永六輔の言葉

Q. 好きな人に告白する言葉を教えて (小6・女の子)
A. 永先生:言葉は一番大切です。でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。
例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。「あなたがすき」ですとか、「キミを僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。
「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。「あなたが好きです」というのは最悪な言葉です。
だから、いっしょの環境にいるときに同じ感動をする場面に出来るだけいっしょにいる。スポーツの応援でもいいです。そうすると、使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。
自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。ひとりで野菜を食べているときは本当にさみしい。やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。二人っきり、まずはふたりになること。きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。
放送タレント 永六輔 先生
# by saitoru1960 | 2016-07-14 05:38 | 心にのこる

バットを振る

七月。
その日の朝は雨が降っていた。
グラウンドで練習ができない時によく見られるように、野球部員たちが数名体育館入口の雨に濡れない場所でバットを振っていた。
ガラス扉の前は自分のフォームをチェックできるベストポジションになる。
この朝その場所にいたのは双子の長田兄弟だった。

前日は選手権前の最後の「背番号渡し」の日だった。
事前に新聞発表された一回目のメンバー選出。
そして最終選考になるこの日、背番号をもらえなかった三年生にとっては、
君はもう
試合でマウンドに立つことも
バッターボックスに立つことも
守備につくことも100%ありません
と、高校野球の終焉を告げられた日だった。
ベンチに入れる二十人の中に弟の陸は選ばれ兄の樹は選ばれなかった。

野球部の朝練習は自由参加で、この朝、雨も降り背番号をもらえなかった部員の中には出てこない者も多かった。
でもそんな中、長田兄弟はいつもの時間に登校し、いつものようにバットを振っていた。
途中一度、樹は陸に脚のつき方や左腰の動きなどのアドバイスをしていた。
そしてまた、二度とバッターボックスに立つこともないのに、樹は一人ガラス扉に向かってバットを振り始めた。
今まで数えきれないほど繰り返してきた様に淡々と。

# by saitoru1960 | 2016-07-14 04:56 | 心にのこる

「一銭五厘の旗」

戦時、人は葉書一枚一銭五厘で徴兵された。この文章当時、はがきは7円。
■■■
美しい夜であった
もう 二度と 誰も あんな夜に会うことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように 透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような 香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして 一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜 もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった へらへらとわらうと 涙がでてきた
どの夜も 着のみ着のままで眠った
枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を 並べておいた
靴は 底がへって 雨がふると水がしみこんだが ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 雑のうを肩からかけて出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなった
何時間も歩いて 職場へいった そして また何時間も歩いて家に帰ってきた
家に近づくと くじびきのくじをひらく ときのように すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている でなければ その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか戦争が終るかもしれない などとは夢にも考えなかった
その戦争が すんだ 
戦争がない ということは それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチをひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着かえて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すということは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし 戦争のないことは すばらしかった
軍隊というところは ものごとをおそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る 
軍馬は そうはいかんぞ 聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった 
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった (じっさいには一銭五厘もかからなかったが……)
しかし いくら腹が立っても どうすることもできなかった
そうか ぼくらは一銭五厘か そうだったのか
〈草莽(そうもう)の臣〉 〈陛下の赤子(せきし)〉 〈醜(しこ)の御楯(みたて)〉
つまりは 〈一銭五厘〉ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一銭五厘なのだ 
一銭五厘が 一銭五厘をどなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も 鹿児島の部隊も おなじ冗談を 
おなじアクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りだされたら 着いたその日に 聞かされたのが 
きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おくになまりの一銭五厘を聞かされた
考えてみれば すこしまえまで 貴様ら虫けらめ だった
寄らしむべし知らしむべからず だった
しぼれば しぼるほど出る だった
明治ご一新になって それがそう簡単に変わるわけはなかった
大正になったからといって それがそう簡単に変わるわけはなかった
富山の一銭五厘の女房どもが むしろ旗を立てて 米騒動に火をつけ 
神戸の川崎造船所の一銭五厘が同盟罷業をやって
馬に乗った一銭五厘のサーベルに蹴散らされた
昭和になった
だからといって それがそう簡単に変わるわけはないだろう
満洲事変 支那事変 大東亜戦争
貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞ とどなられながら 
一銭五厘は戦場をくたくたになって歩いた 
へとへとになって眠った
一銭五厘は 死んだ
一銭五厘は けがをした 片わになった
一銭五厘を べつの名で言ってみようか
<庶民>
ぼくらだ 君らだ
あの八月十五日から 数週間 数カ月 数年
ぼくらは いつも腹をへらしながら栄養失調で 
道傍でもどこでも すぐにしゃがみこみ 坐りこみながら
買い出し列車にぶらさがりながら 
頭のほうは まるで熱に浮かされたように 上ずって 昂奮していた
戦争は もうすんだのだ
もう ぼくらの生きているあいだには戦争はないだろう
ぼくらは もう二度と召集されることはないだろう
敗けた日本は どうなるのだろう
どうなるのかしらないが 敗けて よかった
あのまま 敗けないで 戦争がつづいていたら
ぼくらは 死ぬまで 戦死するか 空襲で焼け死ぬか 飢えて死ぬか
とにかく死ぬまで 貴様らの代りは 一銭五厘でくる とどなられて 
おどおどと暮していなければならなかった
敗けてよかった
それとも あれは幻覚だったのか
ぼくらにとって 日本にとって あれは 幻覚の時代だったのか
あの数週間 あの数カ月 あの数年 
おまわりさんは にこにこして ぼくらを もしもし ちょっと といった あなたはね といった
ぼくらは 主人で おまわりさんは家来だった
役所へゆくと みんな にこにこ笑って かしこまりました なんとかしましょうといった
申し訳ありません だめでしたといった 
ぼくらが主人で 役所は ぼくらの家来だった
焼け跡のガラクタの上に ふわりふわりと 七色の雲が たなびいていた
これからは 文化国家になります と総理大臣も にこにこ笑っていた
文化国家としては まず国立劇場の立派なのを建てることです と大臣も にこにこ笑っていた
電車は 窓ガラスの代りに ベニヤ板を打ちつけて 走っていた
ぼくらは ベニヤ板がないから 窓にはいろんな紙を何枚も貼り合せた
ぼくらは主人で 大臣は ぼくらの家来だった
そういえば なるほどあれは幻覚だった
主人が まだ壕舎に住んでいたのに 家来たちは 大きな顔をして キャバレーで遊んでいた
いま 日本中いたるところの 
倉庫や物置きや ロッカーや 土蔵や押入れや トランクや 金庫や 行李の隅っこのほうに
ねじまがって すりへり 凹み 欠け おしつぶされ ひびが入り 錆びついた
〈主権在民〉とか〈民主々義〉といった言葉のかけらが
割れたフラフープや 手のとれただっこちゃんなどといっしょに つっこまれた
きりになっているはずだ
(過ぎ去りし かの幻覚の日の おもい出よ)
いつのまにか 気がついてみると おまわりさんは 笑顔を見せなくなっている
おいおい とぼくらを呼び おいこら 貴様 とどなっている
役所へゆくと みんな むつかしい顔をして いったい何の用かね といい
そんなことを ここへ言いにきてもダメじゃないか と そっぽをむく
そういえば 内閣総理大臣閣下のにこやかな笑顔を 最後に見たのは
あれは いつだったろう
もう〈文化国家〉などと たわけたことはいわなくなった
(たぶん 国立劇場ができたからかもしれない)
そのかわり 高度成長とか 大国とかGNPとか そんな言葉を やたらに
まきちらしている
物価が上って 困ります といえば その代り 賃金も上っているではないかといい
(まったくだ)
住宅で苦しんでいます といえば 愛し合っていたら 四帖半も天国だ といい
(まったくだ)
自衛隊は どんどん大きくなっているみたいで 気になりますといえば
みずから国をまもる気慨を持て という
(まったく かな)
どうして こんなことになったのだろう 
政治がわるいのか 社会がわるいのか マスコミがわるいのか 文部省がわるいのか
駅の改札掛がわるいのか テレビのCMがわるいのか となりのおっさんがわるいのか
もしも それだったら どんなに気がらくだろう
政治や社会やマスコミや文部省や駅の改札掛やテレビのCMやとなりのおっさんたちに
トンガリ帽子をかぶせ トラックにのせて 町中ひっぱりまわせば それで気がすむというものだ
それが じっさいは どうやら そうでないから 困るのだ
書く手もにぶるが わるいのは あのチョンマゲの野郎だ
あの野郎が ぼくの心に住んでいるのだ
(水虫みたいな奴だ)
おまわりさんが おいこら といったとき おいこら とは誰に向っていっているのだ といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎がしきりに袖をひいて 目くばせする
(そんなことをいうと 損するぜ)
役人が そんなこといったってダメだといったとき お前の月給は 誰が払っているのだ といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎が 目くばせして とめたのだ
あれは 戦車じゃない 特車じゃ と葉巻をくわえた総理大臣がいったとき
ほんとは あのとき 家来の分際で 主人をバカにするな といえばよかったのだ
ほんとは 言いたかった
それを チョンマゲ野郎が よせよせととめたのだ
そして いまごろになって あれは 幻覚だったのか どうして こんなことになったのかなどと 白ばくれているのだザマはない
おやじも おふくろも じいさんも ばあさんも ひいじいさんも ひいばあさんも そのまたじいさんも ばあさんも 先祖代々 きさまら 土ン百姓といわれ きさまら 町人の分際で といわれ きさまら おなごは黙っておれといわれ きさまら 虫けら同然だ といわれ きさまらの代りは 一銭五厘で来る といわれて はいつくばって暮してきた 
それが 戦争で ひどい目に合ったからといって 戦争にまけたからといってそう変わるわけはなかったのだ
交番へ道をききに入るとき どういうわけか おどおどしてしまう
税務署へいくとき 税金を払うのはこっちだから もっと愛想よくしたらどうだといいたいのに どういうわけか おどおどして ハイ そうですか そうでしたね などと おどおどお世辞わらいをしてしまう
タクシーにのると どういうわけか運転手の機嫌をとり 
ラーメン屋に入ると どういうわけかおねえちゃんに お世辞をいう
みんな 先祖代々 心に住みついたチョンマゲ野郎の仕業なのだ
言いわけをしているのではない
どうやら また ひょっとしたら 新しい幻覚の時代が はじまっている
公害さわぎだ
こんどこそは このチョンマゲ野郎を のさばらせるわけにはいかないのだ
こんどこそ ぼくら どうしても 言いたいことを はっきり言うのだ
工場の廃液なら 水俣病からでも もうずいぶんの年月になる
ヘドロだって いまに始まったことではない
自動車の排気ガスなど むしろ耳にタコができるくらい 聞かされた
それが まるで 足下に火がついたみたいに 突如として さわぎ出した
ぼくらとしては アレヨアレヨだ まさか 光化学スモッグで 女学生バッタバッタ にびっくり仰天したわけでもあるまいが それなら一体 これは どういうわけだ
けっきょくは 幻覚の時代だったが
あの八月十五日からの 数週間 数カ月 数年は ぼくら心底からうれしかった
(それがチョンマゲ根性のためにもとのモクアミになってしまったが)
それにくらべて こんどの公害さわぎはなんだか様子がちがう
どうも スッキリしない
政府が本気なら どうして 自動車の生産を中止しないのだ
どうして いま動いている自動車の 使用制限をしないのだ
どうして 要りもしない若者に あの手この手で クルマを売りつけるのをだまってみているのだ
チクロを作るのをやめさせるのなら 自動車を作るのも やめさせるべきだ
いったい 人間を運ぶのに 自動車ぐらい 効率のわるい道具はない
どうして 自動車に代わる もっと合理的な道具を 開発しないのだ
(政府とかけて 何と解くそば屋の釜と解く 心は言う(湯)ばかり)
一証券会社が 倒産しそうになったとき 政府は 全力を上げて これを救済した
ひとりの家族が マンション会社にだまされたとき 政府は眉一つ動かさない
もちろん リクツは どうにでもつくし考え方だって いく通りもある
しかし 証券会社は救わねばならぬが 一個人がどうなろうとかまわないという式の考え方では 公害問題を処理できるはずはない
公害をつきつめてゆくと 証券会社どころではない 倒してならない大企業ばかりだからだ
その大企業をどうするのだ ぼくらは 権利ばかり主張してなすべき義務を果さない
戦後のわるい風習だ とおっしゃる(まったくだ)
しかし 戦前も はるか明治のはじめから 戦後のいまも必要以上に 横車を押してでも 権利を
主張しつづけ その反面 なすべき義務を怠りっぱなしで来たのは 大企業と 歴代の政府ではないのか
さて ぼくらは もう一度 倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだしてきて 
錆びをおとし 部品を集め しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ 政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になってしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ
今度は どんなことがあってもぼくらは言う
困まることを はっきり言う人間が 集まって暮すための ぎりぎりの限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか 新幹線が できた頃からか 電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう 戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけてどうしようというのだ
なんのために 生きているのだ
今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで来るのだそうだ
よろしい 一銭五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり書いて出す 何通でも じぶんの言葉ではっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返して ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも じぶんの言葉で 困まります やめて下さい とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く ぽくらは ぼくらの旗を立てる ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは赤ではない 黒ではない もちろん白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ ぼくら こんどは後(あと)へひかない
(8号・第2世紀 昭和45年10月)
はなもり やすじ 編集者 1911 – 1978.1.14 兵庫県神戸市に生まれる。東大在学中、扇谷正造、杉浦明平らと帝大新聞の編集に携わり、戦後昭和二十三年(1948)「暮しの手帖」を創刊、雑誌の全面に花森の手と息吹がかかっていた。 掲載作は、昭和四十五年(1970)十月「暮しの手帖」第2世紀8号に掲げた胸にしみるマニフェスト
# by saitoru1960 | 2016-07-12 20:45 | 心にのこる

ラマダン始まる

f0013998_20444334.jpg
今年のラマダンが始まった。
そして、JICA関西ではモスリムの研修生に向けたランチボックスを販売中。
f0013998_20421866.jpg

# by saitoru1960 | 2016-06-06 20:44 | アジア

北海道の大きさ、十勝の大きさ

f0013998_16271819.jpg
f0013998_16272893.jpg

# by saitoru1960 | 2016-06-05 16:27 | いろいろ

ブルースリーの名文句

f0013998_20423321.jpg

“I fear not the man who has practiced 10,000 kicks once, but I fear the man who had practiced one kick 10,000 times.”

"A good teacher protects his pupils from his own influence."

“A wise man can learn more from a foolish question than a fool can learn from a wise answer.”

"Mistake are always forgivable,if one has the courage to admit them."

― Bruce Lee
# by saitoru1960 | 2016-06-02 20:45 | ドキリとしたこと

ちまき

小さい頃から母が端午の節句にあわせて作るちまき。
最近は作ったり作らなかったりだけれど、今年は作ったからと持たせてくれた。
生の黄粉に黒糖を細かく砕いて混ぜている。
自分で作れるものは何でも自分で作る昔の人。
自分が年齢を重ねてくることでこのようなことが大切に思えてくる。
f0013998_2236946.jpg

# by saitoru1960 | 2016-05-30 22:36 | 家族

ロンドン市長に初のイスラム教徒 

住民の多様化が後押し

渡辺志帆=ロンドン、伊東和貴2016年5月18日04時59分

 f0013998_933146.jpg英ロンドンで5日にあった市長選で、初めてイスラム教徒の市長が誕生した。パキスタン移民2世の労働党下院議員サディク・カーン氏(45)だ。相次ぐテロの余波で、欧米で反イスラム感情が高まる中での勝利。背景には何があったのか。

 2期8年務めた保守党のボリス・ジョンソン前市長(51)の後任を決める選挙は12人が立候補。事実上、上流階級出身の保守党下院議員ザック・ゴールド
スミス氏(41)と、移民家庭から人権派弁護士になったカーン氏の一騎打ちだった。

 保守党陣営は、カーン氏を「イスラム過激派」になぞらえるネガティブキャンペーンを展開した。

 ゴールドスミス氏は大衆紙に「労働党が勝てば、過激派を正当化する候補を立てる政党に警察行政や対テロ政策をゆだねることになる」と寄稿。記事は過激派による2005年のロンドン同時爆破テロで大破した路線バスの写真とともに掲載された。キャメロン首相も「労働党候補に懸念を抱いている」と、カーン氏が過激派に近いという印象を発信した。

 近年、欧州では過激派組織「イスラム国」(IS)に共鳴するグループによるテロ事件が続発。昨年8月の英YouGov社の世論調査では、3人に1人が「イスラム教徒のロンドン市長」に不快感を示した。米大統領選で「イスラム教徒の入国禁止」を訴える不動産王ドナルド・トランプ氏が共和党の候補者指名を確実にするなど、反イスラム感情の高まりは欧米共通の現象だ。

 だが最終的にはカーン氏が約131万票を獲得。約99万4千票のゴールドスミス氏に圧勝した。投票率は46%で、前回12年を8ポイント上回り、関心の高さを示した。

 なぜカーン氏は勝てたのか。
 背景には、ロンドンという街が培ってきた「多様性」がある。
 これまで、旧植民地や欧州連合(EU)加盟国から多くの移民を受け入れてきた。11年国勢調査によると、人口817万人(当時)のうち約37%が英国外生まれだ。「英国籍の白人」は約45%にとどまる。イスラム教徒も100万人以上で人口の12・4%を占める。

 カーン氏自身が、そんなロンドンの多様性を体現する存在だ。地元のモスク(イスラム教の礼拝所)に通い、戒律に従って酒は飲まない一方、イスラム教が認めない同性婚を支持するリベラルさを併せ持つ。カーン氏は英誌に「私たちはみんな、複合的なアイデンティティーを持つ。信仰は私の一面にすぎない」「私はロンドン市民で英国人、イングランド人、パキスタン系アジア人、父親で夫。(サッカークラブの)リバプールファン、労働党員、そしてイスラム教徒だ」と語った。

 ロンドンでは伝統的に労働党が強いことや、庶民目線の行政手腕が期待された面もある。
 保守党陣営の戦術は、党内からも「市民の分断をあおる」と批判が噴出。ゴールドスミス氏の支持離れを招いた。カーン氏は当選後、「市民が恐怖より希望を、分断より団結を選んだことを誇りに思う」と語った。
 ロンドン大学経済政治学院のトニー・トラバース教授(政治学)は「マイノリティー出身の市長を嫌ってカーン氏に投票しなかった人がいた一方で、ロンドンが民族や信仰に寛容な都市である象徴として、あえて投票した人もいたのではないか。ロンドン市民もテロを懸念しているが、市長を選ぶ判断には影響しなかったということだろう」と分析する。

 日本に住んで十数年になるインド系英国人のヴィアス・ウツパル立命館アジア太平洋大学准教授(国際政治学)は、「移民2世の若者の良い手本となり、外国にルーツを持つ英国人が政財界の要職につく流れを後押しするだろう」と指摘。今回の選挙を日本に置き換えると「移民2世の東京都知事が誕生するようなものだ」と言う。日本でも、そんな日は来るのだろうか。
 ヴィアス氏は「近い将来にはありえない」とみる。「政党が多様な地方議員の擁立に動き、市民も支えることが必要になるが、日本では社会の多様性を深めることが歓迎も推進もされていない。今は女性議員を増やすことの方が優先順位が高く、民族・宗教的マイノリティーの日本人が地方政界のリーダーとして活躍するのは、まだまだ先だろう」
(渡辺志帆=ロンドン、伊東和貴)
# by saitoru1960 | 2016-05-19 04:22 | いろいろ

シーサイドラン

朝から気持ちのいい気候となった。
一昨日、垂水まで走ったとき堀江が平磯公園の海沿いのコースを走っていたので、そのコースも含めて久し振りに舞子から海沿いの道を走ることに決めた。
明石海峡大橋の海沿い、平磯の海沿い、塩屋から須磨、と気持ちのいい風景だった。
小束山から垂水警察を目指して舞子へ。そこから須磨の駅まででちょうど2時間で21.4km。
f0013998_10291234.jpg

# by saitoru1960 | 2016-05-01 10:29 | ランニング

56回目の誕生日は

家族の誰からも忘れられて過ぎる。

フェイスブックでつながる人達からの祝いのことばは、「覚えていたから」のことばでもないので、また違うものになる。
# by saitoru1960 | 2016-04-26 23:34 | 家族

デュピュイトラン(Dupuytren)拘縮

デュピュイトラン(Dupuytren)拘縮

部位手指症状運動制限
原因その他対処専門医の診断
手掌の腱膜が肥厚収縮して,環指と小指が伸ばせなくなる。男性に多く,遺伝的素因が関与する。
f0013998_20979.jpg

デュピュイトランの病理

手掌腱膜
 手のひらの皮膚の下側には、「手掌腱膜」とう膜があり、靭帯のような役目を果たしています。この膜は、「長掌筋腱」からつながって、指先に伸びています。この手掌腱膜が縮んで、手のひらや指が拘縮(伸びなくなる)、変形する病気を「デュピュイトラン拘縮」といいます。

 デュピュイトラン拘縮の原因は不明ですが、発症には、手掌腱膜の線維化が関係しています。線維化により、手掌腱膜に結節ができ、周囲の血管や神経を巻き込んで、縮んでいくため、手のひらや指に、拘縮や変形が起こると考えられています。

 デュピュイトラン拘縮は、特に薬指(環指)と小指によく発症します。また、両手に起こることもよくあります。発症部位は、指先から2番目の関節と指の付け根の関節で、指先の関節には発症しません。また、症状が強い場合は、指先から2番目の関節の甲側や足の裏などの結節を合併する場合もあります。デュピュイトラン拘縮は、50~60歳代の男性に多い病気で、糖尿病の人に比較的多くみられます。

医療機関での診断

 デュピュイトラン拘縮は、問診と診察でほぼ診断がつきます。問診では、家族に同じ病気にかかったことのある人がいるか、手のひらをけがしたことがあるか、変形が進行する速さなどについて聞かれ、診察では、指の変形などを調べられます。また、手掌腱膜にできた結節と腫瘍との鑑別も行います。

医療機関での手術療法

 デュピュイトラン拘縮の治療には、手術を行いますが、再発することも少なくありません。手術には、「手掌腱膜すべてを切除する」「病変部の腱膜だけ切除する」「病変部の腱膜を切る」などの方法がありますが、主に病変部の腱膜切除が行われています。
 
 病変部の腱膜切除にも、手のひらをジグザグに切る「ゼット形成術」と、手のひらを横に切り、腱膜切除後は、傷口が自然にふさがるのを待つ「開放療法」があります。どちらの手術も、拘縮や変形が強いほど、手術が複雑になり、手術後のリハビリテーションにも時間がかかりますから、病状がひどくならないうちに、手術するのがよいと思います。
f0013998_21335829.jpg

# by saitoru1960 | 2016-04-26 20:09 | いろいろ

あん

f0013998_21415751.jpg
書店でぶらぶらしながら平積みされた本の表紙を眺めていると、ふと、面白そうだな、と目が止まる時があります。タイトルが気になる時もあれば、デザインや装丁にひかれる時もあり、以前見た時は気にならなかったのになんとなく手に取ってしまう時もあります。
 「あん」はその場で最初の部分を読み始めたら一気に10ページ以上も進んでしまい、立ち読みではもったいないとレジに並んで買い求めた1冊でした。平置きされた本の中からふと手に取ったのは、表紙にわたしの好きな女優・樹木希林が写っていたという理由からです。
 わたしが手にしたのは文庫本で、原作は既に映画化が決定しロードショーも間近という時期だったので、本来のカバーの上に映画のパンフレットのような宣伝用カバーが重ねられていました。そんなきっかけだったので、立ち読みを始めた1ページ目から、満開の桜の木のそばに佇む「吉井徳江」は樹木希林の姿で話し始めていました。
 原作を読んだあとに映像化されたものを観て、「観なければよかった」、と落胆することはしばしばあります。折角出来あがっていた自分のイメージの世界が壊されてしまう喪失感に似た感覚です。一方で、映画監督が原作者の意図する以上の映像を作り上げた場合には、原作とは違った別の幸福感に満たされることもあります。
 「あん」を読み進みながら、樹木希林と永瀬正敏がちいさなどら焼き屋(どら春)で交わす会話を映像で観てみたいとわたしは次第に思うようになっていきました。ひょっとすると喪失感を味わうのかもしれないけれど、このことばを話す時、樹木希林は一体どんな表情をしているのか、その機微を映像で感じてみたくなったのです。
「どう生きたら納得できるのか」という問いに対して「生きる意味」の答えを探し続けるのが人生だとすると、自分にとっての生きる意味は何になるのだろう、この命題に著者・ドリアン助川は当初、考えると心がやけどをしたようになり、なかなか書き始めることができなかったと述べています。
 辛い過去を背負う雇われ店長と手の不自由な老婆が作るどら焼きは次第に味を向上させていきます。その変化していく過程を読んでいるうちに、わたしはどら焼きがどうしても食べたくなり、手作りのどら焼きを売る店を探しました。そして、長田商店街で買い求めたそれは、「どら春」のどら焼きと重なり、作り手の手間が感じられる美味しさでした。
その後、わたしは映画「あん」を観ることになります。
 残念ながら樹木希林でさえも「吉井徳江」を演じきることはできなかったなと感じました。
聞こえないものを聞こうとする、見えないものを見ようとする物語。映画監督・河瀬直美も「生きる意味」を映像によって考えさせることへの限界を感じたことだと思います。
 読みながらあなたもきっと美味しいどら焼きが食べたくなるはずです。
 そして、心の中で静かに自分の生きる意味を考えることになるでしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今年は、福原委員長の150字以内という制限が入った。
150字で果たして、どれだけ伝えることができるか・・・。

キャッチコピー  「どら春のどら焼き 一ついかがですか」

過去を背負う雇われ店長と手の不自由な老婆がちいさなどら焼き屋で交わすことば。
本を読み進みながら、老婆を演じる樹木希林が一体どんな表情でその機微を表現するのか映画館で確かめたくなりました。 
読みながらきっとどら焼きが食べたくなるはずです。そして、心の中で静かに自分が生きる意味を考えることになるでしょう。(150字)
# by saitoru1960 | 2016-04-14 22:09 |

孤独ということに

f0013998_20213731.jpg

# by saitoru1960 | 2016-04-13 20:21 | 読み物

雪かき(内田樹)

仕事

「雪かき作業」をする人は朝早く起き出して、近所のみんなが知らないうちに、雪をすくって道端に寄せておくだけです。
起き出した人々がその道を歩いているときには雪かきをした人はもう姿を消している。だから、誰がそれをしたのか、みんなは知らないし、当然感謝される機会もない。

でも、この人が雪かきをしておかなかったら、雪は凍り付いて、そこを歩く人の中には転んで足首をくじいた人がいたかもしれない。そういう仕事をきちんとやる人が社会の要所要所にいないと、世の中は回ってゆかない。

「青い鳥」を探しに行く人たちには、どうもこの「雪かき作業」に対する敬意がいささかかけているのではないかという気がします。むしろ、そのような散文的な仕事に対する嫌悪や侮辱に動機づけられて、「ここではない別の場所」にふらふらとさまよいだしてしまう。

若い人がよく言う「クリエイティブで、やりがいのある仕事」というのは、要するに、やっている当人に大きな達成感と満足感を与える仕事ということです。でも、「雪かき仕事」は、当人にどんな利益をもたらすかではなくて、周りの人たちのどんな不利益を抑止するかを基準になされるものです。だから、自己利益を基準に採る人には、その重要性が理解できない。

もちろん、僕は「みんなに雪かき仕事をしろ」というようなことを言っているわけではないのです。自分の成功を求める生き方と、周りの人にささやかな贈り物をすることを大切にする生き方、これはどちらも社会にとっては必要です。

両方のタイプの人がいないと社会は立ちゆかない。そんなことぐらい僕だってわかっています。だから、どちらかに決めろといっているわけではありません。

ただ、仕事について、「自己利益の最大化」を求める生き方が良いのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では不可欠の重要性を持っているということはあまりアナウンスされない。そのことの危険性についてご注意申し上げているのです。
# by saitoru1960 | 2016-04-13 05:52 | 心にのこる

名こそ惜しけれ(3年の初めに)

f0013998_1644781.jpg

自分自身を磨こうとする時、苦しさを感じることなく壁を乗り越えるための努力をしていることがある。
高校に入学した頃、大きく開くことができず悲鳴を上げた股関節。しかしながら、幾度もその悲鳴と対話を繰り返すことで股関節は柔軟性を増し、知らない間に以前の股関節とは違うものになってしまっている。

高校3年になり、目前の勝負の瞬間のためここから必要になってくることは今まで以上に自分自身を磨こうとする意志である。瞬間瞬間に自身の心に生じる悲鳴を聞くこと。そしてその悲鳴との対話こそが「磨く」ための必要条件となってくる。刺激が弱すぎれば悲鳴は生じず、悲鳴そのものがなければ対話は成り立たない。まずは悲鳴を上げられるかどうかが分岐点になる。

作家司馬遼太郎は、鎌倉時代の武士が育んだ「名こそ惜しけれ」の精神が日本人には脈々と受け継がれている、と述べている。私利私欲は恥、恥ずかしいことはしない、ただそれだけの宗教ともとれる教えが日本人の心の奥底には生き続けているというのだ。生きていくうえでの基本・規準とでもいうべきもの、美意識と言っていいのかもしれない。自分の名にかけて、誰にもうしろ指をさされない、自分の行いには自分が責任を持つ、ということなのだろう。

悲鳴と対話をし続けていると、対話は苦しさに耐えることだけではない、と気づくこともでてくる。そしてその気づきを体感した者こそ、結果がどうあれ自分は正しかったのだと安堵し、次なる何かを追い求めてまた「名こそ惜しけれ」の行動を起こす人間ではないかとわたしは思っている。
# by saitoru1960 | 2016-04-07 19:55 | いろいろ

心動かされたことを忘れぬように


by saitoru1960
プロフィールを見る