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あきらめ

22日(日):転倒
23日(月):なし(肘・肋骨痛む)
24日(火):学校→上沢(走ろうとするが肋骨痛くて走れず)0km
25日(水):学校→板宿(ゆっくり3km・痛みはあり)+妙法寺→家:3.6km
26日(木):板宿→学校・学校→板宿・妙法寺→家(ゆっくりなら我慢できる程度の肋骨):6.6km
27日(金):学校→板宿・妙法寺→家(ゆっくりなら我慢できる程度の肋骨):3.6km
28日(土):学校↔須磨・妙法寺→家(我慢できる痛み):14km
29日(日):休み
30日(月):家→学校(転倒後初学校まで。ラスト2kmで我慢できない位の痛さ発生)
       学校→板宿・妙法寺→家:10.6km
31日(火):板宿→学校(長田から痛くて走れず歩く)2km・・・決断。

肋骨の治癒状況があまりにも遅々としているため、1週間走らず安静にし、大人しくすることを決断。
走れないことを考えると滅入ってしまうが、決めてしまうと気は楽になる。
by saitoru1960 | 2012-01-31 20:49 | ランニング

1週間

肘をギブスで固定する不便さはどうでもいいくらい肋骨の痛みがまったく引かない。
土曜日に学校―須磨間5kmを往復した時は痛みも少し和らいだような気がしていたけれど、今朝転倒後初めて学校までの7kmを走ると、ラスト2kmは走れば逆に痛みが増してくる辛さだった。

3週間かかるといわれ8日経った。前途に灯りはまだ見えてこない。
by saitoru1960 | 2012-01-30 07:20 | ひとりごと

5日目

昨日の右肩の痛みを抑えることを考え、三角巾で腕をつって電車で通勤。
右腕を動かすことを極力避けようとした。
再診。副木を取り、腫れのなさや痛みの軽減を確認し、「来週診て、大丈夫だったら、副木外してリハビリのほうに入りましょう」となる。

昼食後に痛み止めを飲んだからなのかもしれないけれど、右肩の痛みはかなり薄らいだ。
右腕を振らないようにして学校から板宿まで走る。
肋骨の痛みもかなり減った。

さて、明日はどうなるか・・。
by saitoru1960 | 2012-01-27 21:23 | ひとりごと

4日目

板宿から学校まで走る。肋骨の痛みは昨日よりはましな感じ。
しかし、右の肩に痛みが出る。
今まで全くなかった痛み。腕を上げるのがきつい。
肘を副木で固めているため、腕を振ると肩鎖関節に無理が生じるのだろうか。
肩にキネシオを貼るがあまり効果なし。
寝ているときの肋骨の痛みもあまり変化はない。
肘の回復は順調だけれど、肋骨と新たな部位の痛みが気になる。
by saitoru1960 | 2012-01-26 22:19 | いろいろ

6年生の作文「僕の夢」

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僕の夢は、一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。僕は三歳の時から練習を始めています。三歳から七歳までは半年くらいやっていましたが、三年生の時から今までは、三百六十五日中三百六十日は激しい練習をやっています。
 だから、一週間中で友達と遊べる時間は五、六時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。そして、その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。ドラフト入団で契約金は1億円以上が目標です。僕が自信のあるのは投手か打撃です。 
 去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そしてほとんどの選手を、見てきましたが自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームランニ本を打ちました。そして全体を通した打率は五割八分三厘でした。このように自分でも納得のいく成績でした。そして僕たちは一年間負け知らずで野球ができました。だからこの調子でこれからもがんばります。
 そして、僕が一流の選手なって試合に出られるようになったら、 お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢の一つです。
とにかく一番大きな夢は野球選手になることです。

愛知県西春日井郡とよなり小学校六年二組 鈴木一朗
by saitoru1960 | 2012-01-26 21:18 | 心にのこる

転倒から3日目

副木をつけていると全く肘の痛みはなし。
肋骨の方がたちが悪い。
昨日は上沢まで数百メートルが痛くて走り続けられなかったけれど、今日は板宿までゆっくり走り続けることができた。(3kmを20分)
夕御飯は箸を使って食べることができた。
歯磨きも右手だけでOK。
by saitoru1960 | 2012-01-25 21:56 | ランニング

本屋大賞ノミネート

今年のノミネート作をWeb上でざっと調べ、手を出すかどうかとりあえず自分の候補作。

○高野 和明:「ジェノサイド」(角川書店)
○宮下 奈都:「誰かが足りない」(双葉社)
○三浦しをん:「舟を編む」(光文社)
○百田 尚樹:「プリズム」(幻冬舎)
△三上  延:「ビブリア古書堂の事件手帖(てちょう)」(アスキー・メディアワークス)
△中田 永一:「くちびるに歌を」(小学館)
△小川 洋子:「人質の朗読会」(中央公論新社)
×沼田まほかる:「ユリゴコロ」(双葉社)
×万城目 学:「偉大なる、しゅららぼん」(集英社)
×大島真寿美:「ピエタ」(ポプラ社)
by saitoru1960 | 2012-01-25 05:53 | 物語

いとをかし

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インディア!
by saitoru1960 | 2012-01-25 05:29 | いろいろ

転倒

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昨日、板宿・太田町の交差点手前500m位のところで、ちょっとした段差につまずき転倒。
瞬間的に、しこたま地面で擦られる!、とちょっとした恐怖感も生じた。
次の瞬間、右手をバンと出したのだろう。歩道の上で、背中を下にして転がっていた。
右の肘が痛み、右側の下の肋骨も痛かった。
起き上がり、外れたウークマンに傷がついていないことを確認し、残り1km程を走り、板宿駅から地下鉄に乗った。肘と肋骨の痛みは、後のことを思うと、まだ序の口だった。
家で2時間ほど冷やしているときは痛みも少なかったが、夕方どう仕様もない痛みが襲ってきた。
休日診療している病院を119で聞き、西市民病院に車で向かった。
診察を受けるまで3時間、疼痛に耐え続けた。
レントゲン技師は容赦なかった。
診察の順番を飛ばされ、レントゲンの取り直しを告げられたとき、これはとんでもなくひどいのではないか、と肘の極度な痛みが、自然にそう考えさせた。

本日、再診。
骨には以上は見られず、肘の内側靭帯が伸びたのではないかとの診断。
副木をあて、三角巾でつっただけで、痛みは半減していた。
とりあえずは、動かさずに時間を置き、リハビリで、ということになった。
いつから走ることができるようになるか・・。

(*夜、肋骨の痛みがきつくなり、どうも地面に着いた右腕の肘の場所へ右下の肋骨部分が当たって衝撃を吸収したような動きだったのでは、と予測。他の部分へのダメージがない分、全てのエネルギーが肘と肋骨部分に集中したのだろう。)
by saitoru1960 | 2012-01-23 21:53 | ひとりごと

17年の時間の中で

あの日のこと思い出すために、久しぶりに当時の学級通信を開いた。
建築科2年の担任をしている時だった。
3年間クラス替えもなく、担任は3年間持ちあがりで、生徒にとっても自分にとっても初めての特異で貴重な3年間だった。
クラスの生徒たちは、東は西宮、西は高砂、北は有野台、と広範囲から登校してきていたので、全員の安否が確認できるまでに5日もかかった。
携帯電話はまだ普及する時代ではなく、生徒たちはポケベルを友達との連絡に使っている、そんな時代だった。
地震から10日あまり過ぎた1月26日が地震後初めての登校日となった。
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当日配布したプリントには次のようなことが書かれてある。
○本日すべき事
1)担任に安否を伝える事
2)このプリントを持ちかえる事
3)アンケートに答える事
4)転居、転校などを考えている人は、担任に相談する事
5)友人の情報があったら伝える事
6)ただちに下校する事(部活、寄り道はしない)
○通学時について
1)安全第一(落下物、倒壊があるものとして通行する)
2)危険回避(危険な場所に立ち寄らないようにする)
3)譲り合い(交通機関が混雑しているので可能な限り徒歩で通学する)
板宿より約1時間、須磨より約2時間、三宮より約1時間
○家に帰ったら(勉強はもちろんそれ以外にもすることがあります)
1)家族の絆を深める(大いに手伝いをする)
2)ボランティア活動への参加
3)教科書、教材の確認
4)健康管理
5)非常時といえど、県工生として常識ある行動を心がける
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奇跡的に全校生徒や保護者の方々で亡くなった人はなかったけれど、クラスの40人中、家屋が全壊のもの4軒、半壊のもの8軒、一部損壊のもの10軒、減収の見込みありは21軒にものぼった。

この日、登校できた27人に学級通信の原稿を書かせた。住んでいる場所によって衝撃の度合いに差はあるけれど、それぞれの恐怖と怒りが入り混ざったような文章ばかりだった。
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<鈴木の原稿>
わたしはその瞬間、寝ぼけていて立ってしまった。
でも、ものすごい揺れで、全然立てずに、ドアにぶつかってしまった。
それで、ドアの取っ手の所をつかんで必死でお母さんの寝ている部屋に行こうとした。
一瞬、夢かと思った。
お母さんはもう死んだのかと思ったくらい、タンスの倒れた所に埋もれていた。
ゆれている中、わたしはこたつの中にかくれてお母さんを呼んだ。
そしたら、
「じっとしときなさい。布団きてっ!!」
と、言ってたけど、何か心配だったので走ってお母さんの布団にもぐっていた。
ゆれが収まってから玄関に行くと、ドアが曲がって開かなくなっていた。
そして、男の人達がみんなの家のドアをハンマーみたいなので開けていた。
でも、わたしの家は廊下側の部屋の柵を壊してもらってやっと窓から出入りできる状態になった。
それからすっごい怖かった。昼頃から部屋を片づけて、電気がつくようになった。 
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生きている間は、もうあんな大きな地震が神戸にはこないだろう、とどこかで自分はたかをくくっている。
そして、もし和歌山沖で南海地震が起こったらと想像した時、きちんとしたイメージを持つことができないでもいる。
揺れは17年前より小さいだろう、標高の高い妙法寺に住んでいるので津波も来るはずはないだろうと、あくまでも人ごとのような捉え方でいるのだ。
次に大きな地震が起こった瞬間、何をどうすればいいのか具体的なイメージは今現在何もない。
壮絶な体験を一度すると、それ以上悲惨なものが自分には起こりえないだろうと考えているからなのかもしれない。
「チリ津波も体験しているから大丈夫です。また再建しましょう」と東日本大震災から数日後救出されたおじいさんが、向けられたマイクの前で話していた。「経験」とは一体何なのだろうか。
1・17の日にそんなことを考えている。
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<文集より思い出したこと>
阪神淡路大震災の当日昼前、停電の街を空から落ちてくる灰をよけながら、開いている店がないかとJR塩屋駅の方へ歩いていた。
コープの店頭に人が並んでいた。
「レジが使えませんので、マジックを渡しますから値段を見て、自分で値段を書いてレジに持ってきて下さい」
と店長らしき人が大きな声で伝えていた。
5名ずつくらい店内に入る人数を制限していたため、入るまでに2、30分並び、選んだのは乾電池とチョコレートとポテトチップスだった。
店長らしき人のいうとおり、陳列棚に書かれた値段を見て、手渡されたマジックで一つ一つに値段を書いてレジに並んだ。
レジの人は電卓で計算し、私はお金を払った。
塩屋のコープ付近では火災もなく、倒壊している所もなかった。
山一つ隔てた須磨、長田では火災と家屋の倒壊で大混乱だったけれど、とても静かな店内だった。
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by saitoru1960 | 2012-01-17 22:41 | ひとりごと

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
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