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千の風になって

栄一が死んでもう2年たった。
もう2年経ってしまった。
一度遊びに行ってから、会えなくなった時間よりまだ短い。
まだ、会う気になれば会える気がしている。
でも、今晩のNHKの特集で、栄一の遺影が照子さんの後ろに見えた時、思わず涙が出てしまった。
あいつは、もういないのだ。

千の風になって
by saitoru1960 | 2007-01-31 21:53 | 仲間

はちみつ

夜、ゆうパックです、と小包が届いた。
送り主は、元ホンジュラス隊員の尾崎で、久しぶりの連絡だった。
開けてみると、中にははちみつの瓶が6つも入っていた。
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農業学校で教鞭をとりながら、いつも生徒とともに面白そうなことに取り組み、今回はそれが蜂蜜ということのようだった。
春、夏、アカシア、ミカン、柿、栗、と花の違う蜜は、当たり前なのだけれど、味はそれぞれ違っていた。
2年前に網膜剥離になってから、元気がなくなって、と書きながらも、なんのなんの尾崎はしっかり楽しんでいる。
柿の蜂蜜は神戸市西区のものだった。地元の味を外の人間に楽しませてもらった。
by saitoru1960 | 2007-01-31 05:55 | 協力隊

子供の心

光が学校で借りた金子みすず童謡集「わたしと小鳥とすずと」に、次のような文章が載っている。

大人になっていくにしたがってわたしたちは、いろんなことがらを学びます。ところでどうでしょう、子供の頃しか感じなかったたのしいこと、こどもだったからこそ空想することのできたすばらしいこと、それはこどもからはじまった自分だったことをわすれるのといっしょに、わすれがちです。

「おとなはかんがえなあかんことがたくさんあるから、たのしいことがわからんようになるんやで。こどもはかんがえなあかんことがそんなにないから、たのしいことはわかるんや」

先週、職員会議で修学旅行のことで、「賛成せんかった先生たちは、楽しくなかったんやろか」と、夕ご飯を食べながら話すと、光はそういった。

本から子供の心に入っていくことばのなめらかさを、おとなはやはり忘れている。
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by saitoru1960 | 2007-01-31 05:52 | ドキリとしたこと

③マリアンとアハメド

最初の夜が明け、朝食にはまだ早い時刻に家族をホテルに残し、わたしは自分の記憶を呼び起こすため、カメラを手に路上に出た。

モルディブでは一軒の家に名前がついていて、○○地区の○○という名前の家、と書けばそれで手紙は届く。わたしが最後に住んでいたヒーラーゲは、セントラルホテルからすぐの所にはあったが、平屋だった家は3階建ての鉄筋コンクリートのビルに姿を変えてしまい、気安く入っていくこともできない堅牢さを感じさせられた。

近所に住んでいる人も年を重ねているため、知っている顔を探すことができず、持ってきたお土産も渡すことはできなかった。あきらめたわたしは、空港島に向う船つき場、毎月の生活費を受け取りに行っていたインド銀行、なじみの食堂など、歩ける範囲で見覚えのある場所を探し、見つけてはシャッターを切りながら16年の時間の移ろいを感じていた。

しかし、朝の路上でも昔の顔に出会うことはなかった。

ホテルに戻り、家族と近くの食堂へ朝食に出かけた。食堂では昔、皿に盛られているものを勝手に食べ、食べた分だけ最後にお金を払う、というシステムだったのだが、衛生面での教育が行き届いたためか、ショーウィンドーの中のものを選んで店の人にとってもらい、代金は先払いするというものに変わっていた。

小学生の子供達は甘い紅茶をおいしそうに飲みながらも辛いものはあまり食べられず、わたしは逆にこがれ続けていた味に少し高揚しながら、バジヤやグラというおかしをどんどん口に運んでいっていた。ココナツとかつおの入った日本では食べられない温かみのある懐かしい味だった。

マリアンいる?、協力隊の事務所を訪れ、入り口で警備をしている若者に声をかけると、ほらうしろ、と、わたしの後方を指差した。振り向くと、事務所前のモスクからまさに今出てきたばかりのマリアンが立っていて、わたしの顔を認めると、「エーイ」と驚きの声を上げ、少しはにかみながらにっこり笑ってくれた。

マリアンは協力隊がモルディブに入った頃からずっと事務所で働いている唯一の人で、当時より少々体重は増えているようだった。

洗濯がしたいんだけど、事務所で借りられるだろうか、と話すと、それじゃあわたしの家に来たらいい、と彼女は時間休をとり、引っ越した家まで道案内をしてくれた。洗濯機を回している間に、近くの店から昼ごはんの用意を買ってきてヌードルスという料理を作りながら、彼女は小さかった子供達が次第に大きくなっていくアルバムを見せてくれた。そして、一緒にまだ住んでいる長女ウマーメはかなり太ったのよ、と自分のことは棚において、笑いながら嬉しそうに話してくれた。高速回転で一気に時間が巻き戻され、30才の自分が見ていた映像が心地よく蘇ってきていた。

ホテルにアハメドがやってきたのはその日の午後だった。マリアンの家でお昼をご馳走になっている間にホテルに電話が入っていて、メモに記された携帯電話の番号を押すと、アハメドの声がすぐ耳に飛び込んできた。

当時、モルディブ協力隊の事務所で働き、日本にも研修生として半年ほど滞在したことのあるアハメドは、今は家族とともにスリランカで暮らしている。日本に滞在していた時も我が家に遊びに来たことがあり、今回もスリランカに住んではいるけれど、マーレでのことに関してはわたしが一番頼りにしていた友人であった。

スリランカでテロの危険性があるからしばらくマーレにいるんだ、と口元にひげを蓄えたアハメドはやはり年をとっていた。わたしにしても、当時なかった白いものが頭に増えたので、彼には年をとったと映ったに違いない。

当時とは変わりきってしまい、嘆きかつ愁いまじりのマーレの今を聞きながら、再会できたことの幸運を感じ、四方山話を続けた。しかしながら、昔の陸上仲間に連絡を取ってくれないか、というお願いをついにわたしは口から出さなかった。
by saitoru1960 | 2007-01-30 05:43 | モルディブ

海外修学旅行

昨日職員会議があった。
「次年度から修学旅行は、①海外への修学旅行を原則とする、②アジア方面とする、③行く先は当該学年が決定する」と修学旅行委員会の長、教頭が審議事項として提案した。
なんだかんだ、意見は出た。
今まで、いく先は当該学年が独自で決めて行っていた学校行事である。
学校行事ならば、学校としての教育目的というものが少なくとも存在してしかるべきと思うのだが、そうではない、と考える教師もいる。
「修学旅行は鉢伏高原にスキー」と、高校生活最大のイベントとも言える修学旅行を地元兵庫県のスキー場にし、長年実施していた初任校神戸高校は、さすがに職員が自負心を持ちながら伝統の潔さと誇りを胸に、生徒たちに対していた。

賛成:10
反対:11
保留:20
校長決済:原案通り

保留者の中にいる数人の同学年の先生たちを見つけ、今年の修学旅行を実施した教師としての本心が見え、今後同じように実施する時、何をどうすれば同僚の教師達が価値を見出してくれるところまでたどり着くことができるのか、とも考え初めた。

初めての海外なのでわからないことは山ほどある。
だから、面倒くさくてこんなものはできるものではない、と感じさせないために手は尽くしたつもりだ。
はたまた、一人でやってしまうとそれもそれで、心地よく思わない人が出るだろうからと、自分だけが目立たないように気をつけてもきた。

修学旅行が学校行事として存在する。
どこに行っても、そこには教える側の教育目的があるはず。
個の集まりが集団である以上、個がそれぞれの価値観で全体を動かそうとするならば、集団に意思の統一は生まれない。

「放課後、教師は職員室に残っていてはいけない。部活動をしている生徒たちの指導に一生懸命あたらねばならない」
神戸高校にはかつてそのような校長も存在し、わたしが赴任した頃にそう教える同僚教師がいた。
伝統を重んじる神戸に赴任した何でもやり放題の長田の卒業生は、そのとき神戸の力というものを実感したのだった。

「深夜特急」で、心揺さぶられた出発地香港を、それ以降の町でずっと探し求めた沢木のように、やりがいのある、心揺さぶられる仲間のいる職場で教育がしたいと、追い求めている自分が確かにいる。
by saitoru1960 | 2007-01-25 05:52 | ドキリとしたこと

ラオス人のタンさん

友人の奥さんが働いている病院に、ラオスから研修生が来ていると聞いたのは昨年12月だった。
6,7ヶ月だけの日本滞在なので、職場とは違う日本人との交流をと考え、いつものメンバーで毎年やっているクリスマス会に参加してもらったのがタンさんと初対面だった。
会う前に、地球の歩き方を購入し、初めてラオスという国をきちんと調べてみると、インドシナ半島の海のない国について、知らないことばかりだった。
ヴィエトナム、カンボジア、タイ、ミヤンマー、そして中国と接している社会主義国。
でも、ラオスといわれても、「首都:ビエンチャン」、しか頭の引き出しにカードは入っていなかった。
文字はタイ語に似ていて、発音は音の上がり下がりがあるようなことが地球の歩き方には書いてあったが、クリスマス会にやってきたタンさんに、「サバイディー(こんにちは)」と声をかけると、えっ!、というような笑顔で答えてくれた。
サバイディーとサワディー(タイ語のこんにちは的に使われる語)、音としては似ているので、インドシナの文化の混ざり方はその歴史とともに複雑なものになっているようである。
また、「ラオス」も「ラオ」というのが正しい国名である、ということもそのとき初めてわかった。

タンさんは長い髪を後ろで束ね、口の横にあるほくろに生えている毛をそのままにしていた。
ほくろにできた毛を抜かないのは、お金がたまるおまじない、というようなことを聞いたことがある。ヴィエトナムに行ったときもそんな人を見たけれど、これも中国からインドシナ半島に様々なものが南下していく中でその土地に根付いたものなのかもしれない。
男性でほくろ毛の人は見たことがあったけれど、女性ではあまり見たことがなかったので気にはなったけれど、そこのところをタンさんに聞くことは女性だけになんだかまずいかな、と聞くことは出来なかった。

タンさんは、臨床検査技師として首都ビエンチャンで勤務している。
給料は日本円で3000円くらい。社会主義の国ということもあり、給料レベルはわからないけれど決して多いとはいえない額だと思う。
プライベートのビジネスをしている人はもっと給料は高いけれど、公務員は病院や、保険などもすべて無料なので特に困ったりはしていない、と話してくれた。

「日本に来ることは、一つのチャンスだった。JICAの研修生として選ばれ日本にやって来たけれど、週に2回は日本語を勉強させてもらいながら、進んだ技術を勉強できる、こんなシステムを提供してくれる日本という国は本当に素晴らしいと思う。」

タンさんは、お金よりも貴重な体験を大切にすることを自分自身の価値観の中心に持っているようだった。
ラオスの中では外国人との結婚や、商売のため外国に出て高給を得、本国に仕送りをするという人も数多いという。そんな中で、お金では買えないものをわたしは選びたい、という彼女の気持ちはラオスの中では少数派の意見なのかもしれないと思う。

日本円で14万円の生活費を提供してもらい、宿泊はHAT神戸のJICA研修所。
日本語もひらがなは読めるようになった、という勉強家のタンさんは、帰国後も日本語を勉強して身につけたいと帰国後のプランも話してくれた。
できたらラボラトリーのドクターになりたいという彼女の夢は、日本に来たことで大きく変化していくことになるのかもしれない。
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日本の餅つきにも挑戦
by saitoru1960 | 2007-01-23 05:14 | アジア

小学校3年生の国語

光の宿題で出る国語の音読学習。
今週から「詩」になった。
小学生の詩には懐かしくもほのぼのとしたものがたくさんある。

「おれはかまきり」  かまきりりゅうじ(工藤直子)

おう なつだぜ
おれは げんきだぜ
あまり ちかよるな
おれの こころも かまも
どきどきするほど
ひかってるぜ

おう あついぜ
おれは がんばるぜ
もえる ひをあびて
かまを ふりかざす すがた
わくわくするほど
きまってるぜ


「おならのうた」  谷川俊太郎

いもくって ぶ
くりくって ぼ
すかして へ
ごめんよ ば
おふろで ぽ
こっそり す
あわてて ぷ
ふたりで ぴょ

「かっぱ」  谷川俊太郎

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた

かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった

「しょうじき ショベル」  まどみちお

しごと しいしい
ショベルは しゃべる
しょっちゅう しゃべる
はしゃいで しゃべる
しゃべるが しょうぶん
しょうじき ショベル

しごと なければ
しゃべれぬ ショベル
ショックで しょげる
しょんぼり しょげる
しょげるが しょうこの
しょうじき ショベル
 
by saitoru1960 | 2007-01-20 10:15 | ドキリとしたこと

マレーシア修学旅行その後

修学旅行から2ヶ月経った。
帰国後、LHRで「人権学習」と銘打ち、「行く前と行ってから」の心の変化を考えさせると、目をみはる回答が多かった。
ここまで生徒たちが考えることにつながるとは、想定外だった。
たった3泊5日の旅が貴重な宝物になってくれている気がする。

海外への修学旅行。
高校生が現地の人との交流を通して体得した宝物はこんなにも輝きをもっている、というのが伝わってくる文章。

以下抜粋。

 [知ること]

・もっと外国の人、外国の文化について知り、毎日の暮らしを知っていく必要があると思った。自分が知らないことが世界にはいっぱいあるのだと知り、いろいろ考えさせられた。これからは思い込みで差別意識を持つのはやめようと思った。

・外国へのイメージは個人の勝手なイメージでしかない。日本から見た外国のイメージ・感想はごく一部の情報であって完全ではない。その国に何年も暮らさないと本当のいいところ、悪いところというのは分からない。だから外国に対して身勝手なイメージをしてはいけないと思った。

・一人一人個人的なイメージを持っていると思うけど、中身まで見ようとせずに偏見や差別意識を持つのはあまりに酷い。自分達が何気なくやっている普通のことが他の人には出来ないとか、異なっているというのはあるのが当然だから、そんな小さいことまで差別する人は恥ずかしいと思う。もっと同じ人間なのだから、自分達の知らない生活の仕方がまだまだあるというのを学ぼうという前向きな姿勢が偏見の壁を取り除く第一歩になると思う。

・ヨーロッパの先進国やアメリカのことについてなら少しは分かることもあるかもしれないけど、国名すら分からない国もある。やっぱり世界は広いなあと思う。生きている間にどれだけの国の人に会って、どれだけの考え方を理解できるのか。少しでも多ければうれしいなと思いました。

・修学旅行に行って、マレーシアやアジアの発展途上国に持っていた偏見、差別はなくなりました。わたし達は、修学旅行に行って初めて、外国がどんなに良い国か知ることができました。しかし、行かずにテレビや新聞をただ読んでいるだけの人には偏見などが消えたりしないと思います。わたしは修学旅行でマレーシアのきれいな景色や優しい人たちの写真を撮って家族に見せました。すると家族は一度行ってみたいといってくれました。うれしかったです。そうやって広めていきたい。

・近くのアジアの国のことでも良く分からないことが多くあったので、まずは他国に興味を持ち、進んで知っていったらいいと思う。文化や食事は本当に違うし、日本で普通にしていることも他国ではいけないこともあるし、自分がしているから当たり前という考えをなくしていかないといけない。

[個性や特色に優劣はない]

・相手の文化や言語を尊重しあえることが大切だと思う。自分が優位だという感情は持たんようにせなあかんと思います。相手を下に見るという感覚がなくても自然と相手を見下していると思います。

・「みんな同じ惑星に生まれた同じ人間」という考えをみんなが持って、自分達が意識して偏見を差別をなくす努力をすることが大切だと思う。また、世界共通語を使うことで、各国の人々とコミュニケーションをとることで、“今まで持っていた差別や偏見がなくなることもありえるので”英語を勉強することも有効だと思う。

・他人を見下さない。外人だからといってレッテルをはってみない。肌の色や喋り言葉だけで判断しない。見た目で判断しない。思いやりのある心を持つ。他の国にもどこにでも文化があることが分かる。その国の独特の宗教や習慣などがあることが分かる。個人個人の個性がある。

[異質であることを受け入れる]

・外国の文化や歴史、習慣を知ることが大切だと思う。そして、自分の国の文化や歴史、習慣と違っていてもそれを受け入れられるようにする。いちいち人に流されないで自分の考えや意見を持って外国人と接していけばいいと思う。外国人だからといって避けないようにする。

・「自分達の常識、当たり前と思っていることがすべて正しいというわけではない」ということを心に刻んでおく必要があると思った。相手の文化や生活習慣をよく理解すべきだと思った。私達も差別される立場になるかもしれないと思った。人の顔が一人一人違うように、文化や考え方とかも国や地域によって違ってくる。同じもの(同じ文化や考え方)なんてないと思った。

・差別や偏見は自分と違うものに対する恐怖や弱い心から生まれる。それを持たないためには「受け入れる勇気」が必要だと思う。また、たとえ差別意識がなくなっても好きな人は好きで嫌いな人は嫌いという気持ちは誰にだってある。でも、嫌いだからとか、自分と違うからとかで差別していたらきりがない。だから、嫌いでも、その存在を認めて、ここにいてもいいって許せることは大切である。

・一番思うのは自分の国の文化が他の文化と異なっているということを理解するのが一番だと思う。自分の国が正しいと思わず、どこも正しいとかまちがっているということをわかっていなくちゃいけない。文化だけでなく、人の肌の色や目の色も違っている。そういうことがあることが素晴らしいと思ったらいい。

・やっぱり何も、その国のことを知らないのに「この国はこうだ」とか決めつけたりするのはダメやなあと思った。日本には日本の、アメリカにはアメリカの・・・というようにその国独特の特徴があるからこそいいんだと思う。自分の国では当たり前のことが他の国ではやってはいけないことがたくさんあるんだなと思う。

[その他]

・偏見や差別はたやすく消えないものだと思う。地球の歴史の中で偏見、差別、貧富の差のない幸福な国は一度も誕生したことmなく、逆に今でもそのことが起こっていて、それに対策を打っても、また問題が起きるといういたちごっこが続いている。人間は生きている以上、勝ち負けが存在していると思う。それを何とかしたほうがいいと思います。

・学習として、教科書に載っているような人々の習慣や経済関係の数値、データを見ても、そこに本当に住んでいる人たちの生き様は分からないし、調べたものがどの程度まで良いのか悪いのかも分からない。だから、差別や偏見をなくすためには、その国へ行って、良いところ、悪いところを全部見て、理解し、消化して、世界の人々を"何ちゃら国の人”と思うのではなく、“個性のある一人の人間”として付き合っていく。このようなことが大事であるのではないかと僕は思う。
by saitoru1960 | 2007-01-18 21:13 | ドキリとしたこと

ある休日

8日になったぎっくり腰が、ちょっとしたことで点火されそうな気配は残っているけれど、少しずつましにはなってきている。
DVDで博士の愛した数式を観ながら、光が初めてつくってくれた卵入りチキンラーメンを昼食に食べ、その後、多井畑厄神まで歩いてしめ縄を出しに行ったかえりにリファーレで買い物をし、ストリームの試乗をした後、光がプラモデルのラジコンをつくるところを見ていた。
なんでもない、幸せな休日だった。
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by saitoru1960 | 2007-01-15 06:00 | 休日

離陸準備

わかばはいよいよ中学生になる年。
2年生から毎朝一緒に公園を走ることもいよいよお終いになる、と思うとやはり寂しくなる。
お風呂もいつまでも一緒に入ることはないだろう。
寝る時はぴたっとひっついてわざわざわたしの腕を自分の首に回して寝ていたのが、この正月、妻の実家で寝た時、急に離れた。
たまたまかな、と思っていたけれどそれからずっと離れて寝ることが続き、わかばもいろいろ考えているのかな、とついに離陸の時がやってきたと思っている。
生まれて12年間、ひっついて育ってきたところからの旅立ち。
いよいよ始まるんだな、と覚悟をしておかなければいけない。
がんばれ、わかば。
by saitoru1960 | 2007-01-07 09:23 | 家族

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
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