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スーツケースその後

修理に出していたスーツケースが帰ってきた。
神戸市北区にある「山澤工房」というかばん屋さんがJALの委託を受けて一手に引き受けているみたいなのだけれど、なんともこの時代にあってすごい会社だった。
中に食い込んでいた2つのコロはきちんと元通りになり、割れていたところも色を合わせてきれいに直っている。
その上、中の2つの室を分けているシートを留めていた3つの金具のうち1つがだいぶ前から外れてなかったのだけれど、それまでこっちから注文を出していないのにきれいに直してくれていた。
「職人」、
「もったいない」、
「たましいのこもった」、
「使えるものは大事に大切に使う」、
などなど、今のようにアメリカ的消費文化社会になってしまった日本に、今なおきちんとこんな会社が存在している。

日本の良さ、外国の人に自慢できる日本、っていうのはこんな会社なんじゃないかな。
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根っこから中に食い込んでいたのに・・。
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by saitoru1960 | 2006-01-31 05:11 |

初めての海外一人旅

大学を卒業してすぐに高校の教師になった。大学生から突然社会人、それも「教師」という職業に就いたため、3月から4月に変わった途端の自分の外面の変貌には、わたし自身ためらうことが多かった。

4つしか年の違わない高校3年生相手に、「先生」になり「教育」していくのがわたしの仕事となった。教師に慣れることにエネルギーの大部分を費やし、放課後のグラウンドで陸上部の生徒達と一緒に走ったり跳んだりすることが唯一の素の自分を出せる時間となっていた。

大学時代、隣の部屋に住む陸上部の後輩清水は、「ぼくねえ、昔からケニヤに行きたかったんですよ。キリンやシマウマなんかがいるところで生活するのが夢で」
と、卒業したら青年海外協力隊に参加する夢をある晩語ってくれた。わたしはその時初めて協力隊なるものを聞いて、いったいそれは何なのだ、と尋ね返した。

わたしが教師としての自分を試行錯誤しながら作り上げようとしている頃、清水は「合格しました。これで来年から協力隊員です。でも、行き先はスリランカです」と連絡してくれた。「すりらんか?」と、頭の中の世界地図でインドの南あたりを探しながら、どっちにしても踊るような文字に、清水の夢が一つ前に進んだことを実感した。

スリランカからきれいなカードが届き始めた頃、わたしは教師2年目の秋を迎えていた。1年経ったので当初の急激な戸惑いは薄れてきてはいたけれど、これでいいのかという試行錯誤は続いていた。

「海外に出て初めて日本のことを真剣に考えています」、「豊かさっていったい何でしょうか?」

試行錯誤を繰り返す自分の頭には浮かんでこない話ばかりがカードにつづられ、あいつの考えていることを自分で実感として理解することはできないのだろうな。でも、あいつが帰ってきて教師になったら、あいつには自分がここまで体験してきたことを追体験できるな、とあきらめと羨望が混ざり合った心境になっていった。

「今、休暇でモルディブに来ています。ここの海は海の原点とでもいうようなきれい過ぎて怖くなるくらいの海です。一度来てみて下さい」と清水が送ってくれたモルディブの海が映った絵葉書が、わたしを初の「海外」へと導いてくれた。

自分の中での清水への憧れが、彼の言葉をすんなり受け入れる心の準備を整えて待っていたかのように、わたしは「スリランカの彼の任地とモルディブの海を見る旅」というものを計画し始めた。しかし、三宮に行き、小さな旅行代理店で話をすると、残念ですが、そういうツアーはこの日程では無理ですね、といわれ、いろいろ迷った末、結局モルディブだけのツアーを選ばざるを得なかった。

シンガポールで一日過ごした後にモルディブへ飛ぶという日程で、チャンギ空港に到着するとガイドさんが迎えに来ていた。他の一緒に来た3人の日本人と共に車に乗りわたしは市内に向かった。

宿泊先のグランドハイアットホテルに到着すると、そこには自分だけしか泊まらないことがわかり、じゃあ、明日の夕方4時にここのロビーで待っていてくださいと言われ、わたしは分不相応の豪華ホテルのロビーで一人ぼっちになってしまった。

英語は中・高・大の授業で習っただけの実力である。今考えてみても、よくもまあそんな状況で海外一人旅など怖がらずに行ったものだ、と感心してしまうけれど、その時は自分を清水の側に近づけたい気持ちのほうが強かった。

コーラを注文するとコーヒーが出てきて自分の英語にがっくりきた。しかしながら、時間の経過と共に、道具としての怪しい英語も使えはじめ、モルディブからの帰りには、シンガポール空港の中で自分ひとりだけで乗継ぎ券も発券してもらうこともでき、心の中でガッツポーズをとったりもしていた。

たった6日間の異国の旅ではあったけれど自身の成長を確実に実感できた旅だった。

自分の目で見なければ分からないことがある。テレビの画面を見ているだけでは見えてこないテレビカメラの後ろの風景、匂い、湿度や温度。また、自分でその場に立ってみないと考えないことも山ほどある。

かわいい子には旅をさせよとはよく言ったものだ、とそのきっかけをくれた清水に感謝して、わたしはモルディブからスリランカにカードを書き送った。
by saitoru1960 | 2006-01-27 16:15 |

のっぽさん

のっぽさんが歌っている。NHKのみんなの歌で「グラスホッパー物語」というのを歌っている。
子供たちに言われてはじめて見たとき、「のっぽさん!」と自然に口から出た。
なんと、71歳。
「でっきるかな、でっきるかな」、という声に合わせてのっぽさんが面白いものを次々作っていくのを子供心にワクワクしながら見ていた小さかった頃の自分。
それを自分の子供たちが小さかった頃の自分と同じように興味深そうに一緒に歌っているのを見ると、少し不思議だ。
のっぽさんは初めて自分で歌って「みんなの歌」に出演ということで、これも少し驚きだった。
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71歳ののっぽさんは昔と同じように軽やかなステップを踏んでいた。
「あーあ、僕ものっぽさんみたいにステップ踏みたいなあ」と息子がお風呂でつぶやいていた。
放送スケジュール
by saitoru1960 | 2006-01-21 20:46 | ひとりごと

お守り

娘が出来たとき、東京に住む友人が亀戸天満宮のお守りを送ってくれた。
初宮は垂水の海神社に行き、写真を撮ってもらった。
七五三も海神社に行き同じ人から写真を撮ってもらった。
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その後、金比羅さんのお守りを買って帰ったりしたけれど、このお守りはずっと見守ってきてくれていた。
年が明け、ふと気になって妻と「お正月のしめ縄と一緒に神社に持っていったら」という話になり、その気でいたのだけれど、いざ、となるとやはり記念に手元に置いておきたくなった。
海神社の写真屋さんは面白いおじさんが撮ってくれる。
同じような赤ん坊を撮り続けているので、初宮の写真撮影は大笑いであった。
玩具を手に赤ちゃんの視線を何とかカメラに向かせようと一生懸命なのだ。
額に汗を浮かべて何分でもあやしながら、時には動いてずれる赤ちゃんの位置を直しながら何度も何度も玩具を振っていた。
そんな想い出も一緒に詰まっているお守りのような気がする。
by saitoru1960 | 2006-01-16 04:59 | 家族

テータリッ

テメローのたべもの店で、「のみものなにします?」と聞かれた時、「テータリッ」と答えると、JTBの現地ガイドは別に驚くそぶりも見せなかった。
テータリッは紅茶とコンデンスミルクを混ぜ合わせていく飲み物で、マレーシア内ではパフォーマンスコンテストが毎年開かれている。
こんな田舎の店でテータリッなんかしてるんかな?、と思っていたのだけれどきちんとメニューに書いてあるし、ガイドさんも「ドウア(2)」と自分の分まで注文していた。
さて、とみていると店のおばさんはプラスティックの大き目のコップ2つを使ってドボドボと注ぎ返すのを繰り返し、テー(紅茶)をタリッ(引っ張る)して作っていた。
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泡が少し気になる形になっているけれど、アジアでよくあるアマアマのコンデンスミルク入り紅茶だった。
暑いところでこれが何故かうまく感じてしまうのだ。
by saitoru1960 | 2006-01-15 17:52 | マレーシア

スーツケース

マレーシアに行って関空に到着したとき、モルディブに行くときから使っているスーツケースのコマの部分が内側にめり込んでいた。
JTBの人に「これは、クレームで出した方がいいですよ」といわれ、カウンターに持っていくと丁寧に対応してくれた。
もう17年も前に購入した物で、以前の旅で内部の止め具が1つ外れたりしていて、いつまで使えるかなあ、と思いながら使用していたので、「寿命ですね」といわれても仕方のない代物。
「ここも割れていますね」と指摘され、「あっ、そうですね」と答えながらも、「これは前からあったような・・」という気持ちもあってくちごもっていると、「今回できた割れということで書いておきますから」と言ってくれた。
なんとも親切な人でした。
でもって、このスーツケースは神戸市北区にある工場に運ばれ、修理されるということになったのです。
思い出のシールベタ張りスーツケースなので、買い替えは極力避けたかったのですが、さて、どうなることか。
ベアリングの根元からスーツケース本体そのものを突き破って内部にめり込んでいたので、ちゃんと修復できるかどうか・・。
「やはり無理なので、新しいものと交換ということで・・・」なんていう連絡が入らないことを祈ります。
by saitoru1960 | 2006-01-12 05:16 |

九九ルーレット

小学校2年の息子の宿題に九九の暗誦というのがあった。
9の段も終わり、いよいよ九九の勉強も終了。
ベネッセの「チャレンジ」という通信教育でもらった九九ルーレットなるもので、お風呂の中で一緒に遊んだりしながら過ごしていたのだけれど、いよいよおしまいという時期になった。
以前(11月26日イイフロの日)、娘とお風呂に入れるのはいつまでなのだろうか、というようなツムラ順天堂の広告を残したけれど、もう、風呂の中で子供たちと九九の練習をすることはないのだな、としばらくほったらかしになっている風呂場の九九ルーレットをひきあげてきた。
親と子の黄金時間はどんどんどんどん過ぎていく。
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by saitoru1960 | 2006-01-10 23:43 | 家族

ちくさ高原でスキー

年末、鉢伏に一泊でスキーに行くつもりが、自分以外すべてインフルエンザになってしまい、年末年始は大人しくせざるを得ない状況だったので、8日にちくさ高原に行ってきました。
積雪、降雪ともにすごく、去年行ったところよりも10km以上前からチェーンをつけたのだけれど、なんとなんでもないところで急にスピン。
去年はもたついたチェーンの取り付けもスムーズにいったので、心も軽やかに走っていたところだったので、これには驚きました。
対向車も見えていて、ハンドルをグルグルきりながら車を止めようとしたけれど、こっちの思うようにはならず、当たったときのために身を縮めて構えたのだけれど不思議なことに停まりました。
対向車の人も「・・・・!!」というような顔でこっちを見ていたのがよくわかり、逆の立場だったら自分もビビルだろうな、と思いました。あぶない、あぶない。
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雪は片栗粉のそれで、雪合戦しようにも雪球がすぐに作れない有様。
滑っていても申し分ない雪でした。
わかばは一人で第3リフトを乗りながら一人で滑っていて、光もついにリフトにのり上から降りました。ただし、光の場合は母の教え通り滑れず、ぐずりながらの滑走でした。
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ちくさはファミリーばかりといっていいくらいの客層で、リフトから落ちてりフトを止めたとしても、あまり気にしないでもすみます。気が楽と言えば気が楽なスキー場です。
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by saitoru1960 | 2006-01-10 17:00 | 家族

デンキブランなるもの

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3日の夜行バスが出るまでかなり時間があったので、近藤と待ち合わせをして有楽町の屋台っぽい所で飲んでいたとき、デンキブランなるものを発見した。
電気とブランなので、電気が走るようなブランデーというものなのかと、注文してみると店のあんちゃんが、「あいよ」と一升瓶を持ってきた。

ウイスキーの色を薄くしたようなものがコップにドボドボ注がれ、口をつけるとウオッカのような味がする。「混ぜ物みたいなもんじゃないですかねえ」と近藤。
関西にはない面白い飲み物であった。

帰りの夜行バスは今回はじめて使った片道4800円という安いもの。
今まではJRの高速バスしかないと思っていたのだけれど、楽天トラベルで探すとすぐにそこに行き着いた。
思っていたJRバスよりも3000円ほど安いためすぐに購入。4列で寝にくくても仕方ない、と腹はくくっていたのだけれど、やはり寝られなかった。
まあ、年に1回くらいならば安さで我慢しよう、と割り切って使えばOKというところかな。
by saitoru1960 | 2006-01-06 05:07 | いろいろ

箱根駅伝

去年に引き続き、箱根の応援に出かけた。
杉本が8区、松浦が4区にエントリーされ、杉本はこれが最後の箱根になる。
去年、7区を走る杉本を見に行き、「声をかけたもんかどうか」と、迷った末に中継地点に出て行く間際に声をかけたのだけれど、普通におじぎをしたので、落ち着いているな、と思ったものだ。
行く前は、最近のマスコミ報道が過熱しているため、選手もそれにつられてチャラチャラしているのかもしれない、と少々構えていったのだけれど、昔懐かしい、インカレの緊迫感が漂い、心地よかった。
こんな中で競技できる幸せのようなものをきっと感じているに違いなかった。
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初日、下と渡辺を連れスタート地点、横浜、と移動しながら観戦し、松浦のスタート地点大磯へと向かう。
駅から徒歩15分ということだったので、早足で海岸沿いの道を東へ歩いていくと、前から松浦がジョッグで走ってきた。
手を上げ、声をかけるとやわらかい笑顔だったので、大丈夫だな、と思っていたら何のことはない、3区の区間20位に続く区間19位の不調。
なんとも、手厳しい駅伝デビューとなった。
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復路の8,9,10区に力のある選手を配しての監督の采配は、今回だけはうまくまとまりきれず、結局1区の1年生と4年生3名以外は結果を残せなかった。
予選会、本選、様々な緊張感を感じながら過ごせる学生アスリートは、幸せだとつくづく感じる。

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杉本が8区の区間賞をとったのを知ったのは夕方だった。
教育実習のときから付き合いのある近藤と待ち合わせのやり取りをしている時に、「おめでとうございます」と言われて、「なんのことゆうてんの?」という感じで聞き流していたのだけれど、なんのことはない、歴代4番目位のタイムで堂々の第1位となっていたのだった。
藤沢で見たときは順位が2,3位上がっていたのでいい感じで走っているな、という程度で見ていたのだけれど、見事である。
4年間のいい締めくくりになったはずだ。

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皇居のお堀には鴨と白鳥が少し寒そうに浮かんでいた。
来年の箱根は何を感じさせてくれるだろうか。
by saitoru1960 | 2006-01-04 13:42 | スポーツ

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
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