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1月のランニング

ランニング記録を昨年6月からつけ始め、これで8ヶ月か過ぎた。
 6月: 55km
 7月:144km
 8月: 51km
 9月:160km
10月:205km
11月:265km
12月:345km
 1月:366.8km

1月の目標は350kmだっただけに、とりあえず「できた」という満足感はもてた。
2月は欲張らずに28日間で300kmで良しとする。
by saitoru1960 | 2009-01-31 22:03 | ランニング

亜細亜3カ国食べつくしの夜

去年からの懸案だった垂水廉売市場内にある亜細亜市場を原田くんと訪れた。突然、原田くんからメールが届き、「今年は実現させましょう!」と書いてあったので、思い立ったが吉日と、すぐさま「今度の金曜日!」と相成った。瑞穂くんも同席し、「タイ&ベトナム」料理をうたう、亜細亜市場へ。
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廉売市場に昔の面影はなく、街中の市場が現在直面している歯抜け状態。
でも、「予約が一杯で20、30分待ってもらわないといけません」と言われるように、この店には女性客を中心にわんさか入っていて、7時前に着いたのに店に入れたのは7時50分頃だった。
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そして、テーブルに座るとこれまたびっくり。なんと電子スティックで注文をするというシステム。メニューの中にあるシールをピッとすると、「なまはるまきのちゅうもんをうけつけました」としゃべりだす。なんとも店とマッチしない状態に、少々興ざめしてしまった。
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ベトナムの生春巻きは唐辛子の入った酢で食べるとベトナムの味。1本400円。
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タイのシンハビール&ベトナムの333(バーバーバー)。各350円。シンハと333を比べると、飲みやすさはシンハに軍配が上がる。333には独特の味があり、このクセを楽しめるかどうかはその日の気分によるかもしれない。
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タイのレッドカレーは鶏肉、900円なり。ご飯がなんとタイ米のようで、独特のくさい匂いとパサパサ感に懐かしさがこみ上げ、味もOK。この店一番のヒットだった。
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最後に食べたのがバインセオ。でもベトナム名は書かれていず、「ベトナム風お好み焼き」と書かれてあった。もやしやにら入りで、生意気なことに1200円もとった。このあたりで、やや興ざめがかなり興ざめとなってしまった。原田くんと話をしながら、JR垂水の東口南に「ボンベイ」というインド料理店があるというのがわかり、気持ちはいつしか「ボンベイ」のカレーに向いていっていた。
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JR垂水の駅のプラットホームから丸見えの「ボンベイ」は何か別の店だったところにインディアンレストランを開いた感じで、ウエイターも料理人もインド人だったけれど、ちょっとアンバランスで、またそこのところが面白くなかなかいい店だった。瑞穂くんもまだ食べたらない風だったので、3人で「魚のカレー」を1つとナンをひとり一枚ずつ頼んだ。
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魚のカレーは白身魚。マスリハに近いものをちょっと期待していたけれど、白身魚はやはり白身魚でしかない。しかし味はワランミール。カレーが1150円、ナンはでかくて370円と許せる値段。またきちんと行かねばならない。
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チャイについてきた砂糖の袋は2つ。いくら慣れている瑞穂くんでも「2つは甘すぎるでしょ」と入れなかったけれど、こんなときはアマアマにして飲むのが「通」の飲み方。「できればコンデンスミルクで飲みたいんだけどなあ」と原田くんと共にチャイを楽しんだ。
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チャイを飲んでいるとき、「サービス」と出されたのがこれ。今までお目にかかったことのなかったもので、恐る恐る口に入れると、ワラホニ!(めちゃ甘!)
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すかさずカウンターに座っていたウエイターのところに行き、「これの名前はなに?」とたずねると、「メニューのナンバー64だ。グラブジャムン(Gulab Jamun)」
「何でできているん?ココナッツが入っている?」
「*‘?#でできているのだ」と聞き取れず。
「あなたは英語が上手だねえ」と言われ、「そんなことは・・」
と席に戻って、メニューを広げ名前を確認したのだった。
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家に帰って調べると、これはインドの代表的スイーツで、でもあまりにも甘すぎるため日本で出す店はあまりない、とも紹介されていた。
そうとわかっていればチャイに砂糖を2つも入れるのではなかった、と原田くんと二人口に入れながらウワ~と叫んだことを反省したりもして楽しい会は終了。
でも、そんな代物を垂水で出すあたり、「ボンベイ」はなかなかの店だった。
以下、作り方。
たっぷりのパウダーミルク、少しの小麦粉、バターひとかけ、ベーキングパウダー少々。
それらを、軽めの生クリーム、もしくは牛乳を少しずつ加えながら、捏ねる。
耳朶くらいの堅さまで。そう、白玉だんごを作るときと似た感じで。
油で揚げ、ふんわりこんがりきつね色になったところですくい上げ、
カルダモンやグローブの実を入れた、シロップに浸す。
ポットに入れて、冷蔵庫で寝かせておき、食べたいときに温め直して食べる。
by saitoru1960 | 2009-01-31 17:24 | アジア

西伊豆の潮かつお

先週の日曜日、鉄腕DASHを見ていると、ソーラーカーは西伊豆を走っていた。
田子町というところは小さな港町で、なんと「潮(しお)かつお」なるものを作っているのだった。
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かつおの内臓を出した後、天然塩をドドンとすりこみ、それを冬の寒風の下、軒先につるして乾燥させ、正月のお飾り用にしたりして、地域の特色ある一品となっているのだった。
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番組では、山口君とリーダーは味見をさせてもらう、ということになり、見ていると、それは潮かつおの切り身を少しほぐしてご飯の上に乗せ、上からお茶をかけてお茶漬けとして食べるという代物だった。

「おお~~」と叫んだ。
そして、つばが出た。
「おとうさん、ガルディアだよ」とわかば。

かつおのだし汁を冷や飯にぶっ掛けて食べるモルディブ料理「ガルディア」は、思っただけでも口中につばが出てくるなつかしの料理。
そいつを彷彿させる簡単ウマウマ料理に、「こいつはどうしても手に入れねば!」とネットサーフィンを開始した。

最初行き着いた店では10月から11月の間に予約を入れ、12月の下旬から発送します、とあり、すでに商品はないということでがっくり。めげずに探して行って行き着いたのがカネサ鰹節商店
なんと、だんきちが寄ったのがこの店のようで、うれしいことに切り身でも販売しているというので、即注文をかけた。
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さて、明日届く予定の「潮かつお」。ガルディアを感じさせてくれるかどうか。
冷蔵庫に眠っているメイドインモルディブの「リハークル」をたらして、いざ!
by saitoru1960 | 2009-01-29 05:16 | いろいろ

銅版レリーフと保存食メニュー

時間をかけてわかばが作った銅版レリーフが神戸市のアートフェスティバルに選ばれ、県立美術館で行われた展示会に出展された。
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小学校、中学校、特別支援学校の美術の先生たちが考えた教材を、たくさんの生徒たちが工夫を凝らして完成させているのは圧巻だった。
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神戸市の各区ごとにたくさんの作品が所狭しと並んでいた。
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スロープにはこれまたメンディングテープを使ったデコレーションが施されていた。
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もし光にもやれるチャンスがあったら大喜びしてやっていたに違いない。
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土曜日だったので、家族づれがたくさん見にきていた。
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県立美術館を出た後、隣のJICAで夕ご飯を食べる。事前に見ていたのは毎月のスペシャルディナー。
1月は減災月間ということで、それにあわせて世界の「保存食メニュー」、700円。
最後の3食をゲットして、光はカレーを食べる。
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ラタトゥユのクスクス添え、鶏ハム、ピクルス、ドライフルーツのヨーグルトがメニュー。
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クスクスは北アフリカの乾燥パスタ。鶏のハムは塩を使った保存食。ピクルスは酢漬け。
ドライフルーツは5種類くらいのものが入っていておいしかった。
2月はネパール料理ということなので、これまた気になるところです。
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by saitoru1960 | 2009-01-24 22:23 | いろいろ

20kmのタイム推移

途中から、ハーフを20kmと勘違いして「速く走っているはずなのに・・」と、少しあせりながら走っていたのだけれど、家に帰ってメモをみると21kmだったので、少しホッとした。
垂水までは北の風に押され、2号線に出てからは西の風に押されて、垂水から須磨までの1kmごとの標識では、5.03,5.01,5.02,5.02,4.52、くらいで進んでいたので、まずまずのペースといえる。

2008.11.23 1’51’35
2008.12.06 1’48’37
2009.01.24 1’46’12

上沢のニッサンから楠6までのラスト1kmは4'46だった。
by saitoru1960 | 2009-01-24 17:01 | ランニング

オバマはフセインだった

オバマが大統領就任演説をした夜、家に帰ると、
「オバマの名前知ってる?」ときかれ、たずねると、
「バラク・・フセイン・オバマだって」
そこから、調べてみると、ウキペディアには以下のような説明があった。

そんなことを知ると、「これもまたすごいことだな」、と感じてしまう。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「バラク・フセイン・オバマ・ジュニア」(英語: Barack Hussein Obama, Jr、1961年8月4日)

生い立ち
1961年8月4日にハワイ州ホノルルにある病院で出生した。実父のバラク・オバマ・シニア(Barack Obama, Sr.)(1936年 - 1982年)はケニアのニャンゴマ・コゲロ(Nyang'oma Kogelo)出身(生まれはニャンザ州ラチュオニョ県Kanyadhiang村)のルオ族、母親はカンザス州出身の白人、アン・ダナム(1995年没)である。
2人はハワイ大学で出会い、1961年2月2日に周囲の反対を押し切って結婚した。

父オバマ・シニアはイスラム教徒(ムスリム)であり、イスラム教の戒律(イスラム法)では「ムスリムの子は自動的にムスリムになる」とされているが、オバマ自身は現在キリスト教徒(プロテスタント)であると表明している。オバマは自伝で、「父はムスリムだったが殆ど無宗教に近かった」と述べている。
両親は1963年に別居し、1964年に離婚した。1965年に実父はケニアへ帰国し、政府のエコノミストとなった。異父妹が1人、異母兄弟が8人(うち、4人死没)いる。なお、オバマ自身は1971年に一度だけ実父と再会している(実父は1982年に自動車事故が元で死亡した)。

その後、人類学者となった母がインドネシア人地質学者のロロ・ソエトロ(Lolo Soetoro)(1987年没)とハワイ大学で知り合って再婚したことに伴い、1967年にインドネシアのジャカルタへ移住した。地元の学校に10歳まで通った。
1970年に母と継父の間で異父妹のマヤ・カッサンドラ・ソエトロが誕生した。1972年、母がソエトロと一時別居して実家があるハワイのホノルルへ帰国した。
1977年、母はオバマをハワイの両親に預け、人類学者の仕事でインドネシアに戻り、1994年まで現地に滞在した。この間、1980年に母のアンと継父のソエトロとの離婚が成立した。母のアンは1995年に卵巣癌で亡くなった。

以上のように、オバマはハワイにおいて白人の母親と母方の祖父母(共に白人)によって育てられたという出自である。母方の祖父母はスタンリー・ダナム(1992年没)とマデリン・ダナム(2008年没)である。オバマは1971年に地元の有名私立小中高一貫校のPunahou_School(en:Punahou School)5年生として転入した。在学中はバスケットボール部に所属し、高校時代に飲酒や喫煙、大麻やコカインを使用したと自伝で告白している。
by saitoru1960 | 2009-01-22 05:17 | ドキリとしたこと

30km走

2度目の30kmを走る。
フルのまえにハーフを走り、30kmを1回走って本番を迎える、というのが今までしてきたパターンだけれど、2ヶ月前までにすでに30kmを2回走ることになる。
家ーユニバー学園都市ー垂水警察ー舞子ー須磨ー板宿ー長田ー湊川公園ー加納町交差点ー三ノ宮駅の30.5km。
12月29日が2’46’51、で今回が2’40’45と6分も早くなった。

垂水警察から舞子に降りていくときに松浦に会ったのが要因。
偶然会って一緒に塩屋まで話しながら走ると、km5分15くらいのスピードになっていた。
前回はトータルすると、5’28@kmのペースだったのが、今回は5’16@km。
身長が自分より低い松浦がゆっくり走ってもストライドが自分より長い、ということに気づいて、まだ走り方に改良の余地があることに気づく。
腰のドライブと脚のスイングの連携はしなやかで効率的な走り方につながるはずだ。
by saitoru1960 | 2009-01-18 05:21 | ランニング

考え方の違いはどこから来るのか

ものごとを考える時、全く反対の立場からみることで考え方はがらっと変わってしまうことがある。
どっちの方向から見るかを決めるのは自分自身なので、結局は「選択できる力」をどう身につけるかがやはり大切になってくる。

一つの例として、最近気にとまった話題、「内と外」についての捉え方。

「日本の中で生きていける」と、「日本の中でしか生きていけない」という考え方は、他に何か選択を余儀なくされるときの、自分の中の「必要不可欠な決定条件」とリンクしているところがあると思う。

以下、長いけれどもメモとして。
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●「外」への目

10秒で読む日経(「佐々木の視点・考え方」より)

日本の情報通信産業が壁に突き当たっている。ハードの技術力はあるのに、世界市場で存在感が薄くなった。携帯電話が典型だ。技術は進化しているが、日本でしか利用されないものが多く、世界のニーズをつかめない。
特殊な生態系を保つ南米沖の諸島になぞらえ、「ガラパゴス現象」と呼ばれている。持てる技術を世界に広める努力が、国際競争力の再強化には不可欠だ。日本経済新聞 1月13日

日本の製品は「特殊でハイエンド、高価な製品」に押しやられ、世界市場から孤立している。
一方で、エレクトロニクス分野では、成長する世界市場向けに「廉価でも性能が良い製品」を水平分業して世界に通用する商品と市場を創りだす米国・台湾・中国連合隊。
この結果、PCの売上げの太宗が米国・台湾・中国連合隊に占められることになった。そして、日本メーカーは日本市場でのみ売れるものしか作られない。PCの元祖はNECの98シリーズだったのに・・・

同じ事は携帯電話にも言える。
第2~3世代のケータイでは世界に先駆けて商業生産・販売していて、世界メーカーを凌ぐ実力があり、世界を取りに海外進出したのに、全てのメーカーが負ける全敗を喫した。
そして、日本のメーカーは日本だけで生きている。
その日本市場は、かつては世界シェアが3割以上もあった時代があったが今では、チャイナモバイルの1年間の新規契約者数に等しい契約者にしかすぎない。

この現象はエレクトロニクス産業だけでなく、日本のほとんどの産業においても進行しいる。
最強といわれる自動車産業でも、新興経済成長国の普及率が著しく低いからこそ言われているのであって、今後市場の中心が先進国からシフトすれば、この優位が崩れるとみられる。
なぜ日本の製造業がこうなったかを考えると、日本市場が人口も多くて市場も大きいことがある。台湾や韓国の場合、人口が少なく市場規模が小さいため、最初から世界で売ることを考えないといけないのとは対極。

日本人が内弁慶で、世界に出たいと思う野心家も少なくなったようにも見受けられる。TVを見て驚いたが、就職難の韓国ではTOEICで900点を取る若者でも、「この程度では英語が売りにはならない」と言っていた。
日本の危機は、世界同時不況や円高にあるのではない。
ガラパゴス化したビジネスモデルを打破できるモデルを生み出せないことにある。

参考: ガラパゴス化する日本の製造業 (著)宮崎 智彦


●「内」への目

内田樹の研究室(神戸女学院大学教授ブログより)

「内向き」で何か問題でも?

先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日本のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。
「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日本語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯が食える」ということである。
日本人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯が食える」からである。
「外向き」じゃないと飯が食えないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。

どうしてそんなことを考えたかというと、テレビの政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。
フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有している。
どうしてそういうことになったかというと、ノキアは「はじめから世界標準をめざしていた」からである、というのが識者のご説明であった。
それに比べて日本のメーカーは国内市場オリエンテッドな商品開発をしているから国際競争に後れを取るのだと叱責していた。

それはちょっと考え方が違うのではないかと私は思う。
フィンランドは人口520万人である。
兵庫県(560万)より小さい。
兵庫県のメーカーがもし大阪でも岡山でも使えない「兵庫県仕様」の機械製品を作っていたら、それはたいへん愚かなことであるということは誰にでもわかる。
「兵庫県でしか使えない機械」を作る手間暇と「大阪や岡山でも使える機械」を作る手間暇がほとんど変わらないときに、わざわざ市場を制約する人間はいない。

ノキアが「世界標準をめざして製品開発した」のは誰でもわかるとおり「国内市場限定で製品開発したのでは、投下資本が回収できないから」である。
フィンランドの企業が「フィンランド国内市場限定」で商品開発している限り、フィンランド最大の企業でも「甲南みそ漬け」や「芦屋ラーメン」の企業規模を超えることはできぬであろう。
だから、彼らが国内仕様を世界標準と合わせるのは当たり前である。

日本はまるで事情が違う。
日本には巨大な国内市場がある。
国内市場限定で製品開発しても、売れればちゃんともとがとれる規模の市場が存在する。
世界標準で製品開発するのと、国内限定で製品開発するのでは、コストが違う。
これは例外的に「幸運」なことなのである。
その事態がどうして「内向きでよくない」というふうに総括されて、誰も彼もが「そうだそうだ」と頷くのか、私にはその方が理解できないのである。
いいじゃないですか、国内仕様で飯が食えるなら。

国の規模という量的ファクターを勘定に入れ忘れて国家を論じることの不適切であることを私はこれまで繰り返し指摘してきた。
例えば、中国は現在あまり適切な仕方では統治されていない。
だが、この国は人口14億である。55の少数民族を擁し、少数民族だけで人口1億4千万人いる。それだけで日本の人口より多いのである。

それが「日本と同じように法治されていない」ことをあげつらうのはあまり意味のないことである。
中国の統治制度を非とするなら、それに代わるどのような統治制度がありうるのか、せめてその代案について数分間考える程度の努力をしてからでも遅くはないのではないか。

フィンランドが現在たいへん好調に統治されていることを私は喜んで認める。けれども、その好調の重要な要素は「人口が少ない」ということであることを見落とすわけにはゆかない。
もし、兵庫県が「鎖県」して、兵庫県民の納めた税金ですべてのシステムが運営されていた場合には県民たちのタックスペイヤーとしての当事者意識はきわめて高いものになるであろう。

かりに「独立兵庫県」が「高福祉高負担」を政策として掲げた場合には、税金がどのように使われているか、県民の検証はきわめてきびしいものになるであろうし、高負担にふさわしいだけの福祉制度の充実が目に見えるかたちで示されれば、県民たちは黙って負担に耐えるであろう。
国が小さければいろいろなものが目に見える。国が大きくなるといろいろなものが見えなくなる。
当たり前のことである。

だから、小国には「小国の制度」があり、大国には「大国の制度」がある。
「小国」では「いろいろなものを勘定に入れて、さじ加減を案分する」という統治手法が可能であり、大国ではそんな面倒なことはできない。だから、大国では「シンプルで誰にでもわかる国民統合の物語」をたえず過剰に服用する必要が出てくる。
小国が「したたか」になり、大国が「イデオロギッシュ」になるのは建国理念の問題や為政者の資質の問題ではなく、もっぱら「サイズの問題」なのである。

話を戻そう。
「日本の問題」とされるもののうちのかなりの部分は「日本に固有の地政学的地位および地理学的位置および人口数」の関数である。
ということは、日本とそれらの条件をまったく同じにする他国と比較する以外に、私たちが採択している「問題解決の仕方」が適切であるかどうかは検証できないのである。
もちろん、私たちがただいま採用している問題解決の仕方はさっぱり適切であるようには思われない。

さて、その不適切である所以はどのようにして吟味されうるのか。
論理的に言えば、その成否は「今採用している問題解決の仕方とは別の仕方」を採用した場合には何が起きたかというシミュレーションに基づいて採点すべきである。
「日本と地政学的地位も地理学的位置も人口数も違う国」で採用したソリューションの成功と比較することにはほとんど意味がない。

にもかかわらず、相変わらず識者たちは「アメリカではこうである」「ドイツではこうである」「フィンランドではこうである」というような個別的事例の成功例を挙げて、それを模倣しないことに日本の問題の原因はあるという語り口を放棄しない。

たしかほんの2年ほど前までは「アメリカではこうである」ということがビジネスモデルとしては正解だったはずであり、その当時、かのテレビ番組に出ていた識者たちも口々に「アメリカのようにしていないことが日本がダメな所以である」と口から唾を飛ばして論じていたかに記憶している。
その発言の事後検証については、どなたもあまり興味がなさそうである。
しかし、「自分の判断の失敗を事後検証すること」こそ「今採用している問題解決の仕方とは別の仕方を採用した場合には何が起きたかというシミュレーション」の好個の機会である。
その機会を活用されないで、いつ彼らはその知性のたしかさを証明するつもりなのであろう。

興味深いのは、この「日本と比較してもしようがない他国の成功事例」を「世界標準」として仰ぎ見、それにキャッチアップすることを絶えず「使命」として感じてしまうという「辺境人マインド」こそが徹底的に「日本人的」なものであり、そのことへの無自覚こそがしばしば「日本の失敗」の原因となっているという事実を彼らが組織的に見落としている点である。
こうも立て続けに日本の選択が失敗しているというのがほんとうなら、「日本の選択の失敗」のうちには「日本の選択の失敗について論じる言説そのものの不具合」が含まれているのではないかという懐疑が兆してよい。

ある人が、立て続けに人生上の選択に失敗していたとしたら、私たちはその理由を彼が「成功した誰かの直近の事例をそのつど真似していないこと」にではなく、むしろ「彼の選択の仕方そのものに内在する問題点」のうちに求めるであろう。
ふつう私たちがバカなのは、私たちが「りこうの真似をしていない」からではなく、端的に私たちがバカだからである。

そう考えてはじめて「私たちの愚かさの構造」についての吟味が始まる。
別に私は識者たちの知性の不具合を難じているのではない。
個人レベルではできることが国家レベルではできないということはそれが、それこそが「日本の問題」だからである。
私たちがうまく問題を解決できないのは、私たちの問題の立て方が間違っているからである。

「日本の問題」のかなりの部分は「サイズの問題」に帰すことができると私は考えている。
だが、日本は他国と「サイズが違う」ということはあまりに自明であり(小学生でも知っている)、そのような周知のことが理由で「日本問題」が起きているということは専門的知識人たちには許容し難いことなのである。
だから、彼らはそのような単純なことが「日本問題」の原因であることを認めようとしない。
でも、残念ながら、実はそうなのである。

例えば、私自身は「生きる日本問題」である。
私の思考の仕方そのものが「端的に日本人的」だからである。
私の考えていることの87%くらいは「日本人だから、こんなふうに考える」のであり、私がウランバートルや平壌やブロンクスで生まれていれば,絶対に「こんなふう」には考えていない。
そして、私が「こんなふう」に書くのは、私が「日本語が通じるマーケットに通じれば十分」だと思っているからである。
だって、そこだけで1億3千万いるんだから。
私が幕末や明治の人の逸話を録するのも、60年代ポップスの話をするのも、こうやって正月テレビ番組の話をするのも、「それを(一部想像的に)共有している数万の読者」を想定できるからである。
その数万の読者のうちの10%でも定期的に私の著書を購入してくれるのであれば、私は死ぬまで本を書き続け、それで飯を食うことができる。

「たずきの道」ということに関して言えば、私にはぜんぜん世界標準をめざす必要がないのである。
「おまえの言うことはさっぱりわからんね」とアメリカ人にいわれようと中国人にいわれようとブラジル人にいわれようと、私はI don’t care である。
外国人に何を言われようと「明日の米びつの心配をしなくてよい」ということが私のライティングスタイルを決定的に規定している。

しかし、今の日本のメディアを見る限り、自分が100%国内仕様のライティングスタイルを採用しているということをそのつど念頭に置いて書いている人はあまり多くない(ほとんどいない、と申し上げてもよろしいであろう)。
中には「英語で発信すれば世界標準になる」と思って、「私はこれから英語でしか書かない」というようなとんちんかんなことを言う人もいる。

だが、世界仕様というのは要するに「世界市場に進出しなければ飯が食えない」という焦慮、あるいは飢餓感のことである。
「私はこれから英語で発信して、世界標準の知識人になるのだ」ということを日本語で発信して、日本の読者たちに「わあ、すごい」と思わせて、ドメスティックな威信を高めることを喜んでいる人間は、夫子ご自身の思惑とは裏腹に、頭の先からつま先まで「国内仕様の人」なのである。

失礼だけれど、骨の髄まで国内仕様でありながら、世界標準を満たしていると思い上がっている人間は、自分が世界標準とまるで無関係な「ドメスティックプレイヤー」であることを知っている人間より、さらに世界標準から遠いのではないかという危惧はお伝えしておかなければならない。

帝国主義国家が植民地獲得に進出して、よその人々を斬り従えたのも、「世界市場に進出しなければ(たのしく)飯が食えない」と彼らが(たいていの場合は根拠もなく)信じ込んだからである。
私は人間たちが「外向き」になったことで人類が幸福になったのかどうか、まだ判定するには早すぎるのではないかと思っている。
「家にいてもたのしく飯が食える人間」は「世界標準仕様」になる必要がない。
そして、私は「家にいてもたのしく飯が食えるなら、どうして寒空に外に出て行く必要があるものか」とこたつにはいって蜜柑を食べている人間である。

「内向き」が繰り返し問題とされるのは、「内向き」では飯が食えないビジネスモデルを標準仕様にしたからである。
「外向き」になるにはアメリカにはアメリカの、フィンランドにはフィンランドのそれぞれの「お国の事情」というものがある。その切ない事情についてはご配慮して差し上げるべきであろう。
だが、わが日本にはせっかく世界でも希なる「内向きでも飯が食えるだけの国内市場」があるのである。

そこでちまちまと「小商い」をしていても飯が食えるなら、それでいいじゃないか。
2009年はたぶん日本は「内向きシフト」舵を切るようになると私は推察している。
でも、「内向きシフト」は「みなさん、これからは内向きになりましょう、さあ、ご一緒に!」というような元気一杯なものではない。
「私は内向きに生きますけど、みなさんはどうぞご自由に」というのが「内向きの骨法」である。
by saitoru1960 | 2009-01-16 08:48 | いろいろ

知らないということは

新聞に記事が載りながらも自分のこととしては考えられないことはたくさんある。
知らなくても自分には不利益がなく、自分に不幸が訪れてくることもない。
ルワンダでの大虐殺を初めて知った時と同じような感覚で、ガザにおけるイスラエルの空爆のニュースを聞いている。
田中宇が届けてくれる「解説」は、世界を知らない自分に、時々ドキッとするようなインパクトでわかりやすく教えてくれる。

ユダヤはナチスドイツに大虐殺を受けた被害者で、「悪」のドイツ、「善」のユダヤ(イスラエル)と通常はうけとめられている。
ゲットーと呼ばれる狭い制限区域に大量のユダヤ人が押し込まれ、出入り禁止、食糧不足の生活を強いられた。そこからの脱出=イスラエル建国、という歴史である。

しかしながら、イスラエル国内での「ガザ」は、まさにアラブ人を閉じ込めるゲットーと同じだ、というのが田中の解説。
ユダヤ人がかつてされたことを今度はアラブ人にやりかえす。
「善」のユダヤが「悪」に置き換えられるというのである。

以下、「解説」からの抜粋。
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★ガザ戦争で逆転する善悪

ガザ地区とイスラエルとの間は、フェンスと地雷原が設けられた境界線によって隔離されているが、ガザの北端にある境界線からイスラエル領内を2キロほど北上した場所に「ヤドモルデハイ」という、牧畜と養蜂を営んでいるイスラエル人のキブツ(農業共同体村落)がある。
ヤド・モルデハイは、ヘブライ語で「モルデハイを記念する」という意味だ。モルデハイとは、第二次大戦中の1943年にワルシャワのゲットー(ユダヤ人居住区)で、強制収容所送りに反対してドイツ軍に立ち向かう蜂起の指導者だったユダヤ人青年、モルデハイ・アニーレビッツ(Mordechaj Anielewicz)のことである。

モルデハイは、ワルシャワ・ゲットー蜂起の中で行方知れず(戦死または自害したと思われている)となり、蜂起を生き延びた5万人のユダヤ人の多くは、トレブリンカなど強制収容所に送られた。モルデハイは、ユダヤ人社会、特にシオニスト(イスラエル建国支持者)に英雄視され、1943年末にポーランド出身者が中心に作った上記のキブツに、モルデハイを記念する名前がつけられた。
1948年にイスラエル国家が独立宣言した直後、第一次中東戦争が起こり、キブツの周辺もエジプト軍とイスラエル軍との戦場となったが、イスラエル軍はエジプト軍をガザに追い出し、キブツ周辺に住んでいた無数のパレスチナ人が難民としてガザに強制移住させられた。

ヤドモルデハイのキブツの丘の上には、エジプト軍に空爆されて廃墟となった給水塔が、今も戦争記念碑として立っている。そのとなりには、手榴弾を右手に持つモルデハイ・アニーレビッツの銅像が立っている。この2つの記念碑が意味するところは「ユダヤ人は欧州のゲットーで蜂起してナチスと戦い、建国後はエジプトなどアラブ諸国と戦った末に国土を獲得した。この闘争精神を忘れるな」ということだろう。
この精神は、イスラエル社会の全体に浸透している。

イスラエル人は、ゲットーやナチスの強制収容所からの解放を目指して戦ってきたはずなのだが、今のイスラエルは「ナチスと戦う人々」から「ナチスそのもの」へと、「正義」から「悪」へと転換してしまっている。ワルシャワのゲットーから脱出してイスラエルを建国した人々は、もともと住んでいたパレスチナ人をガザに押し込め、ガザにゲットーを作ってしまった。

▼ガザで戦争犯罪を繰り返すイスラエル軍

ガザ地区に侵攻したイスラエル軍は1月4日、ガザ市街のはずれにあるゼイトン(Zeitoun)の町を占領した。イスラエル軍は、住民の中のサモウニ一族(Samouni)の若者3人を尋問した後、この一族が利敵行為をしそうだと考えたらしく、一族の約110人の老若男女を、一つの建物に押し込め、出てこないよう命じた。
そして翌朝、イスラエル空軍がこの建物を空爆し、30人が殺された。負傷者を救出するため、赤十字の救急車が現場に向かったが、イスラエル軍の攻撃を受け、4日後まで現場に行けなかった。国連の人権高等弁務官は、この事件に対する真相究明を開始すると表明した。
国際赤十字は、救急車を攻撃し、空爆で負傷した市民を放置したイスラエルを非難した。

またイスラエル軍は1月6日、ガザ北方のジャバリア難民キャンプで国連が運営していた女学校を空爆した。国連施設であるためイスラエルに空爆されるおそれが低いと考えられていた女学校には千人以上の住民が避難しており、3発の空爆で46人の避難民が殺された。国連はイスラエル軍に、女学校を含むすべての国連施設の詳細な場所を連絡してあったが、それでも空爆された。

イスラエル軍は当初、女学校に潜んでいたハマスの部隊が攻撃してきたので反撃しただけだと釈明し、動画まで用意して発表したが、現場にいた国連要員が、ハマスの部隊を女学校に入れたことはないと反論した。
発表された動画は、何年も前に他の学校を撮った映像だった。ウソがばれたイスラエルは「女学校の近くからハマスが攻撃してきたので反撃したが、爆弾の着地点が少しずれて女学校に当たってしまった」と言い直した。

イスラエルは、人道上問題がある白リン弾を今回ガザで使用した件でも、世界から非難されている。またイスラエルは「ハマスが停戦延長に応じなかったので侵攻せざるを得なくなった」と説明していたが、実は開戦2週間前の12月14日、ハマスがイスラエルに停戦延長を提案したのに、イスラエルは断っていたことが、和平交渉を仲裁する米カーター元大統領の陣営による調査によって判明した。
カーターは「イスラエルが戦争を回避したければ、簡単にできたはずだ」と述べている。イスラエルのガザ侵攻は自衛ではないことが、しだいに確定しつつある。

1月上旬に相次いで起きた、これらの戦争犯罪的な事件や暴露を機に、世界の世論は、それまでの「ハマスなどイスラム主義武装勢力が悪であり、イスラエルは自衛しているだけ」というものから「イスラム主義勢力との戦いを口実にガザの市民を大量殺害しているイスラエルは極悪だ」というものに転換した。

これまでは親イスラエル的だった米国のマスコミは、イスラエル非難の記事を載せ始めた。中東問題に関する極右言論で知られるウォールストリート・ジャーナルでさえ、1月10日に「イスラエルは、ハマスによる小さな攻撃を口実に大規模なガザ侵攻を行い、市民を無差別に攻撃した。これは自衛策として正当化できるものではない。戦争犯罪など、重大な国際法違反である」とする記事を出した。

1月10-11日には、西欧など世界中で、イスラエルの戦争犯罪を非難する市民のデモや集会が開かれ、いくつかの西欧諸都市では10万-20万人規模の市民が集まった。ブッシュ政権への気遣いを口実に、ガザ侵攻について沈黙してきた就任間近のオバマ新大統領に対しても、看過するなという世論の圧力が強まった。
「オバマは、11月のムンバイテロを非難したくせに、今回のイスラエルの戦争犯罪には黙っている。ブッシュと同じだ」という批判も出た。

▼今のモルデハイはガザにいる

1月7日、ローマ法王ベネディクト16世の側近であるレナート・マルティーノ枢機卿(Renato Martino)が、イタリア語のネットメディア http://sussidiario.net/によるインタビューの中で、ガザ戦争について「(イスラエルもハマスも)双方とも身勝手だが、被害を受けるのは弱者の民衆(パレスチナ人)だ。今やガザは、巨大な強制収容所のようなものになりつつある」と述べた。

米国の サイモン・ウィゼンタール協会(かつてホロコーストに懐疑的な記事を載せた文芸春秋社の雑誌「マルコポーロ」を潰した団体)などのシオニスト団体やイスラエル政府は、この発言に対し「ガザをナチスの収容所にたとえるとは言語道断だ」とローマ教会を非難した。しかし今や世界では、ガザが巨大な強制収容所であることを否定する人の方が少ないだろう。
シオニストの主張に同調する人は、日に日に減っている。

パレスチナ人をガザに閉じ込めるイスラエルは、以前はアパルトヘイト(黒人隔離政策)をやっていた南アフリカにたとえられていたが、今ではその「悪さ」はナチス級に格上げされつつある。今回のガザ侵攻によって、イスラエルがガザに対して行っている行為は「アパルトヘイト並みの悪」から「ホロコースト並みの極悪」へと「昇格」した。

このような視点で、ガザのすぐ外にあるイスラエルのヤドモルデハイ・キブツの丘に立っている、ワルシャワ・ゲットー蜂起指導者モルデハイの銅像を見ると、以前とは異なる意味を包含しているのがわかる。モルデハイ像の前に立つと、2キロ離れたガザを攻撃するイスラエル軍が発射するミサイルの爆発音や銃声が絶え間なく聞こえ、爆発の噴煙があちこちから上がるのが見える。

1943年には、手榴弾を持ってナチスに立ち向かう青年モルデハイは、ワルシャワのユダヤ人ゲットーにいた。しかし、今のモルデハイは、ユダヤ人ではない。ガザという名のゲットーに住むパレスチナ人である。立ち向かう相手はナチスではなく「ナチス化」したイスラエルである。ハマスを支援してイスラエル軍と戦うガザの無数の青年たちこそ、現在のモルデハイである。

今後もし、現在のモルデハイたち(ガザの青年たち)が「解放」されるとしたら、その時には、以前のモルデハイ(イスラエル人)は、今の解放された状態(イスラエルという国家を持つこと)を失い、シオニスト運動は破綻する可能性が高い。

もともとハマスは、イスラエルが支援して大きくした勢力である。米国は90年代、中東和平実現のためにアラファトをチュニスからガザに戻したが、和平を嫌うシオニスト右派は、アラファトに対抗して仲間割れを起こしうる勢力をパレスチナ政界に作るため、ひそかにハマスを支援した。その後、ブッシュのテロ戦争によって反米イスラム主義が扇動され、ハマスは大きくなった。その意味では、ハマスの青年がモルデハイになり、イスラエルがナチスになるのは、米イスラエルのシオニストによる自業自得である。

▼悪の枢軸に入れるイスラエル

イスラエルの人口の約15%は、イスラエル建国時や第三次中東戦争時に難民化せず、自宅を離れずに居残ったアラブ系(パレスチナ人)で、彼らは参政権を持つイスラエル国民である。
ガザ侵攻後、アラブ系イスラエル人は反戦運動を展開したが、これを受けてイスラエルの選挙管理委員会は1月12日、反戦色があるアラブ系の2つの政党に対し、2月の総選挙での出馬を禁止する処分を決定した。これにより、アラブ系国会議員の約半数が再出馬できなくなった。

イスラエルは従来、中東で唯一の民主主義国家であることを自慢にしてきた。アラブ系政党は、連立与党への参加を誘われることはなかったが、議会内の勢力としては認められていた。しかし今回の禁止処分によって、イスラエルの民主主義は限定的な色彩を強めた。イスラエルは、イスラム聖職者組織の許可をもらわないと立候補できないイランと大して違わない「準民主主義」の国家になった。

おまけに、イランは核兵器を持っておらず、IAEAに加盟して査察も受けているのに対し、イスラエルは秘密裏に400発もの核弾頭を持ち、IAEAにも加盟せず、査察要請も拒否している。多民族国家のイランは国内少数派に対する人権侵害が多いが、イスラエルもパレスチナ人に対する人権侵害やガザでの虐殺など、人権侵害の面でもイランに引けを取らない。ブッシュ政権はイランや北朝鮮を「悪の枢軸」に指定したが、イスラエルは十分、悪の枢軸に加盟できる豊富な「悪さ」を蓄積している。

▼停戦は困難、イランとも戦争か?

イスラエルが早期にガザ戦争を終わらせられれば、イスラエルの悪さは、ホロコースト級からアパルトヘイト級に格下げできるかもしれない。しかし、エジプトが仲裁し、イスラエルが受諾していた最新の停戦案を、ハマスは拒否する決定を1月11日に下した。ハマスは、イスラエルとエジプトによって閉じ込められているガザの境界を開放することを停戦受諾の条件としていたが、イスラエルもエジプトも拒否しているからだ。停戦は実現しそうもない。

イスラエル軍は、数日中に停戦が実現しない場合、ハマスを壊滅させるまで戦争を続けねばならなくなると表明している。今のところイスラエル軍は、ガザ地区の北部を占めるガザ市街に入っておらず、ガザ市街を包囲する布陣だが、このままだと近いうちにイスラエル軍はガザ市街地の中に侵攻し、市街戦が始まる。死者が急増する。

今後、戦争が長引くほど、イスラエルの戦争犯罪は増える。イスラエルは、北方のレバノン南部のイスラム主義武装勢力ヒズボラ(シーア派)とも開戦する可能性が強まる。ヒズボラは慎重な態度をとっているが、イスラエル軍はレバノン上空で戦闘機を低空飛行するなど、挑発行為を繰り返している。
イスラエルは、ガザとレバノンの両方で戦争するという自滅策を考えているかのように見える。ヒズボラと開戦すると、イランやシリアとも開戦する中東大戦争が近くなる。オバマ陣営の顧問をしている米国のペリー元国防長官は1月8日に「今年中にイスラエルがイランに戦争を仕掛ける危機が起きるだろう」と発言した。

イランが戦争になると、今は下落している原油価格が再高騰する。イスラエルがイランを攻撃すると、報復措置としてイラクの親イラン派のゲリラがイラク駐留米軍にゲリラ戦を仕掛け、米軍はクウェートからバグダッドに至る唯一の補給路をゲリラに奪われて壊滅し、米国は地上軍(陸軍と海兵隊)の大半を失い、世界のパワーバランスが塗り替えられるだろうと、米国の軍事専門家ウィリアム・リンドが1月9日の記事で書いている。

中東での善悪関係が転換する中で、米政府は、ブッシュ政権の「イスラム=悪、イスラエル=善」を脱却し、オバマ政権は「喧嘩両成敗、米国による中立指向の仲裁」へと転換しようとしている。ガザ戦争についてオバマができる限り沈黙しようと考えてきたのは、ガザ侵攻が長引くほど、イスラエルは世界から悪者とみなされる傾向が強まり、中立的な仲裁がやりやすくなるからかもしれない。
イスラエルが米政界を牛耳っている現状から考えると、早い段階で何か表明するとしたら「イスラエル支持」を表明せざるを得なかった。米議会はいまだに強くイスラエルを支持しているが、米国外の世界の世論に引きずられるかたちをとれば、以前よりは中立な態度をとりやすくなっている。

ガザ戦争による善悪転換が引き起こしそうなことは、ほかにもある。それは、シオニストが「ホロコースト」(ナチスによるユダヤ人虐殺)を誇張することで世界の世論を引きつけ、国際政治力を拡大維持してきたプロパガンダ戦略が弱まることだ。
ホロコーストの事実性に対して疑問を持つことは、依然として世界的に禁じられており、シオニストによるホロコースト誇張戦略自体はまだ破綻していない。だが、すでにイスラエルは今回のガザ戦争によってナチス並みの「極悪者」になりつつある。イスラエルの「被害者としての強み」は「加害者としての弱み」によって打ち消される傾向が強まる。
by saitoru1960 | 2009-01-16 07:59 | ドキリとしたこと

ホテツー新年会

いつものメンバーでいつもの新年会を行う。
みんなそれぞれ冬休みのお土産を持参。
坂ちゃんは、沖縄のちんすこうと限定ハイチュー&コロン。
滝本は白馬の古代米酒。
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by saitoru1960 | 2009-01-11 18:47 | 仲間

心動かされたことを忘れぬように


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