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死亡遊戯

NHKBS2でブルースリー特集をしていた。
f0013998_134292.jpg3夜連続9時からの映画3本(Enter the Dragon,The big Boss,Game of death)はさておき、8時からのトーク番組が面白かった。同世代少し上から、30代前半まで、ブルースリー好きが集まり、懐かしい話に花を咲かせていた。

マイケルジャクソンのムーンウォークのように、死んでからも永きにわたって他の人間にまねをされる人物。
それほどまでに強い影響力を与えたエンターティナーが今の時代存在するだろうか。

映画も、今のCGを駆使した美しく、魅力ある映像ではない。
人が殴られ壁にぶつかると人の形に壁が抜け、合成写真丸わかりの鏡に写真を貼ったようなお粗末な映像が出てくる。
それでも、「朝、映画館に入って夜の終わりまで、『死亡遊戯』は○○と二本立てだったので、それも含めて見続けました」という人が番組の中で何人もいるほど映像的にも、ストーリー的にも陳腐な映画を見ていたことになる。
ひたすら、ブルースリーの勇士を見たいがために。

第3夜はその『死亡遊戯』。
今までもそうであったように、前半の陳腐な部分だけで眠気が襲ってきて、ジャバとの格闘シーンまではもたなかった。残念。

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by saitoru1960 | 2010-07-31 05:23 | ひとりごと

なす

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by saitoru1960 | 2010-07-29 18:33 | いろいろ

中1の1学期

4月から進研ゼミを一度も提出してなかったことが判明した。
ネットを開き、個人のページを見ると、未提出状態であることが示されているにもかかわらず、「やったのにおかしい」と嘘を突き通そうとしていたことが気になった。

部屋にはいり、これで聞くのは最後やからな、と少し構えて聞くと、手に持ったテキストをギュッと握りつぶすようにして、「やってない」と吐き出すように口にした。

「やってない」、というまでの心の中に凝縮されていくエネルギーはどれ位だったのか推し量ることはできないけれど、テキストを握りつぶすような物にあたる行動をとったのはこれが初めてだった。

「つぶしたらその解答用紙使えなくなるで」というと、すぐに気づき手を緩めたのでまだ冷静さはあるな、と感じたけれど少しずつ子どもの純粋な心ではなくなってきている。

4月からの5か月分、テキストを全て終え、赤ペンを提出しなければいけない、という特別な夏の宿題がまた増えた。好きな読書も漫画も我慢し、テレビを見ることもままならなくなる。
自分でまいた種なので仕方がないと、我慢するしかない。

いつも引っついてきていた今までの関係から、距離を取り離れていく季節へ。
誰もが通る道だけれど、やはり心の中に淋しさは生じてくる。
by saitoru1960 | 2010-07-28 05:10 | 家族
「師であることの条件」は「師を持っていること」です。

人の師たることのできる唯一の条件はその人もまた誰かの弟子であったことがあるということです。それだけで十分なんです。

弟子として師に仕え、自分の能力を無限に超える存在とつながっているという感覚を持ったことがある。
ある無限に続く長い流れの中の、自分は一つの環である。長い鎖の中のただ一つの環にすぎないのだけれど、自分がいなければ、その鎖は途切れてしまうという自覚と強烈な使命感を抱いたことがある。そういう感覚を持っていることが師の唯一の条件だ、と。

弟子が師の技量を超えることなんかいくらでもあり得るわけです。
そんなことあっても全然問題ではない。
長い鎖の中には大きな環もあるし、小さな環もある。
二つ並んでいる環の後ろの方の環が大きいからといって、鎖そのものの連続性には少しも支障がない。

でも、弟子が「私は師匠を超えた」と言って、この鎖から脱落して、一つの環であることを止めたら、そこで何かが終わってしまう。
でも、アナキンに背かれたあとも、師匠のオビ=ワンの方はまだジェダイの「騎士の道」につながっている。
オビ=ワン自身の師匠のヨーダに対する深い敬意は少しも変わらない。
だから、弟子のアナキンに離反されたあとも、オビ=ワン自身は成長を続けることができる。師を超えたと思った瞬間にアナキンは成長を止めるけれど、師は超えられないと信じているオビ=ワンは成長を止めない。

今言っている「成長」というのは計測可能な技量のことではないんです。
ある種の開放性と言ったらいいでしょうか。自分の中のどこかに外部へと続く「ドア」が開いている。
年を取っていようが、体力が衰えようが、つねに自分とは違うもの、自分を超えるものに向けて開かれている。
そうやって自分の中に滔々と流れこんでくるものを受け止めて、それを次の世代に流していく。そういう「パッサー」という仕事が自分の役割だということがわかっていることです。

それに対してアナキンは「俺は師よりも強い」という自信を得たときに「ドア」を閉じてしまう。
自己完結してしまう。自己完結した「近代的自我」として自立してしまう。
そして、近代的自我であるアナキンは、前近代的な師弟関係に支えられたオビ=ワンに敗れるわけです。

 (中略)

師弟関係で重要なのは、どれほどの技量があるとか、何を知っているとかいう数量的な問題ではないんです。
師から伝統を継承し、自分の弟子にそれを伝承する。師の仕事というのは極論すると、それだけなんです。

「先人から受け取って、後代に手渡す」だけで、誰でも師として機能し得る。
僕はそういうふうに考えていますし、およそこれまで師弟関係について書かれたすべての言葉はそういう風に教えていると思います。
by saitoru1960 | 2010-07-27 17:50 | ドキリとしたこと
「雪かき作業」をする人は朝早く起き出して、近所のみんなが知らないうちに、雪をすくって道端に寄せておくだけです。
起き出した人々がその道を歩いているときには雪かきをした人はもう姿を消している。だから、誰がそれをしたのか、みんなは知らないし、当然感謝される機会もない。

でも、この人が雪かきをしておかなかったら、雪は凍り付いて、そこを歩く人の中には転んで足首をくじいた人がいたかもしれない。そういう仕事をきちんとやる人が社会の要所要所にいないと、世の中は回ってゆかない。

「青い鳥」を探しに行く人たちには、どうもこの「雪かき作業」に対する敬意がいささかかけているのではないかという気がします。むしろ、そのような散文的な仕事に対する嫌悪や侮辱に動機づけられて、「ここではない別の場所」にふらふらとさまよいだしてしまう。

若い人がよく言う「クリエイティブで、やりがいのある仕事」というのは、要するに、やっている当人に大きな達成感と満足感を与える仕事ということです。でも、「雪かき仕事」は、当人にどんな利益をもたらすかではなくて、周りの人たちのどんな不利益を抑止するかを基準になされるものです。だから、自己利益を基準に採る人には、その重要性が理解できない。

もちろん、僕は「みんなに雪かき仕事をしろ」というようなことを言っているわけではないのです。自分の成功を求める生き方と、周りの人にささやかな贈り物をすることを大切にする生き方、これはどちらも社会にとっては必要です。

両方のタイプの人がいないと社会は立ちゆかない。そんなことぐらい僕だってわかっています。だから、どちらかに決めろといっているわけではありません。

ただ、仕事について、「自己利益の最大化」を求める生き方が良いのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では不可欠の重要性を持っているということはあまりアナウンスされない。そのことの危険性についてご注意申し上げているのです。
by saitoru1960 | 2010-07-27 05:19 | ドキリとしたこと

大久保の動き

W杯後、初めてヴィッセルのゲームを観に行く。対大宮。
テレビで見続けたW杯でのパスの早さとトラップの正確さ、プレイヤーの動きなどと当たり前のように比較してしまい、前回のW杯後と同様レベルの違いにげんなりしてしまった。
あれだけ動き回っていた大久保がどう動くのか楽しみにしていたのだけれど、なんだかいつもの大久保で、サッカーというものの不思議さを感じてしまう。
相手に合わせて自分のスタイルが変わってしまうというのは、陸上競技ではありえない。
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by saitoru1960 | 2010-07-25 21:11 | スポーツ

ちぎりパイナップル

先日の例会で坂ちゃんへお願いしていた沖縄土産「スナックパイン」。
本日パティオの大丸にて、1ケ598円で売っているのを発見!

少し前、1200円くらいで見つけていたので、598円はリーズナブル。

即購入して、今夜おいしく頂いた。
芯まで食べることができ、捨てるところはほとんどない。

ちなみに、本日は「ニューミュンヘンの唐揚げ」も販売。
200g(3ケ)購入し、夕飯前におやつとして食べた。
幸せな午後だった。

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by saitoru1960 | 2010-07-22 20:33 | いろいろ

花神完読

やはり長州は気になる土地である。薩摩もしかり。

今の政治のバタバタを見ていると、幕末の日本人たちならどうするのかと、いやでも考えてしまう。
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長州人は、同時代の他の日本人と比べて、きわだった癖をもっている。
「正義好き」
ということであった。

正義というのは、人間が人間社会を維持しようとして生み出したもっとも偉大な虚構といえるかもしれない。確かに自然と現実からみれば、虚構にすぎない。が、その虚構なしに人間はその社会を維持できないという強迫観念をもっている。

 ヨーロッパはキリスト教的正義から興り、インド人にはその古代的宇宙観がいまも正義として生き、ユダヤ人ははるか数千年前の教義をいまもすてない。

 そういう面からみれば儒教は多分に現実的で虚構性にとぼしい。ただ孟子が出るにおよんで孔子の教義から正義をひきだし、その観念を孟子風に拡大することによって現実主義的な諸侯に説き、ついに容れられず、著述生活に入った。

 日本は、儒教を書物としてうけとったが、儒教がつくりあげた生活習慣まではうけ容れなかった。儒教の基本倫理の一つは礼であるが、日本人は作法としての儒礼を知らず、このため、室町期における朝鮮との外交交渉に支障が多かった。朝鮮からいえば、
「倭人(日本人)は礼を知らぬからこまる」
ということから、いろいろ行きちがいがあったらしい。儒礼というのは作法化された正義であるといっていい。

 明治以前までの日本人の歴史は、巨大な虚構をほとんど受け入れることなくして進行し、維新後八十年間は絶対的天皇制という非日本的な虚構を大がかりで作り上げたが、ついにキリスト教やインド教のようには身につかず、第二次大戦の敗北によってもとの現実主義的な日本人にもどった。

 「孟子の書物が船に積まれてくると、かならず難破して日本にはとどかない」
という禁忌伝説ができたのは、平安期のころか、室町のころかはわからないが、いずれにせよ、正義という強烈な虚構が日本にやってくることによる混乱を、日本人は直観によっておそれたにちがいない。 

 しかしながら、長州人は特別であった。長州が生んだ最大の思想家である吉田松陰は『孟子』をもっとも好んだひとであったが、松陰が出なくても長州人にはそういう気分があった。

 元治元年夏の京都乱入という勝敗の計算皆無の思想的戦争をやってのけたのは長州人であればこそであり、同時にその「正義好き」は、この西宮上陸にあたっても出ている。 

 この駐屯軍は、いわば非合法であったが、それが合法的駐屯であることを説得するために、四方八方に文書を送っている。

 この場合、「正義」という劇薬ではなく、それを多量の水で薄め、いわばいい子になりたいというー幕府に対してすらー長州的行動であった。現実主義の薩摩なら現実分析をしたあげく、実力で押しこんでゆくところを、長州は決してそうしない。
by saitoru1960 | 2010-07-16 05:49 | 物語

二回目の映画

阪神地域に出ていた大雨警報のせいで、本日学校は休校。
登校して来ていた1年生と練習をした後、昼から代休を取り、走って家に帰る。
先週も帰るときに、ガス欠のようなフラフラ状態になり、妙法寺あたりから最後の1kmを歩いて帰ったことがあり、今日もそんな状況になってしまった。
走り終えたところで飲むスコールのうまいこと、うまいこと。

せっかくなのでビデオ屋さんに行き、なにか面白そうな映画はないかと「バタフライ・エフェクト」を選んだ。
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「お父さん、これ前に借りたで。その時お父さん途中で寝てたけど」と、光がひとこと。
数年前に借りたことをうすらぼんやり思い出し、今回はきちんと観てみると、結構おもしろかった。

過去に戻ることのできる能力をもし自分が持ったとしても、一度過去に戻ってそこで何かを変えると、今の自分の「今」は消失してしまう。
持ちたくない奇跡の能力だと思う。
by saitoru1960 | 2010-07-14 19:14 | 映画

10秒で読む日経より

●参院選選挙区の落選者で最も多く得票したのは神奈川の千葉景子法相で、69万6739票だった。これに対し、高知の広田一氏は当選者の中で 最少の13万7306票で勝利を収めた。「1票の重み」の格差は5.07倍となり、2007年の前回選挙の4.16倍よりも拡大した。
時事通信   7月12日

★今回の参院選で、一票の格差は前回の4.86よりさらに開いてさらに5.01倍となっている。都市住民の有権者の権利は理解不能なほど軽い。
この5倍の格差は、投票者間の格差であって、有権者格差ではない。
地方の投票率は高く、都市の投票率は低いので、有権者格差は10倍近くになる。

それにも関わらず、与党はこの件に関して何もしてこなかった。
今回の選挙の選挙区候補者の獲得票数で並べ替えして、投票数の多い順に73名の議員を並べ替えたらどうなるだろうか。
つまり、全国の有権者に平等に投票権を与えたらどうなっていたかということ。

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今回の選挙区 得票数でみた  違い
当選者数   当選者数
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民主党     28    30     + 2
自民党     39    28     -11
みんなの党    3     9     + 6
公明党      3     3        0
共産党      0     3     + 3
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1票の格差が無ければ、自民党の当選者が11人も減ってしまうことになっていたわけだ。
民主党は、選挙制度の面でもやるべきことをしなかったので自滅した訳。
その最大の犠牲者が、一票の格差が5倍でも良しとコメントした法務大臣というのは皮肉ではある。

ちなみに憲法14条1項には「すべて国民は法の下に平等」と書いてある。
もっとも、私はこの状況について嘆いたりはしない。
法の大きな原則には「権利の上に眠る者は保護されない」もあるからだ。
都会の若者が「自分の投票等の行動なんか何の役にも立たない」と何もしないでいるから、どんどん彼らの負担を重くされているのだから。
by saitoru1960 | 2010-07-14 05:36 | いろいろ

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960