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栄一の七回忌

7時前に走り出た。海を目指そうとしたが少し距離がありそうだったので、とりあえず川南の方向へと走り始めた。
先週から痛みだしたアキレス腱の状態はあまり変化なく、スピードは上がらなかった。
前夜、3人で食べた辛ラーメンの店に行く手前で、右に曲がり、朝日を目指していくとまぶしい日光が正面から照らしてくれ、「栄一、きれいやなあ」と声に出した。
宮崎県家畜改良事業団の敷地には親牛として宮崎牛の供給に寄与していた何頭かの牛のブロンズ像が立っていた。
口蹄疫に騒いだ2010年。
畜産家の時間はまだ以前のように動きはじめているとはいえない。
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by saitoru1960 | 2011-01-25 23:25 | 協力隊

口蹄疫

昨年3月下旬に発生した口蹄疫は、春から夏にかけて川南をどんな風に襲ったのか。
8月27日に東国原県知事が終息宣言を発表したあと、河野家はどんな日々を過ごしていたのか。

16年前の阪神淡路大震災で軽度ながらも被災し、天災などを受けた人の気持ちを他の人よりも理解できやすいのではないか、と自分をかいかぶっていたことが、単なる傲慢さと気づかされた。

栄一のあとを引き継いだ三男・進一くんが、
「豚舎にはまだなにもいません。検査をし、生体検査としての牛が3週間過ごして問題がないということがようやく認められただけで、豚の購入計画を含め、以前のようになるのは数年では無理ですね」
と話してくれた。

今回、河野家で話を聞き、自分でもう一度調べてみなくては、と検索すると、すぐに目的の文章に行き着いた。

以下は、ネットに流れた、畜産を生業としていた人のことば。
文中の言葉が栄一の声として聞こえてくる。

<以下抜粋文>
―――――――――――――――――――――――――――
「殺処分」と簡単に言うけど

 5月9日、とある養豚農場で働く友人に会うことができ話を伺うことが出来た。
(もちろん、お互いに防疫対策を施したうえでだ)

口蹄疫感染の疑いが出て全頭処分が決定した農場である。
彼は本当に豚さん達と真剣に向き合って肥育していて、口蹄疫問題が起きる前までは、いつも面白おかしく豚舎での話を聞かせてくれていた。
ちょっと巻き毛の母豚がいてな…俺には懐いてくれちょっちゃけどよ。一度マジ切れしてさ、思いっきり拳で殴ったら、
自分の手は怪我したのに母豚は平然としやがってよ。ちくしょーー!(笑)。

ただ、こいつがさ、なかなか上手に水を飲めないやつでな、
いっつも俺が飲ましてやっててさ、時々、俺のひざに頭をのっけて休むんよ(笑)。
200kgもある母豚やかい、頭だけでも重いっつどぉ(笑)。

ただなぁ、こいつになかなか子供が授からんでなぁ、何度も仕込ませてみたんやけど… 。なんでかこいつだけ子供ができんかったっちゃわぁ。
「お前どうしたっかぁ。ごめんなぁ俺が悪いんかもなぁ。
女の幸せをあじあわせてやれんなぁ。子供産んでみたいやろう。
次こそ頑張ろうなぁ。」言って、首に抱きついてあげたりしてたんだわ 。
でもよ!。先月ついに受胎したことが分かってな。
「やったーやったー!よう頑張った!!!やっとお前も赤ちゃんが産めるな」
って喜んでその母豚カードにでっかく「成功」!って書いたばっかりやったのによ

・・・・もう殺さにゃいかんとよ。
自分の赤ちゃんを産ませてあげられんやないかい!!
どうすっとかい! (泣)
・・・・ごめんなぁ。言うしかなかった。
せめて今だけは、腹いっぱいエサ食えよ。って大量に準備してあげてるっちゃが。

感染した子豚たちの蹄からは出血が始まり、上手に歩けなくなってビービー泣いている 。
母豚は乳首のところがただれ始めて真っ赤になって血を流しているのもいる。
それでもむしゃむしゃエサ食うやつは食うんよ。
また、明日そいつらの所に行って、声かけてあげにゃいかんちゃろうけどよ。
どんな顔して、なんて声かければいいっかえ!(泣)。

と、語ってくれた。

数千頭の豚を養っているこの農場では、この時はまだ埋め立て地が決まらず殺処分はされていなかった。

そういえば、彼が私に語りはじめた時、最初に言った言葉は
「あ~・・・終わった。肩の力が抜けて楽になれた気がするよ・・・(泣)」だった。
どんだけ気を張り詰めた生活を送ってきたんだろう 。

防疫のための消毒活動を徹底的にやっていた彼。
自分の車の中まで消毒液を振りまいていた彼。
毎日毎日石灰を道路に撒いていた彼。

必死に目に見えない時と戦い、守ろうとしてきた家族を失う彼。
「やれるだけやって出てしまったもんは仕方ない。はっきりしたことは、来月から俺は職を失うってことだ。ただ、急いで処分をしないと、他の農場に迷惑かけちゃうな。」

お腹に赤ちゃんを宿した母豚にすがり泣く彼のことを思うといたたまれないのですが、その感染を確認した豚舎では日に日に症状を示す豚が増えてきて、エサが食べられなくなったり、亡くなったりしてきて、豚舎内が消石灰をかけられた死体置き場へと変わっていき、腐敗していく。

5月6日に口蹄疫感染疑いが発表された養豚場。
その時点で全頭処分が決定していたわけですが、埋設処理が始まったのは、5月14日です。
すでに8日が過ぎています。ここまでの数日間、彼はどんな光景を見てきたのだろうか。
どんな思いで、豚舎を見て回っていたのだろう。

殺処分の様子は、本当に地獄絵図のようだった。
獣医さん達が来て、一頭一頭、注射で眠らせてその後に、さらに注射で安楽死させると思っていた。

この養豚農場には、人間よりも大きな母豚が数百頭、青年豚がさらに多く、子豚が数千頭。
口蹄疫の症状の出ていないまだ元気な豚もたくさん居る。

「何十人と獣医師が来たけどよ。かき集められた経験の浅い獣医師たちは、母豚を怖がってまともに注射も打てんちゃが。急所は首筋の血管なのによ、柵の外から身を乗り出して、お尻に打とうとするわ、バカじゃねーか!。豚だって生きちょっし痛いから、ひょいとお尻を動かして逃げるわな。しょうがねーかいよ、俺が柵に入って豚の首をガシって押さえつけてやる始末。危険やっちゃけど仕方ないわ。
首筋に注射を打つやり方を教えたっちゃけど、ダメじゃわ。もう、豚の首は、突き刺した注射のあとだらけ、痛々しいわ。
豚はギャーギャー暴れるわ。ちくしょーーちくしょーーー!。もっと安らかに死なせてやってくれよ。
獣医師の免許をもっちょる奴しか、殺したらいかんかいよ。
手がだせん・・・。かわいそうでよ。
もちろん、ベテランの奴は上手いし、早いわぁ。
でもな、みんな目に涙を浮かべながらも作業してくれてるんよ。
命を救うための獣医師がよ。今まで、命を助けようとがんばってきた獣医師がよ。この注射を打ったら、こいつが死ぬって分かりながら、注射を打ちこむんよ。
そりゃあ、人としてつらいし、心が痛いわなぁ。歯を食いしばるしかないのかよ!俺はさ、もともと出荷のための豚なら、なんとかあきらめがつくんよ。出荷だと思えばいいちゃかい。

でも、母豚はよ、俺がこの農場に努めだしてからずっと面倒見てきたっと、性格もよく分かる。
顔見りゃ名前も、出産した回数も、病気した時、エサを腹いっぱい食って喜んだ時。悪ん坊や、甘えん坊、気性の荒い奴、優しい奴、み~んな分かる。
共に生活してきた家族やっちゃかい。
口蹄疫に感染してしまって痛々しい症状が出てる奴は、鼻や口の水疱が破けて痛いもんやからエサが食えんなっちょる。

それでも腹はへるかい、えさを探すわな。
豚は鼻が命じゃ。
人間で言う手のようなもんで物を探るのは鼻で探るんよ。
痛いやろうに。まともにエサが食えんかい。
今日まで俺が食べさせてやってた。
鼻も口元も、蹄も乳首も痛々しいのに、俺を見つめる目はやさしくてよ。なんだか、向こうがごめんよ~言ってるみたいや。
ありがとう言ってるのかなぁ。

注射打たれる姿に耐えられんで離れたところから見てたら、獣医師の腕をふりほどいて、こっちに走ってくっとよ。
ひずめが炎症起こして血を流してるもんは、痛いから立ち上がれんでずっと横になってギャーギャー言ってる。
でも、立ち上がらせて殺処分するところまで連れて行かんと、重いかいよ。まず鎮痛剤打つっちゃわ。したら、痛みが取れるもんじゃかい。ひょいっと立ち上がる。
でも蹄からも血が出て、腐りよっかい

蹄が取れていくとど・・・赤くなった蹄だけが地面に転がってるんやど。
それでも、蹄が無くなった足で、俺の所に駆け寄ってくる。
はやくなんとかしちゃれよーーーー!。

ある程度の大きさの奴は、電気で殺すっちゃわぁ。
でっかい火ばさみみたいな物で、まず頭を挟んでな、スイッチを入れると高圧電流が流れ、失神する。
そしてそのあとに、胸の所を挟んで、心臓に電流を流すとガタガタガタとしびれて心臓を止めて殺すとど。かわいそうやんけ。
さっきまで、元気で、震えて泣きよったやつが。
突然静かに死体となるんよ。

たださ、時々、その動かなくなった豚を運んでたり、穴の中に落とした時に、生き返って動き出すやつがおるんよ。
気絶してただけなんやろうな。
哀れでなぁ、また殺さにゃいかんし・・・。
まだまだ元気な奴らはさ、どんどん穴ん中に落としていく、
みんなで板を使って追いやって穴に落としていく。
一番下に落とされた豚たちは、熱と重さで圧死ししていくけどよ。
後から後から落とされた豚は、どんどんジャンプして穴から必死に飛び出ようとするんよ。
だから、上からブルーシートをかぶせてよ、コンパネの板を上において、飛び出してこんように、俺たち人間が上に乗るっちゃわぁ。
それでん、下から・・ドンっ!ドンっ!て必死にぶつかってくっとよ。
そのすきにブルーシートの隙間からホースを入れて、中にガスを流し込むとよ、するとだんだん静かになってきてよ、しばらくするとシーンとなるんよ

作業員達があちこちで、殺処分をしていってる地獄を描いてる絵があるわぁ。
鬼が人間をいたぶっている絵よ。
あのまんまって感じ。

豚舎の中が、ギャーギャーって今まで聞いた事もないような泣き声があちこちから聞こえるかいよ。
赤ちゃん子豚が不安な目でジッとしちょっちゃわ。
病気に感染した奴は、蹄から血を流して痛いし、口が使えんもんやからコロっコロっ死んでいく。

死んだ子豚をここ数日何頭拾って歩いただろう。
それでも、感染していない元気な奴もいっぱいおる。
殺さにゃいかんとか。
本当に、この子達を殺さにゃいかんとか!。
周りの異常な雰囲気を感じちょっちゃろうね。
ひょいっと両手で掴み上げるわ。
すると、身体をグッと堅くして、俺の目を見るっちゃけどよ、小刻みに震えてるのが手のひらに伝わってくるとよ。
ごめんなぁ、ごめんなぁ。
俺が泣き出してよぉ。
その身体に注射針が刺されて、静かに、ぐったりと手の中で
重みだけを感じる物体になる。
もうどんだけの涙が流れ出たかわからん。

あと、残ってた1200頭は、ウィンドレスの豚舎じゃかい。
帰ってくる時、空気を送り込むファンのスイッチを切ってきた。
家に帰ってよ。
風呂に入ってよ。
飯はよう食わんかい。
焼酎飲みながらテレビをみてるとよ。
いつのまにかボロボロボロ泣いてるっちゃわ。
今頃、静かに窒息死していってるんだろうなぁ・・・・。

お前よ。
豚は言葉がしゃべれんけんどよ。
もしもよ、お前の子供をよ、「なんで?」って言われながらよ。
国からの指示やかい言うて、大好きなのに、手の中で殺せるか。

まだ、口蹄疫の感染拡大は収まらない。
今もまだ、毎日毎日、牛や豚が殺処分されていく。
そして全ての農家で、こんな味わいたくもない体験を味わってる。

なぜ、農場主や従業員が、中に入って一緒に処分しないといけないのか。せめて、優秀な獣医師や、テキパキ動ける自衛隊員をもっともっと送り込んでくれよ!

今朝までで、126軒、11万4177頭の生き物の殺処分が言い渡された。
あなたの町には、何人の子どもが住んでいますか?
あまりにも、辛い現実です・・・・。
もう、耐えられません・・・・・。

殺処分が終わった次の日

彼は、何もなくなり、何の声も聞こえなくなり静まりかえった豚舎を見たとき、何を感じ、どんな思いが巡っただろうか。
しばらくは現実が受け入れられなかったんじゃないだろうか。

・・・あの赤ちゃんを宿した母豚は、
いつまで彼に甘えることができ、またどんな瞳で彼を見続けていられたのだろうか。

本当にいたたまれない・・・。
全国にはたくさんの農家がある。
あまり消費者の目に届くことはないところで、私たちが安心して安全なものを食べていけるよう。精魂込めて接してきている人達がいる。
私たちは彼らなしには美味しいものを食べることが出来ないのです。

農家の方々の愛情をいただいて生かされているようなものなんです。
こんな時だからこそ、いつもより町内で買い物します。
こんな時だからこそ、宮崎産という文字を探します。
是非、みなさんも自分の地元で地産地消を心がけていただきたいものです。

発生から1ヶ月が過ぎ、5月20日、159軒で13万258頭の殺処分が言い渡されました。
絶対、このウィルスを、全国に広めるわけにはいかない。
せめて、せめて、今この範囲で終わらせようと、必死に頑張ってます。

それでもまだ、この目に見えないウィルスとの戦いは終わらない 。しかし、これ以上の被害農家を出さないために、今、元気で生きている牛や豚の為にも 、どうか、自分自身の意識を高くして、「徹底消毒」をお願いします!!!

*****
私が伝えたい事は、現場の悲惨さではありますが、今まで家畜と共に生活してきた農家の方々の愛情を知って欲しいと思い、彼の言葉で書く事にしました。
―――――――――――――――――――――――――――
<ここまで抜粋文>
by saitoru1960 | 2011-01-25 21:29 | ドキリとしたこと
午前5時40分。
いつもより1時間早く家を出た。
いつものように食パンを焼いてコーヒーを沸かし、いつもの朝食を食べて塩屋を目指した。
多井畑から塩屋に抜け、2号線に出るコースは秋によく走ったコース。
アースマラソン大阪を目指している間寛平が昨日のゴールとしたのは、2号線東垂水のかんばん「おおかわ」。
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昨夜遅く、今日はどこをゴールにしたのかとHPへのゴール写真がアップされるのを待っていると、後ろにJRや山陽の線路が走る2号線だった。
前日の岡山から姫路への道は、混雑を避けて国道を走らず裏道を走り続けていたので、神戸を通過横断するのは北側の旧神明も考えられた。
ゴールが「おおかわ」となると、20日は塩屋から須磨までの2号線を東へ走りだすしか考えられなくなる。
19日の学校からの帰り、そう考えながら、「明日、同じコースを走り、同じ景色を見て、長旅のゴールを目指すランナーの心境が少しは感じられるかもしれない」と、今朝の1時間早いスタートとなった。

塩屋に出たのが6時20分頃。
間寛平が何時にスタートするかは全く分からない。
残された距離も長くはないので早朝でなければならない理由もない。
でも、ゴール当日の沿道のバタバタを考えると、少しでも近くまで距離を稼ぐのではないか、と前日同様の早朝スタート、でも5時前のスタートはないはず、と予想し、自分のスタート時刻を決めたのだった。

塩屋から須磨までの2号線沿いのコースには応援の「お」の字を想像させるようなものは何一つなく、うっすらとだけ夜明けを感じさせる暗さ。
右に広がる瀬戸内海を眺めながら、暗闇の中、目の前にきらめく街の明かりを感じて、「あれが大阪の灯か・・」と感傷的になったかもしれないな、と想像したりもした。

須磨から板宿へと斜めに北上し、「間寛平は人を避けて高松線に行ったかもしれないな」、と別れを告げた。
間寛平はこの日、5時54分に「おおかわ」をスタートしていた。
塩屋まで約2km。
自分は15分後の間寛平を追っていたことになる。

アースマラソンの本日のゴールは西宮。
途中、43号線の上を走る三宮からHATに向かう道も走っていた。
気づかない人たちも多く、こっそり走り抜ける作戦は大成功のようだった。
あと1日。
いよいよ終わりを迎える。
by saitoru1960 | 2011-01-20 11:10 | ランニング

走る

寛平ちゃんのアースマラソンが終わりを迎える。
時々思い出したようにテレビで走る姿が紹介され、ここまで2年以上の時間が過ぎてきたけれど、アメリカでの前立腺がん治療の時期以外は、テレビに映っていようがいまいが、毎日ひたすら西から東へ一歩一歩足を前に出してきた寛平ちゃんの旅が終わろうとしている。
自分が初めて100kmのサロマに挑戦したとき、ワッカ原生花園に入り残り20kmとなった時、ここに入って折り返し、出てきたらもうこのレースも終わるのだな、と感傷的になり鳥肌が立ち、目に涙がにじんだことを思い出しダブらせてしまう。

50km近くの距離を毎日、毎日走り続ける。
766日かけ、寛平ちゃんは何をしたかったのだろう。
走って、自分の足だけ使って地球を一周できるかどうかを確かめたかった、というのがもっともらしい、「なぜ?」に対するこたえなのかもしれないけれど、途中から理由なんてどうでもよくなったのではないかと思う。
「ゴールまで走り切ること」、それだけが目的となり、足を一歩一歩前に出していくことだけが自分のすべきこととしてその日を生きていく2年の時間は、ありきたりで陳腐な言い方になるけれど、本人にしかわからないこの世で唯一寛平ちゃんしかわからない「体験」なのだと思う。

日本に上陸し、西から東へ走ってくる姿が毎日更新されるブログの中に映し出される。
寛平ちゃんはいつも走っている。
毎日映像は更新されているのだが、いつも同じような姿で走っているので、その映像がいつのものなのか見ている自分は時々どうでもよくなってしまう。でも、確実に親近感のある地名に映像の中の場所は変化してきている。

路上で応援する人たち、車から声をかける人、幼稚園児、おじいちゃん、中学生、主婦のおかあさん。
声をかける人たちに手を出し、ありがとう、と声に出し、いつものギャグをとばし、寛平ちゃんはこたえる。
ありがとう、と笑顔で沿道の見知らぬ人達みんなに手を振っていた、サロマを走る自分を思い出す。

今日を入れ残り4日。
備前から赤穂、そして姫路で1日、姫路から神戸までで1日、予備日1日、そして神戸から大阪ゴールまで1日、といったところが予定なのかもしれない。
きちんと計画が組まれたこのイベントは、本人の計画通り実行できるマシンのような体がなければ実行可能にはならない。
寛平ちゃんはあまりにもマシンのように走ってしまい、その凄さが見ている人に正しく伝わるかどうかわからないけれど、「そんなんどうでもええやん!」と寛平ちゃんは笑い飛ばしてしまうのだろう。

一歩、一歩足を出すだけでゴールは近づいてくる。
終わりが近づいてくるのだ。
姿を見ることで、エネルギーをもらい、力強いメッセージを感じさせてもらった。
その時間がもう終わろうとしているのがなんともさびしい。
by saitoru1960 | 2011-01-18 05:22 | ランニング

ビールとチョコ

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サッポロビールとロイズチョコの北海道コラボは、なかなかいい味でした。
by saitoru1960 | 2011-01-17 22:07 | いろいろ

ウソ

ウソ    川崎 洋  
 
 ウソという鳥がいます
 ウソではありません
 ホントです
 ホントという鳥はいませんが

 ウソをつくと
 エンマさまに舌を抜かれる
 なんてウソ
 まっかなウソ
 
 ウソをつかない人はいない
 というのはホントであり
 ホントだ
 というのはえてしてウソであり
 
 冗談のようなホントがあり
 涙ながらのウソがあって
 なにがホントで
 どれがウソやら
 
 そこで私はいつも
 水をすくう形に両手のひらを重ね
 そっと息を吹きかけるのです
 このあたたかさだけは
 ウソではない と
 自分でうなづくために

     出典「日本の詩 いきる」小峰書店

さまざまな情報が氾濫し、悲惨な事件が相次ぐ昨今、何が本当で何が嘘なのかわからなくなることがあります。信じたくないような事実、悪意または善意の嘘。学校ではウソはいけないことと教えていますが、世の中にはウソが必要な時もあるのかもしれませんね。
 
そんなとき子ども達には真実を見極める目と心が大事なのだろうと思います。
たくさんのことを経験し、状況を分析し、そして人の心の痛みを思う。するとおのずと必要なことが見えてくるのかもしれません。
学校はそれらを学ぶ場でありたい。生涯の財産となるべきものを育てたい。
(尾野本小学校Hpより)
by saitoru1960 | 2011-01-17 04:02 | 家族

子供の舞

3年ぶりに翁舞を見に行った。
前回、小さい子供のほうを演じていた子が大きい子供の舞を踊っていた。
引き継いで、次の人に伝えていくことの大切さを肌で感じていることだろう。
息を吐き出したり、目をつぶったり、下を向いたりしていた姿が緊張感を漂わせていた。

帰りにもらった甘酒は手作りの旨さがあった。



by saitoru1960 | 2011-01-15 06:05 | いろいろ

大歳神社の翁舞

翁舞神事は、現在「車大歳神社翁舞保存会」が保存、伝承しています。
地元では、「お面式」、「能面の式」、「お面の行事」あるいは、単に「お面」と呼ぶこともあります。
行事の創始に関する資料や伝承はありませんが、少なくとも江戸時代末より行われていたことは確実です。当地区の家の戸主は隠居するまでに一度は、この神事を営む「頭宿(やど)」を勤めなくてはならないとされています。
以前には、村全体の行事であったけれど、第二次世界大戦後に老人会の手に移り、昭和49年から車翁舞保存会の主催になっています。文久2年(1862年)の台本を残し、他にも数種の台本があり、それに文献・口碑などを綴ってみると、確かに江戸時代末から昭和20年まで継続していたことがわかります。昭和20年、車は空襲で罹災し、翌年のこの行事は中止されました。戦後、22~23年頃に復活し、その後35年まで続き、36年から中断し、45年に復活し、現在に至っています。
1月8日から12日までの5日間、「頭宿(やど)」で、灯した1本のろうそくをご神前に見立てて、翁(おきな)・三番叟(さんばんそう)・露払いの各役、そして笛・大鼓(おおどう)・小鼓(こつづみ)・地謡(じうた)が1日2回集中した稽古を行います。
14日の午前、神前においてこの神事に奉仕する人達、また翁舞保存回の役員はお祓(はらい)を受け、神事の無事舞い納めることを祈願し、本殿にまつる神面三面を受け、行列を組んで「頭宿(やど)」に持ち帰り、縁側より入って床の間におさめます。
午後6時頃各員装束を整え、縁側から「頭宿(やど)」に入り最後の稽古の「試し舞」を行います。
午後7時、先頭に松明(ときには提灯)をかかげ、次に神主・頭宿(やど)(面を持つ)、露払い・翁・三番叟・地謡・笛・鼓の順に行列を整え宮入り、拝殿において宮司によるお祓(はらい)を受けた後、お神酒をいただき、笛の音色と小鼓(こつづみ)の調べで約1時間、翁舞を奉納します。(列外にいる灯(ひ)とぼしという役は、日常の月当番があたり、直接芸能にはたずさわりません)
この舞は呪術性が強く、当社のご神体としてまつられている神面を使って「天下泰平」、「国土安穏」、「五穀豊穣」を祈願するものです。現在、一般に演じられる翁舞と比べて「父尉(ちちのじょう)」の部分が多く、四部構成
1・露払い、
2・翁舞、
3・三番叟(さんばんそう)、
4・父尉(ちちのじょう)
で演じられています。
南北朝時代の猿楽「翁」には「父尉(ちちのじょう)」が登場しましたが、猿楽が発展した室町時代では既に登場しなくなっているそうです。
当社の翁舞は、「よく古態(こたい)を守って芸能の変遷を示すのに重要」ということで評価され、平成12年12月「国の重要無形民俗文化財」に神戸市で初めて指定されました。
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by saitoru1960 | 2011-01-14 22:57 | いろいろ

便利なこと

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<シルクスクリーン加工>
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<ガッシュ加工>
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<油彩加工>

カシオのサイトで写真を絵のような感じに加工する広告が新聞に出ていたので、一度試してみるとなんともすぐに面白いように加工してくれる。
すごすぎ!
by saitoru1960 | 2011-01-14 18:04 | いろいろ

30km:3回目

今まで、2月下旬までに11月、12月、1月、と3回やっていた30km走。
今年は、レースが3月はじめということもあり、2月にも一度走って、計4回の30km走を計画に入れていた。
今回はその3回目。

ここ最近、お腹が冷えると排尿や腹が下ることが頻発していたので、きちんと準備してスタートしたけれど、走り始めてすぐに、あー水飲んでくんの忘れた、と気づいた。
前夜ホテツーでビールを4本ほど飲んでいたので、その影響も出てくるかと思っていたけれど、やはり20km過ぎからちょっと動きがおかしくなり始めてきた。

息が上がり、脚全体が重たい。
こんな日に限って、お金を持ってきていなくて給水も簡単にできず、ピタパで買える自動販売機を必死に探すよりも、今日は途中でおわらなあかんかな、と安易に考え始めてきた。
月見山を過ぎてピタパの使える自動販売機を見つけロハスの水を購入して給水。
すぐに効果が出てくることもなく、25kmポイントの長田郵便局で電車に乗らなあかんか、と板宿の辺で考えながらロハスのペットボトルを強くにぎりしめ、脚を一歩ずつ前に出していった。

長田郵便局にさしかかる頃には、とりあえず脚は動いてくれていたのでそのまま通過。
でも、上沢あたりになってまたまた脚が重くなり、とりあえず湊川公園か大倉山の駅までの26か27kmくらいで今日はやめとこか、と真剣に考えた。

最後の水を流し込み、脚を前に出していくととりあえず湊川公園は通過。
ペースはかなり落ちてきている感じで、でも、脚は前に出てきたので大倉山も通過。
遅いペースながらも一定のペースで脚は動き始め、力を入れてゴール地点まで走り切った。
三宮で時計を止めると、12月の2回目より、10秒だけタイムは早かった。

去年の1月よりは1分20秒ほど遅かったけれど、死んだと感じていた区間が前回より20秒ほどしか遅くなっていなかったことは収穫だったのかもしれない。

ここ数年、とりあえずすべてのポイント走では記録を更新しながら練習ができていたので、記録が停滞することに不安な気持ちが出てくるのは仕方がない。
でも、初めて途中リタイアか、と思うほど不調の中、なんとか走り切ることができたので、2月に走る4回目の30kmはちょっと気合いが入ると思う。


5km:25.54(12月26.06)
10km:24.55(25.13)
15km:23.42(23.30)
20km:24.25(24.27)
25km:23.14(23.33)
30km:23.57(23.36)
Goal:2.23(2.15)

Total:2.28.33(2.28.43)
by saitoru1960 | 2011-01-09 13:20 | ランニング

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960