夕陽を追いかけて

財津が30歳の時に作った歌。
30の自分は父や母にこのようなことばで感じることはなかった。
そう考えると改めて財津のすごさを感じる。
57の自分は通勤ランの間、何度も繰り返し聴き続けた。
父が小言の一つも言わなくなるのは、何才ぐらいになるのだろう。
思い出すことができないまま、自分の今を考えてしまう。
f0013998_18235281.jpg

「夕陽を追いかけて」

作曲:財津和夫  作詞:財津和夫

しばらくぶりのふるさとは
大きな街に 姿をかえていた
だらだをゆすって 走ってた
路面電車は 今はもういない

悲しみこらえ たたずんで
好きだった人 ながく見送った
後姿に 似合ってた
あの海辺のみち いまは車の道

でも海は まだ生きていた
いつも勇気を くれた海だった
空の星は 昔のまま
指先に ふれるほど近くに

いつからだろう 父は小言の
たったひとつも やめてしまっていた
いつからだろう 母が唇に
さす紅を やめてしまったのは

長生きしてねの 一言さえも
てれくさく言えず 明日は出てゆく日
もどっちゃだめと 自分に言った
切り捨てたはずの ふるさとだから

都会に海が 見えないから
人は僕を 笑いものにする
都会の星は とても遠いから
人は僕を 夢みるバカという

いつだって 真剣に
僕は生きて きたはずだけど
でもいつも そこには
孤独だけが 残されていた

沈み夕陽は 止められないけど
それでも僕は 追いかけてゆく
沈む夕陽を 追いかけて
死ぬまで 僕は追いかけてゆく

追いかけて 追いかけて
死ぬまで 僕は追いかけてゆく
追いかけて 追いかけて
死ぬまで 僕は追いかけてゆく



# by saitoru1960 | 2017-07-20 18:24 |

「こんな人たち」発言にみる安倍自民の本当の敗因

7/3(月) 23:18<江川紹子 ジャーナリスト>
f0013998_20383959.jpg
「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」
今回の都議選の最中に、閣僚や自民党幹部から出た様々な発言の中で、安倍首相が発したこの言葉が、私にとっては最もインパクトがあった。最終日、秋葉原で初めて街頭に立った安倍首相に対して、今回の政権を批判する人たちから発せられた「安倍やめろ」コールに怒り、「憎悪や誹謗中傷からは、何も生まれない!」と語気を強め、声のするとおぼしき方向を指さして、冒頭の言葉を言い放ったのだった。

それで思い出すのは、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー氏が、カリフォルニア州知事に立候補し、選挙運動中に、演説会場で反対派から生卵をぶつけられた一件。彼は、そうした行為も「表現の自由」の一環だと述べ、「ついでにベーコンもくれよ」と笑い飛ばした。
そんな風にユーモアで切り返すのは無理でも、「批判を謙虚に受け止め」と大人の対応をするか、あえて知らん顔で主張を述べ続ける冷静さを見せて欲しかった、日本国の総理大臣なら。

安倍シンパたちは、「やめろ」コールをしていたのは一部の過激な集団と決めつけているが、現場の状況を、客観的にレポートしていると思われる記事を読むと、こんな記述があった。
〈中心となっていたのは一部の集団だったようだが、街宣が始まるとともにコールは広がりを見せ、通行用のスペースを隔てた場所で演説を見ていた人まで「安倍やめろ」と口ずさむ有様だった〉

言い始めたのは一部の集団でも、それに多くの人がそれに呼応した、という現象に、本当は深刻さを感じなければならないところだったろう。ところが、安倍さんの対応は違った。

総理大臣という立場
内閣総理大臣は、安倍さんの考えに共鳴する人たちだけでなく、反対する人々を含めた、すべての国民に責任を負う立場だろう。仲間や支持者だけではなく、批判勢力を含めた、あらゆる国民の命や生活を預かっている。なのに安倍さんは、自分を非難する人々を「こんな人たち」という言葉でくくってしまい、それに「私たち」という言葉を対抗させたのである。「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない」と。

都議選の応援は、自民党総裁という立場で行ったものだろうが、安倍さんを紹介する垂れ幕には、しっかり「内閣総理大臣」と書かれ、司会の石原伸晃議員も「ただいま、安倍総理が到着しました」と紹介していた。
小泉内閣の総理秘書官だった小野次郎・元参議院議員は、ツイッターで次のように書いている。
〈この方は、自分に反対の考えを持つ人々は国民ではないと思ってる。総理になって何年も経つのに、この方は全国民のために選ばれた職にある自覚は持ち合わせない、遺憾ながら。〉
同感である。

「みんなの大統領になる」
2008年の米大統領選で、共和党のマケイン候補と激しい選挙戦を戦った民主党オバマ候補は、勝利が決まった後の演説で、マケイン氏を称え、こう語った。
〈私がまだ支持を得られていない皆さんにも申し上げたい。今夜は皆さんの票を得られなかったかもしれませんが、私には、皆さんの声も聞こえています。私は、皆さんの助けが必要なのです。私はみなさんの大統領にも、なるつもりです〉(加藤祐子訳)

韓国の文大統領も、5月の就任宣誓で「私を支持しなかった国民一人ひとりも国民」とし、その国民に奉仕することを約し、「皆の大統領になる」と強調した。
国会で多数派の中から選ばれる議院内閣制の首相は、国民から直接選ばれる大統領とは選ばれ方や権限などに違いはあっても、政権を率いるリーダーであり、人々を代表する国の顔でもある。

「私たち」と「こんな人たち」を対決させる政治
常日頃から安倍さんは、「敵」、すなわち「こんな人たち」認定した者に対しては、やたらと攻撃的だ。それは、首相でありながら、国会で民進党の議員の質問にヤジを飛ばして、委員長から注意をされる場面からも見て取れる。野党の議員の後ろにも、たくさんの国民がいるということを理解していたら、こういう態度はとれないだろう。安倍さんにとっては、野党議員に投票するような人たちは、自分が奉仕すべき国民というより、「こんな人たち」程度の存在なのではないか。

その一方で、彼は「私たち」の中に入る身内や仲間をとても大切にする。第一次政権では、仲間を大事にしすぎて「お友だち内閣」との批判を浴びた。稲田防衛相への対応などを見ていると、その教訓は未だ生かされていないようだ。仲間を大事にするのは、1人の人として見れば美徳だが、特区制度を利用した獣医学部新設をめぐっては「腹心の友」とまで呼ぶ親友を特別扱いしたのではないかとの疑念を生む一因にもなっているように思う。

敵を作り、それと「私たち」を対峙させることで、存在価値をアピールする。敵を批判し、嘲笑し、数の力で圧倒して、自らの強さと実行力を見せつける。そんな対決型の姿勢を、「決める政治」や「歯切れのよさ」「スピード感」として評価する人たちがいる一方、無視され、軽んじられてきたられた人々の不満はたまりにたまっていた。

そして、対決型を推し進めることで、政治はますます粗雑になり、できるだけ広範な人たちの合意を得ていくという地道な努力をしなくなっていった。これには、長年自民党を支えてきた保守層の中にも違和感を覚えた人が少なくなかったろう。
そこに森友・加計問題が持ち上がり、財務省の木で鼻をくくったような対応があり、文科省の前事務次官の証言があり、共謀罪審議での強引な採決があり、豊田議員の暴言があり、稲田防衛相の失言があり、二階幹事長の「落とすなら落としてみろ」発言が重なった。安倍首相の「こんな人たち」発言は、最後のだめ押しであると同時に、首相自身の個性に由来する、安倍政権の体質を、ものの見事に可視化してしまった。

安倍首相は、今回の敗因を、「政権の緩みに対する有権者の厳しい批判」と述べた。長期政権ゆえの「緩み」は、確かにあるのだろう。だが、本当の敗因はもっと根が深く、安倍さん自身のことさらな対決姿勢や粗雑な政治もその1つではないだろうか。
また、菅官房長官は、記者会見でこの発言について問われ、「きわめて常識的な発言」と述べたという。官房長官の立場で、これが「問題がある」とは言えないだろうが、政権トップの発言として「常識的」だと言ってのけてしまうところに、「分かってないなあ」と思ってしまったのである。

# by saitoru1960 | 2017-07-04 20:42 | いろいろ

ヒトラーへの285枚の葉書

ちょっと、現実味がなかったか。
f0013998_16182112.jpg

# by saitoru1960 | 2017-07-01 16:17 | 映画

光をくれた人

f0013998_14274117.jpg
f0013998_14275553.jpg
自分の子供として流れ着いた子供を育てることは出来るとは思うけれど・・・。
いつかは離れなければいけない運命だと冷静にいることは出来るのだろうか。

# by saitoru1960 | 2017-07-01 14:27 | 映画

フルレとマーレを結ぶ橋

f0013998_15264449.jpg
f0013998_15265143.jpg
f0013998_15270265.jpg
f0013998_15271006.jpg
f0013998_15272437.jpg
f0013998_15273423.jpg
f0013998_15274309.jpg
f0013998_15280153.jpg
f0013998_07525157.jpg
f0013998_15281347.jpg



# by saitoru1960 | 2017-06-25 15:32 | モルディブ

途上国における障害者スポーツ

モルディブ時代の陸上競技クラブの教え子マスードが今、44歳になり、モルディブ障害者スポーツ協会でボランティアをしている。マスードの活動を知ったのは、フェイスブックに彼が載せていた視力障害者がロードレースに参加している写真だった。
f0013998_15541120.jpg
<右端がマスード、左から2番目がランナー。サポートしたランナーは右から2番目の女の子>

途上国での「スポーツ」への取り組みではなく、途上国での「障害者スポーツ」への取り組みは、1964年が「東京オリンピック」で2020年は「東京オリンピック・パラリンピック」と銘打つように、「世界とスポーツ」を考える上ではまさにこれからの多(異)文化共生時代の課題の一つになるのかもしれない。
私が青年海外協力隊員としてモルディブで活動していた1989年、神戸で開催されたフェスピック大会(アジアパラ競技大会の前身)にモルディブから障害をもつ卓球選手1名が参加したことがあった。代表団の1人として、協力隊の事務所で働いていた、日本語を少しだけ理解できる現役のモルディブ卓球選手が選考され、神戸に引率していく役目を果たしたのだった。しかしながら、当時(1988~1990)モルディブにおいて障害者が人の目に触れ堂々とスポーツする姿を私は見た記憶がない。
帰国して27年の月日が流れた。
途上国における障害者スポーツがどのように進展していったのかマスードにまだ詳しく聞けてはいないが、遠い異国から教えにやって来た日本人と一緒に陸上競技を経験したことで、スポーツの持つ力を体感し、それが他者に働きかけることへの意欲に繋がってくれたのであれば嬉しい限りである。
モルディブは1200もの島で一国を形成している島嶼国である。国土の総面積は淡路島の半分程度しかない。1200の中には、ヤシの木一本だけが生えているような島も含まれていて、そのうち200の島に人が住んでいると言われている。
発展途上国でのスポーツを考える際には保健衛生状態を考慮しない訳にはいかない。また、保健衛生状態と密接に関係する戸籍の存在さえも明確ではないことが途上国では起こり得ることも忘れてはならない。
1989年、クウェートで開催されるイスラミックオリンピック大会(イスラム教国のオリンピック)に初めてモルディブ代表選手として選考されたサイードは、初めて国外に出るためパスポートを作ることになった。自分の生年月日をわざわざ生れ故郷の島に確認しに行き帰ってくると、彼の本当の年齢が18歳から16歳に下がり、髭の生えている風貌とパスポート上の年齢の大きな違いに驚愕したことがあった。よくよく聞いてみると、地方の島では生まれてもすぐに死んでしまう子供が多いので、戸籍なるものは存在せず、このまま生きながらえることができるな、となった頃に、何年前に生まれたあの子だな、となり、島の係の人が何かに記すのだという説明だった。
小さな島の集合体として成り立っている国モルディブにおいて、もう一つ気になったのは「血」の問題であった。
「モヤミーフン」というモルディブ語を覚えたのは活動し始めてすぐの頃だった。
「モヤ」は異常な、狂った、というような意味で、「ミーフン」は人である。
夕方4時からの陸上クラブの練習時間になると、選手たちがちょっと声を低めにして「モヤ」と呼ぶ、近所に住むアハメドがしばしばやって来た。年齢は10歳から13歳くらいであった。
アハメドがくる時はいつも水浴びをした後で、きちんとアイロンのあてられたシャツを着て、髪の毛にもきちんと櫛の目が入っていた。そして、いつもニカッと白い歯を見せ、なにかブツブツ言いながら陸上クラブの選手たちが練習する横にぶらぶらとやって来るのだった。ストップウオッチでタイムを計る私の近くに来ては、ストップウオッチを珍しそうに触るので、使っていないストップウオッチを手渡すと、嬉しそうにボタンを押し大きく口を開けまたニカッと白い歯を見せていた。
当時は総人口20万人のうち4分の1の5万人が周囲5㎞しかない首都島マーレに住んでいた。一方で地方の小さな島では一生その島から出ずに過ごす人々もいる。
単純に残りの15万人が首都以外の199の島に別れ住んでいるとすると、1島に750人という数字となる。何代かさかのぼると近親者ということが十分考えられ、近親婚から生まれる子供が障害者である高確率も簡単に想像がつくところである。
また、乳児死亡率はその国の平均寿命に直結している。
1988年と2014年でモルディブのそれを比較してみるとこの四半世紀におけるこの国の充実ぶりは一目瞭然である。
乳児死亡率 1988年 74.4人   2014年 7.8人 (出生1000人あたりの死亡数)
平均寿命  1988年 59.77歳  2014年 76.77歳
障害をもたなくても生きながらえるかどうか不透明な途上国において、障害を持って生まれた子供の行く末は想像に難くない。
乳児死亡率が下がることで上昇する平均寿命。平均寿命の伸びることが障害者のスポーツ参画に結びつくのであれば、やはりスポーツは恵まれた国の人々だけが享受できるものなのだろう。

今年2月、マスードが私に依頼してきたことは、ブラインドサッカー用のボールの入手であった。連絡を受けて探し始めると、日本でもブラインドサッカー協会のサイトでしか購入できない貴重なボールであった。しかしながら、ずっと売り切れ状態が続いていたため、ボールが手に入るまでにマスードの最初の連絡から4カ月の時間が過ぎてしまっていた。
「まだブラインドサッカーをする選手はいないけれど、2020年の東京パラリンピックに出られたらいいな」と話すマスード.。
ようやく届いたデンマーク製のブラインドサッカーボールを初めて手にしてみると、皮の感触、音の鳴り方など初めての感覚であった。せっかくなので、高校2年生の保健の授業でボールを触らせ、レタリングの上手な生徒に「Don’t think ! Feel !!」とモルディブのブラインドアスリートにメッセージを書かせた。
私がモルディブを離れた1990年、17歳だったマスード。
日本の17歳が送ったメッセージを目の不自由なアスリート達に彼はどう伝えるのか聞いてみたい。

f0013998_17322354.jpg
「Don’t think ! Feel ! !」

# by saitoru1960 | 2017-06-25 07:23 | 協力隊

Start line of Maldives Blindsoccer !

2017年2月19日 15:13 <Abdulla Masood>
hello coach
haalu kihineh
im going to introduce blind soccer in the maldives
i need your help to find ball

2017年2月19日 15:57 <Toru Saito>
Masood,kihine!?
Blind soccer balls selling in Japan seem to be sold only at the Japan Football Association.
I have tried various searching on the web now, but it seems to be made in Spain.
The price is 5616 yen per piece.
However, it can not be sold out and available.
If you tell me your position of the Maldives Disabled Association, I will consult with the Japanese Football Association once.
And please tell me the history of blind football in the Maldives and the future plan of enlightenment.

2017年2月19日 15:59 <Abdulla Masood>
baraabaru.
My position in Blind and visually impaired society is consultant in sports (Volunteer). Till now we not play blind soccer here in the Maldives. We are planning to introduce blind soccer here.
Our future plan is to participate Paralympic 2020 Tokyo. Now I’m training only athletics for blind.

2017年4月7日 18:47 <Toru Saito>
Masood, I am sorry I did not contact you for a long time.
I tried asking various departments, but I did not get a reply.
Looking at the web of the Japan Blind Football Association after a long absence, the sold out balls began to be sold again. This is good news.
So I ordered one because it was reservation sale. In May it will arrive at hand.
I will send it to you as soon as possible, so please tell me the address of Masood at Male

2017年4月8日 13:09 <Abdulla Masood>
Thank you Coach. I also trying very hard to get reply various departments. Now i got reply from denmark they are ready to supply balls and other materials.
My Postal Address is:- Lot no. 10395. Ground Floor. Hulhumale. Zip Code: 20057 Phone: +960 7943177

2017年6月22日 <Toru Saito>
My high school student wrote a message on the ball.
These students are 17 years old, it means 2nd grader in Japanese high school.
In 1990 when I had returned to Japan from Maldives, Masood was 17 years old, isn’t it.
Please wait a little more. I will send this ball to Maldives.
Please be looking forward to it.
f0013998_17322354.jpg
f0013998_17332071.jpg
f0013998_17333115.jpg



# by saitoru1960 | 2017-06-22 05:30 | モルディブ

Kに知らせたこと

久しぶりです。
あれからのことを説明するとかなり複雑なのですが、結論から言うと、1次合格して、明後日2次選考の面接に出かけます。
ただ、最終的に合格したとしても、教育委員会の現在の方針に変更がなければ、辞退することになります。

去年、派遣職員(有給)の身分で参加可ということだったのが、今年度、「他にも希望者がいるから」という理由で、無給の自己啓発等扱いになると4月中旬に連絡が入りました。

無給では残された家族が生活できないので、退職しての参加を考えました。
事務長が細かい計算をしてくれ、2年間に6割くらいなくなるので現実的ではないと話をしてくれました。
これが願書提出締切日の話です。

この段階で一度は参加をあきらめました。
でも願書は提出していたので、悪あがきをし始めました。

青年海外協力隊事務局長あてに、
「事務局から委員会に有給にしてもらうような依頼は出来ないだろうか」
という内容のメールを送ったのです。

現職参加対応の矢部さんから、「特定の個人に対しては出来ないが、兵庫県教員で合格した人全てに対して、できる限り有給での参加をお願いすることはできる」、という回答が届きました。
この時、最終的に合格してからの辞退届提出では事務局に迷惑がかかるかもしれないから、ということも頭にあったのだけれど、それに対しての言及はありませんでした。

結局決めたことは、自分の意思で道を閉ざすことはしないでおこう、でした。

校長にも1次合格の結果報告をした折に、自分の熱意と考えを伝え、派遣させる立場からみた(大きく言うならば、国際貢献する観点から)意義を委員会に今一度伝えてもらいたいと話をしました。

最終結果が出て、兵庫県からのボランティアに参加する教員数がまとまった後、いくら熱意を伝えても、「最初から無給と言ってたでしょ」と委員会からはあっさり言われておしまいなのかもわかりません。

県の立場では、ボランティアの経験を1人でも多くの教員にしてほしい、というのはもっともなことで、理解できるのです。ただ、派遣する側から考えた時に、経験者の経験を生かすことでの利点というのは確実にあると思うのです。
このあたりを委員会の裁量で考慮するような余地があるのかどうか、です。

簡単に説明できているかどうかわからないけれど、一縷の望みを持ってはいるけれど、限りなく辞退せざるを得ない現状ということです。
そんなことで、なんともすっきりしない日々を過ごしている私です。

駒ケ根ハーフ楽しんできてね。今の駒ケ根の様子を写真ででも見せて下さい。


# by saitoru1960 | 2017-06-14 05:32 | SVへの道

風の人 土の人

「地域ではたらく「風の人」という新しい選択」 
作者: 田中輝美,藤代裕之,法政大学藤代裕之研究室
出版社/ ハーベスト出版 発売日: 2015/08/11

「風の人」
その地域に「定住」しない人
その地域の外からやってくる人
その地域に新しい視点をもたらす人

「土の人」
その地域に「定住」する人
その地域の地元の人
その地域を支え、受け継いでゆく人
3つの原則

①主役はあくまでも「現地の人」。決定権は協力隊にはない
地域活性化における主役は「土の人」、「現地の人」。決定権は「現地の人」にある。
「風の人」と「土の人」には、明確な境界線があり絶対に越えられない。
一線を越えると現地の人と衝突が起き、本当は必要のない支援をしてしまう可能性も高くなる。「支援」ではなく「介入」になることがある。

②協力隊は、風のようにフットワーク軽く行動を起こすこと
「土の人」に代わって、どんどん動くこと。
2年で目に見える成果を出すことは誰でもできることではない。ただ、成果を出そうとチャレンジする「姿勢」は、どんな人であっても見せることができる。
やるか・やらないか迷ったら気軽に身軽に行動を起こすことが大切。

③自分の考えを信じて、「風」という名の変化の「きっかけ」になる
「風の人」である協力隊の価値は、新しい風を吹かすことができること。
その「風」は、協力隊の1人ひとりが持つ、「土の人」にはない独自の視点やアイデア。


# by saitoru1960 | 2017-06-14 05:12 | 協力隊

1次の合格が届いた日、校長へ渡した資料

校長に1次合格の報告とこれからのことを話しに行った。

1 ミャンマーにおけるシニアボランティア「体育」の継続が絶たれること。
2 「体育」自体の合格者が過去2年間「0」であること
3 今回から始まるミャンマー青年海外ボランティアの要請は10件中7件が体育スポーツ分野で、シニアの立場からまとめ役の形で有益に働けること。
その上、「陸上競技」が跳躍専門と投擲専門の2名募集され、私の受験しているシニアの要請内容には、その2名と連携をして活動することも望まれる、と書かれてあること。

以上の3件について資料をもとに話し、兵庫県教員の最終合格者が決定するまでは自らの意思で辞退することはしないと説明した。

校長は、8月10日の最終結果を受け、もう一度教職員課に私の意志を話してお願いしてみると話をしてくれた。

<資料として>
ミャンマーでのシニア海外ボランティア「体育」活動実績
①2016年2月~12月 短期シニア海外ボランティア「体育」ボランティア活動<10か月間>

②2016年10月 平成28年度第3回短期シニア海外ボランティア「体育」 募集 
「ミャンマー:2017年5月から12月まで8ヶ月間」     ⇒応募者数「0」

③2017年2月 平成28年度第4回短期シニア海外ボランティア「体育」 募集
「ミャンマー:2017年8月から2018年1月まで5カ月間」 ⇒応募者数「0」

④2017年4月 シニア海外ボランティア春募集 「体育」(2件:他1件はミクロネシア)
*今回 「ミャンマー:2018年1月から2020年1月まで2年間」 ⇒応募者数「6」、1次合格者数「3」

※④で派遣されなければ、次回要請は2017年秋募集「2018年8月から2020年8月まで」になる予定。

●今回合格者がいなければ、2017年5月から2018年8月までの間ボランティアのいない状態となる。

過去2年間のシニア海外ボランティア「体育」の要請数と合格者数
2015年春:要請数「1」-1次受験者数「0」-1次合格者数「0」-2次合格者数「0」
2015年秋:要請数「1」-1次受験者数「0」-1次合格者数「0」-2次合格者数「0」
2016年春:要請数「3」-1次受験者数「8」-1次合格者数「4」-2次合格者数「0」
2016年秋:要請数「1」―1次受験者数「0」-1次合格者数「0」-2次合格者数「0」
2017年春:募集数「2」-1次受験者数「6」-1次合格者数「3」-2次合格者数「 」

2017春募集「ミャンマー」要請内容
◎青年海外協力隊(10人) 
2016年、アウンサンスーチー氏来日時に初めて条約締結され、青年海外協力隊が今回初めて派遣となる。
1・陸上競技(任地:ヤンゴン)2・陸上競技(ヤンゴン)3・水泳(マンダレー)      
4・バレーボール(ヤンゴン)5・柔道(マンダレー) 6・空手道(マンダレー)
7・数学教育(マンダレー) 8・体育(マンダレー)9・看護師(マンダレー)    
10・青少年活動(マンダレー)

◎シニア海外ボランティア(10人)
2012年4月、日本とミャンマー首脳会談でJICAボランティア派遣について言及。
2013年1月、第1号のシニア海外ボランティア(医療機器分野)が派遣。
2015年8月までに16名のボランティアが派遣された。
2015年10月には、長期(2年)のシニア海外ボランティアが派遣を開始し現在に続く。
1・コンピューター技師(任地:マンダレー)2・コンピューター技師 3・自動車整備        
4・看護師(ヤンゴン)5・言語聴覚士(ヤンゴン) 6・作業療法士(ヤンゴン)
7・医療機器(ヤンゴン)8・医療機器(マンダレー) 9・作業療法士        
10・体育(ヤンゴン)

<私見と要望>

1 予算内での派遣
教育委員会の立場からは、多くの教員に経験させることが有用と考えることは仕方のないこと。
しかし、青年海外協力隊とシニア海外ボランティアをひと括りにして予算が成り立ち、初回参加希望者に優先順位があるのであれば、シニア海外ボランティアを考える2回目(青年海外協力隊経験者)にはマイナスのアドバンテージがついてくる。

2 現状において、どのような条件であれば、追加措置に値する案件となり得るか。

1)参加希望者の希望調書などを精査することはできないか。
 現状では、校長からの参加希望の依頼文書をもとに教職員課が選考。
 本人からの文書がない中で、複数名希望者が出た場合には何が優先順位の理由になるのか。
 本人の提出する参加希望調書のようなもので、優先順位を考える材料にはできないか。
 
2)JICAからの依頼
最終的に合格した際には、本人含めた兵庫県からの教員の合格者(シニア、青年ともに)に関し、青年海外協力隊事務局または兵庫県との窓口であるJICA関西国際センターから、兵庫県教育委員会に対して、可能な限り派遣法(有給)の適用を検討してもらうよう依頼をすることは可能、と回答があった。
 ボランティアを派遣する立場からの依頼に対して、教職員課が考慮する余地はあるのか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

○合格後に辞退する場合、事務局に迷惑のかかることが生じるかもしれないので問い合わせた。
身分の扱いに関しては所属先が決定することとして、「辞退」に関することでの返答はなし。
現段階では願書に記述した「現職での参加を希望」という事だけがJICA事務局に伝わっている。

○教職員課に対して
事務局から委員会に派遣職員にしてほしいと依頼があっても、本人には「無給」での説明をしているからと委員会が再考しない場合も考えられる。

ゆえに、
①「無給」では現実問題参加できないという意思表示をする ⇒「では、やめなさい」となるのか。
②ボランティア参加に対する自分自身の強い意志を伝える
⇒ ボランティア派遣の立場からの必要性の説明にもなる(ボランティアの継続性など踏まえて)

○今後について
昭和62年に派遣条例制定始まる。(自身、協力隊参加は昭和63年)
帰国後27年(現在57歳)、今後同じような協力隊経験者で、家庭の状況的にもシニアボランティアに参加可能になる年齢の者が増えることは予想される。
⇒ 今後への課題として、なにか2回目の者に考慮できるようなシステムが作れないか。
(シニア枠など、派遣する側から見れば、経験者の参加にはプラスのアドバンテージがあるはず)



# by saitoru1960 | 2017-06-06 05:26 | SVへの道

6月6日にむけて

校長から聞かされた自己啓発の理由
1 複数名の教員がボランティアへの参加を希望している
2 一度派遣職員になっているので、今回は自己啓発で
3 帰国後の残り年数が少ないため、還元は少なく派遣にはできない 
<去年出ていないのだから明らかに誰かの付け足し>

最初のフィルターは何か?
1の「複数名の希望教員が出ているので」であれば、2次試験の結果が出るまでは判明しない可能性もある。
2の「一度派遣職員になっているので今回は自己啓発で」ならば、これから先に進みようはない。
3の「帰国後の残り年数が少ないため、還元は少なく派遣にはできない」であれば、これから先に進みようはない。
 <去年出ていないのだから明らかに誰かの付け足し>

去年この話が出なかった理由に、何が考えられるか?
1)山口校長がJOCV参加の事を告げていなかった。
2)教職員課が過去の参加確認をしていなかった。
 
⇒校長が提出した文書で教職員課が参加の過去を初めて知り、連絡してきたか。

◎1か2の理由のうちどちらが先かということが重要。
 1であればまだ可能性がある。2であれば不可能。
●ただ、2が既定路線であるならば、2度目のごまかしを受けたことになる。
 1回目。去年の教職員課の未確認。
 2回目。道は閉ざされているのに、最後の合否まで確定しないように受け取れる発言。

結論 「最後まで進める」

校長へ
①「複数の希望者が出ていても、2次合格発表までは人数は決定しないのだから、自分の意思で、断ち切ることはできない」

②自分が諦めた段階でボランティア派遣ができなくなることは何としても避けたい。
●過去2年間、体育の要請数は6、合格者数は0。
●ミヤンマーへのシニアボランティアも1年8カ月途切れることに繋がる。

③「2次合格の後、協力隊の事務局からは、現職・有給での派遣依頼が県に届く。
その段階でも自己啓発(無給)扱いしかできないのであれば、その段階で辞退届を提出せざるを得ない」

# by saitoru1960 | 2017-06-02 05:22 | SVへの道

I先生からのアドバイス

 メールと添付ファイルを拝見しました。
 ひと言で言って非常に厳しい状況ですね。
 派遣職員の取り扱いにすることは難しいと思います。県教委の方針がある以上、それを覆すことは不可能でしょう。
 事務局からの回答にあるように、これまでに兵庫県教委からの参加者に無給で参加した例があるとのことですので、今回の件もそれに該当するのかは不明ですが可能性は大だと思われます。
 「協力隊に一度派遣しているため、もう一度派遣職員とすることはできず‥‥」とありますが、これは原則論なのか例外があるのかないのか? 他の教員も複数名が希望しているのが理由の一つと挙げられていますが、S先生だけが合格の場合はどうなるのか、合格人数が予算枠内で一名分の追加措置がとられる可能性があるのかないのかはダメもとでF校長に確認してもらってはどうでしょうか。

 私的には、行政は前例主義を押してくるので「過去にそのような例はない、特例を作ると過去に無給で参加したものと今回との差異に説明がつかない」と返ってくるのではと思います。
 派遣になる可能性がゼロに決まれば、一次のみで二次は辞退がいいのかなと思います。
 可能性がゼロでないなら(他の希望者の結果次第)なら最後まで頑張ってもよいかなと思います。
 S先生の「二次合格のあとの辞退は事務局に多大な迷惑がかかる」の考えは、無給の結論が出てからの辞退で割り切ってもよいかなと思います。S先生の本意ではないと思いますが。合格決定後に、健康状態や家庭の状況変化などは起こりうることだと思います。 

 しかしミヤンマーでのシニアボランティアが途切れることになると心苦しい思いですが、悩ましいことですね。
 事務局からの、教育長への訴えや教職員組合を通じた折衝は現実的ではないと思います。
 ただ、「一度派遣を経験したものは次回からは無給になること」は、「シニア海外ボランティアの派遣を推進することを考えるならば、今後見直しを検討すること」を校長から教職員課長なりに投げかけてもらうことは考えられますね。
 結果、成るか成らんかは置いといて一石を投じなければずっとこのままの状態が続くでしょう。校長の賛同が必要です。
 県教委では今回のこと以外にも、よかれと思い色んな事業を展開していますが、財政状況を無視できないところが行政の痛いところです。
 残された可能性について名案が浮かばず、すでにS先生が考えてきたことくらいしか書けません。
 お役に立てずに申し訳ありませんでした。

貴重なアドバイスで有難いことだ。

正規のルートでは、自己啓発無給。
もし合格者が定員内であれば派遣になることも、とは一度も言われていない。
つまりは、2回目はどんな状況であっても自己啓発、というのが決まっていて、去年Y校長が2回目ということを告げずに、委員会が、OKを出していた事は十分考えられる。
委員会がそれをチェックせず「OK」を出していたのだとしたら、それはそれで落ち度といえるのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。ルールはルールである。
ただ、F校長がY校長を少し責めるような言い方をし、既に複数の希望者が出ているからとだけ話し、合格者が定員に満たない場合は、の話はしないところから、2回目は100%ダメとなっているのではと考えてしまう。

いずれにせよ、F校長が理由として挙げる「すでに複数希望者が出ているので」という言葉をそのままう素直に受け止めるとすれば、その複数の教師が全て合格して、予定通り予算を執行することが決定するまでは糸はつながっていると思っていよう。
自分で道を断ち切ってしまうことだけはしないでおこう。

事務局から届いた、「無給で行った方もいます」という裏側に、協力隊の経験者でも「有給の方ももちろんいます」という事は含まれているのだろうか。

ややこしそうだから、こいつは落としておこうとJICAが考えることはないだろうか。
1次試験で落としても、2次は必ず落とさなければ、ややこしいことになるかもしれないから、と考えることはないだろうか。

無給では生活できない。
普通に家族を持っている身分の者には、2回目は不可能ですよ、と暗に断言されていることになる。

この春募集で始まるミャンマーのJOCVもスポーツ隊員が6名。
この活動を円滑に動かす存在になれるのではないかとも考えたりする。
JICA側から考えた場合、自分が役立てることはいろいろあるとは思うのだが。




# by saitoru1960 | 2017-05-30 04:45 | SVへの道

事務局からの返信

2017/05/26 19:46
お世話になります。
弊機構のボランティア事業に再びご応募いただきありがとうございます。
青年海外協力隊事務局にて現職参加を担当しております課長のYと申します。
頂いたメールおよび文書を拝見いたしました。
お返事が遅くなりまして申し訳ございません。
Sさまの海外ボランティアに対する持続する情熱を強く感じ、大変嬉しく思います。
一方、ご指摘のとおり、現職参加の身分措置(派遣条例等による有給または自己啓発休業条例による無給)は各自治体(教委)によって応募者(合格者)への取扱いが異なるのが実情でございます。
その中にあって、兵庫県教育委員会においては、これまで青年のみならずシニアにおいても多数の現職参加実績がございますが、必ずしもすべて有給ではなく、無給で参加した先生もいらっしゃいます。
弊機構としましても、有給措置が望ましいことは重々認識しており、自治体・教委への募集広報・現職参加促進においては 可能な限り派遣条例(有給)の適用をお願いしています。
しかしながら、実際の身分措置は自治体・教委の予算と人事施策にかかわることですので、弊機構が介入して、応募者(合格者)の○○氏(特定個人を指す)を有給にして頂くというような個別のお願いは、正直、難しいと申し上げざるを得ません。
S様がかつて青年海外協力隊を経験されたことから、県教委の判断により、今回の応募で合格された場合には自己啓発休業になるとの方針にご納得いかないお気持ちであることはお察し申し上げます。
このようなケースにおきましては、教員のお立場として、県教委組織のトップである教育長への訴え、または教職員組合を通じた折衝の方法もあろうかと思います。
弊機構としましては、現段階で「たら、れば」で申し上げるのは適切ではございませんが、S様が今後の選考に合格した場合、 S様を含めた貴県からの教員の応募・合格者(シニア、青年ともに)に関し、弊機構(青年海外協力隊事務局または兵庫県との窓口であるJICA関西国際センター)から、兵庫県教委に対して、可能な限り派遣法(有給)の適用を検討いただくようお伝えすることは可能でございます。
このようなかたちでのご協力となりますが、何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
S様のご健勝をお祈り申し上げます。


# by saitoru1960 | 2017-05-27 05:31 | SVへの道

T先生からの返事

 描いていた夢に暗雲がかぶさってきたという状況に表現する言葉が見つかりません。
 しかし、県の、或いは国の状況に気付いた以上、そこに止まっている訳にはいかないでしょう。
 一家の柱として家族の行く末に思いをはせる責任があることですし、最後の想いを立ち切られた現在、考えをまとめるのに困難をおぼえるのは無理のないことですが、それでも今後の方針を切りかえなければならないでしょう。
発想の転換を早いうちにするべきです。・・・べきなどと私の言える言葉ではないかもしれませんが、なるべくすばやくしないと思いを引きずってしまう方が危険です。
 家族の、そしてお母さんのことも考えに入れて、願っていた未来を自ら思い切った方向に変えられるように、君の人生を傍で見てきた高齢者として切望します。(残念ではありますが)
 奥さんともよく話し合って、残りの人生を違う学校ですごすとか、現時点で可能かどうかわかりませんが教頭になるとか、etc。
 勝手なことを言うなと腹を立てている暇はないのです。
 短い時間で自分の残りの時間を立て直して下さい。       H29年5月21日


# by saitoru1960 | 2017-05-24 05:43 | SVへの道

最後の悪あがき

国際協力機構 
青年海外協力隊事務局長
山本 美香様

 初めまして。わたくしは本年度シニア海外ボランティア春募集に応募しました兵庫県の57歳県立高校教員です。青年海外協力隊に以前現職で参加(63-1モルディブ・陸上)し、現在も兵庫県立夢野台高等学校にて体育の教諭として勤務しています。
 昨年、秋募集での応募を考え、6月に管理職(学校長)に兵庫県教育委員会・教職員課に問い合わせて頂いたときには、派遣職員にできないという回答ではなかったため、学校長からもそのまま派遣職員身分での推薦をして頂いておりました。
 しかし、残念ながら秋募集に応募できる要請が出なかったため、TOEIC受験など準備をしてはいたのですが見送らざるを得ない状況となり、今年春の募集に期待を寄せていました。
 途中、短期ボランティアの募集で「ミヤンマー・体育」の要請が第3回、第4回と続けて出てきていて、その内容から春にはこの案件が出てくる可能性が高いと、レベルBの語学資格をクリアする為再びTOEICへの勉強に取り組みながら春募集が公開されるのを待ち望んでいました。

 4月、予想していたようにミヤンマーからの要請が出てきました。
 新年度になり学校長が新しく代わったため、改めてシニア応募の旨を相談に行くと、「前の校長からきちんと話は聞いているから大丈夫です。応援しますよ」と話をされ、予定通りことは進むものと応募書類の作成に入りました。
 ところが4月18日、校長室に急に呼ばれ、「協力隊に一度派遣しているため、もう一度派遣職員とすることは出来ず、自己啓発等休業の無給休職扱いになる、という連絡が今日教職員課から届いた」と連絡を受けました。

 これは兵庫県の問題なのですが、ここから事は急変しました。昨年度、この身分扱いに関して伝えていなかった事は委員会も認めながら、今年度、他の教職員が複数名ボランティアへの参加を希望していることを理由として挙げ、「無給ならば」と自己啓発等休業扱いの条件を提示されたのです。無給では残された家族が困窮することが予想され、早期退職をしてこのままミヤンマーに行くことを考え始め、金銭面で事務長にも具体的な数字を示してもらいながら熟考致しました。
 一方で、協力隊OBで兵庫県立高校を学校長で終え、現在JICA関西でカウンセラーをされている方にも相談をし、教職員課にも話を聞いて頂きました。しかしながら「現状では困難か」という回答で、応募したものの結局夢は叶わないのか、と考え始めるに至りました。
しかしながら、本日春募集の応募状況が公表され(「体育」要請数2に対して応募者数6)、昨年度の春募集の結果(「体育」要請数3に応募者8。1次合格者が4名いたにもかかわらず2次合格者が0)を鑑みた時、最後の一縷の望みとしてこの文書を送らせていただく決心を致しました。

 ミヤンマーでのシニアボランティアの活動は、昨年1月から元仙台大学の教授が短期ボランティアとして1年間指導したのち、2016年度短期ボランティアの3回目、4回目でも応募者がないまま途切れ、今回の春募集でも出なければ、少なくとも今年1月から来年の夏まで1年半もの間途切れてしまい、また1からのスタートにならざるを得ない状況です。

 シニアでの参加は青年海外協力隊と比較すると金銭面、予算面で大きな障壁が生じてきます。
 今回の兵庫県の対応がまさしくその最たるものだと思います。これは、行政でルールが決められている以上JICAとしては口を挟める所ではないかもしれません。
 しかしながら、途上国に対する援助活動を有意義なものにできるよう多岐にわたる観点から捉え、働きかけをすることが協力隊事務局の使命と考えるならば、今一度兵庫県に事務局から再考を強く依頼して頂くことは出来ませんでしょうか。
 まだ一次選考の結果も発表されていない段階ですが、もし1次で選考された時にただ現状のまま辞退届を出すことがどうしても耐えられず、この思いを伝えるべく文書を送らせて頂くことに致しました。

 わたしが協力隊に参加した昭和63年は地方公務員の派遣条例が制定され始めた時期でした。今後、同じような協力隊経験者が、同じような理由で熱い想いを断念せざるを得なくなることは事務局にとっても本意ではないはずです。また、ボランティア活動を推進していく立場から捉えた場合、これはまさに本末転倒の対応ではないかと思われます。このようなすっきりしない思いが少しずつ蓄積されていくことで、行政の考え方に今後大きな変化をもたらすことに繋がることを切に願う次第です。

 モルディブから帰国後四半世紀、とりわけシニアへの参加を考え始めたこの1年数カ月、再び自分の力を生かし途上国の人達に体を動かすことの楽しさを伝えようとずっと考え続けてきたため、奇跡を信じてなにか行動に移さないことには心の整理がつきませんでした。
 このような不躾な内容と失礼な文書の送付の仕方、誠に申し訳ありませんでした。
 青年海外協力隊とシニア海外ボランティア事業の益々の発展、ひいては途上国の発展を心より祈念致します。

# by saitoru1960 | 2017-05-21 19:12 | SVへの道

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
プロフィールを見る