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来年2007年は大阪で第11回世界陸上が開催される。陸上競技界では、オリンピックに次ぐ2年に一度のビッグゲームで、世界のトップアスリート達がこぞって大阪に集結し、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれることに違いない。

この世界陸上、15年前の第3回大会は東京での開催であった。

カールルイスが100mで9秒86の世界新記録をマークし、走幅跳ではマイクパウエルがそのカールルイスと世紀の勝負をくりひろげ、8m95の今なお残る世界記録を樹立した。日本の陸上競技界は沸きに沸き、テレビでは連日、世界のパフォーマンスを様々な角度から見せてくれた。 その年の8月27日、私は横浜で行われた全国高校陸上競技選手権に出場した西川有香里を連れ、その世界陸上に出場している選手達が宿泊している選手村を訪れた。

前年の7月、私はモルディブで2年の陸上競技コーチとしての仕事を終え日本に帰国し、再び高校教師として勤めていた。モルディブには私の交代として新しい隊員が派遣され、そのコーチとともに練習を積んだ教え子がこの大会に参加していたのである。

コーチ、キヒネ(元気?)、と教え子のリバリンがスリッパをつっかけ選手村の玄関に出てきてくれた。1年ぶりの再会に懐かしく、記録のこと、その後のマーレでの陸上クラブのことなどをモルディブ語で二人して話している横で、西川は英語でもない謎の言葉を操る二人を何か不思議そうな表情で眺めていた。

それから、15年。2代目の陸上競技隊員として赴任した私から、7人くらいの隊員がモルディブに陸上競技の指導のため派遣され今日に至っている。

その中には、会ったことはないけれどいつの頃からか連絡を取りあう人が数人いて、モルディブ選手との2年間をそれぞれ自分の宝物として暮らしながら、オリンピックや世界陸上が開かれたときは選手や記録のことなどで話をしている。

栗原さんから突然のメールが届いたのは2年半前であった。複雑な理由が絡み合いながら青年海外協力隊を人生の転機にしようと決断し受験。今から派遣前訓練をうけて旅立つことへの不安と希望が伝わってくる実に若者らしいメールだった。

日本で訓練中、そしてモルディブに到着してからも、時々思い出したように栗原さんからのメールが届いた。そのつど、わたしは28歳の頃の自分に出会うような気がして、頭の中で懐かしい人や風景を思い浮かべていた。

モルディブで陸上競技の指導をする隊員として二代目のわたしは、首都マーレ島でナショナルチームの指導とジュニアに対する底辺拡大が使命となっていた。その後、陸上競技の経験者が増え、中から海外の大学や研修機関で体育理論や陸上競技についての勉強をするものも現れたりして、少しずつ教える術を知りえた者が指導者として活動するようになってきている、というようなことを風の便りで聞くまでになってきていた。

そしてその分、協力隊員としての活動も、首都マーレ島から地方島での普及活動へと変化し、現在に至っている。

「さいとうさん、アーミルやリバリンが、マーレにいつ来るのか、詳しいことを教えてくれといってますよ」と、栗原さんから久しぶりのメールが届いたのは今年6月。

栗原さんの協力隊員としての2年の活動もいよいよ残すところ1ヶ月、という時であった。
by saitoru1960 | 2006-09-29 05:46 | モルディブ

運動会

昨日が子供たちの運動会。
7時開門にあわせ、場所取りに行くこともあって、いつもより早めの最後の朝練を行い、わたしは小学校へ。
7時にあわせて先生たちが学校に出勤していて、まとめ役の先生はグラウンドの状況を確認しているところだった。
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入学して4年ほどずっと運動会の紅白で負け組みだったわかばは、練習の時はリレーも騎馬戦もずっと勝っているということを話していた。保育園時代から仲良しの子達と運動会のパンフレット用にイラストも描いたりして、がんばっているのがよくわかた。

秋晴れのいい天気で最後の運動会になるわかばは、6年生の仕事があるからと、いつもより早く出かけ、光は何も用事がないにもかかわらず、同じように早く出かけて行った。
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願いが叶ったり、叶わなかったり、小学校の運動会は親達の想いまでもこめられた、自分との真剣勝負の瞬間になっているのが伝わってくる。
by saitoru1960 | 2006-09-25 05:23 | 家族

朝の運動

わかばは2年生の10月から、わたしが朝出勤する前に一緒に家を出て、マンション横の公園をランニングする毎日をここまで続けている。
妻が、昔、毎朝おじいちゃんと走っていた、と話したのを聞いて、「今までしてなくてもったいなかったな」と走り始めたのがきっかけだった。
弟の光も、お姉ちゃんにつられて年長組のころから来たり来なかったりで同じような日課になっている。
はじめは公園をぐるぐる回っていたのだけれど、今は近所のゆるい坂道コースを1周走るのが朝の運動になっている。
どこまで続くかと思っていたけれど、よくここまで続いたものだ。
走った後、マンションの廊下を途中まで一緒に歩いて、今日は何時頃帰ってくるから、気をつけて行って来い、というお決まりの会話をして、子供たちとの短い時間を過ごしているのも、そのうち懐かしく、幸せに感じることのできる「思い出時間」になるんだと思っている。

9月に入り、3年生の光は徒競走、わかばは最後のリレーのため、1周コースから運動会用練習へと内容が変わった。
学校での初めての徒競走練習で4人中3番だった光は、1番の人は無理かもしれないけど、2番の人とはちょっとの差だから勝てるかもしれん、と話し、じゃあ朝練するか、と決まったのだ。
スキップやダッシュ、階段早駆け上がり、10秒間ももあげなど、たった10分弱の練習だけど、わかばも真剣に練習を続けいよいよ、本番。
1週間ほど前、家に帰ると、「おとうさん!やったで。今日の練習で1番になった」と光。
「やったなあ!朝練のせいやなあ!」と、親ばかながらこっちもうれしくなった。
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by saitoru1960 | 2006-09-25 05:02 | 家族

友人

モルディブの協力隊つながりは今もきちんと結ばれていて、同期や近い隊次の友人もいれば、一度も会ったことがないのに、連絡を取り合っている人もたくさんいる。
旅のアルバムをようやく全てまとめることができたので、改めて連絡を送り懐かしい風景を共有できればと思っている。
ひとつ、写真を撮ってくればよかった、と思い出すのが、選挙用のポスター。
昔、TVモルディブでコメディアンのように活躍していた人が、選挙に出た(出る)ためのポスターでどこかの壁に貼られていただ。
最初は、気にならず、どこかで見たことあるな、と流していたのだけれど、確かに昔TVで面白おかしくしゃべっていた男の人。
名前がどうしても思い出せない。
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by saitoru1960 | 2006-09-23 04:00 | 任地再訪の旅

旅のアルバム

キャノンのデジカメは古いものでバッテリーの持ちがよくないため、今回は15本のフィルムを持って一眼レフのカメラをメインにして写真を撮りました。
最後の2日でデジカメを使いましたがやはりぎりぎりのバッテリーでした。
旅の写真は別の所でまとめました。
4travelは容量が大きいので助かります。
by saitoru1960 | 2006-09-22 06:02 | 任地再訪の旅

マーレの今

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最後の朝、ごはんを食べていると、最初の頃練習にきていたイブラヒムが現れました。
これおみやげに持ってきたから、とモルディブの写真集とピンバッチをくれたのでした。
マジリヤを卒業後、留学し、今はコーストガードの幹部候補になっているとのこと。
写真集を開くと、マーレの今と昔の様子が航空写真で載っている。
浅瀬の全てを埋め立て、今の大きさに達したことがうかがえる写真です。
はたして、その埋め立てに使われた土はどこから来たのでしょうね。それも輸入なのかな?
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by saitoru1960 | 2006-09-14 21:18 | モルディブ

アハメド

協力隊(JOCV)事務所で長らく働いていたアハメドは5年前にJOCVを離れ、今はスリランカに住んで義理の兄の仕事を手伝い、暮らしていた。
アハメドがスリランカに住んでいるのを知ったのは、わたしがマーレに行くからゲストハウスとワードウーの予約をしておいてくれないか、と、4月頃送ったメールに対する返事を読んでであった。
昔から、モルディブ政府に対して批判的だったところがあったアハメドは、子ども達をむこうの学校へ通わせることで、モルディブの小さい社会の中だけでなく、もっと大きな世界を実体験させようと考えているのではないかと想像している。
わたしたちのような、遠い国からわざわざ自分たちの小さな国にボランティアとしてやってくる若者に接することで、大きな世界観を自然に身につけていくのは当然の結果で、卓球のプレイヤーでもあったアハメドは、わたしが帰国後、卓球のコーチングを研修するという名目で日本に来たこともあった。
「6月下旬から1ヶ月半くらい、学校が休みになるのでマーレに帰るけど、ちょうどサイトウがマーレにくる前の日にスリランカには帰らないと行けないんだ。とても残念だけど」
と、5月にメールが返ってきた。その中には
「でも、ゲストハウスではなく弟夫婦の家に泊まれると思うからそうしたらいい」
という文章もあり、私達はそれならアハメドの好意に甘えようと考えたいた。

その後、細かい連絡もないままで次第に出発の日は迫ってきていた。
わたしは少し不安になり、7月下旬に確認のメールを今はマーレにいるはずのアハメドに送った。
「サイトウ、連絡が遅くなってゴメン。しばらくメールを開いていなかった。残念だけど、弟夫婦の所には泊まることができないから、マーレの中で安全なホテルを紹介するよ」
と、返事が来たのは、いよいよあと5日で出発という頃。
そこから、マーレのアハメドに教えてもらったセントラルホテルにメールを送り、思い出のワードウーリゾートにもメールを送った。
マーレのホテルは何とかなるにせよ、ワードウーが一杯ならば他のリゾートを探さないといけなくなる。ワードウーは隊員時代によく行った思い出の島で、ハウスリーフで子ども達にたくさんの魚たちを見せるにはもってこいなのである。
運良く、翌日ワードウーからは「3種類の部屋どれでもOKです」という回答が日本語で届いた。
以前は協力隊出の坂本オーナーがいて、ダイビングスタッフにも日本人が増え、日本人好みの対応をしてくれる島であったけれど、坂本さんが2年前に離れ、メールには「江戸」という名前が書かれてあった。
サンライズウイングという部屋を予約し、とりあえずはワードウーは確保。
マーレのセントラルホテルからは、出発当日の朝になっても返事が届かず、結局その日、シンガポールのチャンギ空港内のフリーインターネットでメールを確認して、安心した次第であった。

夏休みに入り、新聞紙上でスリランカでまたタミールタイガーがらみのドンパチが発生、という記事が出てきた。コロンボ市内でもパキスタン外交官が危なく難を逃れる、というようなこともあり、アハメドはどうするのだろうかと少しだけ考えていたのだけれど、マーレに行っても会うことはできない、という頭だった。
マーレに着いた翌日、マリアンにヌードルスをごちそうになり、ホテルに帰るとレセプションの男が、これ、と伝言の書いた紙を渡した。
帰ったら電話を下さい、というアハメドからの伝言だった。
携帯に電話すると、やはりコロンボのドンパチもあって帰るのを伸ばしたため、連絡をくれたのであった。
ホテルにやってきたアハメドは少し太ったようだけれど、口を閉じているときの少々こわもてな目と笑ったときの目のギャップがとても大きい昔のままのアハメドだった。
「今からビリンギリに行って、明日はワードウーに行く予定なんだ」というと、じゃあ、今晩帰って来たら我が家でガルディアを食べよう、と誘ってくれた。
マリアンにも今晩こい、って言われてるから連絡しておいて、と頼んで、私達はドーニで3RFのビリンギリへ渡り、マーレとは全く違う、昔のマーレのようなのんびりした時間の中で海で戯れた。

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by saitoru1960 | 2006-09-09 11:48 | 任地再訪の旅

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960