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ここ2足くらい、このようなへり方をしている。
左脚が長くなったのか、右脚が短くなったのか。
走り方なんだろうけど、なぜ急に偏りだしたのかが気になる。
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by saitoru1960 | 2013-05-29 21:26 | ランニング
《「――略――(生活保護給付水準の)見直しに反対する人の根底にある考え方は、フルスペックの人権をすべて認めてほしいというものだ。つまり生活保護を受給していても、パチンコをやったり、お酒を頻繁に飲みに行くことは個人の自由だという。しかしわれわれは、税金で全額生活を見てもらっている以上、憲法上の権利は保障したうえで、一定の権利の制限があって仕方がないと考える。この根底にある考え方の違いが大きい。」》

 以上は、「週刊東洋経済」の2012年7月7日号に、世耕弘成参議院議員が、記名で書いた原稿の一部だ。
 ネットイナゴの捨て台詞ではない。

 「フルスペックの人権」という言い方に、私の世代の日本人はまずなによりも度肝を抜かれる。
 というのも、われわれは学校で、「人権は、天賦のものであって、何人もおかすべからざる、生存の前提だ」というふうに教えられてきているからだ。
 「フルスペックの人権」という言葉の背後には、「人権」を「スペック」と見なす思想がある。
 驚くべき思想だ。

スペックとはつまり、それがパソコンにおけるメモリ搭載量や、自動車におけるカーナビ装備の有無といった、「計量的」かつ「取り外し可能な」属性であることを意味している。

 政権与党の内部にいる人間が、人権をそんなふうな「行政側の判断で賦与したり召し上げたり制限したりすることが可能な」テンポラリーでオプショナルな周辺装備の如きものとして描写する態度自体、驚天動地と申し上げるほかないのだが、この考え方は、世耕議員の独創ではない。同じ考え方を抱いている日本人はたくさんいる。

 もしかしたら、もはや多数派であるのかもしれない。
 この種の主張を展開する人々の頭の中には一種の「生産管理思想」と言って差し支えのない効率万能主義が根を張っている。
 彼らの考え方からすると、「大きさや形の揃っていない部品は、システムの不確実性を増大させる」という意味で、「不良品」に分類される。
 と、それらの、「粒の揃っていない」「不定形な」部品は、ジグソーの絵柄にハマらないパズルのピースとして、排除せねばならないことになる。
 
工場長の立場で、工業製品を相手にものを言っているのであれば、彼の主張は正しい。
 しかしながら、われわれの社会は、「効率のために動いている」のではない。
 また、わたくしども個々の人間は、より大きな何かの部品として定義されるところのものでもない。
 われわれは、世界を効率的ならしめるためにこの世に生まれたわけではないし、社会的な生産量を極大化するために生きているのでもない。

 順番が逆だ。
 むしろ、そもそもバラつきのある個々人であるわれら人間が、それぞれに違った方法と条件で、個々の快適な時間を過ごすために、社会が設計されている…というふうに考えるのが本当のはずなのだ。
 誰もが障害と無縁なわけではない。
 この先、老いて死ぬまでの間には、必ず車椅子や杖の世話になる時期がやってくる。
 その時に、それぞれの身体的条件を社会に適合させるための道具や施設や制度が、近視の人間にとっての眼鏡や、歯を抜いた人間にとっての義歯のように、効果的にサポートしてくれるのであれば、それは、万人にとっての利益であるはずではないか。
by saitoru1960 | 2013-05-29 21:24 | 心にのこる
今週は、障害者一般の話をしたい。
 と、書き始めたとたんに、いきなり炎上の種子が宿っている。

「障害者」という表記がそれだ。
 私も、かつて、この文字を使うことについて、何人かの人間から注意を促されたことがある。
「私は『障碍者』という字を使っています」
「『碍』という難読漢字が嫌なら、『障がい者』というふうにひらがなに開く手もありますよ」

 なんでも、「障害者」という単語を構成するうちの一つである「害」という漢字に、「他者を傷つける」という意味合いがあることが、「さまたげられている」当事者である障害者のありようにふさわしくないというのが、彼らの言い分であるらしい。
 なるほど。趣旨は了解した。
 しかしながら、私は、「障がい者」と「障碍者」の、いずれの表記も好まない。

 まず、「障がい者」という表記は、漢字とかなの交ぜ書きが不快で耐えられない。
 あえて「害」の字を排除した書き手の意図が行間に横溢してしまっている点も感心しない。
 私は、こういう「これ見よがしな善意」みたいなものが、自分の文章の中で文脈とは無関係に突出する事態を歓迎する者ではない。だからこの用語は使えない。「障がい者」とタイプしただけで、次の行を書く気持ちが萎えてしまう。
 「障碍者」は、「碍」を「がい」と読ませる設定の難解さに抵抗をおぼえる。
 現代に生きる日本人の第一感では、この字は、右側のツクリからの類推で「とく」と読みくだすと思う。多数派の日本人が誤読する可能性のある漢字を使うことには、やはり抵抗を感じる。

 それ以上に嫌なのは、この「障碍者」という表記に、見る者を「啓蒙」しようとする気分が含まれている点だ。
 「子供」→「子ども」の時にも書いたが、この種の特別な表記を広めようとしている人たちの口吻には、
「私たちのような人権意識の高いリベラルな人間は、『障害者』などという差別的な表記には耐えられないのです」
 という特権意識のようなものが露呈している。別の言い方をするなら、

「あなたがた無神経で無教養な人々は何にも知らないだろうから教えてさしあげるけど、『害』の字には、『他者を傷つける』という含意があります。そういう文字を、『しょうがい』をかかえる人間の呼称として使うことの罪深さがお分かりですか?」
 といった感じの「ご高説」みたいなものを、私はこの文字の字間から受信するのである。
 考え過ぎだと?
 私はそうは思わない。考え過ぎているのは、「害」を個別の文字として単語から分離した上で、偏った読み解き方をしている人たちの方だと思う。

 仮に、「障害」という用語に不快を感じる人々が実在しているのだとしても、当該の言葉を使っている側に特段の悪意が無く、文脈に差別的な意図が宿っていないのであれば、そこから他人を傷つける意図を読み取るのは、やはり誤読だと申し上げなければならない。
 漢字の意味についての解釈は、だから私は、こじつけだと考えている。
 漢字には、様々な意味が備わっている。
 漢和辞典を開いてみれば、誰にでもわかることだ。

 表意文字は、読み手の読み方次第で、どういうふうにでも解釈できる。言葉というのはそもそもそういうものなのだ。
by saitoru1960 | 2013-05-29 21:20 | 心にのこる
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「一寸引き」
とても手に負えないものーたとえば太い木の根っことか、大きな岩なんかを動かすには、一度にパッと動かそうとせずに、時間をかけて一寸ずつ動かせ。そうすりゃ、いつかは必ず動く。
これはもう、哲学だと思ったね。
文明は今や、即席の時代に入っている。
すぐに結果を出すことを求めて、その為に金やエネルギーを使う。
早く結果の出ることが善で、時間のかかることは避けなければいけない。
果たして、そのことが正しいのかって、うまれて初めて俺は考えた。
(中畑木材店、和夫さんのモデル・仲世古の善雄さんのことばを聞いて)
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廃屋に入ってじっといると、そこの住人がその家を捨てた時の情景が次第にはっきり見えるようになる。中にはあわてて夜逃げしたらしい、食事の途中っていう情景もあった。箸も茶碗もまだ食事中、そういう崩れた廃屋の中で、ある程度怨念のような鬼気に包まれながら、当時の家を捨てざるを得なかった人たちの、その時の情景や心情の中へ、想像の中で踏みこんでいくんだ。
想像力がぐんぐん磨かれたね。
今の若者に想像力がないのは、きっとこういう、一見無駄な時間がなくて、面白いものが周りに多すぎるせいだろうね。コンピューターとかケイタイとか、面白くて仕様がないものがあふれすぎている。
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樹は根によって立つ されど根は人目にふれず
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だけど、そのうちフッと自分から何かが欠落したって思うようになるんだ。
なにが欠落したかって、ずっとぼんやり気になっいて、ある日突然ハッと気づいたね。
旭川に毎週通っていた時には、片道1時間の運転の間、ずっと自然にふれてたんだよね。
富良野から旭川へ行く道は、深山峠、美馬牛峠を通って、美瑛から千代ケ丘へ抜けるんだけど、ここはめちゃくちゃ美しい丘陵地帯でね。パッチワークみたいな畑の色が季節ごとに見事に変わってくるんだ。
それを無意識に楽しんでいたのに、行かなくなってそのことが消えたんだね。
自然を見ることが少なくなった。
これはいけないと、ひどく反省して、しばらくして又、空港へ通い始めた。
結局、何年も続かなくなって、便利なファックスに戻っちゃたんだけどね。
ここだと思うんだよね。
ここが運命の別れ道だと思うんだよ。
便利なものに手を出し始めると、次々に又手を出したくなっちゃって、いわば一種の「便利病」にかかっちゃう。便利病ってのはウイルスよりこわいぜ。
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知識と金で前例にならってつくるのが「作」。
金がなくても智恵で零から前例にないものをうみだすのが「創」。
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今、この災害の後をどうするかっていう時、新聞の社説が、消費をすすめろって載せていた。
目を疑ったね。今回の災害が日本にとって第3の敗戦っていわれるならば、立ち直る為にはこれまでの価値観、誤った概念を叩きこわさなくっちゃいけない時なんだ。
即ち浪費によって大国になりあがった終戦後の日本の思想をね。
消費すること、浪費することで今の繁栄を築き上げた。
そのツケとしての原発事故が起きた。そのことにみんな気づかないのかね。
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by saitoru1960 | 2013-05-29 21:15 | 物語

バングラの低賃金労働

バングラデシュのダッカ郊外で4月に衣料工場が入居したビルが倒壊し多数の犠牲者を出した事故を受けて、途上国にある国際衣料メーカーの提携先工場での労働慣行に批判的な目が注がれている。
そうした中で、「ユニクロ」ブランドを展開するカジュアル衣料大手ファーストリテイリングは、バングラデシュで策定が進められている法的拘束力のある労働環境安全協定に当面参加せず、独自に自社提携先工場の災害訓練や 建物検査を強化する方針を示した。

これに対し、人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」アジア部門のフィル・ロバートソン副部長は「ユニクロが協定に参加しないのは極めて近視眼的だ。途上国の労働問題は組織的に解決する必要があり、1企業やそのサプライチェーンの問題ではない」と述べ、ファーストリテイリングの対応を批判した。  ウォールストリートジャーナル 5月27日

「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は、 店長候補として採用した全世界で働く正社員すべてと役員の賃金体系を統一する「世界同一賃金」を導入する考えを明らかにした。海外で採用した社員も国内と同じ基準で評価し、成果が同じなら賃金も同水準にする。 朝日新聞 4月23日
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ファーストリテイリングがバングラディッシュに進出したのは2008年。
現在では数多くの商社やアパレルがバングラディッシュ製造に参入している。
理由は単純。バングラディッシュの最低賃金は月37ドルで、生産性がほぼ同じの中国より5分の1も安いからだ。
そして、衣料工場の数は5千もあり、ベトナムの2千、カンボジアの250を上回る。
しかし、多くの工場の環境は劣悪だ。児童労働者が700万人もいる。工場火災や倒壊は当たり前で、労働環境は日常的に悪い。環境を改善しようと、労働運動を広めてもその責任者は不当な扱いを受ける。労働組合を作って環境改善しようとした活動家の中には誘拐され拷問を受けて死亡した者もいる。
 
昨年11月にウォルマート向けの商品を製造していた工場で112人が火災で死亡する事故が起きたが、その後の政府やメーカーや衣料工場やの対応は鈍く、今年4月には、衣料ビル工場の崩壊でその10倍の千人以上の死亡者を出した。

ウォルマートは昨年の火災前に「高い安全性を確保した上で操業する工場でなければ、当社はその工場から製品を調達しない。」と語ってはいたが、正式契約業者が火事にあった工場を下請けで使っていたのだ。
つまり、先進国大企業が自主的に倫理安全基準を作っていても、コスト圧力が高くて儲からないから、裏で基準を守らない下請け業者を使うのだ。そして、先進国のアパレルバイヤーはこの状況を見て見ぬふりをしてきたのだ。

今回、欧州中心に法的拘束力のある労働環境安全協定を作ったのは、これまでの二枚舌を使った欺瞞を止めようとしているから。
海外企業が輸出区域で直接監視している工場は、状況が良くとも、繊維業界の大部分である下請け、孫受け業者に対しては、監査人を使って納入業者を検査しているが、搾取や不当行為を断つための情報や権限がないからだ。

協定が多くの企業から構成されれば、汚職や軍の隠れた影響力、政治家を兼務する工場所有者の妨害を乗り越えるよう、初めて政府に圧力をかけられる。
この現状を知れば、今回の労働環境安全協定に参加しないことで、その企業がどんな本音を持っているかを知ることが出来る。

多くの日本人に知ってほしいのは、ファストファンションやディスカウント店で安く服を買っている事で、途上国民の命を軽んじている事だ。
昔、学校で注意して帰れという意味で「家に帰るまでが遠足」と言われたろう。
店で買う商品は、製造の全ての過程をひっくるめて「商品」なのだ。
by saitoru1960 | 2013-05-28 18:42 | 読み物
第21回 1982年 3月 5日(金)放送
「昔のこと、麓郷のことは全部忘れちゃった・・・」

 凉子先生がいなくなってから、富良野は秋めいてきていた。駒草で飲んでいた五郎は、その噂が消息の分からなくなっている辰巳の妹のつららのことだと知る。そして、つららがすすきののトルコで働いており、店での名前が「雪子」だと聞いてショックを受け、清吉に相談する。

 ある夜、新吉と中川は五郎がこごみのアパートに入っていくのを目撃し、中川がそのことを中畑に話した。中畑は心配し、五郎にこの冬の自分のことを話し、こごみを諦めるように説得する。家に帰ると、清吉が訪ねてきていた。清吉は、札幌のすすきので働くつららの様子を見てきたことを五郎に話した。

 ボクシングの試合前日、純と雪子は草太がとってくれた札幌の旅館で草太からの連絡を待っていた。そこへ、ジムの会長の新吉から電話が入り、三人で食事をすることになった。新吉はボクシングの厳しさを二人に話し、食事の後、ホテルへ送つてくれた。帰りぎわ新吉は、雪子につららがトルコで働いていることを話した。雪子は、そんなつららの境遇にショックを受ける。

 翌日、草太の試合が行われた。第2ラウンドに強烈なパンチを受け、草太はリングに沈んだ。純と雪子は控え室に向かう通路で、つららと再会した。つららの変わり様に二人は驚きを隠せなかった。
 この四五日、街に出かけていなかった五郎は、蛍から他に好きな人かできても平気たと言われ、複雑な気持ちでいた。8月20日で夏休みも終わり、純と蛍は本校へ通い始めた。

第22回 1982年 3月12日(金)放送
「人を許せないなんてごう慢だよな」

 札幌で草太の試合が終わってからひと月が過ぎていた。あの日から、雪子の様子が何となく変わり、草太も家に寄りつかなくなった。

 10月に入って、待ちに待った日が来た。それは、今日が丸太小屋の組み立て工事の始まる日だったからだ。その日は土曜日で純も蛍も学校が終わると、急いで現場に走った。五郎たちは既に、何段かの丸太を組み終えていた。純や蛍も手伝った。昼食の休憩時間に入り、五郎たちには内緒で純と蛍の二人は森へ山ブドウを採りに行った。それは、明後日の五郎の誕生日のプレゼントのためだった。純と蛍はその誕生日にこごみを呼ぼうかどうか迷っていた。

 現場では、トイレに行っていた松下がクマの足跡を発見したと言って戻ってきた。どうも、親子のクマだと言うことだった。中川らは、家へ鉄砲を取りに戻っていった。そんなことが起こっているとは知らず、純と蛍は山の深くまで山ブドウを採りに入り込んでいた。近くで物音がするが、蛍はキツネだと言ってブドウを採り続けた。ところが、二度目に大きな音がしたので、二人は大声で歌を歌いながら森から無事に戻ってきた。夕食の時、本当にクマが出たことを知った二人は、ブドウ採りに山に入っていたことも言えず、箸を持つても震えていた。その夜、二人は神様にお祈りをした。

 次の日は、日曜日で中も現場で作業を手伝った。蛍は、昼食の材料を持って家を出たところでこごみと出くわす。現場へ行く途中、蛍はこごみに五郎の誕生日のパーティーに招待した。二人が現場に着くと、五郎や中畑たちの様子が変わり、途端に暗い雰囲気になってしまった。そこへ、みずえとすみえが現れ、中畑は慌てる。中畑は、すみえと純をつれて、落葉キノコを採りに森へは行っていった。純は、中畑からこごみが飲み屋に勤めていることを知ってしまう。現場では、こごみが中川から何事か耳打ちされ、そのまま帰ってしまう。蛍が中川に訳を聞くが、何も教えてくれなかった。

 夕方、作業終わると中畑は五郎を夕食後、飲みに誘った。五郎は、昼間こごみが現場から帰されたことが気がかりだった。家に着くと、中から純の声が聞こえた。純は、こごみが飲み屋の女だから誕生日には絶対に呼びたくないと言っていた。五郎は、家には入らず、そのまま中畑の待つ店へ行った。中畑は、五郎にこごみとは余り深入りしない方が子供たちのためだと言うが、五郎は自分は器用でもないし無責任でもないと言って店を飛び出す。純と蛍がブドウをビンに詰めているところへ五郎が帰ってきた。五郎は、職業で人をとやかく言うことは絶対に許さないと純を叱り、家から出て車に向かった。車に乗ると、雪子が令子からの手紙を差し出した。それは、令子が吉野と一緒になるという報告だった。五郎は、そのまま車を富良野の街へ走らせた。家の中では、五郎に叱られた純は泣きながらブドウをビンに詰めていた。

 五郎は、蛍がこごみとした約束は自分が忙しいからやられなくなったと話した。こごみは、仕事が休めなかったから丁度よかったと言った。しばらくして、中川と松下が店の外から五郎を呼んだ。しばらく外で話をした五郎が店に戻ってきたとき、目に涙が光っていた。聞くと、令子が死んだという話だった。雪子にも、中畑からそのことが知らされた。その頃、純は親子のクマが楽しそうに山を歩いている夢を見ていた。

第23回 1982年 3月19日(金)放送
「そういう習慣がわしらにはついとるです」

次の朝、純と蛍は五郎から令子が死んだことを知らされた。雪子と純と蛍の三人は、汽車に飛び乗り、昼には千歳空港に着いていた。

 東京の令子のアパートでは、葬儀の準備でごった返していた。雪子は、友人のみや子に会い、令子の死因に不信感を覚えた。アパートでは吉野が憔悴しきっていた。純も蛍も棺の前に座るが、吉野が自分の子供に「おかあさんにお別れを言いなさい。」言ったのを聞き、二人はショックを受け、二人はアパートを飛び出し、街に出た。その夜、雪子は吉野に司法解剖をするように願い出るが、周りから反対される。そこへ、北海道から北村清吉がやって来た。しかし、五郎はまだ到着していなかった。純は、五郎が遅いのが気に入らなかった。清吉が部屋に顔を出し、雪子を外に誘った。屋台で清吉は、昔長男が東京から嫁を連れてやって来て、牧場を手伝ってくれていたが、ある日突然二人で東京へ戻っていってしまったことを雪子に話した。それ以来、東京の女の人を信用しなくなってしまったというのだ。清吉と雪子は、おでんを二皿包んでもらい、アパートに帰った。

 翌日、純が8時過ぎに目を覚ますと、台所で五郎がカップラーメンをすすっていた。五郎は、今着いたんだと純に言った。
 10時頃から葬式の手伝いのために人がやってきていたが、五郎は周りの静止も聞かず台所に入りっぱなしだった。そんな、五郎の姿が純には情けなく見えていた。公園で座っていると吉野が近寄ってきた。吉野は、自分の好きになる人はみんな死んでしまうと言う。純が破れた靴をさわっているのを見て、二人を靴屋に連れて行った。そして、新しい靴を履くように言った。二人は、一様断ったが、母さんが悲しむという吉野の一言でそれを履くことにした。今まで履いていた靴は、店員によって段ボール箱に無造作に捨てられてしまった。

 2時からの葬式の間中、純と蛍はあの捨てられた靴のことを考えていた。夜、みんなが帰った後、雪子と前田がもうしばらくこちらにいてやってほしいと頼んだが、五郎は農繁期の忙しい時期に丸太小屋を手伝ってもらっているから明日の朝一番で北海道へ帰らないといけないのだと言った。夜中に、トイレに起きた純は、お骨の前で泣いている五郎の姿を見た。翌朝、五郎は一人北海道へ帰っていった。その日も、ぼちぼちお参りの人たちが来ていたので結構忙しかった。

 夕方には、清吉も来てくれていた。そこでは、前田たちが五郎の行動を非難していたが、清吉は五郎が何故早く来れなかったのか、その訳を話し出した。それは、お金が工面できなくて、一人汽車で一昼夜かけて東京に来たことだった。純と蛍はその話を聞くと、外へ出た。そして、この間捨てられたあの靴を探しに靴屋へ向かった。店はもうシャッターが閉まっていた。あきらめて帰ろうとしたとき、蛍がゴミの山を見つけ、二人はさがし始める。そこへ、お巡りさんが現れ、純が事情を説明すると一緒にさがしはじめた。純は、何故だかわからないが急に涙が突き上げてきたその夜、純は夢を見た。五郎に買ってもらった靴が、川を流れていくのを蛍と一緒に裸足で必死に追いかける夢だった。

第24回 1982年 3月26日(金)放送
「母さん、今日も雲がきれいです」

 令子が死んで一週間が経っていたが、恵子ちゃんは一度も来てくれなかった。雪子は、北海道の北村草太に手紙を書きながら、あの晩のことを思い出していた。それは、試合の翌日一人富良野駅に降りた草太を改札口で出迎えたとき、草太からつららとつき合った2年と8ヶ月、59年の4月までは雪子とは会わないことにしたと言ったこと。そして、その頃まだ自分がここにいるかと言っていたことをだ。

 雪子は、純や蛍はこの一年で富良野の住人になったが、自分はただの旅人で終わってしまったことを恥ずかしいと感じていた。翌日、純と蛍は恵子ちゃんの家を訪ねた。しかし、恵子ちゃんの家は取り壊されなくなっており、純はショックを受ける。そこへ、以前担任をしてくれた小川先生が声をかけてきた。純は、先生との再会に喜んだ。先生は、恵子ちゃんが父親の仕事の関係でアメリカへ行ったことを知らされた。純は先生の話が何となくつまらなく感じ、凉子先生のことを思いだしていた。この一年の麓郷での生活が自分を変えていたことに気づいていた。東京を発つ前日の夜、蛍が本の間から令子の書いた手紙を見つけてきた。それは、二人に宛てた手紙だった。今年の夏、令子が富良野に来たときの思い出が書かれており、「あんなに雲が綺麗だったこと」のところで筆は止まっていた。

 五郎は純と蛍を迎えに富良野駅に来た。そこへ、駒草のこごみが車の窓を叩いた。こごみは、知り合いを見送りに来たとのことだった。五郎が駅に入ろうとすると、改札口では会社の同僚たちが一人の男を見送っており、それをガラス越しに見ているこごみの姿を目にする。汽車から飛び降りた純と蛍はホームの階段を一目散に駆け上がり、五郎の待つ改札口に走った。麓郷に戻ると、完成した丸太小屋が純と蛍を待っていた。

 夜になって、蛍が以前住んでいた家を見たいと言いだし、三人で出かけた。純と蛍は、その家の変わり様に驚いた。ちょうど、最初にここへやって来たときと同じ状態になっていた。蛍は、五郎から裏の畑もめちゃめちゃだと聞き、畑を見に行く。純は家の中に入り、穴のあいた天井を見上げた。五郎は、純に令子が死んだことのつらい気持ちを話した。そのとき、外で蛍が呼んだ。行ってみると、三本足のキツネが来ていた。それは、蛍が餌付けし、とらばさみにやられたあのキツネだった。あのキツネが戻ってきていたのだった。その晩、丸太小屋で夢を見た。純は、夢の中で令子に手紙を書いており、それはこの一年の自分たちの生活について綴ったものだった。そして、「かあさん、雲が今日も綺麗です。母さんが見たっていう雲はわかりません。だけど、その雲を僕と蛍はどれだったんだろうとときどき話しており」と・・・・・・・。
by saitoru1960 | 2013-05-28 05:31 | 物語
第13回 1982年 1月 8日(金)放送
「父さん、僕は会話に入っていけませんでした」

 突然、母親の令子が倒れ、純と雪子は東京へ向かった。病院へ着くと、令子が笑顔で迎えてくれ、純は安心する。雪子は、付き添いの人から令子の様子を聞き不安になり、友人のみや子に相談するため外出をする。純は、恵子ちゃんに電話をするが、英語塾へ行っていると聞き、塾へ出向く。東京にいたときの友達が英語をしゃべっていることにショックを受ける。
 
 次の日、学校帰りの恵子ちゃんを道で待ち伏せ、久しぶりに話ができた。そのあと、豊君の家にみんなで集まったが、みんなの話に入っていけず、純は傷つく。みんなと別れて、病院へ行くと雪子が令子に病院を変わるように説得をしていた。そこへ、男が花束をもって入ってきた。純は、令子から吉野を高校時代の友人として紹介される。純は、自分の母親を「令子」と呼び捨てにする吉野が気になった。
 
 翌日、吉野から電話があり、映画や遊園地へ遊びに連れて行ってもらう。純は、吉野と一日一緒にいて、吉野という人物に好感をもつ。あと二日で北海道へ戻らなくてはならなくなった純は、このまま東京に残るかどうか迷っていた。

第14回 1982年 1月15日(金)放送 
「僕に東京にいてほしいの?」

 北海道へ帰る前日、純は雪子と病院へ令子を訪ねた。雪子は、純に付き添いを頼んで、吉野に会いに出る。純は、令子が寝入ってしまったので、一度アパートへ戻る。物置にしまってあった自転車を出してたかし君の家へ遊びに行き、そこでアダルト雑誌をもらってしまう。家へ戻って、雑誌をバックに隠しているところへ病院の雪子から電話が入り、慌てる。
 
 病院へ行くと令子は起きており、黙って出ていったことを雪子に怒られる。純は、令子の気持ちを考えるとやっぱりこのまま東京にいた方がいいと思い始める。その夜、五郎に手紙を書いているとき、昔のことを思い出していた。それは、五郎が拾ってきた自転車のことだった。東京では、流行遅れになると何でもすぐに捨ててしまう。それに比べ、自分たちの生活は、ものはないけれど何とか工夫して生活している。その素晴らしさに、純は少し気がついてきていた。翌日、病院には顔を出さず、まっすぐ空港に向かった。
 
 東京から帰って一週間が経った。純は、蛍や五郎からUFOの話を聞かされるが信じようとしなかった。思春期を迎えた純と正吉は東京から純が持ち帰った雑誌を見て盛り上がっていた。そして、正吉が、森という新婚の家から聞こえてくる声を聞いて興奮したと言いだし、今夜8時半頃二人で行くことにした。純は、五郎に星の観察だと嘘をつき、家を飛び出すが蛍が一緒についてきたしまう。野原で、寝転がると空に光る物体を見つける。それは蛍と五郎が言っていたUFOだった。3人は、UFOをベベルイの森の方へ追いかけ、そこで本物のUFOに遭遇する。ところが、UFOが去った後、森の中から凉子先生が鼻歌を歌いながら現れ、3人は驚き、このことは秘密にしておくことを約束する。

第15回 1982年 1月22日(金)放送
「もう大人は信用しないことにした」

 次の日の朝、純と蛍は朝食を急いで済ませ、学校へ出かけた、途中で正吉と会い、昨日の約束を確認し、今日一日凉子先生を観察することにした。ところが、凉子先生は旭川の教育委員会へ出かけてしまい。本校の先生が来ていた。そして、今度父兄会をおこなうから家の人に連絡しておくように言われる。

 その頃、保護者の家に凉子先生を中傷する怪文書が送られてきていた。五郎は、こんなことをする奴は卑劣だ言い、手紙を破り捨てた。 純は、ますます女性の体を意識しだす。五郎と蛍の3人で町に買い物に出かけても、女性の胸ばかりに目がいってしまっていた。五郎は、町で同じ中の沢の分校の保護者に声をかけられ、笠松の杵次が怪文書のことで話し合いたいと言っていることを知らされる。その夜、保護者全員が集まり、今後の対応について話がされた。杵次は、断固凉子先生を問いつめると言ってきかなかった。
 
 五郎は、家に帰り二階の純と蛍の様子を見て、降りようとしたとき純が東京から持ち帰った雑誌を見つけショックを受ける。翌日、学校へ行くと凉子先生がいた。窓越しに、先生を観察していたが、純は先生の胸の膨らみばかり見ていた。五郎は、思春期の純にどうのようにしたらいいのか困り、北村の家へ相談に行く。そこで、清吉から相談したいことがあると言われ、その夜正子に内緒で富良野の「くまげら」で会うことになった。そこで、清吉から雪子が東京に帰ってしまったのは自分が裏で手を回したからだと思われているから誤解を解いてもらいたいと頼まれる。五郎は、ボクシングジムへ出向き、草太に説明するが納得してもらえなかった。そのとき、草太から今度札幌で4回戦の試合に出ることを聞かされる。
 
 次の月曜日の父兄参観日の日、酒に酔った杵次が遅れて教室にやってきた。授業が終わり、分校の閉鎖のことを連絡し始めたとき、杵次が怪文書のことについて凉子先生に問いただした。先生が自分からことの詳細を語り始めたが、五郎が途中でやめさせ、杵次を教室から連れ出した。純は、そんな杵次の姿に涙していた正吉の気持ちを察していた。
 
 その夜9時頃、雨の降る中を笠松の杵次が一升瓶を片手に五郎の家に現れた。杵次は、今日18年間共にした馬を売ったことを話に来た。話し終わると乗ってきた自転車にまたがり、一人雨の中を走り去った。翌朝、明け方まで降った雨も上がり、純と蛍は学校へ行く途中で橋の上の人だかりを見に行く。すると橋の下には昨日の夜現れた杵次が倒れて死んでいた。

第16回   1982年 1月29日(金)放送
「誰もとっつぁんの苦労をわかっとらん!」

 18年間連れ添った馬を手放した日に、杵次は川に転落してなくなった。笠松の家では、葬儀の準備で慌ただしかった。そんなとき、正吉の姿が見あたらず、五郎たちが探すが見つからない。蛍は、以前杵次から教えられた木の上の家へ純と凉子先生を連れて行く。そこには、一人悲しみに暮れる正吉の姿があった。
 
 翌日、杵次の遺体は焼かれ、夜はご馳走がでた。純は、葬式なのにみんながお祭りのゆうに楽しそうなのに驚く。そんな中で、杵次の息子たちが生前のことをとやかく言うことに立腹する。草太はそんな清吉の様子を見かね、家に連れて帰る。純と蛍は、一足先に辰巳に送られ、家に戻る。純は、さっき清吉が言った「あの馬だけが、爺さんのことをわかっていた。」という言葉がいつまでも頭から離れなかった。夜中に、ふと目を覚ますと、五郎が帰っており、ストーブであの雑誌を燃やしているのを見て、唖然とする。そして、五郎に、最近女性の胸や足が気になってしょうがないので自分は病気だと打ち明ける。五郎は、それは、一人前の大人になった証拠だと説明し、これからは一人前に扱うことを約束する。そして、五郎が秘密にしてきた丸太小屋をつくる計画を話す。
 
 東京から、雪子からの手紙が届く。そこには、令子の容態が書かれていた。雪子の説得にも応じず、病院を変わろうとしない令子に五郎から何とか言ってもらいたいとのことだった。 夕方、正吉とみどりが家にやって、夕食を一緒に食べることになり、純も蛍も喜ぶ。 ところが、ある日学校の授業が終わると凉子先生が正吉が急に学校を辞めて遠くへ行ってしまったことを知らされる。
 いよいよ、丸太小屋の計画が実行される日が近づいてきていた。五郎は中畑たちに模型を使って作り方を説明していた。

第17回 1982年 2月 5日(金)放送
「人はそれぞれ悲しい時に、悲しさをあらわすあらわし方が違う」

 夏になった。五郎は、この夏中に丸太小屋を完成させると純や蛍に宣言していたが、二人は不安に思っていた。その日は午後から授業が中止となり、凉子先生に連れられてバスで本校に行った。帰りのバスの中で純たちは凉子先生に本校へ来てくれるようにお願いするが先生ははっきりした返事はしなかった。
 
 家への帰り道、自分たちを呼ぶ声に振り向くと、それは東京へ行っていた雪子の声だった。久しぶりの再会に二人は喜ぶ。雪子は、五郎に令子と弁護士の本多が一緒に来ていることを話す。五郎は、二人に会いにワインハウスへ出かけた。令子は、最後に子供たちに会いたいと申し出た。五郎は了承し、その夜純と蛍に正式に令子と別れることを伝え、明日令子と3人で過ごすようになっていると言った。翌日、純と蛍は学校を早引きし、令子の待つホテルへ五郎の車で送ってもらった。五郎は、二人を降ろすと帰ってしまった。
 
 ロビーには令子が立っていた。そこへ弁護士の本多が現れ、4人で中富良野のラベンダー畑へ行くことになった。純は、胸が一杯でラベンダーなんか見ていなかった。純は、一晩中考え令子についていこうと決めていた。蛍は、令子とは一言も口も聞かず、純はそんな蛍の様子にいらだっていた。令子は、二人の通っている学校へ行き、凉子先生から二人の学校の様子を聞き安心する。
 
 五郎は、中畑の家に離婚の保証人を頼みに来ていた。突然電話のベルが鳴り、令子が急に苦しみだし渡辺病院に担ぎ込まれたということだった。五郎は、すぐに病院へ向かった。病院の医者から令子の様態について聞かされるが、ちゃんとしたところで検査をした方がよいと言われる。病室へ行くと令子は目を覚まし、子供たちに会わせてくれたことに感謝していると言った。そこへ、中畑と雪子が入ってきた。雪子は、令子に怒った。
 
 次の日、黒板家の墓へ令子たちと行くことになっていたが、蛍は仮病を使って、一緒に行こうとはしなかった。五郎は、令子にいつでも子供らには会わせると約束して、富良野の駅へ令子を送った。純は、電車のドアが閉まるまで手を握っていた。最後に令子は蛍のことを頼むとだけ純に言った。令子は、座席に戻ると外の景色をぼんやり見ていた。令子は、川岸を一死に走る蛍を見つけ、大声で「蛍」と叫び手を振った。蛍の目は涙で一杯になっていた。蛍は、草太に頼んで一人令子を川岸から送ったのだった。
 
 五郎と純が丸太小屋の作業をしているところへ蛍が帰ってきた。家で寝ていなかったことを五郎は叱った。蛍は、二階に駆け上がり、ひとり泣いた。その夜、草太が蛍を元気づけようと「いかだ下り大会」のことを伝えに来た。突然雪子に声をかけられ草太は驚く。慌てて家を飛び出したところで五郎に出くわす。五郎は、草太から昼間蛍が家に来て頼まれ、坂の下の電車の見える場所へ連れていったことを聞かされる。それは、蛍が草太に内緒にしておいてほしいと頼んだことだった。そして、帰るときに「父さんが世界中で一番かわいそうなんだ」と言っていたことも伝えた。
 
 五郎は、風呂を沸かしている純の横に座り、「蛍はお前や父さんよりももっと辛くて、送りに行かなかったかもしれない」と話した。純は、二階に上がって寝ている蛍の顔に残った涙の筋を見て、さっき五郎の言った言葉が本当だったことを知る。次の日曜日、廃校式が五郎や中畑や辰巳らの分校の卒業生を招き行われた。
 
 富良野では、7月26日のいかだ下り大会に向け、二三日前からそれぞれいかだをつくりはじめていた。純と蛍は、中畑木材の大きないかだに乗せてもらうことになっていた。

第18回 1982年 2月12日(金)放送
「大学まで出てなんであいつの気持ちがわからないんだ!」

 いかだ下りの日が明後日に迫っていた。純と蛍は、初めは、五郎のいかだに乗るつもりだったが、中畑たちが制作している「四畳半」と名付けられたいかだにのれるように頼み込む。それは、五郎と辰巳の  いかだが安全性よりも目立つことに重点をおいて制作されていたからだった。純や蛍が「四畳半」乗ることを知った五郎は面白くなく、ふてくされていた。草太は、去年つららを乗せて出たいかだ「みずすまし号」にペンキを塗っていた。母の正子が、雪子と一緒に乗ったらどうかというが、草太は何も答えなかった。正子は、雪子にもう一度牧場で働いてもらうように頼んでもらえないかと草太に言うが、草太はいまさら何を言っていると突っぱねた。
 
 凉子先生は、学校から東京の父に学校の閉校に伴って自分も学校をかわることを電話で話した。電話が終わった頃に五郎が現れ、中畑たちのいかだに乗らないかと誘いに来た。
 いかだ下り大会の当日、草太は自分いかだに雪子を乗せたかったが、見栄を張っていた。草太は16番目、五郎たちは20番目そして四畳半は21番目にスタートしていった。五郎は、途中駒草号に乗るこごみと知り合う。急流で五郎たちのいかだはひっくり返り、五郎はこごみのいかだに助けられ、東京の話で意気投合する。四畳半に乗っていた純と雪子は家出していたつららの姿を川岸に見つける。
 
 いかだ下り大会が終わり、純と蛍は凉子先生と家路についていた。そこで、蛍は先生に今夜UFOを見せてもらうことを約束する。臆病な純は、それができなかった。家につくと、まだ五郎も雪子も帰っていなかった。その頃雪子は、辰巳の家でつららの置き手紙を見つけた。家に帰った五郎は、純からつららの話を聞き、草太の家に走った。雪子たちは、富良野駅に行き、つららを探したが、見つけることができなかった。草太も駅の前でバイクに座ってつららの現れるのを待っていた。草太は、雪子たちを見つけるなり、喫茶店に入っていった。五郎と雪子も後を追った。草太は、今日一日はつららのことを考えてやりたいと雪子に言う。雪子は、そんな草太が素敵だと感じていた。
 
 その頃、五郎の家でも一つの事件が起ころうとしていた。UFOを見に行った蛍と凉子先生が9時を回っても帰らなかった。

第19回 1982年 2月19日(金)放送
「お父さん、ラベンダーのにおいがする」

 五郎は、純から蛍と凉子先生がベベルイの奥の方へ行っているかもしれないと聞き、探しに出かける。10時を過ぎても、五郎も蛍も帰ってこなかった。純は、初めは蛍を心配していたが、段々腹が立ってきていた。そのうち寝込んでしまい、入り口の開く音で目を覚ました。蛍が見つかったのだった。五郎は、今日ことは凉子先生が問題にされるから誰にもしゃべらないように純に言った。蛍は、純に今日あったことを興奮してしゃべった。純は、そんな蛍がうらやましく思え、ねたましく感じていた。
 
 翌日、五郎に連れられ、初めて丸太小屋を建てる場所を見に行った。そこで、純は五郎から蛍の話を信じてやらなかったことを叱責される。純は、五郎はいつも蛍の味方だと感じた。
 7月27日・28日の二日は、富良野のへそ祭りの日で、五郎は夕方からみんなで見に行こうと張り切っていた。雪子と純が洗濯物を干しているところへ草太がバイクでやって来た。今度札幌でやる試合の取材がジムであることを雪子に伝えに来たのだった。祭りの前にみんなでボクシングジムを訪れたが、そこでの主役は草太ではなく会長の成田新吉だった。五郎たちは、祭りに行くが純は一人ジムに残った。そこで、五郎から口止めをされていたあの事件のことを新聞記者にしゃべってしまったのだった。
 
 そのころ、蛍は五郎の肩車で祭りの見物をしていた。五郎は、祭りでおどるこごみの姿を見つける。その晩、五郎を富良野に残し、中畑の車で家に向かった。車内では祭りの話して盛り上がっていたが、純だけは、あの晩のことをしゃべってしまったことに後悔していた。
 
 一人富良野に残った五郎は、こごみの勤める駒草というスナックに顔を出した。そこで、中畑和夫が「悲劇さん」というあだ名が付いていて、そのわけを聞いて五郎は驚く。その夜、酒に酔った五郎が中畑を訪れ、こごみから聞いた話をし始めたので和夫は狼狽し、五郎を家から出した。 そりから2日が経ち、本校の先生が二人が突然家へやって来た。先生たちは、あの晩のことを蛍に聞きに来たのだった。純は、自分がしゃべったことで凉子先生が問題にされていることを知り愕然とする。その晩、五郎が暗い顔で帰ってきた。純は、その原因が自分にあると思っていた。それで、夕食の時に五郎に打ち明けた。しかし、五郎は「しゃべっちまったことはしかたがない。」とひとこと言って外へ出ていった。実は、令子から送られてきた離婚届に五郎はくさっていたのだった。
 
 五郎は、こごみに会いに富良野の町へ出かけた。五郎は、こごみに令子から届いた離婚届を見せ、中畑が話していたことは自分のことだと言った。そんな五郎にこごみは同情し、自分のアパートに誘った。朝帰りをした五郎を蛍と雪子が寝ないで待っていた。蛍は、五郎に抱き上げられたとき、ラベンダーの香りに気づく。翌日、新聞に凉子先生の記事が載った。

第20回 1982年 2月26日(金)放送
「自分の目で見たものを信じればいい」

 純は、新聞に記事が載ってからというもの完全に落ち込んでいた。蛍から五郎に最近女の友達ができたらしいと聞かされ驚く。二人は、できたら雪子と五郎が結婚してくれたらいいと望んでいたので、雪子に直接聞くことにした。ジャンケンで負けた純が雪子に話すが、丸太小屋には自分の部屋がないと言われ、純たちはショックを受ける。

 五郎は、その夜も遅くに帰ってきた。五郎は、寝床でランプをつけて本を読み始めたが、灯油の無駄だと純に叱られてしまう。翌朝、五郎は丸太小屋の土台を組みに出かけた。蛍は、自分の作った弁当を届けに、一人作業現場に向かった。そこで、五郎がこごみと二人で楽しそうにしているところを見てショックを受け、持ってきた弁当を川へ流してしまう。

 翌日、東京からテレビ局の人がやって来た。蛍の見たUFOのことで番組に出演してほしいとのことだった。蛍は出たくないと言うが、純は令子が東京で見るかもしれないから出ろと蛍を説得した。結局、蛍は翌日インタビューを受け、3日後の番組に放送されることになった。蛍の話が作り話とされ、凉子先生も避難する番組の内容に蛍は傷ついた。五郎はそんな蛍を気遣い、自分や雪子や純や中畑たちみんな蛍の言ったことを信じているから今日のことは忘れろと言った。そして、明日秘密の場所へピクニックに行くことを話す。

 次の日の朝、雪子が仕事に出かけた後、いつになく陽気な五郎に驚く。9時頃初めてこごみが家にやってきた。純は、無邪気にはしゃぐ五郎を軽薄に感じ、蛍は一緒にこれなかった雪子のことを考えていた。
 8月7日の旧の七夕の日、凉子先生が転勤することを知らされ、純と蛍は学校へ走った。学校は施錠されており、先生の姿はなかった。その夜、純は凉子先生に会い、自分があの晩のことをしゃべってしまったことで先生に迷惑をかけたことを謝った。そして、先生とUFOを見せてもらうことを約束する。その夜から純は風邪を引き、昼頃まで寝ていた。それでも約束の時間までまだ時間があったので、ついうとうとと寝入ってしまった。気がつくと時計は3時20分を回っていた。慌てて飛び起きた純は登山口に向かったが、着いたときには4時を過ぎており、先生はもういなかった。純は凉子先生を捜しに一人森の中へ入っていき、そこで、葉巻型のUFOに凉子先生が吸い込まれていくのを目撃する。その後、ふらふらになって家に戻ってきた純は、五日間熱を出して起きあがれなかった。

 8月も半ば過ぎなのに、もう富良野盆地には秋風が流れだしていた頃、富良野の街の夜の飲み屋で一つの噂が話題になっていた。五郎も、駒草で客が話しているのを聞いてしまう。
by saitoru1960 | 2013-05-28 05:29 | 物語
第1回 1981年10月 9日(金)放送 
「あの人には東京は重すぎたのよ」

 純と蛍は、父親の五郎に連れられて五郎の故郷である富良野へやって来た。妻の令子が浮気が原因で五郎は純と蛍を引き取り別居していたためだった。蛍は、車窓から初めて見る空知川に感動していたが、純は不安気に窓の外を見つめていた。3人が降りたのは、布部という駅であった。そこには、親戚の北村草太が車で出迎えにきてくれていた。そのあと、五郎たちは草太の車で、八幡丘にある草太の家へ向かった。その夜は、草太の家で三人で泊まった。

 翌日、二人は昔五郎の住んでいたというぼろぼろの廃屋へ連れて行かれた。ここには電気もガスも水道もないと聞かされ、純は不満と動揺が隠せなかった。その夜、食事のときに、五郎から馬の賢さの話を聞かされ、蛍は感動するが、純は詐欺だと思った。純は、その夜、怖い夢にうなされていたが、蛍に起こされ、何者かが表を歩いていることを知らされる。そして、恐怖の余り、二人はお祈りを始めた。正体は、中畑和夫に言われて様子を見に来たクマさんだった。翌朝、五郎は蛍と二人で沢へ水くみに行った。そこで今の蛍の気持ちと純の様子を聞き、少し安堵する。しかし、そのころ純は二階の部屋で起きており、一人東京へ逃げ出す作戦を考えていたのだった。

第2回 1981年10月16日(金)放送
「僕の体質には、やはり東京があっていると思われ・・・」

 あれから五日が過ぎ、純の不満はどんどん増すばかりであった。おかむろづくりのためにネコで石運びをすることになる。蛍はよく働いていたが、純は怠けてばかりであった。(草刈りの時に、クマさんが言った、「こつこつ働いていれば、人間はだんだん謙虚になる。」の一言に「なるほど」と思ったのは私だけだろうか。)
その夜、蛍が五郎に純が母親に手紙を書いていることを告げ口するが、純が蛍のことを信用して話したのだから、その秘密を漏らすようなことはしてはいけないと言われる。 翌日、五郎は純と蛍のことを頼みに中の沢の分校へ行った。しかし、先生は即答を避けた。五郎は、学校に近い北村清吉の家へ寄った。すると、そこに東京から令子の妹の雪子が来ていた。そのころ、家では純が蛍に母への手紙を町へ出しに行くように頼んでいた。はじめは、いやだと断っていたが、引き受けてしまう。

 町へ行く途中、橋の下に、綺麗な花を見つけた蛍は、橋の欄干の上に手紙を置いて、川へ降りていった。そのとき、橋の上を車が通り過ぎ、置いてあった手紙が川に落ちてしまった。蛍はそれを追いかけていったきり、夜の7時を過ぎでも戻ってこなかった。純は、初めはとぼけていたが、自分が令子への手紙を出してくるように頼んだことを五郎に話した。夜遅く、蛍は無事に発見された。蛍は、手紙のことは誰にも言っていないからと純に話した。それを聞いた純は、心の奥にあついものを感じていた。

第3回 1981年10月23日(金)放送
「お前らはわしらを裏切って逃げ出していくんじゃ」

 ある日、純は雪子に東京へ帰りたいと打ち明ける。その夜、五郎は純に直接父さんに言わずに、雪子おばさんを通じて言ってもらうようなやり方は卑怯だと言う。
 五郎は、清吉の家から東京の令子へ電話し、純を東京に戻すことを伝える。それから三日がたち、純と雪子は五郎と蛍に見送られながら麓郷を後にし、北村清吉の車で布部の駅まで送ってもらう。そこで、清吉から「敗けて逃げていくんじゃ。」という言葉を聞かされる。電車にゆられながら、純はさっき清吉の言った言葉が頭から離れず、ついに決意をひるがえして麓郷に戻ってきてしまう。

第4回 1981年10月30日(金)放送
「父さんけちな人間です、軽蔑していいです」

 純と蛍が中の沢の分校に通うようになったある日、中畑木材へ五郎を訪ねて本多という女弁護士が東京からやって来た。五郎は、本多から母親の令子からの手紙が子供に全部渡っているかどうか聞かれるが、五郎は嘘を言ってしまう。
 純と蛍は学校から帰る途中に、弁護士の本多から母親からの何通かの手紙が自分たちにきていたことを聞き、純はショックを受ける。五郎が仕事を終えて、家に着くと純が令子からの手紙のことで雪子に不満をぶちまけているのを聞いてしまう。五郎は、本多から受け取った手紙を純に渡し、明日本多のいるホテルへ連れて行くことを伝えた。
 
 翌日、五郎は純だけを車に乗せ、本多の待つホテルへ連れて行った。部屋へ入って話しをしていると、本多が吸っているたばこの灰のことが純には気になった。それは、昔五郎が灰を落として令子に叱られていたことや夜中に令子が誰かと電話で話をしていて、そのとき吸っていたたばこの灰がじゅうたんに落ちたことがあったからだった。本多は、部屋から東京の令子の所へ電話をかけだした。純は自分とは関係のない人が父親のことを悪く言うことに我慢ならず、受話器の向こうには母親が出ているにも関わらずホテルを飛び出し、五郎の待つ車へと走った。

第5回 1981年11月 6日(金)放送
「父さん僕のこと嫌いなのかな・・・」

 純は、あれ以来五郎の自分に対する態度と蛍に対する態度が違うことにひがみを感じるようになる。翌日、五郎は山仕事に出かけ、笠松の杵次から五郎たちが住んでいる土地は自分のものだと聞かされる。その夜、学校のテストの点のことで純が蛍を馬鹿にするが、五郎は静かにするように注意する。五郎は、杵次の言葉が気になっていた。

 次の日、純と雪子は草太の車で町へ買い物に行く。草太はボクシングの練習の後、純を喫茶店に誘い、雪子の気持ちを聞き出そうとするが、純はへなまずるく応対する。五郎は、杵次に土地のことについて詳しい話を聞く。家に帰ると、かんびが片付けてないで、てっきり純の仕業だと勘違いし、純を叱るが、それは雪子が出しっぱなしにしたものだった。純はその夜、雪子に自分が五郎に嫌われていると話す。

 次の日、杵次は仕事場には来なかった。純が、がんびで火をつけようと練習しているところへ杵次がやってきた。その夜、久しぶりに五郎の家は賑やかだった。そこへ、つららが訪ねてきて、純に草太を呼ぶように伝えるが草太は相手にしなかった。純は、五郎が杵次の悪口を言ったときに怒ったくせに、今は自分が悪口を言っていることに矛盾を感じ、また、草太に相手にしてもらえないつららも自分と同じで嫌われていると感じ、一人外へ出る。そんなとき、蛍のかわいがっているキツネが現れ、石を投げつけて逃がしてしまう。五郎は怒り、純を殴った。草太は純を追いかけ、自分の車の中で諭す。純は、そんな草太が優しく男らしく思えた。蛍のキツネは、このことがあってから現れなくなってしまった。

第6回 1981年11月13日(金)放送
「私の東京の地図の中では下北沢は永遠に抹消」

 ある日、雪子がマフラーを編んでいた。純や蛍は、それが草太へのクリスマスプレゼントだと勘違いする。ところが、蛍から口止めされていたが、おしゃべりの純はそのことを草太に話してしまった。草太はそれを聞いて舞い上がり、不眠症になってしまう。ところが、雪子の編んでいたマフラーには草太のイニシャルのS.KではなくT.Iと編み込まれていた。それは、以前東京で雪子がつき合っていた井関という人へのプレゼントだったのだ。純は、草太にしゃべってしまったことを後悔していた。
 
 そんなとき、つららが雪子のところへ草太のことで話をしにやって来た。純は二階でその話を聞きながら、雪子のいつもとは違うきつい一面を知る。五郎は北村の清吉から草太が雪子に惚れていることを知らされる。家に帰えると雪子が突然、しばらく東京へ戻りたいと言ってきた。雪子は、純と蛍に見送られ、バスで麓郷をあとにする。その夜、何も知らない草太が家にやってきたが、五郎から雪子が東京に戻ったことを聞きショックを受ける。

第7回 1981年11月20日(金)放送
「あのむこうには東京がある」

 12月も半ばを過ぎ、純も蛍も雪はねの毎日であった。雪子が東京へ帰ってからは、五郎が山仕事に行っている間、中畑和夫の家に世話になっていた。純は、そこにある電話が気になりだしていた。

 ある日、中畑の家で一人になったとき、東京の令子のところへ電話をかけ、令子の声を聞くが、何もしゃべらずに切ってしまった。山仕事が終わり、中畑木材の広間で慰労会が行われた。純は密かに部屋を出て、事務所の電話で東京の令子へ電話をかけ、次は蛍にも話をさせようと考えた。クリスマスの準備で中畑家にいるとき、純は蛍と二人っきりになった時を見計らって、令子のところへ電話をかけ、蛍を電話口に出すが蛍は令子の声を聞くと切ってしまう。そのときから、蛍は口をあまり聞かなくなった。終業式の日、五郎は凉子先生から蛍が学校から東京の令子のところへ電話をかけていたことを知らされ驚く。

 その夜、純と蛍はクリスマスを中畑の家で過ごそうとするが、中畑のおじさんは、純と蛍に家に帰るように言う。純は不満だったが、クリスマスは各自が家でやるものだと言われ、しぶしぶ車で家まで送ってもらう。車を降りた純に、中畑のおじさんが純の日頃の態度について叱責する。家にはいると五郎はおらず、壁に靴下を履いた二組のスキーが立て掛けてあった。それは、五郎からのクリスマスプレゼントだった。
 
 その晩、ストーブの側で三人枕を並べて寝るが、突然蛍が学校から令子へ電話したことを五郎に告白したので、純は驚く。自分も言おうと思ったが言うタイミングを逸してしまう。純は、その夜夢を見た。それは、賛美歌の行列が森の中から現れ、先頭には五郎と令子と蛍がおり、必死に叫んでも気がつかず、森の中へ消えていってしまう夢だった。純の寝顔には、一筋の涙が流れていた。

第8回 1981年11月27日(金)放送
「大晦日はうちによこせ!」

 12月29日、家から1kmほどさかのぼったところから川の水をひく作業の大詰めを迎えていた。しかし、パイプの途中が凍っているらしくなかなか水が出てこなかった。しびれを切らした純は、一人町へ年賀状を出しに出かけ、バス停で母親の帰りを待つ正吉に会い、正吉の家へ行く。そこで、水で薄めた酒を飲みながら二人で盛り上がっていた。純は正吉に紅白を家で一緒に見ないかと誘われる。
 
 その夜、五郎は仲間と小野田で酒を飲んでいたが、草太は中川に雪子のことでからかわれ、殴り合いのけんかを始める。東京へ戻った雪子は、手編みのマフラーを井関に受け取ってもらおうとするが、袋の中身を見ただけで井関は立ち去ってしまう。雪子は傷つき北海道へ帰る。そのころ、草太は毎日布部の駅で雪子の帰りを待っていた。つららは、草太をあきらめ先輩を頼って旭川へ出ることを草太に打ち明ける。草太は、自分の嫁になるよう言い、つららは感激する。
 
 次の日、パイプの凍っている箇所が判明し、ついに水道が完成した。、純と蛍は感動する。その夜、二人がよく働いたごほうびに正吉の家で紅白をみてもいいことを許す。凉子先生を家へ送る途中で、純と蛍は正吉の家で降ろしてもらい正吉の家へ入ろうとするが、正吉が帰ってきた母親と楽しんでいる光景を見て、正吉の家をあとにする。五郎も中畑の家へ入ろうとするが、できずに一人家へ帰り令子に年賀状を書き始めた。五郎は帰ってきた二人を連れて、富良野の町の灯を見に行く。家へ帰ると、雪子が東京から帰ってきていた。純と蛍は大いに喜んだ。そこへ、草太がつららを連れて現れ、雪子を見るなり舞い上がってしまい、そんな草太につららは寂しさを感じる。東京では、令子が一人新しい年を迎えようとしていた。

第9回 1981年12月 4日(金)放送
「そんなことは全然知らなかった・・・」

 昭和56年正月、つららが五郎の家にひょっこり現れ、草太と雪子の関係について五郎に尋ねるが、はっきりしたことが五郎には言えなかった。そんなつららの気持ちとはうらはらに、草太は雪子と純・蛍・正吉を連れて大雪へスキーに行っていた。
 
 その頃、富良野の駅に令子が突然やって来た。駅の改札口を出て、タクシーを拾って中畑和夫を訪ねた。令子の来訪に和夫は驚く。五郎を連れてくるから、家で待つように言うが聞き入れず、和夫は令子を車に乗せ、五郎の家へ連れて行く。五郎は、令子の出現に慌てふためく。令子は、二階の純や蛍の部屋へ上り、子供たちに会わせてもらえるように五郎に頼む。五郎は、「母親がどうしても会いたいというのを拒否する権限は自分にはない。ただ、いま子供らに会わせてしまうと、この3か月築いてきたここでの暮らしが崩れてしまう。時期が来たら、必ず会わせる。」と令子に話す。だが、令子に一目でいいからと言われ、明日中畑の車の中から子供たちを見せると約束する。
 
 スキーから帰った蛍が、誰かが来たのではないかと五郎に聞くが、五郎は中畑が来ただけだと嘘を言う。純は紙包みを見つけた。それは、令子が置いていったものだったが、お年玉だと言って純に渡す。変に思った雪子は、外で紙包みを燃やす五郎から令子が来たことを知らされる。その夜、蛍は雪子に令子が来たのではないかと聞く。それは、令子の臭いが蛍のパジャマについていたからだった。
 
 次の日の朝、五郎は初めて子供たちに風力発電のことを話す。そして、外で作業しているところへ、中畑が令子を乗せてやってきた。五郎は、純と蛍に仕事を任せ、車の中の令子に見せた。そこへ、草太が車でやって来て、令子を見つけてしまう、慌てた雪子は草太に駆け寄り、車に誘う。しばらくして中畑は令子を乗せて旭川空港まで送っていった。20年ぶりに正吉の母親のみどりと再会し、互いの身の上話で盛り上がっていた。そこえ、母親の話を聞いた草太が現れ、母親に会わせなかった五郎をせめるが、逆にみどりから他人が人の心の中まで入り込むものではないと叱責される。夕食の時五郎は、ラジオは、令子からの贈り物だと言うが、純も蛍もそれには答えず、風力発電のことでその場を取り繕っていた。

第10回 1981年12月11日(金)放送
「なんで便利になったものを使おうとしないんだ」

 風力発電のバッテリーが届いたとの知らせがあり、五郎に内緒で雪子と純は富良野へ車で出かける。途中、五郎を見かけるが、五郎は気がつかなかった。五郎は、自販機でたばこを買うと笠松のみどりと正吉をバス停で見かける。みどりは、杵次と飼っている馬のことでやり合い、旭川へ帰るところだった。
 
 富良野で部品を受け取った雪子と純は、スキーの写真ができてるかもしれないから八幡丘の草太の家へ寄ってから帰ることにした。八幡丘の坂に入ると雪が強くなり、吹雪になってきた。雪子は、運転を誤り吹き溜まりに突っ込んでしまう。
 
 家では、留守番の蛍がお手玉をしていた。そこへ、笠松の杵次が訪れる。お手玉をしながら、昔の話をし始める。そこへ、五郎が帰ってくる。蛍は、杵次の馬を見に外へ出る。
杵次は、北電に頼んで電気が引けるようにしたと五郎に言うが、五郎はそれを断る。杵次は、前の水道のこともあり、憤慨する。「昔は、懐かしがるだけのもんでない。二度としたくない昔だってある。お前は、まちごうとる。今に後悔する。」と言って帰る。
 
 その頃、雪子と純は吹き溜まりからの脱出を試みるが、雪はどんどん積もっていった。五郎は、帰ってこない二人を心配し、辰巳の家へ電話を借りに行く。富良野の電気屋へ電話し、午後1時頃出たことがわかったが、その後の消息が分からなかった。草太の家へも電話をするが、停電で牛舎が忙しく一方的に切られてしまう。五郎は、中畑からジープを借り、麓郷街道を探す。途中、すれ違った車に聞くが、車はなかったとのことだった。五郎は、笠松の杵次を訪ね、馬そりを貸してもらいたいと言う。雪子と純は疲れと寒さで、車内で眠ってしまう。純は、家族四人お花畑ではしゃいでいる夢を見ていた。突然雪子に起こされ、馬そりの鈴の音を耳にする。二人は馬のおかげで奇跡的に助け出された。

第11回 1981年12月18日(金)放送
「東京の人はあきらめろ」
 
 中畑の家では、今回の停電のことが話題になっていた。そこへ、雪子と純の事件については何も知らない草太が入ってくるが、話についていけなかった。驚いた草太は、雪子に会いに五郎の家へ行く。雪子は、風邪を引いてせき込んでいた。純は、部屋におれず、外に出ると蛍がいなくなっていたキツネが来ていると知らせに来た。
 
 五郎は、杵次の家へ酒とお金をもって礼に訪れる。杵次は、酒は受け取るが、「金を積むなら10万は入れてこい。おらは、二人の命を救ったんだ。」と言って、金は受け取らなかった。雪子は、草太の牧場で働き始める。純は、草太と雪子のことでつららから追い回されるようになる。純は、正吉に呼び止められ、命を助けてやったのに、杵次の悪口を言っていると言われ、一方的に殴られ川に落とされる。そして、正吉たちから雪子が五郎の女だと言われ傷つく。

 川島竹次が草太の牧場へ現れ、今夜会いたいと伝える。その夜、草太は竹次からつららのことを聞かされる。草太は、つららの待つ「くるみ割り」へ行き、窓際に座っているつららを外からしばらく見つめ、そのままバイクで立ち去ってしまう。竹次は、草太と会ったその足で五郎の家へ行き、雪子に風邪薬を渡す。そこへ、蛍がキツネが来ていると知らせに入ってくる。純は、草太に喧嘩の仕方を教えてほしいと頼む。草太が訳を聞くと五郎と雪子の噂のことだという。草太の立ち会いで、純は正吉は喧嘩を挑む。

 草太は、清吉からつららのことで話があると言われるが、聞こうとしない。自分は、どこへも行かず、この家に居てやっているのだと清吉に言う。むしゃくしゃした草太は、町へ飲みに出かけ、客に雪子のことで馬鹿にされ、喧嘩をしてしまう。警察での取調中、つららに捜索願が出されたことを知らされる。つららを探しに行っていた辰巳が、車を返しに五郎の家に来たとき、草太が居るのを見つけ殴りかかる。純は、雪子につららが家出したことを告げるが、雪子は頭痛だと言って寝込んでいた。

 その夜、キツネの悲鳴が聞こえ、外へ飛び出した蛍は、キツネがとらばさみを引きずっているのを目撃し、ショックを受ける。

第12回 1981年12月11日(金)放送
「つららが家出した原因はあんただ」

 つららが家出をして二日たち、蛍がキツネの餌を雪の上にまいているとクマさんがとらばさみを持って現れた。蛍のキツネはこれと同じ罠にかかったらしい。

 1月20日学校が始まり、外で動物の足跡について勉強していた。そこで、正吉は蛍のキツネがとらばさみにやられたことを知る。その罠は、自分の爺ちゃんが仕掛けたものであることを知り、凉子先生に相談する。そして、もう二度ととらばさみを仕掛けないように杵次に願い出た。その頃、五郎の家では、みんなでバターづくりに夢中になっていた。その夜、雪子は五郎につららが旭川にいるようだと話す。草太が、旭川に探しに行っていたのだった。
 
 次の日、学校が終わると純と蛍は凉子先生に呼び止められる。凉子先生から、昔からここでは狩りをして生活してきた人たちがいることを知らされるが、純は納得できずにいた。家へ帰ると待ちに待った風力発電が完成し、家の中が明るく照らされ、二人は感動していた。
 
 草太の牧場では、雪子が清吉からここでの仕事を辞めてもらいたいと言われ傷つく。家に帰ると、いきなり電灯がつき、五郎たちが誕生日のパーティーをひらいて待ってくれていた。 パーティーの途中で薪を取りに外へ出ると、笠松の杵次が立っていた。杵次は、蛍にキツネを罠にかけたのは自分だと謝り、正吉を恨まないでほしいと言って立ち去っていった。
 そして、2月が過ぎ、もうすぐそこに春が来ていた。
by saitoru1960 | 2013-05-28 05:26 | 物語

北の国から愛をこめて

放送開始翌年の82年1月5日、北海道新聞夕刊の記事「北の国から愛をこめて」の一節。

~都会は無駄であふれ、その無駄で食う人々の数が増え、すべては金で買え、人は己のなすべき事まで他人に金を払いそして依頼する。たわいない知識と情報が横溢し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、人みなそこへあこがれ向かい、その裏で人類が営々とたくわえて来た生きるための知恵、創る能力は知らず知らずに退化している。それが果たして文明なのだろうか。~

 「北の国から」はここから発想した
by saitoru1960 | 2013-05-24 05:02 | 物語

本谷と話した翌朝

長田商店街を抜け新湊川南の遊歩道を走っている時、ウオークマンの素通りしていた歌のことばが突然琴線に触れた。
本谷のこれまでの時間がフラッシュバックする。
想像しきれないほど、自分ではどうしようもできない時間をあいつは過ごし続けているはずだ。
まだ終わりはしない、答えの見えない時間を。

虹  作詞作曲:北川悠仁 歌:ゆず

君の足にからみつくのは何 劣等感?
それとも不調和な日々に芽生えた違和感?
空虚な空 気が付けばほらうつむいて
一人ぼっちになってたいつかの帰り道

特別なことではないさ それぞれ悲しみを抱えてんだよ
自分次第で日々を塗り替えていける

誰の心の中にも弱虫は存在していて
そいつとどう向き合うかにいつもかかってんだ
そうやって痛みや優しさを知ってゆくんだよ
間違いなんてきっと何一つないんだよ

誰のせいでもないさ 人はみんな鏡だから
勇気を出して 虹を描こう

越えて 越えて 越えて
流した泪はいつしか 一筋の光に変わる

曲がりくねった道の途中で
いくつもの分岐点に僕らは出逢うだろう
だけどもう振り返らなくていいんだよ
君だけの道 その足で歩いて行くんだよ

遠回りしたっていいさ 時にはつまづくこともあるさ
でも答えはいつも 君だけのものだから

届け 届け 届け
暗闇の中で泣いてたんだね
希望を乗せ 空に響け

乾いた大地踏みしめる埃まみれのboots
与えられてきた命取り戻すのさroots
吹き抜ける風の中を 光と影を受け止めたなら
行こう君と

越えて 越えて 越えて
越えて 越えて 越えて
流した泪はいつしか 一筋の光に変わる
虹色の明日へ続く

雨上がりの空に そっと架かる虹の橋

雨上がりの空に そっと架かる虹の橋
by saitoru1960 | 2013-05-23 07:33 |

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960