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原発とマスコミ

「無駄な電話やメールを控えよう」、「使っていない電化製品のコンセントを抜いておこう」とCMで訴えかけている。
震災後、関東地方では電力不足に備え計画停電の呼びかけをはじめた。
福島第1原発が止まり、夏場の冷房による電力消費量増大と供給不足が予想されるなか、巷ではさまざまな節電グッズまで売り出され始めた。

今現在、不安定なまま存続する福島第1原発は「東京電力」の電気を生産している。
関西の人たちが「関西電力」から電気を買っているように、関東に住む人たちはその「東京電力」から電気を買っている。
なぜ関東の人たちが使う電気を作り出す原発が東北の福島県になければならないのか?
25年ほど前には、「東京に原発を」というタイトルの反原発を訴える本が売れに売れた。
電気消費量の多い東京のど真中に原発を作ったら、福島から長い長い送電線を引っ張ることも必要なくなるのだ。

わたしたちが使っている電力の3割は原子力発電所で作られた電気だという。
原子力発電所からは、温室効果ガスの二酸化炭素は排出されないという。
だから原子力発電は「クリーンエネルギー」なのだという。

反原発は原子力による発電が開始された頃からすでに声高に叫ばれていた。
原子力発電所は安全だと電力会社もそして国も言い続けてきた。
巨大地震、大津波。対策は常に想定外の自然の脅威に襲われたときに、前よりも確固たる物に変更される。
いくらマグニチュード9を想定していても、マグニチュード10がこないことに100%の確証はない。
一体どんなもっともらしい理由で国や電力会社は原発が安全だと言い続けてきたのか。

でも、こんなことは原発が稼動する頃からわかっていたことなのだ。
マスコミは今、テレビでも、週刊誌でも、ネット上でも、東京電力を、政府を、責めに責めている。
今まで「想定外」を想定していなかったと言い訳をする国や東京電力を責めたてているけれど、マスコミもこんなことが起こる可能性の高さについては30年も前からきちんと知っていたのだ。

反原発の活動家がテレビやメディアに発信する情報をとうのマスコミが知らないことはない。
知っていて、「原子力はクリーンエネルギーです」というCMをテレビで流していたのだ。
知っていたけど黙っていた、知らんぷりして大衆に伝えなかったのだ、と思ってしまう。
中立の立場で、国民に大切な情報を提供することがマスコミに従事する人たちの誇りや自負心だとすれば、なぜ福島第1原発がこんな風にして甚大な被害を巻き起こすまで彼らは黙っていたのか。どう考えてもわからない。
関西電力の原発は福井県に11基。総電力量の53%は原発によるものだという。
もしポートアイランド南側の空いている土地に原子力発電所ができれば、夢野までの直線距離はたった5kmしかない。
by saitoru1960 | 2011-04-24 21:06 | ひとりごと

マーレの今

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昔のマーレのサイズは線の北側のみ。一周は5km。
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ヘンベールの練習場所。今はコンクリートに舗装されスパイクを履いて走ることはできない。
by saitoru1960 | 2011-04-17 22:21 | 協力隊

花見ラン

家ー多井畑ー塩屋ー須磨浦公園ー綱敷天満宮ー須磨海浜公園駅ー鷹取駅ー新長田駅ー板宿、の15kmコースを10時前から走った。
気温も程よく、陽の光も強すぎず弱すぎず、福山から始まり、須藤薫の大学の頃の思い出ソングを聴きながら走っていた。
春のこの時期、走ったことのないコースで、こんなにも桜の木があるのだな、と感じさせられた。
落合の細い散歩道、多井畑村の集落、塩屋の川沿い、須磨浦公園、鷹取駅から新長田駅までのJR南側の道。どの桜も正しい日本の春を感じさせてくれ、同じように走っている人とすれ違う時、いつもより大きな声で「こんにちは」、「おはようございます」と声をかけることができたのだった。

塩屋から2号線に出たら、山下達郎の「FOR YOU」だな、と考えていたBGMは、日差しがまだ春のものだったので、大滝詠一の「A LONG VACATION」にチェンジ。
須藤薫の曲といい、大滝詠一といい、すばしタイムスリップさせてくれた。

3月に会った福島大の亀田にとって、最後のインカレはどんなものになるのだろう。

ベランダからの桜。
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横尾山、高取山の桜。
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by saitoru1960 | 2011-04-10 16:58 | ひとりごと

マーレでの震災の報道

SUJAが4回目の電話をかけてきてくれた。
マーレの報道がどのようなものか想像してしまう。

「フクシマ」を知ってるか、とたずねると、「知ってる」、ということだった。
「フクシマからコウベまでは800km離れてるんだよ。コロンボとマーレくらい離れてるんだぞ」というと、
「知ってる、知ってる。で、コーチのところは大丈夫なのか?」と聞いてくる。
日本から多くの外国人が退避していくのと、神戸に住む自分たちの平常との温度差と同じようなものがスジャからの電話にはある。

毎日新聞の記事があるということなので、ネットで検索をかけるときちんと出くわすのがこの時代のすごさだ。

以下、モルディブの本を出している人のブログより。
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<3月16日>
モルディブ政府によれば、救援物資として、モルディブツナ缶86400個を準備したとのことです。
本日は犠牲者の方々に対し、1分間の黙祷が捧げられ、明日から3日間は、国旗を反旗掲揚すると発表されました。
日本は、2004年の津波災害時だけでなく、長年に渡りモルディブを支援して来たとして、ナシード大統領を始め、多くの国民が日本に敬意を表してくれています。

<4月5日>
大統領を始め、政府関係者が支援体制に入ると間もなく、マーレの市議会議員らが中心となって、日本を支援する、「24時間テレビ-モルディブ人は日本と共に」が企画され、18日にモルディブ全土で開催されました
開始時間は、日本で地震が起こった10時46分(モルディブ時間)。
モルディブすべてのラジオ局とテレビ局で、全土生中継。
テレビマラソンでは、日本を想っての行進が行われ、警官のバレーボール大会、ミュージックショー、子供ひろば、屋台村など、各種イベントも企画されました。

屋台村の収益50%は、義援金として寄付されたとのこと。
テレビマラソン中にも、大統領が義援金を呼びかけたりして昼夜義援金の寄付を募り、また、モルディブの産物であるツナ缶を集めました。

電話会社のディラーグやワタニヤでは、SMS 1通につき20ルフィアの寄付を、モルディブ銀行では、ホームページから行える寄付を募りました。

SMSで集まった義援金だけでも約50万ルフィア(1ルフィア=7円弱)。
個人だけではなく、各民間企業も寄付をしてくれました。
CGC社は100万ルフィア、ヴィラ社は130万ルフィヤ相当のツナ缶、クラウン社は7万5000 USD、
チャンパ社は4万5000 USD、カイムーホテルは2万8000 USD、STOは30万ルフィア、リーフサイドは10万ルフィアとのことです。
義援金は約550万ルフィア、ツナ缶は12万個弱が、テレビマラソンで集まったそうです。
その後も義援金は集まり、先日には800万ルフィヤ(日本円約5600万円)になったとのこと。
協議の結果、集まった義援金のすべてをツナ缶にし、日本へ送られるとのことです。
街の各所で、日本を応援する横断幕が見られます。
モルディブと日本、本当につながっていると実感する、モルディブ人の温かい心に感謝です。

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募金箱にありがたい寄付(ハヴィール提供)

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<スポニチニュースより>

モルディブから日本へ 恩返しのツナ缶60万個
 インド洋の島しょ国モルディブが東日本大震災支援として、特産のツナ缶60万個の提供を申し出ている。缶詰製造や護岸工事で支援してきた最大援助国・日本への恩返しで「一刻も早く被災地に届けたい」と訴える。外務省は謝意を伝え、速やかに受け入れ手続きを進める考えだ。

 モルディブ政府は当初、ツナ缶約8万個を物資援助する方向で検討していたが、民間からも日本に支援したいとの声が相次ぎ、60万個以上のツナ缶が用意できるようになった。ツナ缶はモルディブの特産品で主に欧州、東南アジアに輸出している。缶詰なら長期間保存できるため、支援物資に適していると判断したという。

 ナシード大統領は5日、首都マレで震災犠牲者の追悼式を開催。高橋邦夫駐スリランカ兼モルディブ大使に「日本からはこれまで比類のない援助を受けた。全力で助けたい」と表明した。

 モルディブは人口約31万人。スリランカ南西のインド洋上に浮かぶ26の環礁、約1200の島々からなる。(共同) [ 2011年4月8日 08:50 ]
by saitoru1960 | 2011-04-10 16:25 | 心にのこる
石井からの連絡で、以下のような記事に巡りあった。
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発信箱:忘れない=福本容子

 「ニッポンは今どうなってますか?」

 地震の後、アハメド・カリールさん(49)の携帯は、本国からの電話で鳴りっぱなしだった。本国とはインド洋の島国モルディブ。カリールさんはその駐日大使だ。

 男性の声、女性の声、子どもの声。知らない人ばかり。とにかく心配していることだけ伝えると、名前も言わず1分足らずで切れる。「国際電話で長く話すお金がないんですね」(大使)。それでも1週間、毎日2回かけてくる女性の声もあった。

 モルディブでも地震直後に、テレビやラジオを通じた被災者支援キャンペーンが始まった。大使の電話番号が画面で紹介され、それを見て直接電話をしてきたらしい。

 キャンペーンでは大統領もスポーツ選手も歌手も、協力を呼びかけ続けた。36時間で700万ルフィヤの義援金が集まった。人口31万人の国民の多くは貧しく、約4600万円の義援金は「記録的」。お金が出せない人はツナの缶詰を持ってきた

 ツナ缶は国内の業者が引き取り、塩水ではなくオイル漬け、缶切りなしで開けられるプルトップの日本特別仕様に替えられた。69万個。国民1人あたり2個以上だ。

 2万人が参加した首都での追悼行進。国家元首が亡くなった時でも1日限りの半旗掲揚が閣議決定で3日間に。「前代未聞のことばかりです」。支援は今も届き続ける。

 合言葉は「日本に恩返しを」。

 こちらはほとんど知らなかったけれど、モルディブの人たちは日本にとても感謝しているという。小中学校や、04年のインド洋大津波から首都を守った防波堤などが日本のお金(政府開発援助)で造られたこと、国を支えるマグロ・カツオ漁や水産加工業が日本の技術と資本で発展した歴史……。

 忘れずにいてくれたのがうれしい。今度は日本が深く心に刻む。(論説室)
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幾度か読んでいくと、文字を追う目がとまってしまう部分がでてきた。

「貧しい」・・・収入は日本と比べるとまるで少ないが、貧しくはない。

「お金のない人はツナ缶を持ってきた」・・・ツナ缶は店でお金を払って買うんだけど・・。

「日本仕様に替えられた」・・・一つずつ?、わざわざ?、それにかかる費用は?、届けられる先は?。

「こちらはほとんど知らなかったけれど」・・・最後の「忘れずにいてくれたのがうれしい」の部分に言葉の重みがない。

「日本」・・・自分が知らなかったことなのに、最後は「日本が」深く心に刻む、となる。


マスメディアに先進国と途上国との関係が書かれるとき、ステレオタイプのことばがかならず露呈してくる。
by saitoru1960 | 2011-04-08 16:26 | ひとりごと

原発アンケート

4月4日付け読売新聞より

本社全国世論調査結果
<RDD方式:コンピューターによる無作為抽出電話番号による調査>
<1036人の有権者から回答。回答率62%、被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県の一部地域は調査から除いた>

◆福島第一原発の被災状況や放射性物質の影響など、今回の事故に関する政府の説明は、全体として適切だと思いますか。

適切だ:24  
そうは思わない:66

◆現在、日本の電力の3割近くは原子力発電によるものです。今後、国内の原子力発電所をどうするべきだと思いますか。
次の4つの中から1つだけ選んで下さい。

増やすべきだ:10
現状を維持すべきだ:46
減らすべきだ:29
すべてなくすべきだ:12
その他:1
答えない:3

「減らすべきだ」と「すべてなくすべきだ」をあわせても41で現状維持より少ない。
自分のこととして考えるには、まだ衝撃的とうけとっていないのだろう。
放射能は目に見えない。

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by saitoru1960 | 2011-04-05 22:21 | ひとりごと

SUJAからの電話

地震が起きてから3回目のSUJAからの電話がかかってきた。
2回目のときには深夜12時の寝入ったときだったので、またまたディベヒ語が口から出てこないまま、まともに話せずに終わってしまっていた。
今晩かかってきたのは夜の9時半ごろ。マーレ時間の5時半だった。
2回の電話で英語回路がなかなか動き出さず、これならディベヒ語のほうがしゃべりやすいのではないかと、次は必ずと考えていたので、「キヒネッタ?」と最初から話した。
すると、スジャは「ワット?」と聞き返してきた。
もう一度、「スジャ、キヒネ?」というと、
「コーチ、ディベヒバス ミハールベス エンゲード」と初めてスジャはディベヒ語で私に話しかけてきた。

過去2回の英語での会話より、次々に自分の口からことばが出てきて、しゃべりながら、「ディベヒ語のほうがやっぱり話しやすいんだなあ」と再確認してしまった。

会話は弾み、明らかに自分のほうから話している内容は豊富だった。
挙句の果ては、「うちのマンマ(おふくろ)が話したがってるから」と、マンマまで電話口に出た。
スジャの家で30歳の誕生日をお祝いしてもらったことを思い出す。
バタークリームで大きく「30」とデコレートされたケーキにナイフを入れ、集まってくれたクラブの仲間たちと食べたのはもう20年も前のことになってしまった。

「ジャマルディーンスクールで働いてもう18年くらいになる、スポーツインストラクターなんだ」、
「コーチに教えてもらったことが役に立っているんだよ。ありがとう」
と、話してくれるスジャは、地震・津波・放射能の日本に住んでいる自分のことを心配してこうして何度も電話してきてくれるのだと思う。
地震も津波も既に3週間前の出来事になっているけれど、放射能だけは現在進行形で進んでいる。
目に見えず、遠くまでその影響が広がってもわからない放射能への恐怖感は、狭いマーレの中で生活している彼らには他人事ではないのかもしれない。
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by saitoru1960 | 2011-04-02 22:18 | 心にのこる

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960