<   2007年 07月 ( 9 )   > この月の画像一覧

f0013998_1972297.jpg昔、遊園地が近くにある団地を、娘の喜ぶ顔が見たくて30年ローンを組んで買い求めた夫婦。
父親は妻と娘のために、妻は夫と娘のために、家族愛を尽くした時代。
その娘が成長し、当時の父と母の年になった頃、廃墟となってしまった遊園地近くの団地で一人暮らす母を訪ね、久しぶりに枕を並べながら聞く昔話。

ほとんど仕事で家にいなかった父。
仕事をおいてまで子供と一緒に遊んでくれる夫。

今の自分達の家族愛との相違点を認め合う。

そんな会話の中から、印象的だった文章を少し。

「お父さんがもし生きていたら、祥之さん(夫)のこと、どう思っただろうね」
「すごく気に入ったと思うよ」
「そう?」
「だって似ているもの、お父さんと」
「そんなことないでしょ。ぜんぜん違うじゃない?」
「そっくりよ」
「違うってば。彼は、ローンのために無理な残業なんて絶対しないよ。ウチで晩ごはん食べるのが一番楽しみなひとなんだから、お父さんとは正反対でしょ?」

「お父さんも、家族をいちばん大事にしていたひとだったから」
「でも、ほとんど家にいなかったじゃない。晩ごはんなんて毎晩毎晩、お母さんとわたしの二人きりだったじゃない」
「・・・晩ごはん、美味しかったでしょ。寂しかったけど、美味しかったでしょ?それでいいのよ、お父さんは。お母さんと弥生子が家で美味しい晩ごはんを食べていることが、お父さん、嬉しかったの」

「美味しい晩ごはんを食べさせることが幸せだったのよねえ、お父さんにとっては」

「そこに自分がいないんだったら意味ないじゃない」
「そうよねえ・・・でも、お父さんが家族を大事にするって言うとき、自分は含めてないのよね。お母さんとあんたの二人だけが家族なの。その家族のために、あんなにがんばって働いたの。あの頃の父親って、ウチのお父さんだけじゃなくて、みんなそうだったんじゃないの?」

「お母さんもそうだった?」
「お母さんも、家族を考えるとき、自分のことは入れてなかった?」
「なんとなくね」
「家族のために美味しいごはんをつくろうっていうときは、あんたとお父さんのことしか考えてなかったなぁ・・・他の家のお母さんもみんなそうだと思うけど」

「なんでだろうね」

「ほんとなんでだろうね」

「あの頃の親って、みんなそうだったよねえ、いまのひとたちみたいに、自分も楽しんで、っていう考え方してなかったよね。家族のためになにかする、家族を幸せにするために自分が苦労する、そういうのがあたりまえだったんだよねえ・・・」

「そんなの・・・恩着せがましいと思うんだけど」

「そういえば、ねえ、弥生子、このまえひさしぶりに思い出したこと、教えてあげようか」
「なに?」
「乗り物に乗るときは、いつもあんたとお母さんが二人で乗ってたでしょ。『たまには乗ってみれば?』ってお父さんに言っても、絶対に乗らないの」
「そうだっけ・・・」
「なんでかっていうとね、あんたとお母さんが乗り物に乗って楽しんでいるのを見るのが、いちばん楽しいからなんだって。自分が乗っちゃうと見られないでしょ、だからいつも外から私たちを見て手を振ってたのよねえ・・・」

 弥生子も笑い返して、祥之のことを思った。祥之は家族で遊園地に出かけると、身長制限で子供が乗れない絶叫マシンにも一人で乗る。遊園地で過ごす休日を、めいっぱい楽しもうとする。帰り道にはすっきりした顔で、「さあ、明日からまた仕事がんばるぞ」とガッツポーズをつくる。
 間違ってはいない、それは、絶対に。だが、そんなふうにはふるまえなかった父親のことも、いまはもう、間違っているとは思わなかった。

「お母さんだってそうなのよ。こないだ古いアルバム見てたら、ほとんどぜんぶ、お父さんと弥生子が二人で写っている写真ばっかりなの。お母さん、ぜんぜん写ってなくてね、自分でもびっくりしたんだけど・・・写真撮るときに、あんたたちの笑ってる顔を見るのがすきだったのかもね」
by saitoru1960 | 2007-07-27 18:53 | 物語

デカパトスで水遊び

六甲アイランドにあるデカパトスという大型プールに出かけた。
わかばが部活中心の夏休みをおくりはじめたため、家族の休みがあいにくくなり、光と二人だけで開園時間に合わせて朝一で行ってきた。
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ウオータースライダーには体重制限があり、80kg以上の方はできませんとある。二人乗りのスラーダーは二人合わせて140kgまでならOKということで、行く前から「二人乗りでやろな」と話しながら楽しみにしていた。リバーライドと名づけられたそれは、なかなかスリル満点で、コースター系を苦手とする光は、「おとうさんと一緒じゃなかったらこんなにしてへんなあ」と言うほど、1回目こそ少し怖がっていたけれど、結局7,8回滑って遊んだ。平日の午前に入ったので、始めのうちはそれこそやり放題だった。
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こうして写真にしてみると、ひかりも4年生の体になってきたと感じる。
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昼食はラーメン定食(光)とカツカレー。光はわかめが多すぎるからと、わかめだけ少し食べてやった。
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水遊びの広場では大きな樽に水が上からザンザン注ぎ込まれ、一杯になると屋根の上に撒き散らしてそれが上から降ってくる仕掛けになっていて、これがなかなか迫力満点で面白かった。
何回も水をかぶりながら、「おねーちゃんもこれたらよかったのになあ」と光は言っていた。
by saitoru1960 | 2007-07-26 18:26 | 休日

環境問題あれこれ

f0013998_6143845.jpgこの本を読みながら、はたと気づかされることが多々あった。
「北極の氷の映像とともに、島嶼国の岸辺に大きな波が打ち寄せる映像がつながり、そこにテロップとナレーションで『温暖化で進む海面上昇』というイメージが作り上げられる」
しかし、北極の氷がとけても海面の上昇につながることはありえない。

コップのふちまで水を一杯に入れ氷を浮かべる。水面がふちまである状態で氷がとけたらこの水面はどうなるでしょう?

という問題を出され、よーく考えると答えははっきりしている。
そして、そこで気づくのだ。
マスコミに情報操作をされていることに。
by saitoru1960 | 2007-07-25 06:13 | ドキリとしたこと

多井畑村探訪

妻が前から気にしていた多井畑村の中に歩いていった。
多井畑厄神の北側に猿田彦神社がポツンとあった。車でしか通らない道なので今まで見ることは一度もなかったけれど、昭和5年にたてられた石柱や昭和38年の文字が見えたりと、昔のまんまの姿で今なお多井畑村を守っていた。
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ご神木は無残にも断ち切られ、その上にとりあえずの屋根だけがつけられていた。
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神木を囲む祠が二つ。この裏側は地すべりのようにえぐられていて、危険な状況だった。
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多井畑厄神を曲がり、村の中へすすむ。
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火の見やぐらは健在だけれど、消防団員はいるのだろうか。
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「松風村雨の墓」って言われてもよくわからないので、調べてみるとこんなことがわかった。<須磨観光協会>より
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多井畑幼稚園の看板があるけれど、だいぶ前に来た時は小学校の跡だったように覚えていた。横から見るともう校舎は跡形もなかった。
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村を奥に進んでいくともうどこだかわからなくなる景色になる。
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田んぼと畑とアザミ
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右が横尾山。ここはどこなのだろう。
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by saitoru1960 | 2007-07-16 14:22 | 休日

風呂あそび

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一緒に風呂で遊べるのもそう長くはないだろうな。
自分が小学校4年の時、父親とこうやって遊んだのかどうか、定かではないけれど。
by saitoru1960 | 2007-07-16 13:58 | 家族
f0013998_551028.jpg電車のホームから自殺しようとした乗客をとめることに失敗し、一緒に落ちてしまった駅員は、両脚を切断して車椅子の生活を強いられる。
不自由になった身体で、架空のHPを更新し続ける彼のメッセージは自殺願望者には伝わるのだろうか・・・。

以下、架空のHPより抜粋


ムラさんの世界放浪日記

<ナイロビは都会やで~。そのぶん、ごっついヤバい街や。昼間から拳銃強盗バンバンやってる。ソマリアから流れてくる拳銃が、これまた安いんや。300円ちょっと。嘘みたいやろ?

エイズもかなり蔓延しとるらしい。ポジティブやらネガティブやら、証明書はぜんぜんあてにできん。国立病院でさえ、300円ほど出せば、なんぼでも偽の証明書を発行してくれる、いう噂や。
まあ、なにしろ空港で預けたスーツケースの南京錠も平気でぶち壊す国やからね。銀行で両替すると、手数料のピンハネ分、知らん顔して上乗せされるし。

ほんま、アフリカがのんきな世界やなんて、誰が言うたんや。油断も隙もあったもんやないで。
でもな、そのセコさやヤバさ、ムラさんは「あり」やと思う。

アフリカの黒人は物質文明に毒されてへんから素朴で純情で・・・・そんなん勝手に決めなや。みんながみんな『ブッシュマン』のニカウさんみたいなひとやったら、なんでアフリカでこんなに戦争やら内乱やら起きんねん。せやろ?なんで難民キャンプに飢えた子どもがあふれ返っとんねん。せやろ・

アフリカのひとも、みんなわしらと同じや。同じように欲を持って、野心を持って、守るべきものを持って、負けられへん意地があって、相手をだましたり傷つけたり、逆にだまされたり傷つけられたりしよる。嘘のうまい者もおるし、下手くそもおる。喧嘩の強い者もおるし、弱い者もおる。セコいことして世の中渡る者もおるし、正直すぎてドツボにはまった者もおる。美人もおるし、ブスもおる(あ、これ、あんまり関係ないな)。

それでええやん。
な、狭~いニッポンの諸君、あんたら、自分が出会うた相手はみんな「いい奴」やないとあかん、思うとるんと違う?
言うたら、友だちをどんどん増やさなあかん、いう思想やな。思想て大げさやけど。
甘いなあ、それ。
そんなん考えとったら、キツいやろ。
「嫌な奴」に出くわしたら、どないすんねん。自分の不幸を嘆くんか?「嫌な奴」を憎むんか?どっちにしたってキツいわな。

世の中には「いい奴」もおるし、「嫌な奴」もおる。それが現実や。自分は「いい奴」としか出会いとうない?アホか、ずうずうしいにもほどがあるわ。
逆に言うたら、「嫌な奴」に出くわしても、そんなに落ち込むなや。なあ。丁半博打と同じや。たまたま裏目の奴と会うただけのことやないけ。

なんか今日は説教モードに入ってもうた。
市内でぶらぶらしとると、気力や体力が余ってしまうんかなぁ。
明日はナイロビを出ようと思うてます。
あ、そうや、ケニアではバスのことを「ニッサン」言うんや。昔のアメリカで、小型車が「ホンダ」になっとったんと同じやな。トヨタなにしとんねん。がんばりやー。

ナイロビからタンザニアに入る予定です。タンザニアはケニア以上にヤバいらしいんで、いまから楽しみです。
どないな連中に会うんやろ?

ムラさん、べつに「嫌な奴」に好きこのんで出会いたいわけと違う。でも、「いい奴」としか出会いとうないと思うほどの甘ちゃんでもない。わし、「いろんな奴」と出会いたいから、放浪を続けとるんや。

狭いニッポンの諸君、ほな、またな~>


<今日はマジなこと書く。

難民キャンプいうてな、日本におったら、軽いねん、響き。「キャンプ」があかんのかな。「避難所」でええのにな。キャンプ、軽いわ、言葉が。オートキャンプと似たようなもんか、いうて。

でもな、本場モン見たら、冗談言えへんよ。言うたらあかんし、言う気も起きん。
ベナコのルワンダ難民キャンプに来とんねん、いま。難民の数、30万人やて。日本でいうたら、どこの市やろ。そこそこの都市や。日本のボランティアも、ようけいてはる。みんな、必死に、難民を救おう思て働いてはる。

でも、めちゃくちゃや。救援物資の薬やら食いものやら、タンザニア人の外道どもが市場に流し放題や。昨日は、日本から来たカメラマンが、タンザニア兵を怒らせて、フィルム全部抜き取られて泣いとった。

グルメの国ニッポンの諸君、「痩せて骨と皮だけになった」という言葉、これからは軽々しくつかわんといてな。そういうひとを(子どもがほとんどや)じかに見るとな、言葉にしたら嘘になるなあ、て思う。テレビの映像でも伝わらんよ。赤土の埃っぽさや、陽射しの強さや、饐えたようなにおいの中での「骨と皮」なんや。一日に何人も死んでいって、子どもがその死体をぼんやりと見とる毎日の中での「骨と皮」なんや。

わかるか?
わかる―とか言うなよ。
わからんでええ。
わかったふり、せんでええ。
「骨と皮」をリアルに想像することのできん、いまの幸せを噛みしめようや。
ルワンダの子どもらに同情せんでもええ。
ニッポンの豊かさに負い目を感じんでもええ。
ただ、がんばろうや、わしら。
がんばって、いこうや。

わしらには「肉」がある。
「肉」には弾力があんねん。クッションになんねん。
「骨と皮」の子どもは、すぐ怪我をする。クッションがないさかい、ちょっと転んでも出血するし、軽くぶつかっただけで骨折する。

でもな、そんな子どもらも、キャンプの中で友だちと遊んどんねん。笑うんや。なんでやろうな。絶望しかないような状況なのに、やっぱり、おもしろいことがあったら笑うねんな、人間。
体は「骨と皮」だけでも、心には「肉」が付いとるんかもしれん。わしらの心の「肉」より、もっと柔軟で、もっとたくましい「肉」なんやろな。

心に「肉」が付いとるか?あんたら。
ええ「肉」つけような、お互い。
わし、これから海に出ようと思うとる。ヒッチハイクやさかい何日かかるかわからんけど、海が見とうなった。

しばらく更新できひんかもしれません。
いまのうちに書いときます。
暑中&残暑お見舞い申し上げます>


<海や~っ!海、海、海、海、空、空、空、空、ときどき雲や~っ!

 いま、エジプトにいてます。地中海に面したアレキサンドリアいう街です。都会です。海にヨットがぎょうさん浮かんでます。みんな金持ちなにやろな~。

 海はええなあ。でっかいやんか、なにせ。
 アフリカの大地に寝っころがって大空を見て、体を起こして海を見つめてる。
 ちっぽけなもんですわ、人間。でも、ちっぽけはちっぽけなりに、いろいろ苦労してんねん、人間(あんたかて、そうやろ?)

 ずうっと昔の人間は、水平線の向こうは崖になっとるて信じとったらしいな。アホやな、やっぱり昔の奴らは。水平線が「終わり」やて・・・でもまあ、その気持ちもわからんでもない。「ここから、ここまで」の範囲がないと、人間、自分の世界の輪郭がつかめへん思うんや。つかめへんと、ごっつ不安になると思うんや。でもな、家庭でも学校でも会社でも、あんたら一人ひとりのいてる世界を「ここから、ここまで」でくくってしもうたら、「ここまで」の先は「終わり」になる。

 それでええんか?いま目に見えとる世界の先は「終わり」でほんまにええんか?
 昔の船乗りの気持ちになってみようや。「終わり」に向かって最初に船を漕ぎ出した人の勇気を想像してみようや。ちょっと考えればわかることやけど、どんなに沖に出ても絶対に船が水平線に着くことはない。1キロ進めば、水平線も1キロ分遠ざかる。2キロ進んでも、20キロ進んでも、200キロ進んでも・・・で、いつまでたっても着けへん水平線目指して進んでいくうちに、向こうに陸地が見えてくんねんな。世界の「終わり」やったはずの水平線が、いつのまにやら、新しい世界の「始まり」になっとんねん。

 おもしろい思わへん?
 思うやろ?
 あんたが自分の世界の「ここまで」と思うとるものは、ほんまは新しい世界の「ここから」なんや。そない考えたら、広いでぇ、世界、ほんまに。

 せやから、わしも、まだ旅を続ける。アフリカの旅の「終わり」は、ヨーロッパの放浪の「始まり」や。アレキサンドリアでしばらく働いてお金稼いで、ヨーロッパに向かう船に乗ろうと思うとる。

 「異常なし、このまままっすぐ進め」いうんを、船乗りの言葉では、こない言うねん。
 よーそろ!
 よーそろ!
 わしも、よーそろ!
あんたも、よーそろ!
あんたの目の前の水平線は「終わり」のしるしと違うでえ!>
by saitoru1960 | 2007-07-14 05:56 | 物語

派遣職員の実態

職場では時々、組合の新聞が回ってくる。
その中に興味深い記事があったので、以下に掲載します。
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派遣労働の実態

○月○日(日)、神戸市中央区の一流ホテルで客室清掃・ベッドメイク☆
※9:30~15時、時給850円+交通費支給
※三宮から無料送迎バス☆
※友達・カップル・親子OK!誰にでもできる簡単軽作業☆
※行ける方は××(078-123-4567)にTEL下さい!

希望される方は下記のURLにアクセス!
http://www.abcdefghijk/012345/

××・△△(株)

上のメールは、ある派遣労働を提供する会社から、登録した「契約社員」の携帯に送られてきたメールです。テレビでもCMでも「軽い」感じで時間を有効に活用して収入を簡単に得ることができるように紹介されていますが、果たしてその実態は…?

第1回 働きたいときだけ働く?

こんなCMをご存知だろうか?
若い女性がショーウインドウを覗き込み、素敵な鞄を見つける。
「欲しいなあ、でもお金ないなあ、そうだ!」
彼女が鞄を手にするために思いついたのは、とある派遣請負会社である。そこに連絡すると明日の勤務先を紹介してくれ、そこで明日働き、夕方にはお金をてにして見事憧れの鞄を自分のものにする、という筋書きである。

「働きたいときだけ働く」
こんな労働スタイルが今、結構流行なのだとか。でも、これはよく考えると何も新しい労働形態ではなく、古くからある「日雇い労働」である。次の仕事まで数ヶ月、ぽっかり穴が空いてしまった時間を有効に使えるわ、どんな仕事をするんだろう、と持ち前の好奇心も手伝い、さっそく体験してみることにした。
なんどか勤務するうち甚だしい矛盾を感じ、結局足を洗う(?)のだが、その時の体験は「格差社会」「ワーキングプア」など、最近世間で取りざたされている深刻な問題を考える大きな判断材料となりそうな気がするので体験記を残すことにした。

「3252の○○です」
日雇い労働の一日は派遣請負会社への連絡から始まる。
「おはようございます。今から(昨日紹介された)□□会社へ向います」
派遣されるのは数名・数十名単位で、駅の改札などでまず集合し、昨日聞いた人数が集まったら皆で会社へ向う。集団が大きい場合、何度かその会社へ派遣された経験を持つ者がリーダー(責任者)に指名されていて、点呼をとっていることもある。集合といわれても目印もないし知りあいもいない。なんとなく人が集まっている所へ近づいて様子をうかがい、近くにいる人に派遣請負会社の名を告げて確認できればその集団に加わることになる。集団にいる人達はみな携帯を握り締め派遣請負会社へと連絡をとっている。

「6745の△△です。今から勤務先へ向います」
昨日契約をしたし家を出る前に連絡もし、あれから1時間くらいしか経っていない。仕事が欲しくて問い合わせて、朝ちゃんと目覚めて連絡したのだから会社に行くに決まっているではないか。しかもリーダーが点呼をとっているのになぜ皆ここに連絡するのだろう。携帯代もバカにならない、だから、わたしは連絡せずほっておくことにした。すると派遣請負会社の方からわたしの携帯に連絡が来る。
「到着しましたか」
初めて行く勤務先に無事到着できたか心配してくれているのだと解釈していたが、何度かこの仕事をするうち、心配の中身にわたしの解釈以上の意味があることに気づく。


第2回 工夫などする必要は全くない!
「エスケープなどせずホントに仕事をするのか」
わたしはホントに道に迷いそうな時以外自分で連絡することは一切なかったので、さぞいいかげんな奴と判断されていたことだろう。

会社へ到着するとエプロン・軍手・カッター・マジックペンなどすべて自前で用意した作業道具を身につけ、職員朝礼の輪へと向う。マジックインキなどは私の家には常備しておらず、日雇いバイトのために買うのもバカバカしい。しかもちょっとメモをとるためのペンなどとは異なり、用意したマジックペンはものすごく消耗しそうである。そんなのもったいないわ、とセコイようだが私は忘れたふりをした。都合よくその日限りの人員を薄給でかき集め、消耗品まで自前にさせようとする企業に対する私のささやかな抵抗だ。ここでも私は、仕事道具を忘れてくる不真面目な奴と判断されたはずである。

朝礼が終わり、社員が私らを適当に各部署へ配属していく。
「そこのあなたとあなた、そこの赤いエプロンの人、こっちへ来て」
ホントに適当、名前すらいらない、誰でもいいのだ。今日頭数を集めただけの海のものとも山のものとも知れない労働者なのだから当然といえば当然だが。
これら朝礼の時間は勤務時間ではないので当然給料は支払われない。

配属された部署で作業手順を聞き、いよいよ仕事開始。私が体験した仕事、顔見知りになった人が教えてくれた過去にした仕事はだいたいこんな感じだ。
○ベルトコンベアーに乗ってくる籠にビニールをかける→スーパーの宅配用
○番号がたくさん書いた紙を配布され、その番号の品物を棚から探し出し、自分に与えられたカートの中に入れる。→全国の100円ショップからの注文の品を揃える。
○商品の箱にシールを貼る→「新発売」とか「お買い得」とか
○値札をつける→百貨店で販売
○冷凍難バーグ・野菜・冷凍スープなどのパッケージを1つずつに分けて籠に入れる。→全国のファミリーレストランへ配布

他にももっとイロイロあった気がするが、とにかく世の中には何でも仕事があるもんだと、配属されたり聞いたりするたびに驚いた。これらの労働を説明するにはすべての文頭に「ただひたすら」という言葉を補うのが適当であった。

朝礼の時、現場取締役のような社員がよく強い調子で「言われたことだけをしていなさい。工夫などする必要は全くない」と言っていた事を覚えている。確かにその日突然やって来た素性が全く分からぬ者達がめいめい創意工夫などをすればとんでもないことになるのは明白だが、とにかく決められた時間そこにいて決められたことだけをこなす、頭など全く使ってはいけない、そこには人間関係も全く存在しない、夕方になれば5000円そこそこの賃金を得る。(時給800円、交通費500円)。家でぼおっと過ごすより時間を有効に使って小遣いを稼ぐ、しかし、5000円以上の大事ななにかがものすごい勢いで私から削り落とされていく気がした。

第3回「ただひたすら」働く

作業手順を聞く時、社員に代わり過去にこの会社に配属されたことのあるものがリーダー(責任者)として私らに説明してくれることがよくあった。「責任者」となった彼らは社員から聞きかじった業界専門用語を巧みに交え、難しい仕事だが頑張ってほしいなどと言って私らを「指導」する。「指導」とは心地よいものなのか、彼らは大抵かなり得意顔で「指導」をし、私らを見て回って「注意」してくることもある。ある「責任者」は、バタバタと遅刻してきた女の子に対して、
「着いたらまず俺に“おはようございます”やろ、そして“遅れてすみません”やろ」
と叱っていた。

何度か同じ職場で働き、君が責任者だ任せるよ、などといわれると自尊心がくすぐられるのだろう。そして、その心理を最大限に利用し、薄給でも勤勉な労働者に仕立て上げる。しかし、彼らは「日雇い」である。日雇いだからいいかげんに仕事をしていい、というものではないがなにかが違う。

午前9時から働いて、「良い」会社だと10時半頃に10分程度の休憩が与えられる。トイレは現場から離れた所に1つか2つあるくらいだから、行って並んで戻ってきただけで休憩は終わりだ。それから12時か12時半くらいまで再び「ただひたすら」働く。
待望の昼休憩になると皆休憩室へと移動する。たいていはパイプ椅子と机が数個あるだけ、しかも早く行って場所を確保しないと冷たい床に座ることになる。窓もなく人が行き交いもできぬほど狭く、たばこの煙がモクモクとたちこめる。それはそれは劣悪な環境だ。

「タコ部屋」
どこかで聞いたことのある、古い時代の劣悪な労働形態を示す言葉を思い浮かべた。私はこの種の仕事をした時のほとんどは一人、会社の外に出て駐車場の隅っこや植え込みなど座れそうな場所を探し、青空の下で弁当を広げた。

この時間帯にほとんどの者が携帯を握り締め、派遣請負会社に連絡して明日の仕事があるかどうかを確認する。明日もある、といわれた場合、なにか勝ち誇ったような顔をする。明日は未定、といわれた場合、とにかくなにかないのかと詰め寄ったり、意気消沈したりしている。
ある時年配の女性が、
「☆☆さんには目をつけられないよう、嫌われないようにしたほうがいい」
と耳打ちしてきた。☆☆さんは気に入らない派遣労働者を見つけると、派遣請負会社に、「あの人は不真面目です。仕事ぶりがいい加減です」

などと派遣請負会社に告げ口をするそうだ。そして、告げ口されたものはあまり仕事が回ってこなくなり、その分が自分に回ってくると考えているらしい。
出世するために他者を貶めたり、ライバルの立場を悪くしようと立ち回る、などというのはいろんな世界であることかもしれないが、こんな所にも存在するのか。好意の真偽は、私が直視したわけではないので不明だが、そんな噂があることを知りかなり驚いた。

コセコセ立ち回ったり、悲壮感を漂わせて仕事の有無を確認しなくても、派遣請負会社からはその日連絡がなくても、数日後それこそ足を洗って(?)一年以上今でも、時々「明日ヒマか」と連絡が来る。

第4回 お金が貯まったらアルバイトをしたい

毎日同じ職場で働きたいのなら何故ここに来るのだろう。町を少し歩いただけでも「パート募集」などと掲げている店や会社がたくさんあるではないか。新聞広告やフリーペーパーをちょっと見ただけでも仕事なんていくらでもあるではないか。
それに、一日のわずか5000円ほどの仕事を得るためにこんなに何度も携帯を使って、携帯代と日給の差し引きがどれくらいになるか考えないのだろうか。

何度か顔を合わせた20代前半の女の子が、明日仕事があるといわれたけど明日だけは休みたいといったら、もう次の仕事は回せないかもしれないと返されたと落ち込んでいる。どうやら派遣請負会社は仕事が欲しそうなそぶりを見せると強気に出るようだ。私はちょっとおせっかいな気もしたが、
「正社員は難しくてもアルバイトならいくらでもあるのではないか、継続して働きたいのならこんな明日あるかどうかわからない仕事をしなくてもいいのではないか」
と提案してみた。

彼女は、
「お金が貯まったらアルバイトをしたい」
と答えた。私は全く意味が理解できなくて、それはどういうことかと聞き返すと、
「ここはすぐお金をくれるから」
とのこと。その日すぐに5000円をもらわないと今日のごはんを食べることができないほど彼女の生活は苦しいのだろうか。ちょっと話をしたくらいで彼女の背負う人生など理解できるはずもないので、話はそれ以上進めなかったのだが、周囲を見回しても彼女と同様、私の理解を超える人だらけな気がする。これはとんでもないところに迷い込んでしまったのかもしれない。

彼女は私との話を一段落させ、たばこを買いに行くために財布を取り出した。キティーちゃんのかわいい財布を開けた時、有名なサラ金会社のカードが入っているのが目に留まった。チラシでもティッシュでもない、銀行のキャッシュカードのようなプラスティックのカードである。彼女は財布の中身が寂しくなって私が銀行に跳び込んでキャッシュカードでお金を下ろすのと同じように、サラ金会社のカードを使ってお金を借りているのだろうか。彼女のいうお金の貯まる状態とはいくらくらいたまった状態を示すのかわからないが、おそらくこのぽっちゃりとしたかわいらしい彼女が自分の感性でいうお金がたまった状態になるのは相当難しいだろうなあ、と失礼ながら思った。

昼休みが終わり、「ただひたすら」働くことを再開する。三時半くらいに十五分程度の休憩があり、五時か六時くらいまで「ただひたすら」働く。そして就業時間が五時の場合、大半がその日の給料を貰うため、現場監督のような社員に確認印を貰い、大急ぎで6時に閉まる派遣請負会社へと向う。仕事疲れを癒すことも含めて、水・木あたりは仕事を入れないようにする人が多いのだそうだ。週の半ばの休養も結構だが、
「薄給をとりに行くため1日の仕事を削って収入がさらに減るとは思わないのだろうか」

何度か給料を取りに行くうちに20代前半の男の子たちが数人、事務所にたむろしていた。まるでコンビニの前でそうしているかのように。
「仕事をくれなくてもここに来てなんとなく一日を過ごす」
仕事がなければ友人と出かけても、家でビデオを見てもいいではないか。なんでこんな事務所を拠り所にするのか、なんだか彼らがものすごく寂しそうで気の毒な気がした。

さらに彼らの会話の中に、
「昨日仕事場へ行ったが“悪いな、今日は仕事ないわ”と言われて戻ってきた」
というのがあった。この事務所で仕事があるといわれたから早起きして身支度を整え交通費を使って仕事場に行ったのではないか。それはそんな調子でぼやく程度のものなのか、しかもこの事務所で。聞いている社員も「そうでしたか」などといって特に申し訳なさそうにしたり謝罪したりする風は一切ない。
激怒して事務所に殴り込んで行くくらいの醜い仕打ちではないか。ノコノコ事務所へやってきて、そうしてぼやくだけでいいのか。

「彼らは神経が麻痺している」
もうあまり深く考えないようにした。後から知るのだが「サブ」とかなんとかいって
、当日突然休む人の交代要員として勤務先へ行く、交代の必要がなければそのまま帰る、交通費500円支給、という労働形態があると知る。随分醜い扱いな気がするが、
「ちょっと行くだけで500円もらえる」
と結構喜んでいる子がいたりする。
「勤務先へ行く労力を換算したものや交通費を合算した金額と500円のどちらが大きいか彼らは計算できるのだろうか」
「やはりここにいると麻痺してしまう」

そして終業時に忘れてならないのが「連絡」である。
「3252の○○です。五時までの□□会社での業務、終了しました」
大抵の者は帰る道すがら携帯で連絡していたが、ここでもセコイ私は携帯代を節約するため自宅へ戻ってから料金の安い固定電話で連絡する。節約という意味より、安い日給で人間性を失う上に携帯代まで削り取られる気がする派遣契約会社へのささやかな抵抗である。

時々派遣請負会社から、
「業務は終了しましたか」
とホントに働いていたか確認する意味のこもった連絡がくることがあった。私は催促しないと連絡をよこさないホントにいいかげんな労働者である。
こういった労働を何度か体験するのだが、回を重ねるごとに上述したような理解の域を越える出来事が増えていく。それが自分の視野を広め、自身を向上させるものであればいのだが、ここでの経験はむしろ自分の良い部分がそぎおとされ、ランクを低め賤しい人間に貶められていく気がした。

第5回 オイシイ商売 派遣業

そして足を洗う(?)決定的な出来事にぶつかる。それは一日だけのある勤務先でのこと。そこには常勤の学生アルバイトがおり、彼らの話を聞いているとどうやら私の出身大学の学生らしい。これをきっかけにちょっと知りたいこともあるしと思い、大学名を使って彼らに話しかけてみた。ヘンなおばさんが急に声をかけてきた、と気持ち悪がられるかも、という不安をよそに彼らは結構人懐こくイロイロ話がはずんだ。

「このバイトに来てなんぼくらい貰うんですか」
輪達しが彼らに話し掛けたのは、この会社が派遣請負会社にいくら払っているかが知りたかあったからである。派遣請負会社はおそらくかなりピンハネをしているだろうけど、一体どのくらいなのか、彼らはここで日常アルバイトをし、社員との交流もかなりあるようだから、知っている可能性がある。どうやって話を持って行こうかと思案していた所、彼らから話しを出してきた。私は日給5000円くらいだと答えた後、

「これはかなりピンハネされた額と思う。この会社がいくら出しているか知っているなら教えてほしい」と素直に聞いた。
「チーフ(社員)の話では時給1500円くらい出しているはず…。すっげー!」
私も彼らもそのピンハネ率の凄さに驚いた。
私を紹介して一日送り込んだだけで、私が一日働いたのと同額のお金が派遣請負会社に転がり込んでくる。なんてオイシイ商売なんだろう!

大学生の彼らは、アルバイトなのにチーフ(社員)からイロイロ任されて、学校との両立が難しいから派遣に切り替えようかと迷っていたらしい。彼らの迷いはこの話題で一気に吹き飛んだようだ。

本来の仕事が始まったこともあり、私もそれ以来これらの仕事を一切していない。
by saitoru1960 | 2007-07-09 19:24 | いろいろ

釜山の地下鉄で

「わたしはつぎのえきでおりるから、いっしょについてきなさい」と、突然1人の女性から話しかけられ、わたしはドキリとした。

 釜山(プサン)の地下鉄で、間違えて乗り込んだ路線をどうやって元に戻るか友人と少し大きな日本語で話していたとき、その女性はわたしたちに声をかけてきたのであった。それも日本語で。

 西面(ソミョン)駅の案内は基本的にハングル文字での表記しかないため、南北にしか走っていない路線にもかかわらず、わたしは前日も違う電車に乗ってしまっていた。にもかかわらず、西面駅から8つほど北にある温泉場(オンチョンジャン)駅に行こうと乗り込んだ電車がまたも反対側に走り出したので、わたしたちはすぐさま大騒ぎを始めたのであった。

 電車の中はすべて韓国人でわかるはずもないからと、無意識にたかをくくり、わたしたちが車内で話す日本語は日本にいるときよりも声高になっていた。

 年の恰好60代なかばのその女性は、わたしたちが電車に乗り込んですぐ、日本語で慌て始めた様子を5mほど離れた位置から眺めていて、他の乗客たちがわたしたちに興味を示さなくなってからも、チラチラこちらをうかがうように視線を向けてきていたのだった。

 次の駅に着き、手招きしながら誘導してくれる女性の後に続き歩いていくと、ここからのればだいじょうぶだから、と女性はわたしたちに告げ、ありがとうございます、と礼をいうわたしたちに、特別笑顔を見せるわけでもなく立ち去っていった。

 釜山の港近くの通りには、海産物や観光客用のお土産などを並べた屋台が並び、海の匂いが漂っていた。シジミのだし汁で食べさせる日本のきしめんに似た麺、肉厚のするめ、エイの干物など、小さい頃東北の小さな漁港町で育ったわたしは、どこか郷愁をくすぐられるような匂いをいたるところで感じていた。

 一方、宿泊先になっていた繁華街の中心部に位置するロッテプサンホテルは交通の便もよく、地下鉄の駅まで歩いて5分という好位置にあった。繁華街のファッションマート前でたむろする若者の姿は日本のそれとなんら変わる所はなく、メールを携帯電話でチェックしながら、雑踏の中、人待ち顔で立っていた。

 アジアの街を歩くと、日本人観光客を相手に日本語を話す現地の人に出会うことは珍しいことではない。しかしながら、自分の母と同じような年齢の韓国女性が話す日本語は、観光客相手のために今覚えたものではないはずだ。

 歴史的に見て、1910年に日韓併合条約が締結されてから第二次世界大戦で日本の統治下から離れるまでの35年の間に、韓国の文化や慣習に何らかの変化をもたらす日本の政策があったとしても何の不思議はない。例えるなら、儒教の考えから女性が結婚しても名字をかえることはない朝鮮半島で、日本が統治している時代に日本風の名前に変えた韓国人も少なからず存在しているのである。

 日本で戦争の頃の話をする人が次第に減ってきているのと同じように、日本が統治していた頃のことを覚えている韓国の人も少なくなってきている現在、老女が話す日本語の流暢な理由が気になって仕方がなかった。

 老女が10代から20代の多感な頃、何らかの理由で自国を統治している他国の言葉に出会う。能動的なのか受動的なのかはわからないが、大脳に日本語を染み込ませていく頃の、若き老女の日常はどのようなものだったのだろうと、様々な映像に想いを巡らせてしまった。

 日本に似ている街で出会った日本語を話す老女。 歴史を知る、知らないで、同じものを見てもその感じ方は全く違うものになってしまう。
by saitoru1960 | 2007-07-08 10:03 | アジア

自然の家でカヌーで遊ぶ


摩耶山の自然の家主催のアーチェリー&カヌー教室に参加。
今回3回目のカヌーで、光はもう一人でどこにでも行けます。
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光は最初に黒色のところにあてました。
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わかばは段々調子を上げ、最後の方はこつをつかみました。
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カヌーの説明をしたのは「マイケルジャクソン」でした。
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ずぼんがびちゃびちゃです。
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わかばは最初真里子ちゃん、夏苗ちゃんと一緒にカナディアンでスタートです。
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これで3回目のカヌーです。
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イトトンボの交尾と産卵を見つけた光はみんなを呼んでいました。
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わかばが見つけたヤゴの脱皮直後の抜け殻。
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マイマイカブリは毛虫を食べていました。
by saitoru1960 | 2007-07-01 21:16 | 休日

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960