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馬の背から水野町へ

前回、あっけなく家から馬の背まで行き着いたので、光の提案で今回は馬の背から水野町へ向かうコースを歩いた。
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川トンボがたくさん飛んでいました。
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さわがに(実は死んでいます)
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光の帽子にとまったトンボ
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丸太橋がありました。
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ファイトー!いっぱーつ!
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ところどころでてくる堰には前日の降った雨のせいで水量が多かったです。
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堰にはたまった砂地が
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この堰はいつできたのか?
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堰は壊れ、トンネルを形成しています。
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水野町ではいつものコトながらシマえびがいました。
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光が見つけた虫
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離宮公園のミズバショウはきれいでした。
by saitoru1960 | 2006-06-19 19:59 | 休日

備前焼:優しい時間

4月に岡山で備前焼に挑戦した。
今までも立杭焼きなどに幾度か挑戦してきたが、今回は「優しい時間」のあとはじめての陶芸である。
もちろん、拓の作る皆空窯をイメージしながらのコーヒーカップを作った。
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先週焼きあがった備前焼が届き、心ワクワクさせながらあけて手に取ると、どうもイメージした皆空窯ではなかったので少々意気消沈。
デザイン的には過去最高の出来と自画自賛を今でもしているのだけれど、唇当たりがどうもいかん。
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素焼きの感が強い備前焼は、藁で縛ったあとがうまい具合に土に残って、それが味わいとなるのだけれど、いかんせん唇がざらつく感触が強く、どうもしんみりコーヒーをいただく、という「森の時計」のようなムードが出来上がってこない。
わかばには、「上のところが波打っていて、もう少しちゃんと作ったらいいのに」とまで言われる始末。
次はかならずや、マイコーヒーカップを完成させるぞ!
by saitoru1960 | 2006-06-14 21:53 | いろいろ

蛍をつかまえる

妻のウォーキング仲間のだんなさんが西脇の方で、「実家近くの川では蛍が乱舞しています」というのを聞いてきた。
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地図まで書いてもらい、早い夕食を食べ、1時間20分ほどかけて出かけた。
小さい頃にどこかで蛍を見たような記憶があるけれど、どこでいつごろだったのかは定かではないくらいあやふやなもの。
去年、修学旅行の下見でセランゴールで見た蛍は、1秒間に3回ほどチカチカする大きさも小さなもので、自分の記憶の中の蛍とは結びつかなかった。
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西脇の蛍はあやふやな記憶と、去年の記憶が混ざり合った見事な蛍だった。
8時前くらいからポツポツと30mほどの川の対岸に灯りが輝き始め、しばらくすると対岸の林にも、そして人間が見ているこちら側にも、おしりに灯りをつけながら飛んできた。
わかばや光が素手で捕まえ、喜んでいるのを見てみると、昔見た源氏ボタルの様で、それこそ千の単位でいるのではないかと思うほど、川の中の草や対岸の林はゆっくり2~3秒かけて点滅を繰り返している。それも面白いことに、たくさんの蛍が、まるで「せーの」とでも声をかけながら、タイミングを合わせるかのように、ひかるタイミングと休むタイミングがあっている。
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あやふやな記憶の中の蛍は、数が少なく、点滅していてもどこかその分寂しさが付きまとっているのだけれど、マレーシアの1秒間に3回もチカチカする蛍は、クリスマスツリーのようにマングローブの木に群れ、機械的に感じる部分があった。
西脇の蛍。
昔の日本で今よりもいろいろなところで見ることができた蛍の風景はきっとこんなだったのだろうな、と妻と話し、飛んできた蛍を素手で捕まえることができた子供たちは幸せな時間を持つことができたと思った。
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車を停めた公民館周りには用水があり、水量の多い溝には小さな水車が回っていた。
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「もう、売り切れちゃってねえ」と、続々やってくるお客さん相手にはあまりにも品薄なほたるせんべい。
by saitoru1960 | 2006-06-12 05:51 | ドキリとしたこと

10秒で読む日経より:「物の値段」

タイトルのメルマガが毎日届けられる。
今日の話はもっともなことで、ちゃんとしたものにはちゃんとした値段がつけられるべきなのだと思う。
以下、記事より抜粋。

●ティッシュペーパー、たばこ、第三のビールなど、消費者の身の回りで値上げが相次いでいる。原油価格の高騰やサービス向上などに見合った価格改定-と企業側は説明。景気回復をバックに「今なら受け入れてもらいやすいのでは」との判断も働いているようだ。
中日新聞 6月4日   

★1990年代前半に「価格破壊」という言葉が生まれて以降、モノの価格がずっと下がってきた。
2000年以降はデフレが日本経済のキーワードになってきた。

景気が回復し、商品価格が上昇したことでこの流れがようやく終焉。
過去下がり続けた物価が、今日採りあげられたモノを手始めに、今後は上がり続ける・・・・・・

だろうか?

私はそうは思わない。

実質的な物価は日用生活に欠かせない衣食住のモノの値段を中心に2000年ぐらい、あるいはもっと前から上昇を続けていると考える。

衣で見れば、今出回っている服の生地は20年前と較べて大幅に劣化しペラペラで色もくすんだ色合いとなっている。
クリーニングに2~3回も出せば着られない服がほとんどだ。

私のスーツで見れば、2年前に買ったものよりも、15年前のもののほうが、今でもきちっとしている。

世間の「安くしろ」という圧力に答えるために、メーカーは質を落とすことにも力を入れてきた結果だ。

このため、いくら一品単価が安くても、頻繁に捨てて買わなければいけないので、長い目で見れば割高になり、物価が上がったのと同じだ。

食べ物の場合はもっと酷い。
工場みたいな畑で人工肥料をもとに育成する旬の無い食材が多くなり、大量生産や大量輸入の効果で一品単価が安くはなった。

しかし、自分の舌が覚えている味を求めて、昔と同じ味だと納得できる食材や料理を求めようとすると、川上の農家や漁師とコネを作って高いお金を出さないと叶わない。

昔と同じ、滋味のある食事をしようとするなら、食費は数年前よりもかなり上がってしまっている。

★これから長期に渡って、あらゆるものの「質」が問われる時代になったと考えている。
by saitoru1960 | 2006-06-05 19:09 | いろいろ

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
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