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56回目の誕生日は

家族の誰からも忘れられて過ぎる。

フェイスブックでつながる人達からの祝いのことばは、「覚えていたから」のことばでもないので、また違うものになる。
by saitoru1960 | 2016-04-26 23:34 | 家族

デュピュイトラン(Dupuytren)拘縮

デュピュイトラン(Dupuytren)拘縮

部位手指症状運動制限
原因その他対処専門医の診断
手掌の腱膜が肥厚収縮して,環指と小指が伸ばせなくなる。男性に多く,遺伝的素因が関与する。
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デュピュイトランの病理

手掌腱膜
 手のひらの皮膚の下側には、「手掌腱膜」とう膜があり、靭帯のような役目を果たしています。この膜は、「長掌筋腱」からつながって、指先に伸びています。この手掌腱膜が縮んで、手のひらや指が拘縮(伸びなくなる)、変形する病気を「デュピュイトラン拘縮」といいます。

 デュピュイトラン拘縮の原因は不明ですが、発症には、手掌腱膜の線維化が関係しています。線維化により、手掌腱膜に結節ができ、周囲の血管や神経を巻き込んで、縮んでいくため、手のひらや指に、拘縮や変形が起こると考えられています。

 デュピュイトラン拘縮は、特に薬指(環指)と小指によく発症します。また、両手に起こることもよくあります。発症部位は、指先から2番目の関節と指の付け根の関節で、指先の関節には発症しません。また、症状が強い場合は、指先から2番目の関節の甲側や足の裏などの結節を合併する場合もあります。デュピュイトラン拘縮は、50~60歳代の男性に多い病気で、糖尿病の人に比較的多くみられます。

医療機関での診断

 デュピュイトラン拘縮は、問診と診察でほぼ診断がつきます。問診では、家族に同じ病気にかかったことのある人がいるか、手のひらをけがしたことがあるか、変形が進行する速さなどについて聞かれ、診察では、指の変形などを調べられます。また、手掌腱膜にできた結節と腫瘍との鑑別も行います。

医療機関での手術療法

 デュピュイトラン拘縮の治療には、手術を行いますが、再発することも少なくありません。手術には、「手掌腱膜すべてを切除する」「病変部の腱膜だけ切除する」「病変部の腱膜を切る」などの方法がありますが、主に病変部の腱膜切除が行われています。
 
 病変部の腱膜切除にも、手のひらをジグザグに切る「ゼット形成術」と、手のひらを横に切り、腱膜切除後は、傷口が自然にふさがるのを待つ「開放療法」があります。どちらの手術も、拘縮や変形が強いほど、手術が複雑になり、手術後のリハビリテーションにも時間がかかりますから、病状がひどくならないうちに、手術するのがよいと思います。
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by saitoru1960 | 2016-04-26 20:09 | いろいろ

あん

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書店でぶらぶらしながら平積みされた本の表紙を眺めていると、ふと、面白そうだな、と目が止まる時があります。タイトルが気になる時もあれば、デザインや装丁にひかれる時もあり、以前見た時は気にならなかったのになんとなく手に取ってしまう時もあります。
 「あん」はその場で最初の部分を読み始めたら一気に10ページ以上も進んでしまい、立ち読みではもったいないとレジに並んで買い求めた1冊でした。平置きされた本の中からふと手に取ったのは、表紙にわたしの好きな女優・樹木希林が写っていたという理由からです。
 わたしが手にしたのは文庫本で、原作は既に映画化が決定しロードショーも間近という時期だったので、本来のカバーの上に映画のパンフレットのような宣伝用カバーが重ねられていました。そんなきっかけだったので、立ち読みを始めた1ページ目から、満開の桜の木のそばに佇む「吉井徳江」は樹木希林の姿で話し始めていました。
 原作を読んだあとに映像化されたものを観て、「観なければよかった」、と落胆することはしばしばあります。折角出来あがっていた自分のイメージの世界が壊されてしまう喪失感に似た感覚です。一方で、映画監督が原作者の意図する以上の映像を作り上げた場合には、原作とは違った別の幸福感に満たされることもあります。
 「あん」を読み進みながら、樹木希林と永瀬正敏がちいさなどら焼き屋(どら春)で交わす会話を映像で観てみたいとわたしは次第に思うようになっていきました。ひょっとすると喪失感を味わうのかもしれないけれど、このことばを話す時、樹木希林は一体どんな表情をしているのか、その機微を映像で感じてみたくなったのです。
「どう生きたら納得できるのか」という問いに対して「生きる意味」の答えを探し続けるのが人生だとすると、自分にとっての生きる意味は何になるのだろう、この命題に著者・ドリアン助川は当初、考えると心がやけどをしたようになり、なかなか書き始めることができなかったと述べています。
 辛い過去を背負う雇われ店長と手の不自由な老婆が作るどら焼きは次第に味を向上させていきます。その変化していく過程を読んでいるうちに、わたしはどら焼きがどうしても食べたくなり、手作りのどら焼きを売る店を探しました。そして、長田商店街で買い求めたそれは、「どら春」のどら焼きと重なり、作り手の手間が感じられる美味しさでした。
その後、わたしは映画「あん」を観ることになります。
 残念ながら樹木希林でさえも「吉井徳江」を演じきることはできなかったなと感じました。
聞こえないものを聞こうとする、見えないものを見ようとする物語。映画監督・河瀬直美も「生きる意味」を映像によって考えさせることへの限界を感じたことだと思います。
 読みながらあなたもきっと美味しいどら焼きが食べたくなるはずです。
 そして、心の中で静かに自分の生きる意味を考えることになるでしょう。

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今年は、福原委員長の150字以内という制限が入った。
150字で果たして、どれだけ伝えることができるか・・・。

キャッチコピー  「どら春のどら焼き 一ついかがですか」

過去を背負う雇われ店長と手の不自由な老婆がちいさなどら焼き屋で交わすことば。
本を読み進みながら、老婆を演じる樹木希林が一体どんな表情でその機微を表現するのか映画館で確かめたくなりました。 
読みながらきっとどら焼きが食べたくなるはずです。そして、心の中で静かに自分が生きる意味を考えることになるでしょう。(150字)
by saitoru1960 | 2016-04-14 22:09 |

孤独ということに

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by saitoru1960 | 2016-04-13 20:21 | 読み物

雪かき(内田樹)

仕事

「雪かき作業」をする人は朝早く起き出して、近所のみんなが知らないうちに、雪をすくって道端に寄せておくだけです。
起き出した人々がその道を歩いているときには雪かきをした人はもう姿を消している。だから、誰がそれをしたのか、みんなは知らないし、当然感謝される機会もない。

でも、この人が雪かきをしておかなかったら、雪は凍り付いて、そこを歩く人の中には転んで足首をくじいた人がいたかもしれない。そういう仕事をきちんとやる人が社会の要所要所にいないと、世の中は回ってゆかない。

「青い鳥」を探しに行く人たちには、どうもこの「雪かき作業」に対する敬意がいささかかけているのではないかという気がします。むしろ、そのような散文的な仕事に対する嫌悪や侮辱に動機づけられて、「ここではない別の場所」にふらふらとさまよいだしてしまう。

若い人がよく言う「クリエイティブで、やりがいのある仕事」というのは、要するに、やっている当人に大きな達成感と満足感を与える仕事ということです。でも、「雪かき仕事」は、当人にどんな利益をもたらすかではなくて、周りの人たちのどんな不利益を抑止するかを基準になされるものです。だから、自己利益を基準に採る人には、その重要性が理解できない。

もちろん、僕は「みんなに雪かき仕事をしろ」というようなことを言っているわけではないのです。自分の成功を求める生き方と、周りの人にささやかな贈り物をすることを大切にする生き方、これはどちらも社会にとっては必要です。

両方のタイプの人がいないと社会は立ちゆかない。そんなことぐらい僕だってわかっています。だから、どちらかに決めろといっているわけではありません。

ただ、仕事について、「自己利益の最大化」を求める生き方が良いのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では不可欠の重要性を持っているということはあまりアナウンスされない。そのことの危険性についてご注意申し上げているのです。
by saitoru1960 | 2016-04-13 05:52 | 心にのこる

名こそ惜しけれ(3年の初めに)

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自分自身を磨こうとする時、苦しさを感じることなく壁を乗り越えるための努力をしていることがある。
高校に入学した頃、大きく開くことができず悲鳴を上げた股関節。しかしながら、幾度もその悲鳴と対話を繰り返すことで股関節は柔軟性を増し、知らない間に以前の股関節とは違うものになってしまっている。

高校3年になり、目前の勝負の瞬間のためここから必要になってくることは今まで以上に自分自身を磨こうとする意志である。瞬間瞬間に自身の心に生じる悲鳴を聞くこと。そしてその悲鳴との対話こそが「磨く」ための必要条件となってくる。刺激が弱すぎれば悲鳴は生じず、悲鳴そのものがなければ対話は成り立たない。まずは悲鳴を上げられるかどうかが分岐点になる。

作家司馬遼太郎は、鎌倉時代の武士が育んだ「名こそ惜しけれ」の精神が日本人には脈々と受け継がれている、と述べている。私利私欲は恥、恥ずかしいことはしない、ただそれだけの宗教ともとれる教えが日本人の心の奥底には生き続けているというのだ。生きていくうえでの基本・規準とでもいうべきもの、美意識と言っていいのかもしれない。自分の名にかけて、誰にもうしろ指をさされない、自分の行いには自分が責任を持つ、ということなのだろう。

悲鳴と対話をし続けていると、対話は苦しさに耐えることだけではない、と気づくこともでてくる。そしてその気づきを体感した者こそ、結果がどうあれ自分は正しかったのだと安堵し、次なる何かを追い求めてまた「名こそ惜しけれ」の行動を起こす人間ではないかとわたしは思っている。
by saitoru1960 | 2016-04-07 19:55 | いろいろ

12年後の入学式

小学校入学の時と同じ場所で写真撮影。大きくなったものだ、と思う。
出る前に、母親に小言を言われ少しすねている顔である。
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小学校入学の日。着ているかっこいい服は和喜くんから借りたもの。よく見ると、ちょっと怒ってるかのような表情をしていた。
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by saitoru1960 | 2016-04-06 20:11 | 家族

歯が

左上の奥から2番目のつめていたところが先週から痛くなっていた。
今日、谷川先生のところに行き、帰ってきてレーズンパンを食べた時レーズンの硬さに耐えられず欠けた。
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by saitoru1960 | 2016-04-03 19:02 | いろいろ

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
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