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小学4年・光のお気に入り

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わかばも光にもテレビゲームやポータブルゲームは買い与えずにきているため、光は去年のサンタへのお願いは任天堂DSと書いていた。
サンタは届けてくれなかったのでしょげていたけれど、友達の家で貸してもらったり、ネットで探したものをパソコンでやりながら時々やっている程度で、最近はあきらめてきているのかもしれない。
遊戯王デュエルモンスターカードは、わかばも小さい頃から遊んでいるカードゲーム。
一緒にバトルする友達はそう多くないけれど、時々「おとうさん、デュエルしよ」と挑戦状を叩きつけてくる。
わかばにデッキを貸してもらい、勝負するのだけれど全く歯が立たない。
by saitoru1960 | 2007-06-28 05:37 | 家族

釜山の地下鉄で  

「わたしはつぎのえきでおりるから、いっしょについてきなさい」と、突然1人の女性から話しかけられ、わたしはドキリとした。

釜山(プサン)の地下鉄で、間違えて乗り込んだ路線をどうやって元に戻るか友人と少し大きな日本語で話していたとき、その女性はわたしたちに声をかけてきたのであった。それも日本語で。

西面(ソミョン)駅の案内は基本的にハングル文字での表記しかないため、南北にしか走っていない路線にもかかわらず、わたしは前日も違う電車に乗ってしまっていた。にもかかわらず、西面駅から8つほど北にある温泉場(オンチョンジャン)駅に行こうと乗り込んだ電車がまたも反対側に走り出したので、わたしたちはすぐさま大騒ぎを始めたのであった。

電車の中はすべて韓国人でわかるはずもないからと、無意識にたかをくくり、わたしたちが車内で話す日本語は日本にいるときよりも声高になっていた。

年の恰好60代なかばのその女性は、わたしたちが電車に乗り込んですぐ、日本語で慌て始めた様子を5mほど離れた位置から眺めていて、他の乗客たちがわたしたちに興味を示さなくなってからも、チラチラこちらをうかがうように視線を向けてきていたのだった。

次の駅に着き、手招きしながら誘導してくれる女性の後に続き歩いていくと、ここからのればだいじょうぶだから、と女性はわたしたちに告げ、ありがとうございます、と礼をいうわたしたちに、特別笑顔を見せるわけでもなく立ち去っていった。

釜山の港近くの通りには、海産物や観光客用のお土産などを並べた屋台が並び、海の匂いが漂っていた。シジミのだし汁で食べさせる日本のきしめんに似た麺、肉厚のするめ、エイの干物など、小さい頃東北の小さな漁港町で育ったわたしは、どこか郷愁をくすぐられるような匂いをいたるところで感じていた。

一方、宿泊先になっていた繁華街の中心部に位置するロッテプサンホテルは交通の便もよく、地下鉄の駅まで歩いて5分という好位置にあった。繁華街のファッションマート前でたむろする若者の姿は日本のそれとなんら変わる所はなく、メールを携帯電話でチェックしながら、雑踏の中、人待ち顔で立っていた。

アジアの街を歩くと、日本人観光客を相手に日本語を話す現地の人に出会うことは珍しいことではない。しかしながら、自分の母と同じような年齢の韓国女性が話す日本語は、観光客相手のために今覚えたものではないはずだ。

歴史的に見て、1910年に日韓併合条約が締結されてから第二次世界大戦で日本の統治下から離れるまでの35年の間に、韓国の文化や慣習に何らかの変化をもたらす日本の政策があったとしても何の不思議はない。例えるなら、儒教の考えから女性が結婚しても名字をかえることはない朝鮮半島で、日本が統治している時代に日本風の名前に変えた韓国人も少なからず存在しているのである。

日本で戦争の頃の話をする人が次第に減ってきているのと同じように、日本が統治していた頃のことを覚えている韓国の人も少なくなってきている現在、老女が話す日本語の流暢な理由が気になって仕方がなかった。

老女が10代から20代の多感な頃、何らかの理由で自国を統治している他国の言葉に出会う。能動的なのか受動的なのかはわからないが、大脳に日本語を染み込ませていく頃の、若き老女の日常はどのようなものだったのだろうと、様々な映像に想いを巡らせてしまった。

日本に似ている街で出会った日本語を話す老女。 歴史を知る、知らないで、同じものを見てもその感じ方は全く違うものになってしまう。
by saitoru1960 | 2007-06-23 16:22 | アジア

菊水山から高取山へ

 5月に、いつもの仲間で計画していたハイキングが雨で流れたため、10日に実施した。
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 地下鉄湊川公園で降り、湊川駅から神戸電鉄に乗り込む。
神鉄に乗るのはいつ以来だろうと、慶太と話しながら、鵯越駅で「共通一次の次の日、この電車に乗って神戸市のロードレース走りにいったなあ」と思い出し、ひょっとすると神鉄に乗ったのはそのとき以来なのかもしれないかった。
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日曜午前の神鉄くだり線には、それほど人も多くなく、光と和喜くんは靴を脱いで窓の方に体の向きをかえ、流れゆく遠くの景色を眺めていた。
 光や和喜くんが乗ることの多い地下鉄は、当たり前だけれど地下を走る電車で、窓の外はいつも暗闇。外をぼんやり眺めることはできない。
 電車の写真を撮ったり、線路の上に釘を置いて電車に踏ませたりして遊んでいた昔の自分とは違い、電車に興味をあまり示さないのはそのあたりが影響しているかもしれない。
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 神鉄鈴蘭台駅前でミスタードーナツを仕入れ、父2人、小学校4年と3年の息子二人の父と子は菊水山を目指して歩き始めた。
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光は和喜くんのことをいつの頃からか、「おい、かずき」と呼び捨てにすることが多くなってきた。一緒に遊ぶホテツーの子供たちの中で、自分より年下は和喜くんしかいないため、偉そうにするのかな、とも思い、気になって一度「和喜くんていいーよ」というと、「うん」とその時は答え、しばらくは「くん」をつけて呼んでいた。けれど、会って時間が過ぎていくと、また同じように呼ぶことがでてくる。
 他の子供たちは今のところみんな、「○○ちゃん」「○○くん」と昔からの呼び方で呼びあっているので、なんでなんだろう、という疑問はいまだに続いている。
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駅から菊水山へは看板もところどころにあって、すぐにわかるものだと決めつけていた為、「六甲山と摩耶山ハイキング」の大雑把な地図は、なかなか役に立たなかった。
 ところどころで、3人ほどの地元の人に尋ねながらようやく入山ポイントにたどり着くと、いきなり上りが始まった。
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すぐに階段が続いたため、子供たちは少々音を上げながらも、「もうちょっとしたら休憩してドーナツ食べような」というと、なんとか頑張って歩き続けていた。
 慶太が携帯でZARDやちょっと前によく耳にしていた曲などをかけながら歩いてくれたため、知っている曲のときは口ずさみながら歩き続け、こんなときになつかしの曲をかけながら歩くのもいいもんだな、と思った。
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 途中で、ドーナツを食べ水分補給をして、菊水山の頂上に向かう。
 背中は汗でじっとりし、子供たち二人はそろって、途中においてあった簡易トイレで「大」をした。簡易トイレは六甲山全山縦走路を歩く人用に置かれているようで、何もないところにぽつんとおかれていた。
 便器の下には木材の特殊なチップが入っていて、「大」も「小」もこのチップによって分解され、回収の必要はないという画期的なものだった。
 
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いよいよ菊水山の鉄塔が見え、ゴールか、というところで、私以外の3人は舗装道路にでて鉄塔への直線経路で向かった。わたしはそのまま山の中を歩き、ついに第1のゴール地点に到着。
 と同時に、見事なタイミングで雨が降ってきた。それも、まあ濡れてもいいか、というレベルよりは、ちょっとどこかで雨宿りでも、というレベルのものでちょっとだけ急いで、木陰に逃げ込もうとすると、そこには一軒の東屋があった。
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  菊水山の東屋には、すでに近くでお弁当を広げていた家族連れの人たちも、少し激しくなった雨から逃げ込んできていた。同じような家族ずれやハイカーなど、それぞれ休日の山歩きを楽しんでいるのだった。
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分かれた3人がまだ来ないかな、と来るべき方向を見ていると、突然予想外に純ちゃんと綾ちゃんが現れたので驚いた。連絡の不徹底から、1時間ほど遅れて出発した布袋家は鈴蘭台の近くまで車で送ってもらい、菊水山での昼食になんとか間に合わせようと急いで山道を登ってきていた。
 ドーナツの休憩とバイオトイレでの大便に時間をとったとはいえ、まさか逆転するとは・・。
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 通り雨が過ぎ、東屋の外に出て弁当をひろげた。外で食べる弁当はたとえおにぎりだけでもおいしく感じる。この日の弁当は格別うまかった。
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菊水山から高取山を目指す下りが始まる。菊水山からの見る景色は神戸ならではのパノラマで、神戸空港、明石海峡大橋、家の近所のマンション、これから目指す高取山など、すべて眼下にすることができた。
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 菊水山のゴルフ場が足元に見える。そこまでの下りは階段で続くため、かなり脚にきた。でも、ゴルフ場を越えるとなだらかな道が続き、石井ダムのあたりでは空気に涼しげな匂いまでつきはじめていた。
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烏原貯水池に流れ込む川が林に清涼感をつくる。夏に、近くの鵯越駅まで電車で来て、遊んでも楽しそうないい川で、わざわざ遠くに行かなくても神戸でも子供たちが遊ぶことのできる自然の場所があるんだな、と再確認した。
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鵯越を越え、丸山あたりを通過して高取山を目指すと、道が段々複雑になってきて、地図では確認しづらくなってきたため、ハイカーの姿をたどりながら結局は華の湯脇から高取山の頂上を目指すことになった。
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高取山をのぼり始めるとまた雨が降り出した。電話で後発隊に連絡を取ると、午前中、それこそひょうのような粒の大きい雨がバチバチ降ったので、本気でハイキングは無理かなと思った、ということだった。そこから、太陽がアスファルトを熱していたのできちんと乾燥していたところに再び降雨。汗をかいている少々火照った体には恵みの雨となり、アスファルトからは蒸気があがった。子供たちは手を広げ、うれしい声を上げながら雨を全身で受け喜んでいた。
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飛龍寺を越えると高取神社に出られるということで、歩いていった。墓地が続き、住職が教えてくれた高取神社に抜ける低い階段は見当たらず、さあどうしたものか、と考え始めた頃、「まてよ、この道はむかし流ししたところやわ」とホテイの記憶がよみがえった。「ここの奥からいけたんちゃうかな」と進んでいくと、見事ビンゴ。もう30年も昔の記憶が導いてくれた瞬間だった。「おとうさん、流しって何?」と綾ちゃん。
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高取神社からの雨上がりの眺めは、久しぶりながら見事な神戸のパノラマだった。菊水山から距離がだいぶ海まで近づいたため景色の輪郭も細部まできちんとわかる澄み切った空気だった。
「ほれ、空港に飛行機が一機停まってるでしょ」と神社の前で掃除をしていた人が教えてくれた。なるほど、ここまでくるときちんと見ることのできる近さになっていた。
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後発隊と無事合流し、お茶屋さんで小休止。毎朝のおはよう登山ではきっと賑わっているお茶屋さんも日曜の3時過ぎやってくるお客もなく、「いいですか」とたずねると、「食べるものはないですけど」とおばさんは手招きしてくれた。歴史を感じさせる古びた山のお茶屋さん。ここも神戸の顔のひとつだった。
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by saitoru1960 | 2007-06-12 05:58 | 休日

田植えとかえると蛍

西脇に蛍を見に行った。去年も同じ時期に見に行ったのだけれど、約50kmかけていく価値のある日本の正しい蛍を見ることができる。
田植え前の田んぼもあり、かえるがゲコゲコないていた。
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蛍には夏のイメージがあるけれど、この時期の短い期間しかここでは見られないのだという。
大切に残しておきたい風景である。
by saitoru1960 | 2007-06-04 06:05 | 休日

インターハイ

今年もインターハイ(県大会)が終わった。
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幼馴染の同級生は中学時代からずっと全国クラスで活躍し、昨年の国体では走高跳で優勝していた。
姉は高校2、3年と県大会で連続して100mと200mを制覇し全国大会へ出場していた。

最終日、三段跳決勝の最終跳躍。
スタンドで応援する部員たちから声のエネルギーを得た男は、しばし心を落ち着かせ助走を始めた。
白い踏み切り板を踏んだ後、男は3つのジャンプをバランスよくつなぎ、精一杯の姿勢で砂場に落下する。
着地。
男は砂場から即座に立ち上がると、獣のような叫び声で吠え、右腕を力強く曲げ、天に突き上げた。
記録を確認するまでもなく、男には自分のベストジャンプだという確信があった。
それは、8位から4位へ、県大会から近畿大会へのジャンプアップでもあった。

全国大会で活躍する友人や姉の姿を見て、いつの頃からかそこに自分の姿を重ねはじめた男は、次第に、自分が二人にきちんと重なる姿を想像し始めたのだろう。
ぶれる姿を修正しながら、少しでもきれいに重ねようとする作業を、男は緻密にかつ継続的に繰り返した。
そして、いつの頃からか、重ね合わせるモデルの姿は友人や姉ではなく、自分の理想とする自分に変わっていったのかもしれない。
そしてむかえた最後のステージ。
男は重ね合わせる作業をついに完結し、それを誰かに報告するかのように雄叫びを天に届けた。
by saitoru1960 | 2007-06-04 05:57 | 陸上競技

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
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