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■石破茂・地方創生相(20150702)
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自民党がガタガタとするのは政策よりも、

「なんか自民党、感じが悪いよね」

と、国民の意識がだんだん高まっていったときに危機を迎えるのが私の経験だ。
政策は大事だが、「嫌な感じ」が国民の間に広まることは心しなければいけない。
by saitoru1960 | 2015-07-17 05:21 | いろいろ
辻元清美さん(民主党)VS安倍総理大臣 
7月10日衆議院 平和安全法制特別委員会
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◆辻元清美議員
「この委員会の細野議員との答弁の中で、細野さんはこう聞きました。
「自衛隊だけ途中で撤収するということ、それはできるんですか?本当にそれで海外の国に対して責任を果たせるんですか?」と質問されたんですね、総理は「まさに戦闘現場になったらただちに撤退するのが当然であろう。それを前提に自衛隊は活動するわけでございます」と話していらっしゃいます。
でも、やはり私はそれは国際社会では通用しないと思いますし、そんな国とは一緒に活動できないなと思われかねないなと思いますが、いかがですか?
◆安倍晋三 内閣総理大臣
「これはもう、そういう運用で 今回ですね、法律をつくっているわけでありますから、当然これは、確かにですね、そういう状況になれば、自衛隊は撤収をするわけでございます。
後方支援を止めるわけです、戦闘現場になればですね。
補給を受けるほうにとっては、確かにそう辻元さんがおっしゃったような意味合いもあるかもしれません。
しかしですね、私たちの法律によって定められているこれは、まさに、運用の基本的な考え方であります。
まさに、われわれは、後方支援については武力行使と一体化しない、我が国独自の憲法との関係においてですね。憲法一体化論も、あるわけでありますからそれを理解した上での後方支援しか行われないということであります。
われわれの自衛隊はですね、PKOについてもゴラン高原においてですね。自衛隊は撤収をしたという事例もあるわけであります。
◆辻元
「先日、お示しした、総理と百田尚樹氏の対談の本です。あのあと、拝読いたしました。
こういうくだりがあるわけですね、36ページ当たりですが、
安保法制懇の説明をASEAN各国首脳に説明するというくだりです。
・・・引用・・・
総理『日本は、ここは戦闘地域になったので、私たちはこれで撤退します。
お先に失礼しますが、オランダ軍のみなさん、どうかがんばってください、と言い残して帰国することになります。と個別案件について説明しますと、ASEANのどこの国のリーダーも非常に驚かれます。』
百田『国際社会では、まったく通用しないことですね。』
総理『通用しません。そんな国とはともに活動したくない、と思われて当然です。インドネシアのユドヨノ大統領にも、そのように話をいたしました。』
・・・
今回の法案、国内では撤退すると言い、インドネシアの大統領にこうおっしゃったと書いてあるんですけど、外国では国際的にはまったく通用しない、そんな国とは一緒に活動したくないというご認識を示されたということで、まちがいないですか?
◆安倍首相
「いま、辻元議員の述べていらっしゃることはですね、PKOについて
(辻元「イラクです、もし、よろしければ、(本を)どうぞ」)
あ、あの、あ、イラクですね。イラクのオランダ軍につきましてはですね、武力行使をしているところの 後方支援活動ではない、ということですから、
そ、それは、ま、まさに、いわばPKO活動ではございませんが、いわば、えー、人道、人道復興支援の活動になるわけでございます。
いわば、人道復興支援という文脈においてですね。
いわば、駆けつけ警護的な、そこではちょっと弱冠正確性にはかけますが、
(辻元、本をどうぞ、と差し出す)
いや、それは結構ですが、
PKOにおける、いわばPKOにおける駆けつけ警護のことも念頭に置きながら、それを述べたわけでございますが、PKOについても駆けつけ警護等は可能になるわけでございますからその点は相当改善されたと、いうことにあるわけでございます。
先ほど私が答弁しましたのはまさに、これは後方支援でありますので 後方で支援をする。戦闘現場になるかならないかということで、文脈で申し上げている通りです。
いずれにいたしましても、いま私は総理大臣としてこの新たな法制について申し上げているわけですから
今までのたてつけのなかとは変わり、新たな仮説の中で私が申し上げていることは、その申しあげている通りでございます。
◆辻元議員
「総理は、この本でイラクでのサマワでの活動のことをおっしゃっていて この法案も、途中で撤退することになっているわけですよ。そしてそこを取って、国際的には通用しないと、そんな国とは一緒に活動したくないと思われて当然、と言われている。
今回の後方支援も、同じたてつけになっているわけですよ。
(総理、「違うちがう」と手を振る)
同じですよ。これ、法案の根幹なんですよ。
総理は、本心では「国際的には通用しないな、途中で活動を止めることは。」とおもっていながら、「そんな国とは活動したくないと思われて当然」、と思っている法案の中身をお出しになっている。
それで、総理大臣がそう思っている法案にしたがって、自衛隊員のみなさんが 命がけで海外に出ていくんですか?
私、これを読んで愕然としました。
今PKOだとかいろいろおっしゃったけど、全部言い訳だと思います。(総理、首を横に振る)
今回の法案も、途中で活動を止めるわけでしょう?
前と同じでしょう?
そうすると、ココでおっしゃっているように、国際的には通用しないと。
総理、もし、通用しないとそう思ってらっしゃる、しかし憲法の制約があるので、それができない、もし、思ってらっしゃるんでしたら、そういわれたらいいと思いますよ。いかがですか?
◆安倍総理
「まさに私の念頭にあったのはですね、基本的に他国部隊が襲われた時にですね、その部隊から助けてくれといわれても、それは襲われたという状況になったことをかんがみて、われわれは、「失礼します、と。助けることはできません」
危険な状況になったから失礼します、ということになりますよ、という意味のことでございます。
今度の法改正に置いては、駆けつけ警護はできるようになったわけでございます。
駆けつけ警護そのものを皆さんは否定しているわけでありますが。それはできるようになったということでございます。
それとは別にですね、まさに武力行使をしているところの後方支援でありますから、これはサマワにおける人道復興支援活動とも 全く根本的に違うわけであります。
人道復興支援活動は限りなく、かなりですね、いわば平和維持活動に近づいて行く活動であります。
ただ、国連にもとづく、PKO活動ではなかった、ということであります。
それを述べていることと、いわば後方支援活動を混同させるべきではない。事実PKOについてもそうですが、後方支援活動においても、そういう状況になれば、撤収するのは当然のことであり、PKOについてもゴラン活動においてもわれわれは、撤収をしている、ということであります。
そもそも法律の中に置いて、できることしか、できない。それは当然でありまして、順法精神のもとにおいて、それを行うのは当然のことであろうと。
私がどう思うか、思わないかは全く関わりのないことだと思います。これはまさに、法律そのものを見ていただきたいと思います。
◆辻元議員
「苦しい答弁だと思います。
ここ(本)にですね。
「日本は、ここは戦闘地域になったので、私たちはここで撤退します。
お先に失礼します、オランダ軍のみなさん、どうか頑張ってくださいと言い残して帰国する。これは、国際的に非常識だ」と、総理はおっしゃってるわけですよ。
私は今回、この法案、無理があるし、私たちはこの点をずっと指摘してきたわけですよ。
途中で 中断できますか?できないでしょ?と
特にイラクのサマワよりももっと危険地帯に、後方支援は弾薬も運ぶんですよ。
そこに送るということで、今の自衛隊、途中で撤収できるか?
だから憲法違反だと言われているんです。
武力行使と一体化すると。」
◆辻元議員
「ここにですね、「イラク人道復興支援活動行動史」
陸上幕僚幹部がつくった内部文書があります。
イラク派遣の成果と教訓をまとめたものと言われています。
ジャーナリストの布施祐仁さんという方が入手されて、情報公開で入集されて、私も防衛省から入集いたしました。
これをみますと、イラクの中で、さっき撤収のはなし、
私は先ほどの総理の姿勢は、海外で言ってること、本で言ってることと法案、まったく違っていることを言っていて、国民や自衛隊のみなさんに対して不誠実だと思います。
では、イラクでどうだったか、と。
今日、岡田議員もですね。イラクの活動の内容の検証をしっかりしないとですね、今回、後方支援に出すのは、無理であると。そういう話があってこれ、見ていただいたらわかるんですけど、どんどん黒いんですね。
(内部文書の黒塗りの部分を示す)
で、中谷防衛大臣、第一次イラク復興支援軍長の
番匠こういちろうさん。この方は中谷大臣と防衛大学校で同期じゃないでしょうか?
前書きも番匠さんがお書きになった。この方、とても誠実な、一生懸命イラクでまじめに働かれた方だと思うんですけど、この審議にあたって、黒塗りの部分は公開していただかないと、この法案の実のある審議ができないと思いますが、防衛省として、公開していただけますか?いかがですか?
◆中谷元 防衛相
「その文章はですね、イラク特措法に基づく陸上自衛隊の活動に関する実績等において、研究とか、各種教育訓練の資とするためにまとめられたものです。
番匠さんは私と同期でありまして、レンジャーも一緒に訓練したこともございますが、非常に優秀な隊員で、第一次の支援隊長として派遣されて、大変すばらしい仕事をされたと思います。
今後の参考にとしてまとめられた文書でございますが、公表等につきましては、適切に情報公開をしてですね、しっかりとした議論を行うことが重要だと考えておりまして、これまで「不開示」としていた部分につきましても、検討を始めておりまして、速やかに結論を得ておきたいと思っております。
◆辻元議員
「今ですね、速やかに公表を検討して、結論を得たい、とおっしゃいました。本委員会に、イラクの問題を、しっかりと検証しないとですね、話にならないですよ、委員会で。そう思いませんか、みなさん。
(そうだ、そうだ)
委員長、この審議中に、しっかりとこの衆議院の本委員会に黒塗りのところ、公開していただくことを理事会で協議してください。
◆委員長
「理事会で協議いたします。」
by saitoru1960 | 2015-07-16 05:59 | いろいろ

元自衛官の街頭での話

街頭(6月30日 神戸・三宮の街宣活動に飛び入りで) 元自衛官(防空ミサイル部隊所属) 泥 憲和さん


 突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。 集団的自衛権に反対なので、その話をします。 私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。 日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。

 いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。 でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。 自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。 そこは、安心してください。

 いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。 日本を守る話ではないんです。 売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。 売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。 それが集団的自衛権なんです。

 なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。 縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、 安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。 君たち自衛官も殺されて来いというのです。 冗談ではありません。 自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。 なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。 自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。 見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。

 みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。 他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。 当然ですよ。 だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。 イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。

 みなさん、軍隊はテロを防げないんです。 世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。 自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。 みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。 自衛隊はテロから市民を守れないんです。 テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。 だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。

 安倍総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。 みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。 日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。 そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。 アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ。

 ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。 米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。 自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。 そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。 どうしたと思いますか。 軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。 そういうものなんですよ、戦争というのは。

 安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。 絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。 自衛隊はたまりませんよ、こんなの。

 みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。 一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。 だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。 私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。 使い方を間違ったら、取り返しがつきません。 ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。 でもね、戦場は国会とは違うんです。 命のやり取りをする場所なんです。 そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。

 みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、 この国の主人公は内閣と違いますよ。 国民ですよ。 みなさんですよ。 憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。 安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。 体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。 そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。

 これからが正念場です。 だから一緒に考えてください。 一緒に反対してください。 選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。 まだまだ勝負はこれからです。 戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。 しっかりと考えてくださいね。 ありがとうございました。
by saitoru1960 | 2015-07-16 05:05 | いろいろ

ふたたび

7月1日、Sくんが自らその生涯を終えました。
17歳になって1週間後のことでした。
あれから、わたしの頭の中で同じフレーズが何回も何回も巡っています。
「何がそうさせたのか」と「何か気づいていれば」というフレーズです。
いろんな人から話しを聞きました。
こんな時代なので、彼の心の中がうかがい知れる、何か痕跡のようなものがどこかにあるのではないかと探り続けました。
でも、彼の心のはしを見つけることができません。

わたしは1年生のとき、体育委員をしていたSくんの姿を思い出してしまいます。
大きな声で号令をかけていた時の姿、
授業で必要なものを準備したり片付けたりするときの動き、
体育祭の練習でみんなに演技指導をしていた時のちょっとはにかんでいた表情。
どれも彼の心のはしが、少し垣間見える瞬間でした。

引退した3年生から後輩の自分へ託されたユニフォーム、
力を合わせて壁を乗り越え手にした、県大会への出場権
それを手にしただけで、明日を夢見ることができる人は沢山います。

あなたは本当の自分をどれだけ知っていますか?
あなたは自分の心の中を言葉にすることができますか?
心を惑わせている、その悩みの正体はなんですか?
自分のことなのにわからないこと、説明できないことって、たくさんたくさんあります。

誰にもいえないことというのは、自分に対してもうまくいえない、うまく説明できないことなのかもしれません。
うまく説明できない、自分の心の中に入り込んできたそいつに、Sくんはやられてしまったのかもしれません。
どうしても、そいつには打ち勝つことができなかったのでしょう。

わたしに、私たちに出来ることはなにか。
Sくんの死を心に刻んで、なすべきことは何なのか。
私は考えました。

たとえば、
体育の授業で、「今日は球技大会のための練習です。10分後にゲームを開始するので、それまでみんなで準備をすること」といわれた時、あなたはどう行動するか思い返してみて下さい。
とりあえず合図があるまで誰かとボールをけり合って時間を過ごすAという集団があったとしましょう。

もうひとつ。すぐにみんなが集まってきて、役割分担を考え指示を出す人、ビブスを配る人、ラインを引く人、指示を受けて動いていく人、そして、それがすんだらボールをけり始めるBという集団があるとしましょう。
このAとBの集団の違いは何なのでしょう?

Aの人達は個人主義なのか、わがままなのか。周りが見られないのか、協力する気がないのか。どれなのでしょう。
どの答えも私は違うと思っています。
なぜ、Aの集団はそんな時間を過ごしてしまうのか。
それはBの集団の中にいる時の心地よさをAの人達は経験したことがない、もしくは感じたことがないからだと思うのです。

想像してみて下さい。Bの集団の中にいる自分を。
自由を自分の自由として楽しんでいる仲間がいて、その仲間と一緒に過ごす時間に心地よさを感じることは自然の流れではないでしょうか。

小さい頃、小学校から帰ってランドセルを置き、近くの広場に集まってきた仲間たちと一緒に野球をしようとした時の動きと心もちは、まさにこの心地よさでした。
足で線を引き、ベースやバッターボックスをみんなで描いているそのなかで、二人だけでキャッチボールをしている子はいませんでした。
知っていたんです。みんなで遊ぶことの楽しさを。

たくさんの友達が誰かのためになることを、それぞれ少しずつ考え、行動することで発生する前向きな雰囲気の中にいる心地よさ。
自分は何もできなくても、同じ方向を向いて、指示してくれる仲間に対して、同意のうなずきを返すだけでもいいのです。たったそれだけのことでもBの集団のメンバーにはなれるとわたしは思います。

窓を開けるだけでも。石ころを拾うだけでも、ボールを拾ったり、タオルを持ってあげるだけでも、友だちを待ってあげるだけでもいい。
誰かのために自分ができることを、勇気をもって行動にしてみる。たったそれだけの変化で、私たちは私たちの雰囲気を変えられると思うのです。
Sくんは、私にそんなことを考えさせてくれました。

みんなでBの集団になれるよう頑張ってみましょう。

Sくんのお母さんが私にこういいました。
同じ悲しみを二度と誰にもさせたくないので、皆さんは命を大切にして下さい、と。

彼の死を無駄にしないためにも、○○回生の1人として、○○回生としての心地よさを作りだせるよう、君たちに少しの勇気と行動を求めます。
by saitoru1960 | 2015-07-15 21:38 | いろいろ

マザーリーフ

治子がもらってきたマザーリーフ。
正式名:セイロンベンケイソウ
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by saitoru1960 | 2015-07-12 05:40 | いろいろ

心の余裕

自傷段階の場合、現世への希望をまだ諦めきっていないため、なんらか事態の改善につながる助けを求めている傾向があるとされるが、自殺ではコミュニケーションを求める行為はほとんど見られず、またそのような心の余裕もないことが多い。(ウィキぺディアによる)
by saitoru1960 | 2015-07-09 19:46 | ひとりごと

今日までそして明日から

私は今日まで生きてみました
時には誰かの力を借りて
時には誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと

私は今日まで生きてみました
時には誰かをあざわらって
時には誰かにおびやかされて
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと

私は今日まで生きてみました
時には誰かに裏切られて
時には誰かと手を取り合って
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと

私には私の生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
けれどそれにしたって
どこでどう変わってしまうか
そうですわからないまま生きてゆく
明日からのそんな私です

私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと

1971年7月(CBSソニー)
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by saitoru1960 | 2015-07-09 05:31 |
安保関連法案:山口の高校授業で模擬投票…県教委は問題視
毎日新聞 2015年07月03日 21時32分(最終更新 07月04日 00時42分)

山口県柳井市の県立柳井高(小林真理校長)で先月、安全保障関連法案について2年生の生徒が自分たちの考えを発表し、どの意見が説得力があるかを問う模擬投票をする授業があった。これについて、浅原司・県教育長は3日、県議会で「法案への賛否を問う形になり、配慮が不足していた」と授業を問題視する見解を示した。さらに県教委として「指導が不十分だった」と監督責任にも言及した。来年の参院選から18歳の高校生が投票権を行使する公算も大きい中、専門家から「現場を萎縮させ、教育の自由を奪う発言だ」と批判が起きている。

県議会の一般質問で、笠本俊也県議(自民)が「政治的中立性が問われる現場にふさわしいものか、疑問を感じる。県教委としてどういう認識なのか」と尋ねた。浅原教育長は投票を実施した点を問題視したうえで「(県教委として)主権者教育の進め方について学校への指導が不十分だった」とし、今後、政治的中立性の確保や授業の進め方、資料の取り扱いなどを盛り込んだ新たな指針を学校に示すと述べた。

 県教委などによると、模擬投票は先月24日に2年生の「現代社会」の授業(45分間)であった。生徒たちは同22日の授業(同)で、教諭が配布した日経新聞と朝日新聞の記事を参考に政府与党の見解や野党の主張、憲法学者の意見などを学習。翌日までに各自が自宅学習を行い、集団的自衛権について「どんな時に行使するのか」「他国の領域で行使する可能性は」「違憲か合憲か」などの論点を、B4判の資料にまとめて同24日の授業に臨んだ。

同24日は生徒たちは4人ずつ8グループに分かれて議論し、それぞれ法案への賛否を明らかにした。2グループは「自衛隊の活動範囲を広げないと米国を助けられず、友好関係にひびが入る」などと賛成を表明し、残りの6グループは「戦争に巻き込まれる可能性がある」「集団的自衛権の定義があいまいだ」などの理由で反対と主張。法案の賛否ではなく、どのグループの意見が最も説得力があったかを問う模擬投票を実施した。その結果、「他国を守るのであれば、非戦闘地域での食料供給や治療(医療)でも貢献できる。自衛隊が戦争に巻き込まれてからでは遅い」と反対を訴えたグループが最多の11票を獲得した。

 高校によると、この2回の授業の前にも、2時限を使って安全保障関連の授業をした。授業を担当した教諭は同24日、毎日新聞の取材に「一番の狙いは政治への関心を高めること」と説明。翌日の新聞で毎日、朝日、読売、中国の各新聞などが好意的に取り上げた。

 浅原教育長は取材に対し「配布した資料が新聞2紙では少ない。全体像が完全でない資料を使い、かつ時間も十分でない形で投票させた。高校生に賛否を問うこと自体、私自身は微妙だ」と答えた。【松田栄二郎、蓬田正志】

◇大東文化大の村山士郎名誉教授(教育学)の話

 安全保障関連法案に限らず、原発の必要性や消費増税など、是非の定まらない事象は多々ある。生徒が自由に意見を述べ、討論できる環境で結論を出したのであれば、問題はない。そこに教育長が口を挟むのは、教育の自由を奪うことを意味する。来年の参院選から投票権が18歳以上に引き下げられ、高校生も選挙権を持つ見通しになった。政治教育に試行錯誤をしている現場を萎縮させることにもつながる、時代錯誤的な発言だ。
by saitoru1960 | 2015-07-08 20:39 | ドキリとしたこと

言論の自由について再論

「言論の自由」について思うことを述べる。
繰り返し書いていることだが、たいせつなことなので、もう一度書く。
言論の自由とは
私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。
その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。
ただそれだけのことである。
だが、ほとんどの人は「言論の自由」を前段だけに限定してとらえており、後段の「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件を言い落としている。
私は「言論の自由」が持続可能な社会的規範であり続けるためには、後段の条件が不可避であろうと思う。
「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件のどこがそれほど重要なのか。
それはこの条件が「敬語で書かれていること」である。
それは擬制的に「理非の判断を下す方々」を論争の当事者よりも「上に置く」ということである。
「私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。私の言うことが正しいので、他人による理非の判断はもとより不要である」と考える人間は「言論の自由」について語る資格がない。

かつてフランスで歴史修正主義をめぐる論争があった。
ロベール・フォーリソンという「自称歴史家」が「アウシュヴィッツにガス室は存在しない。なぜなら、それを証明するナチスの公文書が存在しないからである。ユダヤ人は感染症で死んだのである」という奇怪な論を立てた。
その書物の序文をノーム・チョムスキーが書いた。
チョムスキーは「私はこの著者の論に賛成ではないし、論証も不備であると思う。しかし、どのように人を不快にする主張であろうと、それを公表する権利を私は支持する」と書いた。
私はそれを読みながら、つよい違和感を覚えた。
チョムスキーの言葉は論理的には一見正しそうに見えるが、実践的には無理があると思った。
そこには「誰でも自分の言いたいことを言う権利がある」という原理だけが声高に語られていて、なんのためにそのような権利が保障されているのかについての考察が欠如しているように思えたからである。

「言論の自由」は何のために存在するのか?
それは「理非の判断をお任せできる人々」を出現させるために存在する。
言論の自由さえ確保されていれば、長期的・集団的には必ずや正しく理非の判定が下る。
というのは事実ではない。
「理非の判定を下しうる人たち」は今まだここにはいない。
だからこそ、その出現が懇請されているのである。
そのために「言論の自由」はある。そのため「だけ」にあると言ってもよい。

それは陪審員裁判における陪審員のありように似ている。
陪審員たちは裁判が始まった時点では、まだ理非の判断が下せない状態でいる(裁判長が開廷を宣言したとたんに「はい、被告は有罪」というような陪審員はいない)。
検察官と弁護士がそれぞれの立場から情理を尽くしておのれの推論に理があることを証明しようとするのを陪審員たちは長い時間をかけて黙って聴いている。
そして、その時間を通じて「理非の判断が下せる人」へと自己形成してゆくのである。
ここで検察官と弁護士は「言論の自由」を享受している。
だが、その権利は「理非の判断が下せる人」がより適切に判断を下すことを支援するため「だけ」に賦与されている。
だから、検察官や弁護士には相手に向かって「黙れ」と言う権利がない。
たとえ相手が「間違ったこと」を言っていると思っても、「黙れ」と言うことは許されない。
それは相手の「言う権利」を損なうからではなく、陪審員の「聞く権利」を損なうことによって「理非の判断が下せる人になるプロセス」を阻害するからである。
判定者がより適切に判定できる機会を奪うからこそ、「黙れ」は許されないのである。
「黙れ」と言った法曹はただちに法廷侮辱罪でその場から放逐される。
彼が放逐されるのは、「間違ったこと」を主張したからではない(この処分は発言内容の正否とは関係がない)。
そうではなくて、彼は陪審員たちの「適切な判断を下す能力」を信じなかったがゆえに追放されるのである。
自分が実力で黙らせなければ、「愚かな陪審員たちは、こいつの舌先三寸に騙されて『間違った判決』を下すかもしれない」と思う人間だけが、論敵に「黙れ」と言う。
自分が陪審員に代わって正義の判断を下してやらなければ、陪審員たちは間違った判決を下すだろうと思う人間だけが「黙れ」と言う。
彼に欠けているのは「正義」ではない。
「真実」でもない。
「場の判定力」に対する「敬意」である。
「場の判定力」に対する信認を誓言できないものは、自由な言論の場に立つことが許されない。
だから、言論の自由を求める人間は必ず「場への敬意」を表さなければならない。
必ず。

それは野球のプレーボールのときにピッチャーがアンパイヤの投じるボールに帽子をとって一礼するのと同じである。
あれは別にアンパイヤに「ストライクゾーン甘くとってくださいね」とごまを摺っているわけではない。
ボールに対して礼をしているのである。
「野球の神さま、いまからこのグラウンドで私たちはプレーをします。私たちが最高のパフォーマンスを発揮できますように知恵と力をお授けください」と祈っているのである。

それと同じである。
陪審員の判定力を信じない人間は法廷に立つことができない。
それと同じように、「理非の判断をくだす方々」への敬意を欠いた人間は「言論の自由」の名において語ることが許されない。
「永遠の真理の名において」語ることや「神の摂理の名において」語ることや「歴史を貫く鉄の法則性の名において」語ることはできる。
どのような権威を呼び出そうと、それはその人の自由である。
けれども、「言論の自由」の名において語ることだけは許されない。
自分がたったいま冒瀆し、遺棄した原理の名において語ることは、その原理を信認している人間全員に対する侮辱だからである。

今問題になっているのは、「国民は長期的・集合的には必ずや適切な判断を下すだろう」という「国民の叡智」に対する信認の存否である。
いくつかの新聞を挙げて「つぶれた方がいい」と言った人間はその新聞の読者たちに向かって「おまえたちは新聞に騙されているから、間違った判断を下すだろう」と言っているのである。
「私が代わりに判断してやるから、お前たちは私が『読んでもよい』というものだけ読んでいればいい」と言っているのである。
ここに「理非の判定を下す人々」への敬意を見出すことはむずかしい。
「理非の判断を下す人々」の判定力を信じない人、「自由な言論が行き交う場がなくてはすまされない」とは考えない人たちがいる。
それはしかたがない。
けれども、彼らが「言論の自由」を汚す権利を「言論の自由」の名において要求することを私は許さない。
(内田樹ブログより)
by saitoru1960 | 2015-07-05 18:54 | いろいろ

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960