間とともに収容所を脱出し、そこからヒマラヤ山脈を越える決死の脱出。
幾多の危機を乗り越え辿り着いたのは外国人にとって禁断の地であるチベットだった。
そして、ハラーは若き宗教指導者ダライ・ラマと出会うことに・・・。
本作品は、実在したオーストリアの世界的登山家ハインリヒ・ハラーの原作を映画化したストーリー。
ダライラマ
「私は一介の比丘です」
びく【比丘】仏教
所定の戒を受けて仏門に入った男子修行者。転じて一般に、僧。
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内田樹が語る『福田村事件』
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2023-11-20T13:25:00+09:00
2023-11-20T13:25:33+09:00
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saitoru1960
映画
日本映画史の新たな扉を開いた歴史エンターテインメント
11/17(金)
関東大震災時に起きた虐殺事件を描いた映画『福田村事件』が公開中である。私は、この映画のクラウドファンディングに参加しており、本作を応援する者として、この映画を1人でも多くの人に観てもらいたいと思う。
本作はオウム真理教を描いた『A』『A2』、『FAKE』など良質なドキュメンタリー作品を数多く手掛けてきた森達也監督の初の商業劇映画である。私がクラウドファンディングに出資しようと思ったのは、扱いの難しい題材をエンターテイメント作品として撮ろうという森監督の野心を多としたからである。
歴史の暗部に光を当てる
福田村事件とは、1923年9月1日に発生した関東大地震の5日後、千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた被差別部落出身の行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺された事件のことである。行商団は讃岐弁で話していたことで朝鮮人ではないかと疑われ殺害された。自警団員8人が逮捕されたが、逮捕者は大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された。
この映画は朝鮮人差別、部落差別という日本歴史の暗部を前景化する。同じ題材を扱ったドキュメンタリーや劇映画はこれまでいくつもあったけれども、商業映画として製作され、かつ商業的に成功したという例を私は知らない。
製作費をクラウドファンディングで募るほどであるから、ギャラは決して高くはなかっただろうが、それにもかかわらず、井浦新、田中麗奈、永山瑛太、柄本明、ピエール瀧、水道橋博士、東出昌大といった俳優たちが参加して、監督と脚本家の構想に命を吹き込んだ。それは俳優たちにも、「こういう映画」が日本でも撮られるべきだという思いがあったからだと思う。
「こういう映画」とはどういう映画か。それは単に自国の歴史の暗部を明るみに引き出す映画ということではない。いくら政治的に正しい意図で制作されても、それが単なる単純な善悪二元論で描かれるなら、商業的成功は望めない。
エンターテインメントとして成功するためには、出てくるすべての人物が単なる「記号」ではなく、一人ひとりに奥行きと厚みがなければならない。この世には単純な善人もいないし、単純な悪人もいない。すべての登場人物が卑しいところも弱いところも抱えており、その一方では勇気や善意も持つ、複雑な存在である。そういう人たちが、たまたまある時、ある場所で、思いもかけない出来事に遭遇して、思いもかけない役割を果たす……という「運命の不可思議」を感じさせないと、観客は映画を観て「感動する」ということは起こらない。実際に私たちの現実はそのように編み上げられているからだ。
近年、韓国の映画やドラマは自国の歴史の暗部を掘り起こす作品を次々に送り出している。李氏朝鮮末期、植民地時代、軍事独裁時代を舞台に、さまざまな人物が歴史的舞台のうちに登場する。もちろん日本人も出てくるけれども、それはステレオタイプ化された「悪人」ではなく、しばしば重層的で深みのある複雑な人物として描かれている。それは、もう単純な「自民族中心主義史観」で制作された作品はエンターテインメントとして成立し難いところまで韓国の観客の鑑賞眼は成熟しているということを意味している。
日本ではそのような作品が作られないことを私は久しく残念に思っていた。だから、『福田村事件』の企画を聞いた時に、遂に日本でも歴史の暗部を掘り起こしながら、それをエンターテインメントに仕立てることのできる作品ができるかも知れないと思った。そして、実際に映画を観て、本作が日本映画史に新しい扉を開いた一作になったと感じた。
あるいは公開に際して、政治家からの介入があったり、上映妨害運動があったりするかと思ったけれども、それもなかった。この映画が描く事実そのものを否定する歴史修正主義者が大手を振っている今の日本社会で、この映画が無事に上映され、商業的成功を収め、映画として高い評価を受けているという事実は大きい。それは、これからもこうした作品を作ることが可能になったと続く人々を勇気づけるからだ。
「遊行の民を迫害する定住民」という構図
この物語を深みのあるものにしているのは、これが定住民と旅する遊行の民の間の分断の物語でもあるからだ。
福田村の村人は定住民であり、村から出ず、村の内側しか知らず、そのローカルなものの見方に束縛されている。一方、行商人たちは日本中を旅する遊行の民(ノマド)である。彼らは「村の外」にはそれとは違う社会があることを知っている。
そしてこの二つの集団の中間に、村に定住しきれない人たちがいる。半ば定住し、半ば旅する人である。船頭・田中倉蔵(東出昌大)、朝鮮帰りの澤田智一(井浦新)、その妻・静子(田中麗奈)、村長・田向龍一(豊原功補)の4人がそれにあたる。彼らは全員それぞれの理由で村の共同体から「浮いて」いる。
定住民が遊行する人を差別し、迫害し、排除するということは、これまでも繰り返し行われてきた。それは定住民から見て、遊行の人々が「異物」だからである。「異物」は嫌悪の対象であると同時に激しく欲望をかきたてる対象でもある。行商する人々はその「異物」性をある種の商品として売ってもいる。そういう意味では危険な仕事である。
福田村の物語は、定住民の遊行の民に対する違和感がある限度を超えて、殺意に変わる一瞬を劇的クライマックスとする。その時、半定住・半遊行の4人が、「間に入って」惨劇を阻止しようとする。
この4人がそうするのは、とりわけ正義感が強いとか、常識的であるということではない。村人が行商人に向ける殺意は潜在的に自分たちにも向かっていると感じたからである。これを看過すれば、いずれこの暴力は自分たちにも向かうかも知れない。そう感じたからである。自分たちは今のところは「浮いている」だけだけれど、いつ、どういう理由で村人から「異物」認定されて、排除されるか分からないということに気づいているからである。
この4人の中でも東出昌大演じる船頭がきわだって「中間性」が高い。彼は一応村に居を構えているものの、村外れに住んでおり、村人との交わりから微妙に遠ざけられている。それは彼が川の上を仕事場とする「海民」だからである。
海民、山人、商人、遊女、ばくち打ち、修験、勧進聖、大工、鍛冶といった職業の人たちは網野善彦によれば「無縁の人」である。この世の秩序に「まつろわぬ」人たちである。
だから、川を住まいとする船頭と街道を住まいとする行商人は「無縁」という点では同類なのである。
船頭が独特の性的魅力を放つという設定も、彼が「海民」であるという設定を知れば理解に難くない。それは彼の個人的魅力というより、船頭という職能がもたらす「ここ」と「こことは違う場所」を架橋する「ただものではない」たたずまいから発するものだ。だから、女たちは「ここではない場所」を望むときに、こういうタイプの「無縁の男」に激しく惹きつけられる。
だから(絶対に無理だとは思うけれど)、東出昌大が登場する場面のBGMに「船頭小唄」が流れていれば……と私は思った。「おれは河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき」という野口雨情作詞・中山晋平作曲の「船頭小唄」は福田村の近く、水郷の古謡を採譜した曲である。
朝鮮帰りの澤田夫妻は、インテリであり「ここではない外の世界」を知っている。だから、服装も言葉づかいも村から「浮いて」いる。静子が情事の相手に選ぶのが船頭であるのは、彼もまた「ここ」に本当には根付くことができない「無縁の人」だからである。
映画について「セックスが過剰だ」という評言が多いと聞いたけれど、これは作り手の作為だろうと思う。閉じられた村落共同体では、村人たちの関心事は「セックスだけ」ということがしばしばおこる。誰と誰が通じているということばかりに関心が集まることそのものが村の閉鎖性を表象している。
「無縁の人」「浮いている人」の側に美男美女が多く、定住民の側が造形的には醜く描かれていたのは、現実にそうであるということではない。定住民には性的魅力がなく、遊行の民は誘惑的に「見える」という幻想を投影しているのである。そして、それがまた定住民たちの遊行の民への憎悪をかき立てもする。
無警察状態では誰もが加害者になりうる
この映画を観て、若い人は「自分はこんな状況になっても虐殺には加担しない」と思うかもしれないが、それは分からない。誰でも虐殺の加害者になり得る。60~70年代の学園紛争を経験した世代として証言するけれども、ふだんおとなしそうな学生がいきなり節度のない暴力をふるうということは「よくあった」。
実際に、外から見ると区別もつかないようなわずかな政治綱領の違いから、違う党派の学生同士が殺し合いを演じた。鉄パイプで人の頭を殴って、頭蓋骨を割るというようなことを、さしたる心理的抵抗なしにできる人がいるということを私はその時に知った。
ある人が、「何をしても罰されない」という環境に置かれたときに、どこまで非人間的になれるか、それは平時にはなかなか分からない。だから、できるだけ「何をしても罰されない」状況を作り出さないように私は今も個人的に努力している。
本作で一点、違和感を覚えたのは、虐殺の火蓋を切ったのが女性だったことである。これは意外性を狙った脚本家の工夫なのかも知れないが、いささか無理があると思った。というのは、私が知る限り、「何をしても罰されない」状況で、いきなり人を傷つけたり、必要もなく物を壊したりするのは、つねに男性だったからである。
女性にももちろん暴力性はある。けれども、それは多くの場合「よく知っている人間」に向かう。女性の暴力は相手に対する強い感情が絡む。女性が「行きずりの人」に対して「殺すのは誰でもよかった」というタイプの殺意を向けたという殺人事件はあまり多くはない。
私たちが内蔵している潜在的な暴力性を抑制するために必要なのは「感情教育」だと私は思っている。感情が深く、豊かで、複雑になれば、怒りや憎しみや屈辱感のような「負の感情」に流されて、感情を制御できなくなるということは起こらない。起こらないとまでは言えないけれども、少なくとも起こりにくくはなる。
感情を豊かにするために私たちは「想像的に他人の身になってみる」ということをする。物語がそのための装置である。小説を読み、映画や演劇を観たり、落語を聞いたりすることはすべて「感情教育」に資する営みである。暴力をふるう側にも、振るわれる側にも、想像的に身を置くことで、人は暴力を制御する装置を内面化してゆく。本作もまたそのような「感情教育」のすぐれた機会となると私は思う。
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大学の先生が教えてくれたインド映画
http://saitoru.exblog.jp/33302391/
2023-08-06T00:33:00+09:00
2023-08-06T00:33:55+09:00
2023-08-06T00:33:55+09:00
saitoru1960
映画
この映画の中に出てくるミヤゲという女性が現代の日本人女性とは思えない。
2010年公開の映画。
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35年ぶり映画「海の沈黙」
http://saitoru.exblog.jp/33024950/
2023-04-26T04:46:00+09:00
2023-04-27T16:04:23+09:00
2023-04-26T14:46:43+09:00
saitoru1960
映画
構想30年超、88歳巨匠の新作は主演・本木雅弘&ヒロイン・小泉今日子
4/26
89歳となる来年に新作の映画が公開予定の倉本氏。まさに生涯現役だ
サンケイスポーツで自伝エッセー「破れ星、燃えた」を連載した脚本家、倉本聰氏(88)の新作「海の沈黙」が映画化され、2024年に公開されることが25日、分かった。映画作品は35年ぶりで、主演俳優、本木雅弘(57)とヒロインの女優で歌手、小泉今日子(57)の豪華共演が実現。ともに1982年にアイドルデビューし、大スターとなった2人を思い描きながら、切ない大人のラブストーリーを完成させた倉本氏は「どう演じてくれるか楽しみ」と胸を躍らせた。
ドラマ「北の国から」や「前略おふくろ様」など名作を生み出してきた脚本家人生をつづった「破れ星、燃えた」が2月21日に終了してから2カ月―。88歳の今も創作に燃える巨匠が、早くも新作を手掛けていた。
本紙の取材で、倉本氏が書き下ろした「海の沈黙」が来年公開予定で映画化されることが判明。1988年の「海へ-See you-」(高倉健さん主演)以来、35年ぶりとなる映画作品は、画家の主人公とロウソク工房を営む元恋人との切ないラブストーリー。主演は本木、ヒロインは小泉に決定し、監督は「沈まぬ太陽」や「Fukushima50」など硬派な社会派映画で知られる若松節朗氏(73)が務めるという。
倉本氏はサンケイスポーツの取材に応じ、直筆の映画タイトル「海の沈黙」を公開。「破れ星―」を連載中だった1月に〝同時進行〟で完成させ、「構想から30年以上かけた」と説明。東大文学部美学科を卒業した倉本氏は、ある画家のドキュメンタリー番組を見て以来、「美とは何か」を考えるようになったといい、「これまでに見聞きしたことを織り交ぜて」書き上げた。
27作目の映画となる今作は、主人公とヒロインの配役を想定しながら〝当て書き〟。本木については95年のNHKドラマ「涙たたえて微笑せよ 明治の息子・島田清次郎」で狂気の天才小説家、清次郎を演じた頃から「しびれた」と絶賛しており、昨年7月の本紙インタビューでも「『破れ星―』の自伝がドラマ化されるなら自分の役は本木さんがいい」と語っていた。今回、念願の初タッグが実現し、2016年の主演作「永い言い訳」以来、7年ぶりの映画出演となる本木もオファーを快諾したという。
小泉の倉本作品出演は05年のドラマ「優しい時間」に続く2作目で、当時を振り返った倉本氏は「ナース役がよかった」と自然体の演技を評価。
若松監督とは、05年のドラマ「祇園囃子」で仕事をしており、「ぜひご一緒したい」とラブコールを送った。18年ぶりの〝再会〟となるが、6月初旬のクランクインに向け、「監督と毎日電話でやりとりをしている」と準備に余念がない。
何より「海の沈黙」は「本木と小泉のために書いた」と強調。アイドルの豊作イヤー〝花の82年組〟と呼ばれた元シブがき隊の本木と小泉は同期デビューで気心の知れた存在。そんな2人が年輪を重ね、実力派俳優として重厚な恋愛を体現するだけに、倉本氏も「どう演じてくれるか楽しみ」と期待する。
撮影は北海道、東京、京都で行い、北海道では一大ロケを計画。倉本氏の新たな代表作がもうすぐ産声を上げる。
★元恋人役で31年ぶり共演
〝花の82年組〟は、本木らシブがき隊と小泉をはじめ、中森明菜(57)や松本伊代(57)、堀ちえみ(56)、早見優(56)、石川秀美(56)らが名を連ね、同期で仲がよかったことは有名だ。NHKで昨年放送された小泉のデビュー40周年特番には本木が出演し、人生の節目で「彼女から刺激を受けた」と語っていた。2人は92年のドラマ「あなただけ見えない」で恋人役を演じており、「海の沈黙」は31年ぶりの共演。元恋人役はまさにぴったり!?
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教職課程では習わなかったな
http://saitoru.exblog.jp/32914871/
2023-01-02T23:47:00+09:00
2023-01-04T00:13:03+09:00
2023-01-02T23:47:22+09:00
saitoru1960
映画
皆さんに大切にたいせつにされているのを友達が見たらきっと笑うと思います(ウゲン)
だって、先生ですから
村長はいつも言います
先生には敬意を払いなさい
先生は未来に触れることのできる人だ(ミチェン)
教職課程では教えられなかったな(ウゲン)
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ペムザムが初めて自分の映画を観る
http://saitoru.exblog.jp/32858117/
2022-10-21T22:05:00+09:00
2022-10-22T11:46:41+09:00
2022-10-21T22:05:33+09:00
saitoru1960
映画
We conclude our special Lunana theme with this happy update:
We are overjoyed to share that Pem Zam, the little girl who stole our hearts in Lunana: A Yak in the Classroomwatched the film for the FIRST TIME last evening on BBS Channel 3 with her family in Tshojong, Lunana!
Pem, who is a class 6 student boarder at Lhedi School, walked 4 hours to her village to watch the film at home with her family. Lhedi at 3,900 metres, is one of the villages in Lunana, which is currently hosting the first edition of the Snowman Race said to be the toughest ultramarathon in the world.
Pem Zam was thrilled to see the film, and remarked on how much she and her friends have grown up since Lunana was filmed. She said watching Lunana made her miss all her old teachers.
We thank Lopen Namgay, a teacher at Mendrelthang School in Lunana, for sending us this photo (video uploaded in our previous post)✨
ルナナ特集の最後は、このハッピーなアップデートで締めくくります。
私たちの心を奪った少女Pem Zamが、昨晩、BBSチャンネル3で、LunanaのTshojongに住む家族と一緒に初めて映画を観たことをお伝えできるのはとても喜ばしいことです。
Lhedi学校の6年生であるPemは、家族と一緒に自宅で映画を見るために村まで4時間かけて歩いてきたのです。
標高3,900メートルのレディ村は、現在、世界で最も過酷なウルトラマラソンといわれるスノーマンレースの第1回大会が開催されているルナナ村の一つです。
ペム・ザムさんは、この映画を観て、「ルナナ」の撮影以来、自分も友人も成長したと感激した。また、「Lunana」を見て、昔の先生たちに会いたくなったとも言っていました。
ルナナにあるMendrelthang学校の先生、Lopen Namgayさんから写真を送っていただきました(動画は前回の記事でアップしています)✨ありがとうございました。
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Pem Zamの今の姿
http://saitoru.exblog.jp/32852639/
2022-10-15T02:18:00+09:00
2022-10-15T02:18:26+09:00
2022-10-15T02:18:26+09:00
saitoru1960
映画
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あまりの数の少なさにびっくり
http://saitoru.exblog.jp/32850695/
2022-10-12T14:53:00+09:00
2022-10-12T17:06:20+09:00
2022-10-12T14:53:33+09:00
saitoru1960
映画
その時点では、この二人が出ているにもかかわらず、イイネの数が400台、コメントたった2件、シェアも9件だけ。
その後、この二人がどれだけ有名になっていくかは、本人たちも知る由もなし。
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シネマと書店とスタジアム
http://saitoru.exblog.jp/32831967/
2022-09-18T22:43:00+09:00
2022-10-02T20:58:29+09:00
2022-09-18T22:43:42+09:00
saitoru1960
映画
ダンサーインザダーク(2000年)ザ・カップ 夢のアンテナ(2001年)
キルショット(2009年)
トラフィック(2000年)
神の子たち(2001年)
血の記憶(2000年)
魔王(1996年)
バスを待ちながら(2000年)
蝶の舌(1999年)
こころの湯(1999年)
イン・ザ・ベッドルーム(2001年)
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『ブータン 山の教室』の場面から考えるルナナの実状(平山 雄大)
http://saitoru.exblog.jp/32747463/
2022-07-30T21:45:00+09:00
2022-09-07T13:54:44+09:00
2022-07-30T21:45:47+09:00
saitoru1960
映画
※ガサ県のウェブサイトによると、ルナナ郡には地区(Chiwog)が5、集落(村)が13あり、総人口は810人(185世帯/男性384人、女性426人)。郡長(Gup)1人、副郡長(Mangmi)1人、地区長(Tshogpa)5人、メッセンジャー(Chupen)8人、そして教員を含めた公務員が24人います(2014年)。
1. 村人の登場シーン(モノの流入)
最初に切り取りたいのは、主人公ウゲンが村に到着し村人から出迎えを受ける場面。ここでハッとさせられるのが、村人(特にお姉さまがた)のダウンジャケット着用率の高さです。
「文明」から隔絶されているかのような「秘境」ルナナの人々(ルナップ)の中には、冬は標高の低いワンデュ・ポダン県やプナカ県で過ごす人も多く、外部との接点は豊富にありますしモノの往来も盛んです。3ヵ月ほど前(2022年1月)には、コロナのロックダウン政策で県をまたぐ移動が制限された結果、プナカに降りてきているルナップ約200人がルナナに帰れなくなり困っている……というニュースもありました。
昨今の冬虫夏草ビジネスの成功でルナップの立ち位置は大きく変わり、中にはプナカでアパートを借りたり、土地や車を所有している人もいると聞きます。
特に子ども、女性、高齢者の主要移動手段はヘリコプターになっていて、歩くと10日はかかる距離でも片道20~30分の快適フライト。プナカ=ルナナ間のヘリコプターのチャーター料金は片道1台8~10万円ほどで、基本的にはそれを搭乗者が割り勘をして支払っています。
以前、プナカに降りてきているルナップのお姉さまがたに話を聞いたことがありますが、確かに皆さん旦那を残してヘリコプターで来ていました。そして皆さん、ユニクロのウルトラライトダウンをはじめとした各種ダウンジャケットを颯爽と着こなしていました。中にはダウンジャケット2枚重ねの猛者も!
2. ペム・ザムの歌唱シーン(情報の流入)
次に切り取りたいのは、村の学校での最初の授業にて、少女ペム・ザムが歌を披露するシーンです。かわいい仕草と歌声に魅了されますが、ここでのポイントは、彼女が歌ったのがルナナに古くから伝わる民謡でも映画のテーマを構成する「ヤクに捧げる歌」でもなく、2017年公開の映画『Hum Chewai Zamling』の大ヒットナンバー「Choe Tshara Thomda Lu…」だということでしょう。
映画のはじめのほうで、ウゲンが靴を買いに行ったティンプーの靴屋の店内で流れているのが、同じく2017年公開の映画『Nge Tsa Wai Lama』の大ヒットナンバー「Shambalai Bhu」でした。ペム・ザムはオーディションでも同じ歌を歌っていますが、首都と「電気も携帯電話もない」辺境の地で、映画の撮影時に流行っていたB-POPの時間差がまったくないという事実!この情報化の時代において、ルナナへの情報伝達スピードは他とまったく違いがないと言えそうです。
私の理解では、ルナナの村々では携帯電話が使えるしネットもできラジオも聴けるので、彼女が最新B-POPをよく知っているのも、さらに(これは台本かもしれませんが)将来の夢に「歌手になりたい」と答えられる=歌手という職業があるのを知っているのも当然といえば当然かもしれません。そういえば、2013年公開のドキュメンタリー風(?)作品『HAPPINESS ブータン・幸せの国の少年』(原題Happiness)の中でも、ガサ県ラヤ郡の少年僧ペヤンキが、当時の最新B-POPを口ずさんでいました。
3. おばあちゃんの直訴シーン(教育の問題)
「孫に勉強を教えてください」と山を越えておばあちゃんが訴えに来る場面です。教育の地域間格差の話はブータンにもあり、ラヤやルナナでは、「親が冬虫夏草の採集に行くので、長男が弟や妹の面倒を見なければならない」、「遠くまでヤクの放牧に行かなければならない」等を主な理由に未就学や中退の問題が根深く、親の意識変革の必要性が叫ばれています。
同時に、近代学校教育の追求は伝統的な生活形態の棄却を意味する……といった議論もありますが、ルナナの教育事情の一端を示す印象的なシーンではないでしょうか。
2022年現在、ルナナには学校が3校あります。レディ村にあるルナナ小学校、タンザ村にあるタンザ小学校、そして映画の撮影地であるチョゾ村のメンレタン小学校がそれで、最新の教育統計によると生徒数はそれぞれ38人、29人、14人、教員数はそれぞれ4人、2人、2人。ルナナ小学校以外の2校は、クラスPPからクラス3までしかない不完全学校(Extended Class Room: ECR)です。
親ではなくおばあちゃんが孫を連れて来たところを見るに、両親は冬虫夏草の採集やヤクの放牧で長期間家を空けているのでしょう。しかしこのおばあちゃん、テントを張って滞在している=親戚や知り合いがこの村にいない様子ですが、孫をどうやって学校に通わせる予定なのでしょうか。寮が併設されているレディ村のルナナ小学校を目指したほうが良いのでは?と余計な世話を焼いてしまいます。
4. 村に関する説明シーン(冬虫夏草ビジネス)
4つ目は、村に到着した主人公ウゲンに、出迎えたアジャが「村の仕事はヤク飼いや冬虫夏草を集めることですが、学問があれば別の道もある」と話すシーンです。
ヤクが映画の重要なテーマとなる一方、冬虫夏草に関しては映画内でその後まったく触れられませんが、ブータン政府によるルナナ郡の説明に「人々の生業は冬虫夏草の収穫と畜産物生産に完全に依存している」とある通り、また、ルナナ郡の郡長(Gup)が「冬虫夏草はルナップ(筆者注:ルナナの人々)唯一の生計手段」と発言している通り、冬虫夏草はルナナを語るうえで外せないものです。
つい先日も、ワンデュ・ポダン県のセプで開かれた公開オークションで、1kgの冬虫夏草に280万ヌルタム(約480万円)の値がついたというニュースがありました。何でも、今年は特にルナナ産の冬虫夏草の質が良く、今後も落札価格を更新する可能性が高いとか。ただ、ルナップの立ち位置を大きく変えたこの「ヒマラヤのゴールドラッシュ」の未来を案じる声もあります。職業選択肢を増やすという教育の役割に期待するアジャも、それを危惧しているのかもしれません。
ちなみに、冬虫夏草の収穫は登録・許可制で、ルナナでは1世帯あたり最大3人まで登録できるそうです。隣接するワンデュ・ポダン県のダンチュ郡及びセプ郡から、約300人がルナナに来て違法採取を行っているとの報道もあります。収穫された冬虫夏草はブータン国内でも蒸留酒アラに入れる等して消費されますが、その多くは中国やベトナムに輸出されます。
5. ペム・ザムのお父さん酔いつぶれシーン(アルコール問題)
5つ目は、少女ペム・ザムのお父さんが、昼間から酔いつぶれ仏塔脇で寝転がっているシーンです。通りかかったミチェンが叩き起こそうとしますが、まったく目覚める気配がありません。
アルコール依存症をはじめとしたアルコール関連の問題はブータンでは根深く、ある調査によると「東部では回答者の58%以上がアルコール依存症であることが判明した」、「首都ティンプーでは、過去1年間にアルコール飲料を摂取したことのある成人の36.4%のうち10.5%が暴飲暴食をしていた」、「農村部では、各家庭で収穫される穀物の50%もが毎年アルコール醸造に使用されている」そうです。
アルコールが原因の自動車事故、死亡事故、傷害事件、家庭内暴力事件等は数多く報告されていますし、国内にはアルコール依存者(及び薬物依存者)を対象とするリハビリ施設もあります。
ルナナの状況を詳しく知らないまま勝手に想像しますが、麦を原料とした自家製のお酒は多く作られているでしょうし、「僻地」の割には外からも多くのお酒が入ってきているはずです。
映画の中に“スーパーストロングビール”DRUK 11000(アルコール度数はやや高めの8%)の空きビンが数多く写り込んでいるシーンがありましたが、お酒へのアクセスは、他の場所と同様にオープンで容易なのだと思います。
ペム・ザムのお父さんがお酒に溺れてしまった原因は何でしょうか。それを推察することは難しくまた「正解」はありませんが、冬虫夏草ビジネスを通したルナナの急速な社会経済変化がその一因かもしれません。これは別の場所の例ですが、冬虫夏草で成した財をギャンブルですってしまい、それどころか多額の借金まで抱えてしまった……という話も聞いたことがあります。
6. ミチェンが奥さんから罵倒されるシーン(女性の強さ)
「先生をお連れするなら先に言ってよ」、「体は大きいけど頭はからっぽ」。ヤクの糞の活用の仕方を伝授するためにウゲンを家に招いたミチェンに対する、彼の奥さんの一言。最後はこのシーンを取り上げたいと思います。
奥さんは「ツァーゲ!」(バカヤロー)とミチェンを罵倒していて、いや何もそこまで言わなくても……と彼に同情しつつ、この映画内で1、2を争うリアルなやり取り(?)に何だかほっこりしてしまいます。私が2020年2月にプナカでお話を伺ったルナップのお姉さまがた(旦那さんを残してヘリコプターでルナナに来ている)も一様に強そうなオーラを放っていましたが、一般的にブータンの女性は強く逞しく朗らかで、「夫が妻の尻に敷かれている率」は限りなく100%に近いです。
1774~1775年にブータンを訪問したジョージ・ボーグルが出会った女性たちも、一様に明朗快活な人たちだったようです。ボーグルは報告書の中で、彼女たちが強い酒を飲むこと、性に奔放であること、夫の死によって悲惨な思いをすることなく再婚も自由であること等を指摘し、イギリスやインドとの状況の違いに驚いています。1958年にブータンを訪れた中尾佐助は著書の中で、「私の前に少しも恥ずかしがらずに出てきて、どんどん話をする」、「もし英語がかたことでも話せる女は、愛嬌たっぷりにその英語を使う」、「仕事の話も男より女と相談したほうが確かな時が多い」、「頼みごとや約束でもたいてい女のほうが信頼がおける」と、物怖じせず、頼りになる強い女性像を紹介しています。そして、彼女らへの信頼は女性の地位の高さを示すものだと考察しています。
その要因のひとつに、主に中部・西部に根づく母系制社会の慣習が挙げられるかもしれません。土地や家屋といった財産を女性が相続するため、妻には財力や発言力があり、婿入りの夫は必然的に立場が弱いというわけです。これまた詳しくないまま想像しますが、ルナナもその例に漏れず……という感じでしょうか。罵倒されたミチェンがまったく意に介していない様子も、その後若干照れ気味の(ように見える)奥さんの様子も微笑ましいです。
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数え切れないほど映画を見たわたしが思う、傑作映画ベスト10
http://saitoru.exblog.jp/32723252/
2022-06-30T17:29:00+09:00
2022-06-30T17:31:34+09:00
2022-06-30T17:29:16+09:00
saitoru1960
映画
勢古 浩爾
1 『七人の侍』(1954、207分)。
黒澤明監督。黒澤明、橋本忍、小国英雄脚本。
三船敏郎、志村喬、加東大介、宮内精二、土屋嘉男、津島恵子。
2 『切腹』(1962、133分)
小林正樹監督。橋本忍脚本。原作は滝口康彦『異聞浪人記』(河出文庫)。
仲代達矢、三國連太郎、丹波哲郎、石浜朗、岩下志麻。
3 『逃亡地帯』(1966、134分)
アーサー・ペン監督。
マーロン・ブランド、ロバート・レッドフォード、ジェーン・フォンダ、アンジー・ディッキンソン。
4 『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』(1992、157分)
マーティン・ブレスト監督。ボー・ゴールドマン脚本。
アル・パチーノ、クリス・オドネル、ガブリエル・アンウォー、フィリップ・シーモア・ホフマン。
5 『ブラス!』(1996、108分)。
マーク・ハーマン監督
6 『グリーンマイル』(1999、188分)
フランク・ダラボン監督・脚本。
トム・ハンクス、デヴィッド・モース、ダグ・ハッチソン。
7 『アトランティスのこころ』(2001、131分)
スコット・ヒックス監督。
アンソニー・ホプキンス。子役はアントン・イエルチン。ホープ・デイヴィス、ミカ・ブーレム。
8 『冒険者たち』(1967、112分)
ロベール・アンリコ監督。
アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカス。
9 『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012、165分)
クエンティン・タランティーノ監督・脚本。
ジェイミー・フォックス、クリストフ・ヴァルツ、レオナルド・ディカプリオ、ケリー・ワシントン、サミュエル・L・ジャクソン。
10 『ラ・ラ・ランド』(2016、128分)
デミアン・チャゼル監督・脚本。
ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン。
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今、「ブータン・山の教室」を観ると
http://saitoru.exblog.jp/32697155/
2022-06-11T22:38:00+09:00
2022-06-12T23:34:10+09:00
2022-06-11T22:38:11+09:00
saitoru1960
映画
日本では字幕で観ていたので、話してる言葉が英語であろうとゾンカ語であろうと関係なかったが、当然の如くゾンカ語だった。
DVDをゾンカ語のまま日本語字幕で観ていた日本の映画館と同じ状況で観た。
すると、会話の中に知っているゾンカ語が時々出てくる。
日本で観た時には入ってこなかった言葉が大脳で認識されているのだ。
これは不思議な体験だ。
ゾンカ語を聞いたことがなかった時代には認識されなかった言葉が、言語を学習した後では大脳で認識されていることになる。
同じ言語を聞きながらも、「音」から「言葉」へ大脳が振り分けているのだ。
いつの頃からか英語の映画を観ている時には、自然に同じことが起こっていたのだろう。
これは、初めての言語を習得していく過程で起こる不思議な体験だった。
それ以外にも、ここで半年暮らしながら少しずつ肌で理解し始めているブータン人の背景、考え方、気質などを知り始めてきているので、登場人物と自分との距離が日本でいる時より近い感じがしたのも事実だ。
100%異質と感じていたことを、70%くらいまで割合が下がってきているといえばいいのだろうか。
これも映画を観ていて初めて感じたことだった。
ECCDの学生たちに聞いてみると、多数の学生たちが観たと応えてくれた。
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ブータン映画
http://saitoru.exblog.jp/32637927/
2022-04-05T17:07:00+09:00
2022-04-05T17:08:10+09:00
2022-04-05T17:07:39+09:00
saitoru1960
映画
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ただゴを着ているだけなのに
http://saitoru.exblog.jp/32635028/
2022-04-02T12:42:00+09:00
2022-04-02T12:42:04+09:00
2022-04-02T12:42:04+09:00
saitoru1960
映画
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グラミー賞発表の日
http://saitoru.exblog.jp/32630516/
2022-03-28T14:30:00+09:00
2022-03-28T20:15:07+09:00
2022-03-28T14:30:34+09:00
saitoru1960
映画
これがある限り、少なくともブータン人は存続するのだろう。あと10年後、20年後、100年後、果たしてどう変化するのか・・。 今日、ブータンの若者は、私たちがそれを追求する勇気を持っていれば、個人的な夢がどのように実現できるかをもう一度思い出させてくれました。パオ・チョニン・ドルジとルナナの背後にいるチームを祝福するために、すべての誇り高きブータン人に加わりたいと思います。多くの芸術的で創造的な心の究極の舞台であるオスカーに出演した、「教室でのヤク」。実際、2018年のキャンペーン期間中にガサでライトとカメラを積んだ若いチームに会ったことを覚えています。いくつかのなじみのある顔を見て、挨拶を交わし、彼らが長編映画に取り組んでいることを知りました。 私たちの最も遠いゲオグから国際的な聴衆にブータンの物語を語り続けると誰が思っただろうか?結果に関係なく、これは多くの新しいエキサイティングなベンチャーの始まりであり、あなたとチームの皆さんのご活躍をお祈りしております。 あなたはブータンとそれ以降の多くの語り手にインスピレーションを与えてきました。 タシ・デレック! LotayTshering博士
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