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校長の授業

職員会議の最後に校長が黒板を使って授業をした。

改札で
  まごつく吾に駅員は
  はさみの(  )で
場所を知らせる

この(  )には何が入るか。

でも、「はさみ」を知らない世代がかなり多くなり、そのうちその情景さえも想像できない人たちばかりになっていくだろう。

「先」と答える人もいた。

「音」と思いついたとき、心の中で、「盲目」のまごつく吾を想像していた。

では、なぜ「声」ではなく、「音」なのか。

そこが教育の「心」を求める校長の意見なのだろう。
by saitoru1960 | 2009-06-25 21:43 | ドキリとしたこと

3カ月の空白

須磨区総体。最後の市総体の前哨戦になる。
去年の冬は横尾に決勝で負けていたので、どうなるかと、そのとき以来の試合を見に行った。
わかばは昨日、3ヶ月ぶりにコートに立っていたので、準決勝の友が丘戦で大きく差がつけば今日も出してもらえるかなと思っていた。
試合はひがおちが順調に得点差を大きく開いていき、第4ピリオド、ついにわかばが高月先生に呼ばれた。
「わかばー、シュートー」
とあゆが大きくベンチから声をかけてくれる。
高月先生も、わかば、シュート、と声をかけてくれる。
走る姿は以前と変わらない気がするのだけれど、わかばの心の中には、出ることができた大きな喜びと、出たけれど、何もできなかった苛立ちとが混ざり合っているのかもしれない。
あの日、あきらめざるを得なかった、コートに立つこと、はかなえることができた。
でも、と考えるのはわかばだけではない。
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決勝は、接戦の末、必勝だるまが効力を発揮し、見事優勝。
久しぶりに大きくはじけた部員みんなの輪の中で、わかばはひとり静かだった。
by saitoru1960 | 2009-06-14 22:43 | 家族

お気に入りの場所

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春から夏にかけて家にいて光の声がしないと思うと、部屋の外のベランダにいる。
小学校4年生の頃からのお気に入りの場所だ。
by saitoru1960 | 2009-06-13 21:58 | 家族

3ヶ月目の喜び

須磨区総体。
1回戦は対須磨学園中学。
「おかえり。どうやった勝ったか?」
「あたりまえやん」
「試合でたか?」
「うん、出た!」
「えっ!?」

ということで、3月のあの日以来、もうコートに立つこともかなわないと覚悟を決めていたのに、ゲームに出て外からシュートも打ったというのだった。
膝のサポーターをつけ、少しずつ動けるようになっても、体育館のコートでキュッキュッいう早いストップはこわい、ということを聞いていた。
せった試合ならば相手のあたりもきつく、顧問の立場で考えると無理させることもできない。
最近の練習試合でも出ることはなかったので、やはり無理なんだな、と改めて覚悟していた。
それが、第4クオーターの最後6分も出してもらったということだった。
心から嬉しかった。
いくら大差で勝っている試合とはいえ、コートにもう一度立つ事ができたことを。
わかばの笑顔も清々しいものだった。
明日は2回戦。でも、準決勝。
久しぶりに見るひがおちバスケ部は進化しているだろうか。
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わかばが4月頃からコツコツ作り続けてきたお守りだるま。
今日の試合前みんなに渡し、最後の総体まで一気にゴーだ。
by saitoru1960 | 2009-06-13 21:54 | 家族

途上国の人の意見

高教組が配るプリントに以下のような文章が載っていた。
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新型インフルエンザが惹き起した問題

 致死率60%といわれる鳥インフルエンザの発症・死亡がもっとも多いインドネシアが、WHOの病原体サンプルの提出を拒否している、というニュースが最近あった。
 インドネシアの保健大臣はこう言っている。
 「サンプルの提供は、先進国の製薬会社と裕福な人々のみにメリットをもたらし、貧困国には風評被害などのデメリットの中で捨て置かれたままでしかない」
 インフルエンザは原因が鳥であれ豚であれ、貧困国あるいは途上国で始まる。でも、感染が発見されるのは、医者にかかかれるだけの裕福な人が感染してからだ。それまで何千人が発症して何百人が死のうと、数には入らない。
 国民の半数以上が医者にかかることなく一生を終えるような国で発生した新感染症は、数多くの人体をめぐってから、先進国に発見される。発見された時には既に、感染力が強力なタイプに変異しているという。
 発見された後、裕福な人々の間で、ビジネスが始まる。資金とノウハウを持つ大企業は争って病原体サンプルを入手し、ワクチンを開発し、特許で守られて販売される。そのターゲットは、先進国で、医療を受けられる人々だ。予防グッズも飛ぶように売れる。

 メキシコに、徹底した合理化によって「養豚工場」を経営している巨大養豚企業があって、そこが発生源ではないか、といわれている。ここの豚肉の低価格に競争できず、ほかの養豚企業の多くが壊滅状態に追い込まれた。そこで飼われる豚は、薬漬けの密集飼育で、糞尿はケージの下に垂れ流され、死体はタンクに詰め込まれて処理され、汚染された川や空気は、周辺の村々に異臭と病原菌を散らしている。
 なのに、メキシコは対策が立てられなかった。何故ならば、この企業は米国からやってきた多国籍企業で、貧しいメキシコ政府は、北米自由貿易協定によって守られたその営業を規制することができなかったし、国民の福祉に使う資金があれば世界銀行(IMF)から「借金を返せ」と詰め寄られる。だから、豚インフルエンザの猛威に任せるしかなかった。

 豚インフルエンザだけではない。2005-07年の神戸大学によるインドネシアでの調査によれば、豚の約1割が鳥インフルエンザに感染している。鳥と豚とでの互いに感染しながら変異してきたウィルスは、人にも感染するタイプになり、やがて人から人へ感染するようになる。大金を投入した製薬会社が開発するワクチンは、一部の人々の発症を防ぐだろうが、地球上の大多数の人々はその猛威に無抵抗なままだ。

必要なことは・・・、
医療と福祉と教育について、貧富の差を取り払うこと。
製薬会社の寡占状態を打破し、貧困国に脇陳が無料で提供できる制度を作ること。
養豚。養鶏企業が、薬漬けの密集飼育を止め、生き物として扱うこと。

そして、私たちが考えなければならないこと・・・、
「健康」とは「病原菌への恐怖」を基礎にしてはならない、ということ。
無菌状態は、決して理想ではなく、反対に「生き物としての自然」に反していること。

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 途上国で暮らした自分にとって、なんだか消化不良な文章きわまりない。
声高に問題提起をしている本人はやはり先進国の金を持っている側にいて、怒っているようだけれど、結局は心から怒っているように気持ちが届いてこない。
 
 先進国の人間が感染者と認められるまでの間に、ウイルスの発生源になるその途上国の人間に、何人感染者が出てどれだけ死んでいるのか全く報道されることはないし、検査しなければ新型の豚かどうかがわからない以上、金もなく、検査することもなく感染した人間の数は不明となる。
 
 その問題構造を最初に提起せず、それよりも先進国の一部の者が金儲けをすることに対する怒りのほうが先に来ているように読める文章。
この類の文章が、世間ではすんなり受け入れられやすい文章として読まれることになるのかもしれない。
by saitoru1960 | 2009-06-12 17:43 | ひとりごと

東京タワー

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 孤独は、その人の感傷を気持ちよく酔わせ、漠然とした不安は、夢に語るにおいて一番必要な肴になる。
 ひとりで孤独に苛まれながら、不安を携え生きている時。実は何にも恐れてはいない時なのであり、心、強く生きている時なのである。
 句読点もなくめくれてゆく日々。見飽きてしまった四季の訪れ。それをとめどなく繰り返されてくれるのだろうと、うんざりした眼で眺めている。毎日は、ただ緩やかに、永遠にループしてゆくのだと考えている。
 まだ、何も始まっていない。自分の人生の始まるべきなにか。そのなにかが始まらない苛立ち。動き出さない焦り。
 しかし、その苦しみも、なにかが始まってしまった後で振り返ってみれば、それほどロマンチックなこともない。
 本当の孤独はありきたりな社会の中にある。本物の不安は平凡な日常の片隅にある。酒場で口にしても愚痴にしかならない重苦しくて特徴のないもの。
 どこに向かって飛び立とうかと、滑走路をぐるぐるぐるぐる回り続けている飛行機よりも、着陸する場所がわからずに空中を彷徨う飛行機のほうが数段心許ない。
 この世界と自分。その曖昧な間柄に流れる時間は果てしなくなだらかに続くが、誰にでもある瞬間から、時の使者の訪問をうける。
 道化師の化粧をした黒装束の男が無表情に現れて、どこかにあるスイッチを押す。その瞬間から、時間は足音を立てながらマラソンランナーのように駆け抜けてゆく。
 それまで、未だ見ぬ未来に想いを傾けて緩やかに過ぎていった時間は、逆回転を始める。今から、どこかにではなく。終わりから今に向かって時を刻み、迫りくる。
 自分の死、誰かの死。そこから逆算する人生のカウントダウンになる。今までのように現実を回避することも逃避することもできない。その時は、必ず誰にでも訪れる。誰かから生まれ、誰かしらと関わっていく以上。自分の腕時計だけでは運命が許してくれない時が。
  
by saitoru1960 | 2009-06-06 21:39 | 物語

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960