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昨日、悲別で

大西先生から教えてもらったYouTubeに全て残っている「昨日、悲別で」。
大学卒業後、すぐにテレビでやっていたみたいだ。
少しずつ観ていくことにする。
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by saitoru1960 | 2013-11-30 22:19 | 物語

北海道以来の30kmロング

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3ヶ月ぶりの30km越えロング。
垂水あたりで5'20くらいかかっていたにもかかわらず、塩屋から須磨のあたりでチェックすると、5'10内で走れていた。
久しぶりにロングを走って気持ちよく終わることができた。
なんだか思うほど落ち込まずに走れるかもしれない。
午後から「キャプテンフィリップ」を突然観に行く。
トムハンクスがやはりいい。
殺されるかもしれない状況下で、妻、娘、息子の名前を読んで「アイラブユー」と叫ぶ姿に涙が出た。
自分自身が同じ状況下であれば、わかばのことも光のことも名前を叫ぶような気がした。
トムハンクスの演技は凄かった。ストーリーも面白かったけれど、命が断たれるかもしれない状況下で、人間はどうするのか考えさせられた。。
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by saitoru1960 | 2013-11-30 22:10 | ランニング

ブルースリーのことば

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 Don't think! Feel!
 It is like a finger pointing a way to the moon. 
 Don't consentrate on the finger,or you will miss all that heavenly glory

「心をカラッポにして
 水のように形をすてるんだ
 水はカップに注げば、カップの形になる
 ティーポットに注げば、ティーポットの形となる
 水は流れることもうつことも出来る。友よ、水のようになれ。」
 Empty your mind.
 Be formless, Shapeless, like water.
 If you put water into a cup, it becomes the cup.
 You put water into a bottle and it becomes the bottle.
 You put it in a teapot it becomes the teapot.
 Now, water can flow or it can crash. Be water my friend.

「物理的であれ、なんであれ、
 いつも自分のやることに制限をしてしまうと、
 それはあなたの仕事や人生にも広がってしまう。
 限界などない。停滞期があるだけだ。
 そこに留まってはいけない。それを超えて行くのだ。」
 If you always put limit on everything you do,
 physical or anything else,
 it will spread into your work and into your life.
 There are no limits. There are only plateaus,
 and you must not stay there, you must go beyond them.

「この世で最大の勝利は自分自身に勝つことである。」

「自己実現が重要だ。
 それと私が皆に言いたいのは、「自己イメージ」の実現ではなく、
 「自己」の実現に向かってほしいということだ。
 誠実な自己表現のために、自分の内側をよく観察してほしい。」

「人間はいつも成長している。
 人間はパターン化された思考や行動によって行動を制限されると、
 成長をやめるものだ。」

「生き物である人間、また創造する人間は、
 できあがった型やシステムよりも重要である。」

「あらゆる知識は、それが何であろうと構わないが、
 最終的には自覚である、と私は信じている。」
 All kind of knowledge, eventually becomes self knowledge.
 All knowledge ultimately means self knowledge.

「武道家は二つの問いかけをする必要がある。
 自分が何を成し遂げたいのか。
 何が最速で、もっとも効率的かつ効果的に目的を達成できるのか。」
 The martial artist must ask two questions.
 (1) What is it that I want to accomplish?
 (2) What is the quickest, most efficient and effective way to reach my objective?

「知るだけでは不十分だ。実際に応用しなければならない。
 意志があるだけでは不十分だ。実行しなければならない。」

 ・真の向上とは、単純化するところにある。
 ・人間を形成するのは意志であり、忍耐が成功をもたらす。
 ・知恵のない者ほどよくしゃべる。
 ・皆が隣人を救うのなら、救済のない人は存在しない。
 ・昨日の夢は、今日の現実となることが多い。
 ・義務を的確にこなそうと思うなら、与えられた量よりもちょっと多めにやることだ。

「悲観的な考え方は、成功を遠ざける。
 楽観的な考え方は、成功に導く信条である。」

 ・目標というものは、必ずしも辿り着くことを意味するわけではなく、目指すものとしての働きが多い。
 ・失敗の原因に、集中力の欠如があげられる。
 ・目立つことは、栄光の誤った表現である。
 ・明日しくじりたくなかったら、今日本当のことを話せ。
 ・独学は偉人を生む。
 ・不可能だと思えば、不可能になる。
 ・人生を愛するのなら、時を無駄にするな、時は人生を作り上げていくものだから。
by saitoru1960 | 2013-11-29 05:36 | 心にのこる

枝雀の落語について

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その破天荒な芸風からは想像もつかない計算された笑いの理論、そして心の葛藤…。今、改めて桂枝雀とは何だったのか、その人間に迫るドキュメンタリー。枝雀が自ら死を選んでから14年が過ぎた今年は「枝雀」を襲名して40年に当たる年でもある。不世出の落語家が、真摯(しんし)に落語を追い求めた姿とは…。
語り:宮崎美子
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「上方落語の爆笑王」といわれた桂枝雀が、1999年4月に亡くなって早や14年。今では、枝雀の高座をナマで見た人も少なくなったが、その存在は忘れ去られていくどころか、逆に大きな注目を集めている。大きな要因の1つは、若者に人気の芸人たちがこぞって枝雀へのリスペクトを表明していること。その代表が松本人志、千原ジュニア。彼らの発言によって、これまで落語の評論家やファンの間で高い評価を得てきた枝雀の偉大さが再認識されている。芸人の山崎邦正(月亭方正)は、枝雀没後に枝雀落語に傾倒し、落語の道へ進み始めた。さらに、佐渡裕(指揮者)、段田安則(俳優)、養老孟司(解剖学者)、長沖渉(演出家)ら、さまざまな分野で影響力を持つ著名人たちが枝雀を評価している。最近でも次々と「落語全集」のDVDが出版されていることは、枝雀の人気がいまだに衰えていないことを証明しているだろう。
枝雀落語の魅力は、なんといっても絶大なる笑いのパワー! 閉塞感の強い現代においても、そんな暗さを一気に吹き飛ばす力を感じさせる。もしかすると、今、時代は枝雀落語を求めていると言えるのかもしれない。
しかし、枝雀の落語には計算し尽くされた「笑いのセオリー」があったことも事実。枝雀は、とことん落語という芸を極めるために、自らを追い詰めることになった。まさに波乱の人生だった。
果たして、「桂枝雀」の魅力とは一体何なのか―。この番組は、枝雀の落語、そして枝雀という人間に、今だからこその新たな視点で迫り、「伝説」をよみがえらせる。
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放送内容

大阪・朝日放送に保存されている「枝雀寄席」などの貴重な資料映像を活用しながら、枝雀の落語を具体的に分析する。また、桂枝雀の2人のご子息をはじめ、兄弟弟子や弟子、枝雀ファンの各界の著名人など、多くの方の証言から枝雀の人物像を構築していく。

コメントをいただいた方々
・前田一知(長男)、前田一史(二男)
・小佐田定雄(落語作家)、佐渡裕(指揮者)、養老孟司(解剖学者)、 段田安則(俳優)、長沖渉(演出家・脚本家)
・桂ざこば、桂南光、桂雀三郎、桂文之助、桂九雀(桂米朝一門)
・桂福團治、月亭方正

特に2人のご子息からは、“素顔の桂枝雀”について貴重なお話を聞かせていただく。長沖さんからは、病気で苦しむ枝雀との隠れたエピソードを語ってもらった。
さらに、枝雀が行きついた笑いの理論「緊張の緩和」についても考察。「緊張の緩和」理論とは何か、落語作家の小佐田さんをはじめ、枝雀を見守ってきた身近な人物として弟子の皆さんにも解説していただいた。

また、枝雀が笑いと落語の研究をしたためたノートを見せていただくことができた。そこには「笑いの性質の13分類」「落語の快感構造」と題し、どのようにしたら自らの落語をお客さんに届けることができるか、考察して書き記されていた。枝雀落語は見方によっては傍若無人かのごときだが、実は、お客様に喜んでもらうために徹底して科学的に分析された集大成であることがわかる。枝雀落語の特徴をいくつかにしぼり、実際の映像を駆使して検証していく。

桂枝雀が心の病を発症し、自ら死を選んでしまった理由は最後までわからないところであるが、今回の取材を通して、枝雀の落語に対する真摯(しんし)な思いこそ枝雀落語の基本であることがよく理解できるだろう。
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by saitoru1960 | 2013-11-25 05:51 | 物語

パラリンピック


by saitoru1960 | 2013-11-25 05:01 | スポーツ

なぜかネパールカレーが広がってきている

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ヴィッセル最終戦、スタジアムの外で。
by saitoru1960 | 2013-11-24 17:10 | アジア

節目の日

大西先生のラストレフェリー日。ヴィッセル対熊本。3-0でヴィッセル。
これからは脚が痛かったらもう走る必要がない。
新しい人生がまた始まる。
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by saitoru1960 | 2013-11-24 17:09 | 仲間

53歳になっても知らないことがまだまだある

「ヒトに問う」、の中に出てきた本を2冊購入した。
写真集「原発崩壊」と「最高幹部の独白」。
以下は「原発崩壊」の中に出てきた日本での原子力発電スタートの頃の話。
読売新聞が、あからさまに「原発の必要性」を展開するということの意味がようやく呑み込めた。
10月から毎日新聞に代わった後、「原発は廃止に向かわせなければいけない」というような社説に出会い、余計に納得がいったのだった。

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原発列島への道を歩み出したのは1954年のことである。日本はまだ戦後の貧しさの中にあった時代だ。
原子力研究開発予算が国会へ提出されたのが、1954年3月のことである。この時の予算作成メンバーは、中曽根康弘、稲葉修、斎藤憲三、川崎秀二の4名であった。
 翌年の1955年6月には、日本原子力協定が仮調印されるという早急さであった。
さらに8月に入ると第一回原子力平和利用国際会議が開催され、中曽根が参加した。すさまじい積極姿勢がみてとれる。
 同年11月には、読売新聞の社主であり、科学技術庁長官に就任すると同時に原子力委員会初代委員長も兼務した正力松太郎(故人)が、原子力行政にかかわりを持つようになった。1957年8月、茨城県東海村に設置された日本原子力研究所の地鎮祭で鍬入れを行ったのは正力である。
 以降、読売新聞は原発推進の方向性を明確にして今日に至る。当時の大マスコミは原発を推進してはばからなかったのである。1966年7月、日本原子力発電東海原発1号機が日本初の営業運転を開始した時、こぞって各紙面をにぎわせた「時代を担う第三の火」、「時代をになう原子力」、「資源のない国を救う救世主」というような見出しを見てもわかる。 
批判的記事はほとんど見当たらなかった。
by saitoru1960 | 2013-11-22 05:34 | ドキリとしたこと

麓郷の原生林で

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 二十四歳、冬。高知。
 国民宿舎桂浜荘の二階。外灯のあかりがぼんやり差し込む薄暗い部屋に波の音だけが響いていた。目が冴えてしまい、わたしは眠ろうとしてもなかなか眠ることができなかった。
 昼間、桂浜に立ち眼前に広がる太平洋を初めて見た時、これならば竜馬は海にあこがれるはずだな、と納得ができた。打ち寄せる太平洋の男性的な波はそのままどこまでも広がる世界につながり、若者たちに憧れを抱かせるには余りあるスケールの大きさだった。
 そして、大海原を見ている私の背後にあったのが急峻な四国山地だった。それは頭の中でずっと想い描いていた土佐の風景に抜け落ちていたもので、海への希望をより増幅させる土佐の若者たちへの重しとなっていた。来てみなければ気づくことのなかった絶対的な存在感だった。
 二十八歳、秋。モルディブ。
 カニフィノール島の長い桟橋に立ち、遠くの水平線を眺めていた。首都マーレ島で暮らし始め四ヶ月が経っていた。
わたしは、一緒に来た友人に頼み、本の中にあった写真と同じ構図でカメラのシャッターを押してもらった。
椎名誠の見る世界の辺境地や日本の離島などの風景を頭の中で想像しながら、わたし自身の外の世界がどんどん膨らんでいく時代だった。
その延長線上に青年海外協力隊への参加があり、インド洋の小さな島で二年間生活することにもつながったのだった。
食べて、寝て、働くということは、肌の色が変わろうと、どこの国で暮らそうと根源的な所でなんら違いはない、ヒトとはそんなものなのだな、と日本に帰ってくる頃に、実感として理解できるようになっていた。
 四十九歳、冬。香港。
 夜半過ぎの重慶マンション。ドラゴンインという名のゲストハウスの窓のない小さな部屋で、ベッドに腰掛けひとり青島ビールを飲み、小さな溜息をついていた。
 二十代後半の沢木耕太郎はインドからロンドンまで乗合バスでたどり着けるかどうか仲間たちと賭け、ひとり日本を旅立つ。その物語は、インドまでの航空券のストップオーバーとして滞在した香港のゲストハウスの一室から始まっていった。西を目指すその旅は時に足踏みをし、時に居座ってしまい、遅々として前に進んでいかない。
 夜七時すぎのチムサアチョイから香港島までのスターフェリー乗り場の通路で、わたしはテレビを見ながら香港人サポーターに囲まれていた。東アジア大会のサッカー決勝。対戦しているのは香港と日本。
 ゲームは延長でも決着はつかずPK戦に突入した。テレビの前の香港サポーターのボルテージは最高潮に達してくる。日本が外す。こぶしを握り締めた若者がその両腕を高々と空に突き上げる。香港がゴールネットを揺らす。雄叫びが激しく混ざりあい通路中に響き渡る。
 日本が二本目を外したところで彼らは香港勝利の歓喜の声を一緒に叫ぶ準備に入る。
 香港優勝。わたしはごった返すサポーターの渦から離れ、フェリーの乗船口へ歩き出した。
 わたしはそこでただ一人の外国人の気がしていた。
 五十三歳、夏。北海道富良野。
 札幌からバスで富良野に到着後、市街から東に約二十キロ離れた麓郷を目指し、レンタルバイクを走らせていた。途中、八幡丘は一面の畑作地で遠くに十勝連山が見えていた。
 倉本聰が東京から北海道に移住してから考え始めた諸々の事柄。闇の深さと静けさに対する恐怖と畏怖。自然の前の無力さを知っている「農」を生業とする人々のあきらめの思考回路。開墾された自分の土地を目の前にして思う祖先の苦悩。彼の想いは、文字となり映像となってわたしの琴線に触れてきた。
 八幡丘の小高い場所でバイクを止め、エンジンを切る。ふいに風景から音が消える。景色が鮮やかな分、余計に静けさが助長され、厳冬の吹雪の恐怖を想像してみた。
 麓郷は原生林の中にあった。電気が通ってなくても、水道が引かれてなくても、ヒトは知恵を働かせ、逞しく生きていけることをわたしはカレに教えてもらった。そして、目に見えない放射能に故郷を奪われた人達の喪失感と、原発がなくても笑顔で生活していた時代が確かにあったことをドラマで使われた朽ちかけた丸太小屋を前に思い返していた。
 
 何かがわたしを「自分の目で見てみないか」と誘ってくる。
 旅立ちの時が来た。
 さあ、錨を上げよう。
by saitoru1960 | 2013-11-21 20:56 | いろいろ

ヒトに問う

まえがきより
火を手に出来たこと。
自らの手で自然から食を得、自然の物によって衣を作り、自然の物から住居を作る術を身につけたこと。考えてみればヒトの歴史上、衣・食・住の手法、これに勝る発明はなかったのではないか。
文明社会は進歩を求める。求めるというよりそれを追求する。追求しまくる。
しかし、自然には進歩というものがない。自然の営みに右肩上がりはない。そこにあるのは「循環」のみである。では、その両者間に矛盾は出ないのか。
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「覚悟」という言葉を今考える。
我々はこの不幸な大事故後の人間生活のあり方について、大きな岐路に立たされている。
一つの道は、これまで通り、経済優先の便利にしてリッチな社会を望む道である。その場合これまでの夜の光量、スピード、奔放なエネルギーの使用を求めることになるから、現状では原発に頼らざるを得ない。その場合再び今回同様の、もしかしたらそれ以上の、想定外の事故に遭遇する可能性がある。
その時に対する「覚悟」があるか。
今一つの道は今を反省し、現在享受している便利さを捨てて、多少過去へと戻る道である。この場合、今の経済は明らかに疲弊し、日本は世界での位置を下げる。そうしたことを認識した上で今ある便利さを、捨てる「覚悟」があるか。
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我々は今大きな岐路に立たされている。
2本の道が目の前にあり、いずれを選ぶか決めなければならない。
一つの道は、これまで通り、経済優先にしてリッチな社会を望む道。その場合これまで同様のエネルギー供給、電力供給を望むことになるから、当分は原発を必要とする。その場合今回のような想定外の事故がいつ起きるとも限らないが、起きても仕方がないという覚悟があるか。
但し、その覚悟は、遠くの原発を想定してはならない。近くの原発、隣の原発を想像してもらわなくてはならない。
 あなたは原発から2~3キロ以内に住んでいる。庭の向こうは原発である。もしかしたらそういう危険地域だから家賃、地代は安いかもしれない。だが原発に何かが起これば、マグニチュード9の地震が起これば、危険信号が出される前にあなたは既に放射能を浴びている。それでもそこに住む覚悟があるか。
 今一つの道は、現在享受している便利さを捨て、多少の不便へと戻る道である。即ちこれまで電気が石油が、代替エネルギーがやってくれたことを、自分の力でなさねばならない。今のような楽はできないだろう。今のようなスピードは望めないだろう。日本の国力はたちまち衰え、日本は小国へと沈没するだろう。
 それでもそっちの暮らしを望むか。
by saitoru1960 | 2013-11-21 09:03 | 読み物

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
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