カテゴリ:歌( 28 )

夕陽を追いかけて

財津が30歳の時に作った歌。
30の自分は父や母にこのようなことばで感じることはなかった。
そう考えると改めて財津のすごさを感じる。
57の自分は通勤ランの間、何度も繰り返し聴き続けた。
父が小言の一つも言わなくなるのは、何才ぐらいになるのだろう。
思い出すことができないまま、自分の今を考えてしまう。
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「夕陽を追いかけて」

作曲:財津和夫  作詞:財津和夫

しばらくぶりのふるさとは
大きな街に 姿をかえていた
だらだをゆすって 走ってた
路面電車は 今はもういない

悲しみこらえ たたずんで
好きだった人 ながく見送った
後姿に 似合ってた
あの海辺のみち いまは車の道

でも海は まだ生きていた
いつも勇気を くれた海だった
空の星は 昔のまま
指先に ふれるほど近くに

いつからだろう 父は小言の
たったひとつも やめてしまっていた
いつからだろう 母が唇に
さす紅を やめてしまったのは

長生きしてねの 一言さえも
てれくさく言えず 明日は出てゆく日
もどっちゃだめと 自分に言った
切り捨てたはずの ふるさとだから

都会に海が 見えないから
人は僕を 笑いものにする
都会の星は とても遠いから
人は僕を 夢みるバカという

いつだって 真剣に
僕は生きて きたはずだけど
でもいつも そこには
孤独だけが 残されていた

沈み夕陽は 止められないけど
それでも僕は 追いかけてゆく
沈む夕陽を 追いかけて
死ぬまで 僕は追いかけてゆく

追いかけて 追いかけて
死ぬまで 僕は追いかけてゆく
追いかけて 追いかけて
死ぬまで 僕は追いかけてゆく



by saitoru1960 | 2017-07-20 18:24 |

春を待つ手紙

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by saitoru1960 | 2017-03-11 13:35 |

一会

HATの109に中島みゆきのフィルムコンサート「一会」を観に行く。
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知っている曲は少なかったけれど、歌詞を何とか拾おうと聴いていた。




by saitoru1960 | 2017-01-08 20:48 |

仕合せ(糸)

「幸せ」と「仕合わせ」の違いを教えてください。

A:『明鏡国語辞典』で「しあわせ」を調べてみますと、一番最後に「表記」という欄があって、次のように書いてあります。

偶然性を重視するときは「仕合わせ」も好まれる。

「しあわせ」という日本語の語源は、「し合わす」だとされています。「し」は動詞「する」の連用形。つまり、何か2つの動作などが「合う」こと、それが「しあわせ」だというのです。別のことばで言い換えれば、「めぐり合わせ」に近いでしょう。

自分が置かれている状況に、たまたま、別の状況が重なって生じること、それが「しあわせ」だったのです。ですから昔は、「しあわせ」とはいい意味にも悪い意味にも用いたようです。偶然めぐり合った、よい運命も悪い運命も、「しあわせ」だったのです。

さて、現在の私たちは、語源のことはすっかり忘れて「しあわせ」ということばを使っています。ただ、「仕合わせ」と書く場合、「仕」は当て字ですが、「合わせ」の方に、「しあわせ」が本来持っていた、偶然性の名残を見ることもできるでしょう。そこで、たまたま訪れてきてくれたハッピーな状況のことを表したいときには、「仕合わせ」と書くのが好まれる、というわけです。
by saitoru1960 | 2016-11-11 05:04 |

中島みゆき・世情

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする。

変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波、通り過ぎてゆく
変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を
見たがる者たちと、戦うため

世の中はとても臆病な猫だから
他愛のない嘘をいつもついている。

包帯のような嘘を見破ることで
学者は世間を見たような気になる

シュプレヒコールの波、通り過ぎてゆく
変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を
見たがる者たちと、戦うため
by saitoru1960 | 2016-11-03 14:35 |

陽水のコンサート

過去に行ったことのあるコンサートは、カーペンターズ、たくろう、長渕、高中、ユーミン、須藤薫、スクエア、などなど。
最近になって、そこに達郎、サザン、そして陽水が加わった。
達郎の時以上に、観客の年齢は高く、ほとんどの男性は白髪。
コートの色は目立たないベージュや黒、灰色。
自分の前に座っていた老女は杖をつき、座席を間違えて座っていた。
もちろん、高揚して立って歌う人もポツポツしかいない。
コンサートが1時間半くらい経つと休憩も15分入った。
陽水67歳。達郎63歳。たった4歳だけど、この差も大きいのかもしれない。
でも、歌はさすがにうまかった。そしていい声だった。
フォーライフの、小室等、よしだたくろう、泉谷しげるは無理だと思う。
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1 ミスコンテスト
2 カナリア
3 飾りじゃないのよ涙は
4 鍵の数
5 My House
6 リフレインが叫んでる
7 リンゴ
・・・
・・・
by saitoru1960 | 2016-03-13 18:02 |

今日までそして明日から

私は今日まで生きてみました
時には誰かの力を借りて
時には誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと

私は今日まで生きてみました
時には誰かをあざわらって
時には誰かにおびやかされて
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと

私は今日まで生きてみました
時には誰かに裏切られて
時には誰かと手を取り合って
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと

私には私の生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
けれどそれにしたって
どこでどう変わってしまうか
そうですわからないまま生きてゆく
明日からのそんな私です

私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと

1971年7月(CBSソニー)
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by saitoru1960 | 2015-07-09 05:31 |

大瀧詠一CompleteEdition

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ついに到着。じっくり読み進んでいきたい。
by saitoru1960 | 2014-03-26 20:05 |

新しいウォークマン

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イヤホンだけのウォークマンが壊れてから、外で音楽を聴くことがなかった。
走りながら見ている景色には音が必ずついていて、聴きながら走っているとそこが抜け落ちているのは確かで、音楽を聴くことでの心地よさはあるけれど、聴かなくなることで100%の景色を楽しめるようになっていた。

昨年の春、須藤薫が亡くなり、大晦日に大瀧栄一が亡くなった。
大学1年の時にウォークマンが発売。自分は、音楽が部屋から外に出たはしりの世代だ。
外を走りながら大瀧栄一、山下達郎、須藤薫、ユーミンなどを聴き、「音楽はエネルギーを生みだす」と、爽快な気分を感じていた。

須藤薫の6枚、大瀧詠一の2枚をCDで購入した。
改めて今、外で曲を聴いていると、大学時代のテレビの無い自分の部屋が、当時の映像に音楽を強く結びつけている。
梁山泊から人の少ない春日の道を自転車で走りながら松見公園南のレンタルショップに向かう。
CDもビデオもない、レコードだけのレンタルショップだ。
ユーミンのファーストアルバム「ひこうきぐも」から順番にユーミンを借りてきてカセットに録音する。
カセットの数の増加とともに、カセットを整理するケースも増えていった。

アルバムはレコードだったので、当然ながら1曲目からA面が終わるまで流れていく。
終わると裏返して、A面から続く物語の続きを聴いていく、という聴き方は自然の流れだった。
シングルヒットした曲でさえ、アルバムのどこに位置するかというのが重要なポイントになり、新しい発見もあったりした。
新しいウォークマンには、当然のように「シャッフル」機能がついている。
でも、「EACH TIME」、「A LONG VACATION」を久しぶりに聴き始めると、順番通りに聴く以外に当時の100%の映像は蘇らない。
いつか、プレーヤー、アンプ、スピーカーを手に入れ、押入れの中のレコードに針を落とす日がくるだろう。
by saitoru1960 | 2014-01-26 16:26 |

山下達郎のサンデーソングブック

録音だろうと思いながらもひょっとして、とつけたFM OSAKA:山下達郎のサンデー・ソングブック。
開口一番、「みなさんご存知のとおり、大瀧詠一さんが亡くなりました。今週と来週は収録番組なのでこのことに関しては一切話題にしていません。特集は後日お送りいたします」とコメントが入った。
1月19日(日)午後2時、山下達郎サンデー・ソングブック必聴です。
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新春放談<Wikipediaより>
毎年1月の第1週・第2週(トークが盛り上がった場合は第3週もあり)に、大瀧詠一をゲストに迎えて行なわれる対談である。
山下と大瀧は1973年からの付き合いである。ベテラン同士ならではの毒舌で現在の日本の音楽シーンを斬っていくこともあるが、大部分では両者ともに好んでいる1950年代〜60年代の英米日の音楽、映画、落語、相撲、野球、マイ・ブームetc.に関する話題が扱われる。

初めて新春放談が放送されたのはこの番組でなく、NHK-FMの「サウンドストリート」であった。第一回放送は1984年1月12日で、「サウンドストリート」終了後も音楽評論家の萩原健太や佐野元春のラジオ番組で続けられた。

一般リスナーは基本的に大瀧の最近の動向を知ったり、声を聞くことが出来るのはこのコーナーのみで、山下本人ですら大瀧の活動を完全に把握しているわけではなく、「最近はどうしているのか」という近況確認から話はスタートする。

このプログラムでかけられる音源は、大瀧自身の持ち込みである場合も少なくない(洋楽以外に、大瀧自身の曲や提供曲、プロデュース作品のバージョン違いなどで、時には「未発表音源」という場合もある)。

タイトルはTBSの時事放談に範をとっており、(新春放談初期は、小汀利得の「やっぱ〜りね…」というフレーズをよく真似していた)文字通りの「放談」である。

2012年は諸事情により行わないことが2011年12月18日放送分で明らかになり、この企画はひとまず26年で途絶えることになった。

山下のOFFICIAL WEB SITEの2012年12月23日分の更新で、新春放談の終了が発表された。その理由として「時代的な役割を全うし得たと思えますので」としており、放送20周年、自身の60歳という節目で、本来の純粋な「音楽番組」として、今後も長く番組を継続するために、番組構成をスリム化・整理する意味合いであることを明らかにしており、2013年1月6日放送分の中では「震災を経て、思うところもあった」と、心境の変化があった事も語っている。

一方で、「大瀧詠一さんと不仲とか、そういう理由ではありません。念のため(^_^;」と、一説と噂された「不仲説」については否定、「大瀧さんにはまた違う形でご登場願う予定でおります。」と、再登場も示唆していたが、大瀧は2013年12月30日急逝(享年65歳)したため、2011年1月2日・9日の前後編に分けて放送されたものが、最後の「サンソン」への出場となった。
by saitoru1960 | 2014-01-05 14:51 |

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
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